常磐自動車道(じょうばんじどうしゃどう、JOBAN EXPRESSWAY)は、起点を東京都、終点を宮城県仙台市とする高速道路(高規格幹線道路)である。略称は常磐道(じょうばんどう、JOBAN EXPWY)。国土開発幹線自動車道の常磐自動車道は、以下のとおりとされている。高速自動車国道の常磐自動車道は、以下のとおりとされている。東北縦貫自動車道(東北自動車道)と結ばれ、北東国土軸の強化を目的としている。東京都練馬区 - 三郷市の区間について東北縦貫自動車道、東関東自動車道と、宮城県富谷市 - 仙台市の区間について東北縦貫自動車道と重複している。常磐自動車道の当初の終点は、いわき市とされていたが、1987年の国土開発幹線自動車道建設法改正により、仙台市まで延伸された。いわき中央インターチェンジ(IC) - 亘理ICを高速自動車国道で整備、亘理IC - 富谷JCTは仙台東部道路、仙台北部道路を常磐自動車道に並行する一般国道自動車専用道路として供用することとなった。なお、全区間で国道6号やJR常磐線と並行している。常磐自動車道の全線開通は2015年3月1日で、経緯は#東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響を参照。東京 - 仙台間で東北自動車道のバイパス路線としても機能する。特に冬季(国道6号)沿線(浜通り)は、東北自動車道沿線(福島県福島市、郡山市などの中通り)と比較して降雪量が少ないため、東北自動車道が降雪時の代替路として利用可能である。更に、2010年3月に仙台北部道路が富谷JCT経由で東北自動車道と直結されたことで仙台都市圏自動車専用道路ネットワークが完成しており、当路線全線開通後は仙台以北からいわき・水戸方面へのアクセスが飛躍的に改善された。本稿では、東日本高速道路(NEXCO東日本)が管理している高速自動車国道の道路名および事業名としての常磐自動車道について述べる。常磐自動車道は、起点側の三郷ICより先に柏IC以北について工事が進められた。これは、柏市や流山市で住宅密集地を通過するため、道路建設に対する住民反対が強かった為である。1981年(昭和56年)4月に柏IC - 谷田部ICの初開通を皮切りに、順次開通区間が延伸された。1984年までに柏IC - 那珂IC間がすでに開通していたが、国際科学技術博覧会(科学万博-つくば '85)の開催を控え、柏IC - 千代田石岡IC間を6車線化。三郷IC - 柏IC間については、千葉県の後押しもあり日本道路公団がこの区間を半地下化することで住民を説得し1985年(昭和60年)1月24日の開通にこぎつけた。この日、首都高速6号線の小菅IC - 三郷IC間を延伸同時開通したことにより常磐自動車道と首都高速が初めて直結され、供用開始前日の23日に、開通を祝って三郷料金所と首都高速八潮料金所で開通式が盛大に執り行われた。科学万博開催の1985年は、突貫工事で那珂IC - 日立南IC、難所とされた日立南太田IC - 日立北IC間と立て続けに開通し、特に日立南太田IC - 日立北IC間は、上下合わせて連続する26本のトンネルと34本の橋梁によって結ばれた。1988年(昭和63年)3月24日に、当初予定されたいわき中央ICまで全線開通した。その後、流入交通量は年々増え続け、1987年(昭和62年)は3000万台だったが1990年(平成2年)には1.5倍以上にあたる4850万台まで伸びた。実際に使い始めてみると、流山市と日立市地元からのインターチェンジ設置要望の高まりを受けて、地元自治体の負担でICを設置できる開発インターチェンジ制度が始まり、流山ICと日立中央ICがそれぞれ追加された。第四次全国総合開発計画が1987年(昭和62年)6月30日に閣議決定され、多極分散型国土形成のための交通ネットワークとして、高規格幹線道路網1万4千kmの整備が位置づけられると、1991年(平成3年)12月に開かれた国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で、未開通のいわき - 富岡間が整備計画路線に、相馬 - 亘理間が基本計画路線に指定され、全線開通に向けて再び動き出した。三郷IC - 谷田部ICの区間は大都市近郊区間に含まれるため、他の区間に比べて通行料金が割高になっている。高萩IC - いわき中央ICにかけて常磐炭田の炭坑跡が地下にあり建設中に陥没事故が発生したことがあるため、この区間の多くはコンクリート舗装となっている。高速道路の中でも全体的に線形がよく、勾配も少ない。ただし日立南太田IC - 日立北ICなどでは最高速度が80km/hに規制されており、この区間はトンネルに加え急勾配・急カーブの連続地帯となっているほか、冬季の茨城県南部区間は「筑波おろし」と呼ばれる北西からの強風により、50 - 80km/hの速度規制が行われることがしばしばある。また、いわき中央ICから亘理ICにかけての120km以上におよぶ暫定2車線区間では、他の高速道路の暫定供用区間と同様に最高速度が70km/hに規制されている。2015年の全線開通以降、同区間では通行量が増加し渋滞が多発する様になったことから、2016年3月10日、いわき中央IC - 広野IC、および山元IC - 亘理IC - 仙台東部道路岩沼ICの4車線化が認可された。売店は田野パーキングエリア (PA)・湯ノ岳PA・四倉PA(下り線)・ならはPA・鳥の海PA以外の全てのサービスエリア (SA)・パーキングエリアに設置されている。このうち、守谷SA・友部SAとコンビニ化されている千代田PA・日立中央PA・関本PA(下り線)は24時間営業を行っている。レストランは守谷SA・友部SA(下り線)に設置されている。また、ガソリンスタンドは全てのサービスエリアに設置されており、中郷SA以外は24時間営業。いわき中央IC以北は、暫定2車線であるため、トンネルの本数は、上下線で1本となっている。流山 - 柏間は正確には橋(シェルター)扱いとなっている。これは、当該区間が住宅地の中を通過するので騒音防止や、天然記念物のオオタカ保護のため、地面を掘り下げた半地下化構造の上に延長約1.5kmに渡りトンネル状にふたを掛け、ふた上部に公園を設置しているためである。柏IC以北は道路照明灯がほぼ皆無であり、道路周囲に建造物がほとんど無いこともあって夜間は暗闇の中を走行することになる。2005年10月の日本道路公団民営化後は全区間が東日本高速道路(NEXCO東日本)の営業範囲となっており、いわき勿来ICを境に南側を関東支社が、北側を東北支社がそれぞれ管轄している。コールサインは関東支社管内(三郷 - 水戸)では「ハイウェイラジオ常磐道○○」(例:三郷であれば「ハイウェイラジオ常磐道三郷」)、東北支社管内(いわき湯本 - 新地)ではコールサインは「ハイウェイラジオ○○」(例:新地であれば「ハイウェイラジオ新地」)とそれぞれ放送される。24時間交通量(台) 道路交通センサス2002年度上記の通り、2002年度には1日あたり三郷IC - 流山ICで10万台を超える交通量でありながら、年末年始・ゴールデンウィーク・お盆の大型連休における帰省ラッシュ・Uターンラッシュの期間中は東名高速道路・中央自動車道・関越自動車道・東北自動車道等の首都圏の放射方向の他の高速道路と異なり、30kmに及ぶ渋滞は滅多に発生しなかったのは、当路線の計画段階から「微弱な上り勾配を少なくして自動車の自然減速を防ぎ、後続車に減速させないようにするなどで混まない道路」が研究され、この成果が出たためとされている。しかし、近年ではマスコミに東北道の迂回路として紹介されることに加え、磐越道のいわきJCT - 郡山JCT間の4車線化や当路線の全通などで当路線経由ルートの道路事情が改善されたこともあってゴールデンウィークとお盆には、上下線の三郷JCT - 北茨城ICで断続的に20km - 50km以上の渋滞が、いわき中央IC以北の暫定2車線区間でも数km程度の渋滞が発生することがある。また、混雑期には午前中を中心に常磐道下りの渋滞が接続する首都高速6号三郷線下りや交差する東京外環道に伸びることがあるほか、平日の夕方には首都高速6号三郷線上りや東京外環道内回りを先頭とする渋滞が常磐道上りに伸びることがある。大都市近郊区間で渋滞が発生する時間帯と主な渋滞の先頭は、午前中に下りの、夕 - 夜にかけて上り線の谷田部IC付近、谷和原IC付近、守谷SA付近、柏IC付近、流山IC付近、三郷トンネル、三郷JCT付近である。大都市近郊区間以外で渋滞の先頭になりやすいのは、桜土浦IC付近、土浦北IC付近、千代田PA付近、千代田石岡IC付近、美野里PA付近、岩間IC付近、友部SA付近、友部JCT付近、水戸IC付近と日立南太田IC~日立北ICの各トンネルである。なお、2011年のゴールデンウィークでは福島第一原発事故による影響で原発近くを通過する当路線を通行するのを避ける車両が多かったためか、ほとんど渋滞が発生しなかった。一方、東北道では5月3日に下り線の栃木IC付近を先頭に70km以上渋滞するなど、例年以上に激しい渋滞が発生した。東日本大震災、とりわけ福島第一原発事故の影響により工事区間への立ち入りが厳しく制限された関係で、2011年度中に開通を予定していた常磐富岡IC - 南相馬IC間(L=32.7km)、及び2012年度の開設を予定していたならはPAは、施工スケジュールの見直しを余儀なくされ、供用開始は2014年度までずれこんだ。同原発から半径20kmの警戒区域外については震災から約3か月後の2011年5月に建設が再開されたものの、同原発から半径20kmの警戒区域内においては、浪江IC - 南相馬IC間(L=18.4km)が1年後、常磐富岡IC - 浪江IC間(L=14.3km)については2年後の工事再開となった。震災前に工事中だった箇所の盛土や構造物は、地震の揺れによる損傷に加えて長期間放置された事によって雨水による斜面の浸食や鉄筋の錆などの被害が拡大し、急ピッチで復旧作業が進められた。しかし、この頃には常磐道以外でも被災地の復旧工事が本格化した事で慢性的に作業員が不足し、放射能の影響で作業時間の制限や作業員の離脱も相次いで継続的な作業に支障をきたした。また生コンクリートなど建設資材も不足し、同じく放射能の懸念から資材搬入が拒否される事もあったという。工事再開が最も遅れた羽黒川橋では、打設予定日の悪天候に備えてエアドームや単管パイプでの架設屋根を設置するなどして乗り切った。道路舗装用の砕石は遠く静岡県や三重県から調達し、受け入れ港である相馬港では周辺住民協力のもと稼働時間を延長するなどして対処した。除染作業は環境省直轄のもと、2012年3月から7月まで先行事業として「常磐自動車道警戒区域内における除染モデル実証事業」が、同年12月3日から翌13年6月28日にかけて本格的に「常磐自動車道除染等工事」が実施され、その結果低減率19~55%が確認された。この結果について環境省は、2013年度内に開通を目指すとしていた広野IC - 常磐富岡IC間(L=16.4km)については“概ね当初の方針どおり線量を低減”とし、その他の区間についても“一部で線量の高い区間があるものの一定程度低減”としている。その後、除染の達成状況を確認するため、2014年10月に同省がモニタリングカーによる走行サーベイを実施したところ、浪江IC - 南相馬ICでは2014年10月21日測定時点で平均0.6~0.7μSv/h、広野IC - 常磐富岡ICでは2014年10月29日測定時点で平均1.3~1.5μSv/h、常磐富岡IC - 浪江ICでは2014年10月21日測定時点で平均0.5~2.4μSv/hと同省が常磐自動車道での除染方針の目標で挙げた3.8μSv/h以下(9.5μSv/h超の線量の場合は概ね9.5μSv/h以下)を下回ることが確認された。
出典:wikipedia
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