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甲賀忍法帖

『甲賀忍法帖』(こうがにんぽうちょう)は、山田風太郎が「面白倶楽部」(光文社)1958年12月号から翌11月号まで連載した小説。いわゆる“忍法帖もの”の第1作にあたる。連載終了直後に同社から単行本化された。第1作のため、後の忍法帖と比べれば実にシンプルではあるが、風太郎忍法帖の基本パターンは既に確立されており(ただし、忍法の名前を詠唱する描写がない)、20人の忍者たちが秘術を尽くして死闘を繰り広げる。『魔界転生』や『柳生忍法帖』ほど大部でもないが、作家の夢枕獏は「ストーリー上にチーム対決の要素を初めて盛り込んだのは山田風太郎が初めてであり、山田風太郎という作家が漫画界に与えた影響は計り知れない」と評している。「バトル物」と分類される漫画やアニメの始祖ともいえる存在であり、日本のエンターテイメント界にとって極めて重要な作品。甲賀卍谷と伊賀鍔隠れに潜む一族は、ともに服部半蔵に率いられる忍者群同士でありながら、源平の昔より数百年、互いに憎悪を抱く不倶戴天の敵同士でもあった。服部の統制下、両門争闘の禁制によりかろうじて和平を保っていた。そのような中、甲賀組の首領甲賀弾正の孫弦之介と伊賀組の頭目お幻の孫娘朧は恋仲にあり、両家の縁組がすめば長きに亘った甲賀と伊賀の確執も解けるかと思われた。そんな事情を知ってか知らずか、慶長19年4月末両首領を駿府城に呼び出した徳川家康と半蔵(二代目)が甲賀・伊賀の忍びに与えた使命は実に戦慄すべきものであった。徳川第三代将軍となる後継者選びに悩んでいた家康は、天海の提言を受け入れ、その選定を甲賀対伊賀の忍法争いによって決めることにしたのだ。方法はそれぞれから10人ずつの「選手」を出し、最後まで生き残った者が託された巻物を再び家康の前に持ち帰ること。後継者は、伊賀が勝てば竹千代、甲賀が勝てば国千代と決まる。甲賀・伊賀とも選ばれた10人は皆、驚くべき肉体や技を持った者ばかり。そして、その中には祝言間近の弦之介と朧の名もあった…山田風太郎の長編として唯一、英語版が2006年12月Del Rey社より発売された。また繁体字、簡体字両方において中国語版も発売されている。貸本漫画時代に小山春夫による漫画化(東邦図書出版社)が行われている。2003年にはせがわまさきにより「ヤングマガジンアッパーズ」(講談社)誌上で『バジリスク 〜甲賀忍法帖〜』が連載された。『バジリスク 〜甲賀忍法帖〜』は、2004年、第28回(平成16年度)講談社漫画賞一般部門を受賞。また、2005年にはテレビアニメとして放送された。2003年には浅田寅ヲにより「エース特濃」(角川書店)誌上で『甲賀忍法帖・改』として連載され、2004年より『コミック新現実』(角川書店)に掲載誌を移したが同誌が2005年に休刊し未完となっている。2005年に『SHINOBI-HEART UNDER BLADE-』(シノビ-ハート・アンダー・ブレイド-、仮称:"忍-SHINOBI-")として映画化。人物設定の変更、原作と異なる展開と結末、忍法争い勃発に映画オリジナルの動機を追加など、大胆なアレンジが施されている。松竹映画としては珍しく、当時の若手人気タレントを多数起用している。製作費は8億円、宣伝費は7億円である。本作は松竹が日本初を謳う個人投資家向け映画ファンド(一口10万円単位)を組成し、5億円を資金調達して製作された。しかし、最終興行収入は13億5537万円とファンド目標額の20億円に届かぬ成績となり、後のビデオソフトの収益も苦戦したため、元本割れでの償還となり投資商品として成功したとは言いがたい結果となった。但し、出資者には鑑賞券の贈呈・エンドクレジットへの名前掲載などの特典が付く一方、出資者に対して知人に映画鑑賞を勧めるよう促す告知をするなど、公開時から苦戦の様相を見せていた。アメリカのラジー賞の日本版とも言える文春主催の「文春きいちご賞」の2005年のワースト1として選ばれている。

出典:wikipedia

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