野田線(のだせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から千葉県柏市の柏駅を経て船橋市の船橋駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。東武鉄道では唯一千葉県内を通る。2014年4月1日から「東武アーバンパークライン」の愛称が付けられている。駅などの案内表示は「東武アーバンパークライン」で統一された。ラインカラーは水色(東武アーバンパークラインの愛称導入後は、フューチャーブルーとブライトグリーンがテーマカラーとして使われている)、駅ナンバリングの路線記号はTD 。埼玉県南東部から千葉県北西部にかけて、東京30km圏内の東半分を結ぶ路線であり、1930年(昭和5年)に全線開通した。郊外路線だが、全線が東京近郊のベッドタウンに位置し、1980年代ごろ以降の沿線宅地化が著しく通勤利用が多いため、東武鉄道では本線(伊勢崎線〈東武スカイツリーライン〉・日光線)、東上線に次ぐ基幹路線と位置付けている。当初は野田市駅から柏駅まで醤油を運ぶ貨物輸送のために建設された。かつては野田市のキッコーマン本社内に運搬用の駅が存在し、柏駅からは日本鉄道(現・JR常磐線)経由で日本全国に醤油が輸送されていた。1985年3月14日の国鉄ダイヤ改正に併せて貨物輸送が廃止されるまで、柏駅東武1番線(旧8番線)の場所に貨物列車用の引き込み線が設けられていた。また、大宮方・船橋方とも柏駅から日暮里方に分岐する都合上、スイッチバック構造となっており一部の直通列車をのぞいて運転系統が分離されている。スイッチバックになっているのは後述する歴史的な経緯による名残である。武蔵野線 南浦和駅 - 西船橋駅間の外郭にあたり、大宮駅 - 高柳駅間は国道16号線と、高柳駅 - 船橋駅間は千葉県道8号船橋我孫子線(船取線)とほぼ並行している。2012年度の朝ラッシュ時の混雑率と輸送人員は、新船橋駅→船橋駅間が142%/12,926人、北大宮駅→大宮駅間が134%/15,524人である。車両全体の混雑率は大宮口のほうが低いものの、船橋駅はホームと改札口を結ぶ階段が2箇所あり、さらにエレベーターがあるのに対し、大宮駅はホームと改札口が一体となっている。このため、北大宮駅→大宮駅間の先頭車両は終日乗客が集中し、朝ラッシュでも全区間通じて最も激しく混雑する。千葉県は、東葛飾郡野田町(現・野田市)の醤油醸造業者から舟運に頼るだけの交通の不便さを訴えられたため、1910年(明治43年)8月3日に東葛飾郡千代田村(現・柏市) - 野田町間他1線について軽便鉄道敷設免許申請を鉄道省に提出した。建設費は県債を募集して充てることとし、醸造組合は20万円でその県債を引き受けた。当初、軌間は軍用軽便鉄道で使用していた600mmを予定していたが、野田醤油醸造組合では鉄道院線(現・JR東日本線)と同軌間でなければ常磐線柏駅で貨車の直接乗り入れができず不便である点を主張し、その結果1067mmに変更して着工することになった。同年8月31日に免許が下りると同時期に工事が着工され、1911年(明治44年)5月9日千葉県営軽便鉄道柏 - 野田町間(現・野田市駅)9マイル10チェーン (14.7km) が開業した。1921年(大正10年)、千葉県当局は路線維持を前提に県営鉄道の払い下げを行う方針を打ち出した。野田線の場合、野田醤油醸造組合が野田町 - 船橋間に列車の直通運転を計画し、京成電気軌道専務取締役本多貞次郎を中心に払い下げ運動を展開した。同年、この千葉県から払い下げられた路線(野田町 - 柏間)の経営と柏 - 船橋間の新線を敷設する目的で北総鉄道(1972年に北総開発鉄道として設立され、北総線を営業している北総鉄道とは無関係)を発起し、11月21日に免許が下りた。1922年(大正11年)4月5日に創立総会を開き、本社所在地を東京市本所区押上町(現・東京都墨田区押上)に、取締役社長は本多貞次郎が就任し、資本金150万円で北総鉄道を設立した。同月に千葉県東葛飾郡船橋町(現・船橋市)九日市に本社を移し、柏 - 船橋間の測量や用地買収にかかった。1923年(大正12年)北総鉄道は柏 - 船橋間19.6kmの工事に着手し、12月27日に船橋線 船橋 - 柏間が開業した。なお、同年7月には県営鉄道を41万円で譲り受け、翌8月より同社野田線(柏 - 野田町間14.7km)として営業を開始している。また、柏 - 船橋間の路線の駅は柏駅の東側にあり、柏 - 野田を結ぶ路線の駅は柏駅の西側にあって、常磐線をサンドイッチするような配置となっていた。1926年(大正15年)、野田町駅(現・野田市駅)から東武鉄道粕壁駅(現・春日部駅)を経て省線大宮駅までを結ぶ新線敷設の構想が北総鉄道社内から持ち上がり、同年5月31日に敷設免許を受けた。同年7月に本多貞次郎から斎藤三郎に取締役社長が変わり、12月に本社を千葉県東葛飾郡柏町(現・千葉県柏市)豊四季に移転した。1928年(昭和3年)9月に資本金を450万円に増資して工事に着手した。最初から将来の北総鉄道の電化を睨み、全線を電気運転をするという認可を受けた。1929年(昭和4年)9月1日、野田町駅(現・野田市駅) - 清水公園駅間1.3マイル(約1.9km)が開通し、同年11月17日大宮仮停留所(大宮駅から北大宮駅方331m付近。現在の埼玉県道さいたま春日部線の大栄橋付近) - 東武鉄道粕壁駅(現・春日部駅)9.5マイル (15.3km) が開通した。この大宮 - 粕壁駅間の開通に当たって粕壁駅構内に変電施設を設置し、北総鉄道線で初の電車運転を開始した。その後大宮駅構内の工事が進み、同年12月9日に省線大宮駅まで乗り入れた。大宮 - 粕壁間が開通し、路線が下総北部にとどまらず、総・武両地方にわたるようになったことから、1929年(昭和4年)11月22日に北総鉄道から総武鉄道(総武本線を開業させた1889年設立の総武鉄道とは無関係)に社名変更した。大宮 - 粕壁、野田町 - 清水公園の新線敷設工事と併せて既設線の電化工事も進められ、1929年(昭和4年)12月に野田変電所が竣工、同年12月30日から清水公園 - 柏間の電気運転を開始した。電気運転開始に当たって電気機関車3両、電車10両、そして未電化区間にはガソリンカーを1929年に3両、1930年に2両購入し、旅客営業や貨物営業に就いた。粕壁 - 清水公園間は江戸川架橋工事の竣工とともに1930年(昭和5年)10月1日開通し、全線開通となった。この時に大宮 - 柏間の直通電車の運転を開始した。これに先立ち8月30日には、船橋線の駅を常磐線西側に移転することで船橋線・野田線の駅を統合している。また、船橋線の船橋口では京成電気軌道と連絡線の工事が進められ、1929年(昭和4年)12月25日に京成海神停留場を連絡駅とし船橋 - 海神間にガソリン客車による旅客営業が開始されたが、収益が上がらず1933年(昭和8年)11月に営業を休止、翌1934年(昭和9年)4月3日に営業を廃止した。1935年(昭和10年)7月1日、埼玉県南埼玉郡岩槻町(現・さいたま市岩槻区)の岩槻自動車株式会社(乗合自動車事業)を買収、また乗合自動車9両と貸切自動車1両を購入し野田町 - 越谷・草加駅間で乗合自動車事業を開業した。1936年(昭和11年)4月2日には北足立郡大宮町・上尾町・原市町近郊(現・さいたま市大宮区、北区、見沼区、上尾市)で乗合自動車事業を展開する大宮自動車商会を買収するなど、総武鉄道沿線の中小乗合自動車事業者の買収を積極的に進めた。1937年(昭和12年)には個人経営の利根川渡船事業(現・野田市目吹あたり)も買収し、茨城県岩井町(現・坂東市)方面に向けた渡船事業も展開した。北総鉄道が発行した路線図には清水公園駅より岩井町に到るバス路線が記載されたほか、戦後は芽吹大橋の架橋により愛宕駅・北越谷駅より東武バスが運行され、両駅は長らく茨城県西部への主要な乗換駅として機能した。現在でも、つくばエクスプレスの開業による減便はあるものの系列の茨城急行自動車による運行で健在である。1943年(昭和18年)12月28日、東武鉄道の臨時株主総会にて東武鉄道と総武鉄道との合併が承認され、翌1944年(昭和19年)3月1日東武鉄道と合併した。元々総武鉄道は京成電気軌道の傍系企業であったが、本多貞次郎が取締役社長を辞任したころから徐々に京成との関係が薄くなっていき、キッコーマンの傍系企業としての結び付きが強くなったようである。そして陸上交通事業調整法が遠因となって東武鉄道に合併された。当初は大宮 - 柏間が野田線、柏 - 船橋間が船橋線の呼称であったが、のちに大宮 - 船橋間の全線が野田線と改称されている。なお、乗合自動車事業(路線バス)も鉄道事業と同様に東武鉄道に合併された。戦後は1957年(昭和32年)に北大宮 - 大宮公園間が複線化されたのを皮切りに、大宮・柏・船橋を起点に複線化が進められた。また旧型車両から3000系列→8000系→5000系列→2080系→8000系へと車両の近代化や、駅舎の改築も順次進められてきた。1992年(平成4年)には2080系と3000系列が8000系に置き換えられたことにより、全車両が20m車両となった。2004年(平成16年)に5000系列が当路線での運用を終了した後も、当路線にはしばらく新型車両は導入されなかったが、2013年(平成25年)になって10030系と野田線初の新型車両60000系が導入された。2007年(平成19年)3月には、柏駅と船橋駅に発車メロディ(発車案内放送装置)を導入、その後も各駅に順次導入され、2009年(平成21年)3月に全駅への導入を完了した。2014年(平成26年)3月22日には、船橋駅に東武鉄道初のホームドアが導入されたのを皮切りに、2015年(平成27年)には柏駅でも2月7日および3月14日に段階的にホームドアが導入された。2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正では、急行が設定された。大宮駅 - 春日部駅間 (15.2km)、南桜井駅 - 江戸川橋梁付近(約1.3km)、梅郷駅付近 (0.9km)、運河駅 - 柏駅 - 逆井駅間 (14.8km)、六実駅 - 船橋駅間 (10.8km)の各区間が複線で、残りは単線となっている。単線区間ではすべての駅で上下列車の列車交換が可能である。早朝・深夜をのぞいてほぼ全駅で列車交換を行っており、ネットダイヤを形成している。そのためこれ以上の増発はほぼ不可能な状況にある。野田線では大宮から柏・船橋方面に向かう列車を下り、船橋から柏・大宮方面に向かう列車を上りと定めている。このように2つの県をまたぎ長距離で運転されるにもかかわらず、2016年3月25日まで、特急・急行といった優等列車は後述の臨時列車をのぞき設定がなく(追い抜き可能な駅もほとんどない)、各駅停車のみの運行であったが、2016年3月26日のダイヤ改正で急行が設定された(後節も参照)。全定期列車が8000系・10030系・60000系6両編成で運行されている。大宮 - 船橋間の移動は野田線を乗り通す(柏乗り継ぎで約90分。現金で乗車券購入810円、ICカード802円)よりも、JR線を乗り継いだ方が運賃は高いが所要時間は短い(宇都宮線・総武快速線を使い東京経由で約80分。現金で乗車券購入920円、ICカード918円)。最高速度は2004年10月19日ダイヤ改正以後は100km/hである。柏駅がスイッチバック状の配線のため、運行系統は大宮駅 - 柏駅間と柏駅 - 船橋駅間に分かれている。ただし、早朝を中心に大宮駅 - 船橋駅間直通列車のほか、七光台駅 - 船橋駅間の出入庫列車など、柏駅をまたいで運転される列車も数本存在している。なお、直通列車でも柏駅で乗り換えた方が所要時間が短い列車もある。単線区間の逆井駅 - 六実駅間での列車交換は基本的に高柳駅で行う。朝方に六実駅で長時間停車する列車があり、車掌によっては保温・保冷のため4つのドアのうち中2つ(60000系の場合は、柏方以外3つ)を閉めることがある。2016年3月26日のダイヤ改正で新設された種別。大宮駅 - 春日部駅間では途中岩槻駅のみに停車し、春日部駅 - 船橋駅間では各駅に停車する。平日は9 - 16時台に約30分間隔で上下計31本、土休日は7 - 8時台に上り2本、9 - 20時台に約30分間隔で上下計50本運転。このうち平日・土休日共に、1日1往復は船橋発着となる。また、土休日の大宮駅を17時台以降に発車する下り列車のみ、岩槻駅にて緩急接続(普通:春日部行き)を行う。各駅に停車する。大宮駅 - 柏駅間は、以前は直通列車のほか、大宮駅 - 岩槻駅・春日部駅間や柏駅 - 運河駅・清水公園駅間など多数の区間列車が設定され、1時間あたり4 - 8本と区間ごとに輸送力のばらつきがあった。しかし、2007年3月10日のダイヤ改正より日中時間帯は運行本数が10分間隔で1時間あたり6本に、運行区間も大宮駅 - 柏駅間に統一されるとともに、一部の駅では安全側線の設置・弾性ポイントへの取り替えによる通過速度向上などの改良が行われ、大宮駅 - 柏駅間の所要時間が3 - 4分短縮された。柏駅 - 船橋駅間はダイヤ改正以前より日中10分間隔で運転されており、柏駅をまたいでの乗り継ぎ時間が2 - 3分にまで短縮された。だが、2011年7月23日のダイヤ変更時には、柏駅での待ち時間が6分に拡大され、大宮駅 - 柏駅間の所要時間が3 - 4分ほど延びた。2016年3月26日のダイヤ改正で、大宮駅 - 春日部駅間の区間列車(普通)が日中に再設定された。これは、急行通過駅に対して、従来と同じ列車本数を確保するための措置である。運転本数は、平日は急行列車と同数であるが、土休日は7 - 8時台の上り2本を除く急行列車と同数である。そのため、急行通過駅の土休日7 - 8時台の上り2本が減便となった。1965年(昭和40年)ごろ、当時の大宮市(現・さいたま市大宮区)周辺の自治体が大宮駅 - 東武日光駅・鬼怒川温泉駅の直通列車を要望した。東武鉄道ではこの要望に応える形で1969年(昭和44年)9月27日より春・秋の観光シーズンを中心として大宮駅 - 春日部駅 - 東武日光駅・鬼怒川温泉駅間の臨時急行列車「きりふり」・「りゅうおう」(「きりふり」は東武日光行き、「りゅうおう」は鬼怒川温泉行き)を設定したが、利用客が少なく1972年(昭和47年)秋シーズンの運転最終日だった11月11日をもって打ち切りとなった。これは春日部経由では遠回りであり、春日部駅で折り返しが必要となって、東北本線・日光線を経由する国鉄の急行「日光」などより所要時間を要したことや野田線に単線区間が多く線路容量に余裕がなかった上、使用車両が5700系電車だったことも原因と考えられている。その後も「大宮駅から野田線を経由して日光・鬼怒川への直通特急の新設を」という要望が繰り返し出され、1990年(平成2年)8月28・29日には1720系「DRC」を使用して大宮駅 - 鬼怒川温泉駅間(28日)、東武日光駅 - 大宮駅間(29日)に大宮市の市制施行50周年を記念した団体列車「大宮市民号」が運転された。この年に就役した100系「スペーシア」の乗り入れと、大宮市と友好都市を結んでいる福島県南会津郡舘岩村(現・南会津町)の玄関口となる会津鉄道会津線会津田島駅への列車の運行が期待されたが、東武側は「利用が見込めない」として要望を断っている。1999年(平成11年)3月16日より特急「けごん」・「きぬ」の一部列車が春日部駅に停車するようになり、2001年(平成13年)3月28日からは全列車の停車を開始した。2004年(平成16年)10月19日に大宮駅 - 春日部駅間の複線化が完成し直通列車再開の準備が整ったかに見えたが、東武日光線とJR東日本宇都宮線(東北本線)を相互直通運転する特急の運行が発表され、2006年(平成16年)3月18日より「日光」・「(スペーシア)きぬがわ」として運転が開始されたことにより、さいたま市はこれを「事実上の再開」とみなして件の要望を取り下げている。千葉県側からも、昭和40 - 50年代の春・秋に、船橋市・鎌ケ谷市(および松戸市の一部)の市立小学校の日光修学旅行輸送などのため、団体臨時列車「たびじ」が運転されていた。ただし、こちらも当時単線区間が多かったために線路容量に余裕がなかったことと、船橋駅が高架駅化および駅ビル(東武百貨店船橋店)建設により駅構内が狭隘をきわめていたことから、大半は船橋駅からは運転されず柏駅からの発着となっていた。また同時期の鬼怒川温泉向け団体臨時列車では、車両運用の関係で5700系が柏駅 - 船橋駅間を一般客混乗列車として走ったことが数回ある。平成に入ると修学旅行の出発が早朝になることが増え、柏駅に長時間停車できなくなり野田市駅からの発着となっていた。前述のように日光・鬼怒川方面への直通列車は過去に運行例があったものの、逆方向となる東武スカイツリーライン(伊勢崎線)浅草方面への運行は長らく行われていなかった。しかし2012年(平成24年)、この年開業した東京スカイツリーと東京スカイツリータウンへ向かう旅客のアクセス確保と東武博物館で動態保存されることになった8000系 リバイバルカラー編成のお披露目を兼ねて、8月29日から9月3日までの間、大宮駅 - とうきょうスカイツリー駅間の直通運転を行った(途中停車駅は春日部駅のみ)。この時は東武トラベル(現在の東武トップツアーズ)が主催した東京スカイツリー開業100日記念ツアーの参加者のみ乗車できた一種の貸切電車であったが、別途9月29日から11月25日の土・休日に同じ区間で臨時列車を運行した(途中停車駅は大宮駅 - 春日部駅の各駅と北千住駅のみ。ただし、11月17・18日は、リバイバルカラー編成が東上線のイベントおよび記念ツアーに使用されたため、通常の8000系で運行)。2013年は、8月11日から8月25日までの日曜日に同じ区間で臨時列車を運行した。10月19日には、埼玉県などが主催するアニメイベント「アニ玉祭」に東武鉄道が協力し、「アニ玉コスプレトレイン」をとうきょうスカイツリー駅 - 大宮駅間で8000系リバイバルカラー編成を使用して運行した。この時は東武トラベルが主催したアニ玉祭ツアーの参加者のみ乗車できた一種の貸切電車であったが、2014年10月11日には、野田線仕様の10030系を使用した臨時列車「アニ玉祭トレイン」を同区間で運行(途中停車駅は北千住駅と春日部駅 - 大宮駅間の各駅)した。2012年12月1日からは、6050系電車を改造した展望列車634型「スカイツリートレイン」により、土曜日に大宮発とうきょうスカイツリー・浅草行き臨時特急「スカイツリートレイン」4号(途中停車駅は春日部駅・北千住駅・とうきょうスカイツリー駅のみ)を運行することとなり、1972年以来40年ぶりに、野田線に一般向け臨時優等列車が設定されたが、大宮行きは設定されなかった。当初は2013年1月26日までの運行としていたが、3月9日まで延長。3月16日のダイヤ改正後は一部の祝日にも運行されることになり、3月20日から運行が再開された。2015年8月8日からの毎週土曜日には、「スカイツリートレイン」4号に加えて「スカイツリートレイン」52号が運行され、同時に特急料金も値下げされている。しかし、2016年3月19日をもって運休となった(「スカイツリートレイン」52号の運行に伴い、伊勢崎線太田発浅草行きの「スカイツリートレイン」2号が運休となっていた)。北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業した2015年3月14日から同月中の土休日には、大宮発浅草行き臨時快速(途中停車駅は「スカイツリートレイン」4号と同じ)が6050系電車で運行され、2015年7月18日から8月2日までの土休日にも運行された。2015年12月4日から同月中の金曜日(25日を除く)と22日に浅草から清水公園・野田市方面に向かう臨時列車として、浅草発運河行き臨時特急「きりふり」267号が300系で運行された。途中停車駅はとうきょうスカイツリー駅・北千住駅と野田線内の春日部駅 - 運河駅間の各駅で、野田線内だけを乗車する場合は特急料金は不要。2016年3月26日改正時点の日中の運転本数は以下の通り。大宮 - 春日部間の普通列車新設により、急行通過駅でも従来通り6本を確保。また春日部 - 船橋間は原則10分間隔で、柏駅を境に分断されている。1980年代終盤から1990年代初めにかけて、春日部市、岩槻市(当時)など沿線自治体から大宮駅で接続するJR京浜東北線(および直通先の根岸線)への相互乗り入れを求める嘆願書が東武鉄道とJR東日本に提出されたことがあった。これは野田線の大宮駅利用者のほぼ9割がJRへの乗り換え客であり、東武大宮駅とJR大宮駅の京浜東北線ホームが隣り合わせになっていることによる自治体独自の構想だったが、京浜東北線が10両編成なのに対して野田線が6両編成であること、車体長が違う(当時の野田線は20m級車両のほか18m級車両も運行されていた)こと、保安装置の違いや輸送量に決定的な格差があったことなどから、そもそも両社ともそのような構想は持っておらず、結局実現はしなかった。その代替として、東武は1995年に大宮駅の改良工事を実施した。ホームを柏方に若干移動してスペースを生み出し、エスカレーターを設置した連絡通路を新たに整備するなどして混雑緩和を図ったが、JR側の改札位置が従来のままのため、結果的には距離が改良前より離れてしまっている。このため、利用者からは2階コンコースのJR駅東側(ルミネ大宮1出入口周辺)に「東改札口」の設置を求める声が根強い。2005年(平成17年)6月20日より女性専用車が導入された。平日の初電から9時までの上り・下りの全列車・全区間を対象とし、9時をもって一斉に打ち切られる。対象車両は上り・下りともに柏方先頭の6号車となっている。半環状線の野田線では朝ピーク時の混雑区間は多岐に渡り、また柏でのスイッチバックも絡み、大宮発船橋行などのように柏駅を跨ぐ列車が数本あるため、何両目を女性専用車とするかには紆余曲折があった。最終的に、野田線で最も混雑する車両は大宮に到着する列車の、改札口に近い先頭の1号車と判断され、女性専用車は最も混雑度が低いとされる最後尾の6号車に導入が決定された。柏と船橋に到着する列車も大宮と同様に混雑するが、両駅は改札へ続く階段がホームに満遍なく設置されているので、車両毎の混雑度はある程度平準化されており、1号車、6号車どちらにあったとしても問題はないとされた。ただし、新柏駅のように1か所のみの階段に最も近い車両が女性専用車(6号車)となっているケースもある。また、柏駅の大宮方面と船橋方面を行き来する連絡通路が女性専用車(6号車)付近となっており、それ以外の車両(特に1-3号車)からは遠回りをして連絡通路を使うか階段を使用せざるをえない状況である。車種は現用車両はすべて電車、過去の車両も特に記述しているもの以外は電車。全車両が南栗橋車両管区七光台支所所属。野田線に「東武アーバンパークライン」の愛称名が導入されたのに伴い、1号車と6号車の前面と側面両側に愛称のロゴが付けられており、60000系と10030系及び同系50番台は2014年3月、8000系は2014年5月に施された。
出典:wikipedia
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