長野電鉄株式会社(ながのでんてつ、英称:"Nagano Electric Railway Co., Ltd.")は、長野県北部地域に路線を持つ鉄道事業者で、ながでんグループの中核企業である。長野県長野市大字鶴賀(権堂町)2201に本社を置く。須坂や中野といった千曲川東岸地域(河東地区)と国鉄線の接続による産業輸送近代化を目的とした「河東鉄道」を発祥とし、その後県都である長野との接続を図るべく「長野電気鉄道」を設立し須坂駅 - 長野駅間を開業、両社を統合して発足したのが現在の長野電鉄である。山の内線開業により湯田中・渋温泉や志賀高原の開発を進めるなど観光開発にも注力し、スキーブームの先鞭となった。長野線は開業当初から長野市内・近郊で複線区間を有し(当時は権堂駅 - 信濃吉田駅間・その後長野駅および朝陽駅まで複線延伸)、複線区間では20 - 30分毎の高頻度運転を続けており、都市内鉄道としての性格も強かった。戦後は長野市の都市計画において長野都市圏の大動脈として位置付けられ沿線の開発も進み、また長野市と須坂市・中野市を結ぶ都市間路線としての機能も強くなったことから観光色は若干弱くなっていたが、新型特急用車両の導入により観光輸送にも改めて取り組んでいる。開業線のほかに木島から野沢温泉、湯田中から渋・安代までの具体的な延伸計画や「善光寺平環状線構想」と称された河東線 - 飯山鉄道(現JR飯山線) - 千曲川西岸線(豊野・長野 - 屋代)の直通運転という雄大な構想もあったが、ともに実現せず今に至る。かつては直営でバス事業も行っていたが1987年(昭和62年)3月より一部路線を順次、長電グループの子会社に移管し、1995年(平成7年)10月には残るバス事業を長電バスに分社した。2002年(平成14年)4月1日に河東線の一部区間(信州中野駅 - 木島駅間、通称「木島線」)が、2012年(平成24年)4月1日には屋代線(屋代駅 - 須坂駅間、24.4km)が廃線となるなど、他の地方鉄道同様、厳しい状況下にある。2007年(平成19年)7月には志賀高原の開発事業のうち、奥志賀高原の事業が投資会社のユニファイド・パートナーズへ譲渡された。現行の社紋は1926年(大正15年)の河東鉄道・長野電気鉄道の合併以来使用されている。中央の星は長野電気鉄道の「長」の字の草書体が基になっており、1907年(明治40年)〜1966年(昭和41年)に用いられた初代・2代目長野市章などにも見られる図案である。この星形を旧河東鉄道の社紋から引き継いだ、千曲川を表す3本線で囲み、以て河東鉄道・長野電気鉄道の合併で長野地域と河東地域とが結ばれたことを示している。なお、旧河東鉄道の社紋は「東」の文字を3本線で丸く囲んだものであり、旧長野電気鉄道の社紋は楔型に図案化した「ナガノ」の文字を6つ円形に並べて電車の車輪を模したものであった。現在2100系以外の全車両で側面に掲げられている。また、グループ会社では長電建設が3本線の下部を切り取り「建」の文字を入れた社章を用いている。以下の路線を保有する。あるいは保有していた。各路線の運行形態、駅一覧などは以下の各記事を参照のこと。大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ) - 2014年4月1日改定。大人特急料金(小児半額)コンパートメント料金(スノーモンキー個室席)以下の車両が在籍している。屋代線の廃止に伴い他社線との接続が失われたため、車両搬入はトレーラーでの輸送に切り替えられている。現存する車両の他に以下の車両が在籍していた。
出典:wikipedia
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