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京都御苑

京都御苑(きょうとぎょえん)は京都府京都市上京区にある国民公園。京都御所の周囲の地区を指す。京都市の中心部に位置し、東西南北を寺町通・烏丸通・丸太町通・今出川通に区切られた区域。東西約700メートル・南北1300メートルの範囲で総面積は92ヘクタール。そのうち環境省が管理する国民公園である京都御苑は65ヘクタールにおよぶ。現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁が、2005年4月に開館した京都迎賓館は内閣府が、それ以外のは環境省が管理している。多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所のほか、グラウンドやテニスコートもあり、市民の憩いの場になっている。京都御苑の地には、江戸時代には200あまりの公家屋敷(ぐげやしき)が立ち並んでいたところで、その歴史は豊臣秀吉が大規模な都市改造の一環として堂上公家をあまねく禁裏(御所)周辺に移住させた天正年間にさかのぼる。明治になると明治天皇に従って多くの公家が東京へ移り、華族制度の発足と共にすべての華族の東京移住が義務付けられたことで、公家屋敷はもぬけの殻となり御所周辺は急速に荒廃していった。この状況を憂慮した岩倉具視は、旧慣保存のためにもなることを理由に明治10年(1877年)御所の保存を建議した。これを受けて京都府は御所を囲む火除け地を確保することを目的に、軒を連ねる旧公家屋敷の空家の撤去と跡地の整備を開始した。これが京都御苑の始まりである。当初は周囲の土塁と堀を整備するにとどまったが、その後も整備は徐々に進められ、明治16年(1883年)に御苑の管理が京都府から宮内省に移管され後も続けられた。大正天皇の大礼が京都御所で行われることになると整備は急進展を見せ、建礼門前大通に大規模な改修工事が施されてほぼ現在の姿になった。戦後宮内省が解体されると、昭和24年(1949年)には厚生省の管理運営のもと御苑は国民公園となった。昭和46年(1971年)に各省庁で環境や公害に関係する部署を統合して環境庁が創設されることになると、厚生省の大臣官房国立公園部も環境庁に移るとこになり、これに伴い御苑も同庁の所轄となった。これが環境省に引き継がれて今日に至っている。御所・仙洞御所および京都大宮御所以外にも、京都御苑には公家の邸宅をはじめとする遺構が数多く残されている。宮家のものとしては南西部に閑院宮家の邸宅が保存されており、北部には桂宮家の邸宅の築地塀と表門と勅使門が残る(内部の建物群は二条城に移築されている)。閑院宮載仁親王が明治10年(1877年)に東京に移住するまでの邸宅である。明治16年(1883年)5月に閑院宮邸内に宮内省京都市庁舎の建設がはじめられ、同年12月には現在の形態に近いものが完成した。その後、所管を宮内省から厚生省、環境省と移しながら現在に至る。建物は、中央の中庭を四つの棟で囲む平面構成となっている。東棟は正面入母屋造千鳥破風の車寄せ玄関がある。南棟は資料展示室・収蔵室になり、南側全体に庇を付けた大きな瓦屋葺きの反り屋根を持つ。西棟はレクチャーホールで北棟が事務棟となっている。小規模での修繕が繰り返されてきたが、建物全体の破損や狂いが大きくなってきたため、平成15年(2003年)に全体の修復整備を行うこととなった。外観は建設当時の状態の保存をはかりつつ、後補の不必要な部分や内部の模様替え部分を撤去・整備する方針で行われた。平成18年(2006年)3月に完成し、現在の姿となった。京都御苑の自然や歴史を学ぶことのできる収納展示室があり、庭園を見ることもできる。上記の蛤御門は、元々「新在家御門」といい、開かずの扉であったが、1788年の天明の大火の際に初めて開門された。この為、「炎で貝が開く」ことの比喩で蛤御門と呼ばれるようになった。また、1864年(元治元年)に尊王攘夷派(長州藩)と徳川幕府(会津藩)の戦いである禁門の変(蛤御門の変)が勃発した。現在でもこの戦いの傷跡である銃弾の跡が門に残されている。京都御所の東北角、御所の鬼門にあたるところに御幣を担ぐ山王権現日吉社の猿が浮き彫りにされている。また、角が直角ではなく一部をへこませている。文久3年(1863年)、尊攘派の公家・姉小路公知が暗殺された場所でもある(朔平門外の変)。上記の建造物以外には以下のようなものがある。また、五摂家の近衛家や九条家の庭園の池である近衛池や九条池は、善く保存されており、かつての公家の生活を偲ぶことができる。京都御苑内には500種以上の植物がある。苑内には約5万本の樹木が生育しており、多くは明治以降に植栽されたものである。マツ、ケヤキ、シイ・カシ類、イチョウなどのほか、ウメ、モモ、サクラ、サルスベリなどの花の咲く木も多く、これら多彩な樹々が御苑の風格と四季の彩りをなしている。また、スミレ、タンポポどの草花やキノコ類も多く見られる。キノコ類は400種以上が確認されており、一年を通じて観察できる。苑内には生物も多く見られる。野鳥の観測地として知られ、100種以上の野鳥が確認され、そのうち約20種は苑内で繁殖されている。代表的な鳥としてはアオバト、ビンズイ、トラツグミ、ゴイサギなどがあげられる。昆虫類も多く見られ、チョウ類55種、トンボ類26種、セミ類8種などが確認できる。苑内には、自然に親しむ場所として「母と子の森」「トンボ池」「出水の小川」などが整備されているほか、「母と子の森」内の「森の文庫」では植物や生物など自然についての本が置かれたり、閑院宮邸跡の収納展示室で自然や歴史について解説とともに学ぶこともできる。こうした環境が京都市内の中心部にあることで、散策や花見のほか、バードウォッチングや自然観察会などに多くの人が訪れる場となっている。京都の住民は、京都御苑の区域を指して「御所」と呼ぶことが多い。公園内ではのんびりと散歩を楽しむ人やバードウォッチングをする人もいる。御苑の北隣には同志社大学と同志社女子大学(両校とも今出川キャンパス)があるため、ベンチで寝転ぶ学生の姿をよく見かける。また、住民の通り抜けルートにもなっているが、通路部分は舗装されておらず、砂が敷き詰められているため自転車では走りづらい。しかし、自転車の走行跡が砂地にできて走りやすくなっている部分もある。この走行跡は御所の細道と呼ばれることがある。ただし、走行跡は自転車一台分の幅しかないため、対向車が来た場合は譲り合う光景が見られる。公園内は京都府警や皇宮警察が常に見回りをしていて、京都御所や仙洞御所の塀に近づくとセンサーが反応し、すぐに注意される。公園内への放置自転車が、2010年代に入って目立つようになっている。主に、近隣の京都市営地下鉄丸太町駅の利用者が停めているものと見られている。地元住民からは、公園の美観を損なうなどとして撤去を求める声が強いが、公園内は京都市の撤去条例の対象外となっており、公園管理者である環境省などは対応に苦慮している。

出典:wikipedia

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