六曜(ろくよう・りくよう)は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種の曜がある。日本では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや手帳にも記載されていることが多い。今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されている。六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)ともいうが、これは七曜との混同を避けるために、明治以後に作られた名称である。六曜は中国で生まれたとされる。ただし、いつの時代から暦として確立されたかについては不詳である。孔明六曜星とも呼ばれ、諸葛亮が発案し、六曜を用いて軍略を立てていたとの俗説があるが、三国時代から六曜があったということは疑わしく、後世のこじつけであるとするのが定説となっている。また一説には、唐の李淳風の作であるともいうが、これも真偽不詳である。六曜は元々は、1箇月(≒30日)を5等分して6日を一定の周期とし(30÷5 = 6)、それぞれの日を星ごとに区別するための単位として使われた。七曜や旬のような使い方がされていたと考えられている。六曜が中国から日本に伝来したのは、14世紀の鎌倉時代末期から室町時代にかけて、とされる。その名称や解釈・順序も少しずつ変えられ、現在では赤口以外は全て名称が変わっている。19世紀初頭の文化年間に現在の形になった。幕末頃には、民間の暦にさかんに記載されるようになった。明治時代に入って、吉凶付きの暦注は迷信であるとして、政府はこれらを一切禁止した。当然のこととして政府が発行する官暦となった神宮暦も、新暦(太陽暦)と天文・地理現象の他は国家神道の行事等のみを載せ、吉凶の暦注は一切排されるはずであった。実際、本暦の本体からは全て消えたが、六曜と旧暦を必要とする要望を政府も押し切ることができず、略本暦に附すという形で存続した。第二次世界大戦後はそういった政府による統制もなくなったため占いの類は氾濫するようになり現在に至る。各六曜には、固有の吉凶・運勢が定められている。勝負事に関する内容が多く、「縁起を担ぐ」ことから、元々は賭場の遊び人や勝負師などの間で用いられ出したものではないかと考えられている。このため、公営競技の予想紙には、現在でも日付欄とともに掲載されている。一般的なカレンダーなどにはこれまで広く用いられてきた。しかし、行政をはじめとする公共機関が作成するカレンダーでは使用せず、掲載を取りやめるよう行政指導を行っている機関もある。これは、根拠のない迷信であること、無用な混乱を避けるなどの理由による。また、部落解放同盟では「六曜のような迷信を信じることは差別的行為につながる恐れがある」などの理由から、積極的な廃止を求めている。こうした背景などから、2005年には大津市役所が作成した同年度版職員手帳に六曜が載せられていたために、部落解放同盟の抗議を受けて回収され、全て廃棄処分されるという事件も発生している。現代でも、冠婚葬祭の日程を決める時には六曜を意識して決める人が多い。しかし主催者が若い世代だと、たいていの場合は自分たちは気にしないが、親や祖父母や結婚式場のスタッフに言われたから、参加者に非常識だと思われないようになど、世間体を気にして仕方なく六曜を考慮しているケースが多い。また最近は六曜の記載がないカレンダーが増えてきたことや、携帯電話で予定を管理するからカレンダー自体買わない10〜20代の若者も増えているので、六曜を知らないという人もいるほどである。一方、中年〜年配者では、昨今は六曜は気にしないという人も増えてきてはいるものの、気にする人の場合では冠婚葬祭以外にも、お祝いを買う時や持って行く時、見舞いに行く時、引っ越し、納車、家を建てる時、宝くじを購入する時、新しい鞄や靴をおろす時まで、大安の日を選ぶという人もいる。仏滅や友引という、仏事と関連のあるように見える言葉が多く使われているが、仏教との関係はない。仏事と関連のあるように見える言葉が多いのは当て字によるものである。占いを盲信して本質がおろそかになればかえって悪い結果になるとして、仏教では占いを否定している。また、浄土真宗では親鸞が「日の吉凶を選ぶことはよくない」と和讃で説いたため、迷信、俗信一般を否定しており、特にタブーとされている。仏教においては本質的に因果関係によって物事が決まり、六曜が直接原因として物事を左右することはない。六曜は先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順で繰り返すが、旧暦の毎月1日の六曜は以下のように固定されている。閏月は前の月と同じになる。よって、旧暦では月日により六曜が決まることになる。定義としては、旧暦の月の数字と旧暦の日の数字の和が6の倍数であれば大安となる。しかし、新暦のカレンダーの上では、規則正しく循環していたものがある日突然途切れたり、同じ日の六曜が年によって、月によって異なっていたりする。このことが神秘的な感じを与え、これも六曜の人気の要因の一つとなっている。現在では、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口、とあるが、前述の通り古くは赤口以外は全て名称が異なっていた。かつては即吉→共引→周吉→虚亡→泰安→赤口の順で繰り返されていたとされている。なお、名称については他説もある。各六曜の詳しい説明は以下の通りである。「先んずれば即ち勝つ」の意味。かつては「速喜」「即吉」とも書かれた。万事に急ぐことが良いとされる。「午前中は吉、午後二時より六時までは凶」と言われる。「せんしょう」「せんかち」「さきがち」「さきかち」などと読まれる。「凶事に友を引く」の意味。かつては「勝負なき日と知るべし」といわれ、勝負事で何事も引き分けになる日、つまり「共引」とされており、現在のような意味はなかった。陰陽道で、ある日ある方向に事を行うと災いが友に及ぶとする「友引日」というものがあり、これが六曜の友引と混同されたものと考えられている。「朝は吉、昼は凶、夕は大吉。ただし葬式を忌む」と言われる。葬式を行うと、友が冥土に引き寄せられる(=死ぬ)とのスラングがあり、友引の日は火葬場を休業とするのが基本である(ただし後述の通り、近年では営業しているところもある)。しかし、六曜は仏教とは関係がないため、友引でも葬儀をする宗派(浄土真宗)がある。また、火葬場での友引休業を廃止する自治体も増えている(特に複数自治体が合同で運営している火葬場や、火葬炉改修工事などにより火葬能力が低下する場合に行われることが多い)。逆に慶事については“幸せのお裾分け”という意味で、結婚披露宴の引出物をこの日に発送する人もいる。「ともびき」という読みが一般的となっているが、中国語の「留引」を「ゆういん」と読むことがルーツとなっており、訓読みとなって「ともびき」と当てはめたため、「友を引く」こととは関係がなかった。なお「留引」は、現在あることが継続・停滞することを表し、良き事象なら継続を、悪き事象なら対処を、という「状況を推し量り行動する日」だった。「先んずれば即ち負ける」の意味。かつては「小吉」「周吉」と書かれ吉日とされていたが、字面につられて現在のような解釈がされるようになった。万事に平静であることが良いとされ、勝負事や急用は避けるべきとされる。「午前中は凶、午後は吉」ともいう。「せんぶ」「せんぷ」「せんまけ」「さきまけ」などと読まれる。「仏も滅するような大凶日」の意味。元は「空亡」「虚亡」と言っていたが、これを全てが虚しいと解釈して「物滅」と呼ぶようになり、これに近年になって「佛(仏)」の字が当てられたものである。この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。この日に結婚式を挙げる人は少ない。そのため仏滅には料金の割引を行う結婚式場もある。他の六曜は読みが複数あるが、仏滅は「ぶつめつ」としか読まれない。字面から仏陀(釈迦)が入滅した(亡くなった)日と解釈されることが多いが、上述のように本来は無関係である。釈迦の死んだ日とされる2月15日が旧暦では必ず仏滅になるのは、偶然そうなっただけである。「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。「大いに安し」の意味。六曜の中で最も吉の日とされる。何事においても吉、成功しないことはない日とされ、特に婚礼は大安の日に行われることが多いほか、自動車の登録日や納車日、建物の基礎工事着工日や引渡日をこの日にするという人も少なくない。また、内閣組閣も大安の日を選んで行われるという。しかし、本来はこの日に何も行うべきではないとする説もある。この点で、キリスト教やユダヤ教における安息日にほぼ相当するといえる。「たいあん」が一般的な読みだが、「だいあん」とも読む。かつては「泰安」と書かれたため、「たいあん」が本来の読みということになる。陰陽道の「赤舌日」という凶日に由来する。六曜の中では唯一名称が変わっていない。午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶とされる。この日は「赤」という字が付くため、火の元、刃物に気をつける。つまり「死」を連想されるものに注意する日とされる。「しゃっこう」「しゃっく」「じゃっく」「じゃっこう」「せきぐち」などと読まれる。「万事に用いない悪日、ただし法事、正午だけは良い」と言われる。計算のあまりによって「六曜」を求めることができる。なお「月」「日」には旧暦をあてる(下記参照)。例:
出典:wikipedia
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