卍(まんじ)とは、ヒンドゥー教や仏教で用いられる吉祥の印であるとともに、日本では仏教を象徴する記号としてよく知られ、漢字であり家紋でもある。同様の記号は世界各地にあり、西洋では太陽十字からも発生した。( )または ( )と呼ばれる。英語の swastika やフランス語の svastika もこのサンスクリット語に由来する。現在の日本語では「まんじ」は漢字「卍」の訓読みとされているが、由来は漢語「卍字」または「万字」の音読みである。左卍と右卍()があり、現代の日本では左卍が多く用いられている。漢字ではは卍の異体字である。かつては洋の東西を問わず幸運のシンボルとして用いられていた。日本、中国等の芸術において卍はしばしば繰り返すパターンの一部として見られる。日本では、寺院の象徴として地図記号にも使用され、家紋の図案にも取り入れられている。まれに忍者を表す場合にも使われる。最も古い卍は、新石器時代のインドで見られる。一方、ドイツのハインリヒ・シュリーマンはトロイの遺跡の中で卍を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なした。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は和の元といわれ、右旋回のは、力の元といわれる。メソポタミアでも先史時代から見られ、その後アッシュルの新アッシリア神殿に天然アスファルトで描かれている。中国には仏典を通して伝わり、シュリーヴァトサの音訳で「室利靺蹉」、意訳で「吉祥喜旋」、「吉祥海雲」などと漢訳された。鳩摩羅什や玄奘はこれを「徳」と訳したが、北魏の菩提流支(6世紀)は十地経論のなかで「萬字」と訳している。また、5世紀に翻訳された長阿含経大本経にも仏の三十二相の第十六として「胸有萬字」をあげている。武則天の長寿 2 年(693年)、「卍」を「萬」と読むことが定められた。吉祥万徳の集まる所の意味である。これにより卍が漢字として使われることにもなったが、熟語(卍巴・卍果など)は少ない。この卍あるいはが変化した字が「万」であるとする説もあるが、仏教伝来よりはるか前の戦国時代の印璽に「千万」の合字がしばしば見えているため、この説は疑わしい。『新字源』などでは「万」を浮き草の象形とする。「卍」の日本における訓読みは「まんじ」であり、「万字」の意である。音は「万」と同じく呉音「マン」、漢音「バン」。現代中国語では と読む。康熙字典では「十」部4画に属し、総画数は6画である。「卍山」で「かずやま」「まんざん」と読む。日本では、奈良時代の薬師寺本尊である中尊の薬師如来の掌と足の裏に描かれたものが現存最古の例とされる。卍を組み合わせた、紗綾形(さやがた)は安土桃山時代に明から輸入された織物に見られた文様で、染め物や陶磁器などに使用される(画像)。「卍崩し」「卍繋ぎ」「雷紋繋ぎ」ともいい、英語では "key fret" と呼ばれる。また、法隆寺など飛鳥時代から奈良時代の建築に見られる「卍崩しの組子」の組高欄(画像)は、を崩したものである。卍紋、万字紋(まんじもん)は、仏教の吉祥を表す紋として用いられる。形状から日本のキリシタンが十字架の代わりともした。卍紋を家紋として用いた氏族としては、平安後期から鎌倉初期の武蔵七党筆頭(小野)横山氏が「丸に左万字」、戦国時代から江戸時代以降では、加賀八家横山家が「丸に左万字」、大名では大給松平家、高木氏は「左万字」、津軽氏は「五つ割左万字」、蜂須賀氏は「丸に左万字」、江戸幕府家臣では、60 氏ほどが『寛政重修諸家譜』に掲載されている。幕末に活躍した吉田松陰の家紋は「五瓜に左万字」である。津軽氏の本拠であった青森県弘前市は卍紋を市章にしている。寺院を表す地図記号は卍の漢字を記号化したものが元になっている。明治 13 年に決められた「佛閣」の記号として表記されたのが始まりである。現在でも国土地理院が定めた地図記号として変わっていない。文字コードには、最初電波産業会が定めた FM 文字放送の放送規格である ARIB STD-B3(FM 多重放送の運用上の標準規格)で ARIB外字の道路交通情報用の文字として、国土地理院地形図の表示形態と同一になる文字として導入された。この記号は正式にARIB STD-B24(デジタル放送におけるデータ放送符号化方式と伝送方式)で定められた文字と対応している。データ放送で使用されている文字を国際標準とするため Unicode に提案され、2010 年にUnicode 5.2 に ARIB 外字が対応するように定められ、U+0FD6 の「」(LEFT-FACING SVASTI SIGN) がこの文字に対応するとされた。したがって、 U+0FD6 の文字は国土地理院の地図記号の形状にすることがよいとされる。台湾では台湾素食専門店を表すマークとして看板に表示した食堂、レストランを多くの街角にみることが出来る。他には世界紅卍字会などでも使用された。インドにおいては卍は現在も吉祥の印として非常によく使われている。建物や機械の竣工式、新車の安全祈願などには、日本と同様神職(インドではバラモン祭司)が祭事を行うが、その時に吉祥の卍が水で溶いたサフラン色の顔料で描かれる(右写真参照)。祭事で卍を書く際には必ず右手の薬指が使われる。この模様は自然に消えるにまかせられ、清掃等で消さないよう配慮される。グジャラート州の結婚式では、米で卍の形を描き、その上に椅子を置いて花婿が座る、という儀式が行われる。第一次大戦後、ポーランド陸軍ポドハレ第21・22山岳歩兵師団第1から第6歩兵歩兵連隊の連隊章に使用される。意匠としてはハカリスティに酷似。第1・第6歩兵連隊のみ45度傾斜している、ただし第6歩兵連隊は回転方向が逆(時計回り)。当時のパレードの写真で卍のみ描かれた看板が見られる。現用の第21旅団章、第1連隊章でも同様の意匠が使用されているが、登山用の斧2本を組み合わせた形状に偽装されている。現在ポドハレ兵士のリエナクターは第二次大戦当時のバッジをそのまま装着しているが、特に問題はない様である。フィンランドでは1918年から1944年まで鈎十字に類似した「ハカリスティ」が空軍および陸軍の国籍標識として使用された。青いハカリスティはフィンランド内戦中、白軍に最初の航空機を寄贈したスウェーデンの伯爵エリック・フォン・ローゼンによって幸運のシンボルとしてデザインされた。後にフィンランドはナチスと共同戦線を組むことになるものの、このハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった。1945年以降は陸軍および空軍の国籍標識はラウンデル状のマーキングに変更されたが、現在もフィンランドのメダルおよび装飾物、旗などに目立たない形で使用されている。スウェーデンの会社ASEA(現在スイス企業アセア・ブラウン・ボベリの一部)は、1800年代から1933年までハカリスティをロゴに使用した。ラトビア独立時から1940年ソビエト連邦侵攻が空軍および陸軍の国籍標識として使用された。スワスチカ (Swastika) は、カナダのオンタリオ州北部に存在する町の名である。トロントの北およそ580km、カークランド湖の5km西に位置し、1906年に成立した。近くで金鉱が発見され、スワスチカ・マイニング・カンパニーが1908年に設立された。オンタリオ州政府は第二次世界大戦中に町の名を変更しようとしたが町は抵抗した。ノバスコシア州のウィンザーには、1905年から1916年まで「スワスチカズ」という名のアイスホッケー・チームが存在した。チームのユニフォームには卍がデザインされていた。さらに、アルバータ州のエドモントン(1916年)と、ブリティッシュコロンビア州のファーニー(1922年)にも「スワスチカズ」という名のホッケー・チームが存在した。ヨーロッパでは新石器時代から卍に似た記号が使われており、最も古典的で普遍的な文様の一つであった。(三脚巴紋の派生と考えられることもあるが)“四つ脚が結合したシンボル”(テトラスケリオン、tetraskelion)はアナトリア半島一帯で知られている。古代ギリシャではロゼット文様とともに太陽の光の象徴として描かれ、ギリシア雷文のように帯状に繋いだ文様は太陽の恩賜が無限に続くという吉祥文だった。19世紀末から20世紀はじめにかけて、「swastika」の名とともに幸運のシンボルとして新たに流行した。また、ラウブル(バスク十字、テトラスケレス)と呼ばれる文様があり、ケルト人やゲルマン人、西ゴート族およびバスク人の間で芸術表現として象徴的に用いられてきた。1900年代初頭のドイツにおいて、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が1920年に党章に採用したハーケンクロイツ(鉤十字)は、シュリーマンがインド・ヨーロッパ語族と(右まんじ)の関連を示したことで、アーリア人の象徴として選ばれたものである。上記の使用例により、現在のヨーロッパにとって、はナチスの忌まわしいシンボルマークとして認識されている。右 か 左卍 に関わらず、両方が法律によって禁止されている国もある。そのため、ハーケンクロイツとよく似ている卍の使用もヨーロッパでは忌避されることがある。例えば、少林寺拳法は従来、盾卍をシンボルマークとしてきたが、ヨーロッパの一部の国では使用することができなかったため、世界で統一したマークを採用するために、2005年4月に双円(ソーエン)という新マークを作成した。また、2006年、徳島の阿波踊りがドイツで披露された際、浴衣の卍文様を自粛したこともある(徳島藩主蜂須賀氏の家紋が卍であったため、今でも阿波踊りでは卍をあしらった浴衣がよく見られる)。また、日本のアニメや漫画などがヨーロッパ圏に輸出されるときも、卍印が登場するシーンの絵が削除・抹消されることが多い。EUにおいても、一部の国のように鉤十字を鎌と槌とともに公の場で使用することも禁止しようと提案がなされたことがあった(→ヴィータウタス・ランズベルギス)。しかし、西欧各国の共産党やロシア連邦の反発が強かったほか、鉤十字の禁止と鎌と槌の禁止の提案自体が盛り上がらず、結局、鉤十字の禁止提案も鎌と槌の禁止提案も実現しなかった。
出典:wikipedia
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