駅弁(えきべん)とは鉄道駅や列車内で販売されている鉄道旅客向け弁当のことで、1885年(明治18年)7月16日に栃木県の宇都宮駅で販売されたおにぎりが初例である。日本最古の駅弁がどこの駅で発売されたのかについては諸説あるが、1885年(明治18年)7月16日に日本鉄道の嘱託を受けた旅館「白木屋」がこの日開業した日本鉄道宇都宮駅で握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んだものを発売したのが最初とされる。そのため、宇都宮説による駅弁発売日である7月16日は「駅弁記念日」となっており、数多くの文献・Webが駅弁記念日を紹介する際に宇都宮説を紹介している。起源説についてはこのほか以下の例がある。現在のような折詰に入った駅弁は、1890年(明治23年)に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初との説がある。また農文協(社団法人 農山漁村文化協会)刊行の「日本の食生活全集 28 聞き書 兵庫の食事(1991)」にも「元祖・駅弁--姫路の『まねき』」と題する記述があり、そこでは1889年(明治22年)に姫路駅で発売された物を駅弁の元祖とし以下のように述べている。 この弁当の中身は「たいの塩焼き、伊達巻き、焼きかまぼこ、だし巻き卵、大豆こんぶ煮付け、栗きんとん、ごぼう煮つけ、少し甘みをつけて炊いたゆり根、薄味で煮つけたふき、香の物は奈良漬と梅干し、黒ごまをふった白飯」とされる(同書)。また名古屋駅では、1886年(明治19年)5月1日の駅開業時から服部商店(服部茂三郎)により弁当の立ち売りを開始した。これについて、1930年(昭和5年)の月刊雑誌『旅』の「駅辨の話」で以下のように述べられている。「最初から」が1886年を意味するならば、姫路駅よりも早いことになる。最も一般的な販売形態は、駅構内やホーム上にある駅弁調製業者の売店で店頭に置いて販売している形である。調製業者が経営する駅構内の立ち食いそば・うどん店、キヨスク等調製業者以外が経営する売店などが扱っている場合もある。このほかに、駅弁の多く売れる食事時間帯前後や寝台特急列車、イベント列車などの到着時に限り、ホーム上にキャスターつきのカートまたは台を置き、その上に駅弁や茶を陳列して売り子が販売する形態がある。また、かつての駅弁売りの典型的スタイルであった、売り子が帯(たすき)のついた長方形の盆状か高さの低い箱状の容器に駅弁や茶を入れ、容器を前方に出す形で首から下げホーム上を歩いて掛け声を発しながら販売する「立ち売り」がある。しかしいずれも減少傾向にあり、(2016年5月)現在でも駅弁の立ち売りが行われているのは、美濃太田駅(岐阜県)、折尾駅(福岡県)、人吉駅(熊本県)、吉松駅(鹿児島県)など日本全国で10駅に満たない。駅構内のほか、古くから列車(主に優等列車)内の車内販売でも沿線の駅の駅弁が取り扱われている。後述のように、駅弁とされながら業者が駅構内の販売を取りやめて駅近くの自社店舗等で販売している例もある。業者によっては電話等で予約し、予約時に乗車する列車と車両を通知すれば当該列車・車両の乗降口まで駅弁を届けて販売するサービスも行なっている。また、そのような予約による販売のみで完全予約制の会席料理と同様の惣菜を重箱に詰めた高価な駅弁も金沢駅などにある。また近年では、インターネット等による駅弁の通信販売を取り扱っている業者もある(低温で配送できるクール宅配便の登場による)。かつては停車中に立売りの売り子を窓近くへ呼んで窓越しに購入する方法が主流であったが、現在は窓が開閉できない鉄道車両が増えたために窓越しの受け渡しができなくなったことに加え、列車の高速化による停車時間の短縮、目的地への移動時間の短縮、コンビニエンスストアならびにキヨスク(キオスク)の廉価な弁当との競合、駅構内での飲食店の充実(いわゆる「駅ナカ」)、優等列車での車内販売の縮小・廃止などによって駅構内や車内販売での駅弁の売上は減少する傾向にあり、業者の撤退も珍しくない。駅構内で販売される実用的な食事という枠を飛び越え地域の特産品などを盛り込んだ郷土色溢れる弁当としての発展を目指すという方向性が駅弁のひとつの流れとなっている。それらはドライブインやサービスエリア、デパート、インターネット等による通信販売などでの販売などに販路を広げている。また、駅弁業者が駅弁と同一の商品を近隣の空港で空弁(そらべん)として販売する例もある。この流れで、駅での販売よりも、駅以外の場所での販売が主力になった駅弁もあり、代表例として、ドライブイン・サービスエリアでの販売に重点を移したJR東日本信越本線横川駅の「峠の釜めし」、デパートなどでの販売に重点を移したものとしてJR北海道函館本線森駅の「いかめし」の例が挙げられる。デパート・スーパーマーケットなどで全国の有名駅弁を集めて販売するイベント、いわゆる「駅弁大会」は人気が高く入荷してから短時間に売り切れることが多い。鉄道会社がイベントの客寄せに使う例もある。博多駅のように周辺地域(博多駅の場合は九州内全域)の人気駅弁を取り寄せて販売する売店があり、周囲の駅のイベントの際はその場所まで出張販売する例もある。この手の駅弁大会の元祖は、1953年(昭和28年)の高島屋大阪店が嚆矢であったが、全国的に有名にしたのは1966年(昭和41年)に京王百貨店新宿店で開催された「第1回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」であった。全国各地の有名駅弁業者を新宿に集め、その当地でしか食べられない駅弁が一同に集うというこのイベントは、当時としては非常に斬新であり大盛況となった。その後、駅弁大会は京王百貨店新宿店の1月恒例の一大イベントとして定着しており、(2016年)現在に至るまで盛り上がりを見せている。駅弁が旅先での一介の食事から、全国的知名度を持つ名物へと認知されるきっかけともなったイベントであった。特殊な装置のある弁当の例としては、1988年(昭和63年)に神戸市の「淡路屋」が化学メーカーと組んで開発した生石灰と水の反応熱を使用した加熱装置を組み込み、食べる前に紐を引いて加熱する駅弁を売り出した例がある。この加熱装置付き駅弁は淡路屋だけでも(2016年5月)現在3種類が発売されており、また駅弁業者のグループを通じて利用を呼びかけた事から、株式会社こばやしが販売している仙台駅の「極撰 炭火焼き牛たん弁当」など、淡路屋以外にも追随した業者がある。弁当そのものを製造原価の安い日本国外で調製し、日本まで冷凍して運び解凍して販売することで、コンビニ弁当などと対抗することを目指した駅弁が開発されたことがある。JR東日本関連会社の日本レストランエンタプライズ(NRE)が販売した「O-bento」がそれで、販売当初は売上げを伸ばしたがBSE問題により牛肉関連弁当の製造、輸入中止に追い込まれてから売上げが激減したため2007年(平成19年)10月までに在庫切れ分で販売を終了している。ただしこの「O-bento」は既存の駅弁とは大きくスタイルの異なる商品であり、一般的な駅弁のイメージに合致するものではなかった。駅弁調製業者は、大きく2分極化している。一方に、駅弁専業あるいは駅近隣の旅館などの内職として作られ続けてきた駅弁がある。それらの調製元は小規模零細の業者がほとんどであり、衰退傾向にある。近年に駅弁から撤退した業者、あるいは廃業した業者のほとんどはこちらのカテゴリーに属する。2010年(平成22年)4月、大都市である大阪駅などで営業していた水了軒が事業停止・破産に追い込まれているほか、2010年(平成22年)12月31日で駅弁の駅売りを終了し、事業停止・破産した博多駅の寿軒、2009年(平成21年)に事業停止した水戸駅の鈴木屋(2010年に廃業)などがこれに該当する。そのほかに、新宿駅の田中屋や立川駅の中村亭のようにJR傘下の会社に吸収合併されたケースもある。ただ、駅構内からは撤退したものの、その後も駅の外(本店)では弁当店や飲食店として営業を継続しているケースとして、日立駅の海華軒、木更津駅の浜屋、亀山駅のいとう弁当店などがある(ただ、これらのケースでは時刻表に弁当マークや弁当案内などの記載などはない)。もう一方に、駅弁業者を発端として発展を遂げ、現在ではそれぞれの地域で最大級の食品製造企業となっている調製元がある。たとえば千葉駅の万葉軒・高崎駅の高崎弁当・横浜駅の崎陽軒・静岡駅の東海軒・敦賀駅の塩荘・神戸駅の淡路屋・広島駅の広島駅弁当などである。これらの調製元は出自として駅弁を守ってはいるものの、売上げ規模などの実態としてはすでに第一義に駅弁調製業者というのは不適切であり、地域の中核食品企業(外食産業)とでも呼ぶべき存在になっている。たとえば塩荘は日産25000食の供給能力を持つとしており、広島駅弁当に至ってはイベントの際に日産48000食を供給したという実績を持っているほどである。これらの業者は駅弁だけではなく、道の駅や高速道路のサービスエリアの弁当や空港の弁当(空弁)、デパートの地下食品フロアなどにも進出しているほか、その地域のコンビニ弁当・スーパーマーケットの弁当などの製造、レストランや飲食店まで手がけている場合がある。駅弁は、広義には「駅構内で販売される弁当」を意味する。しかし最近では駅構内にコンビニエンスストアが出店し「コンビニ弁当」を販売したり、駅弁業者でない企業がいわゆる「駅ナカ」店舗で弁当を発売していることがあり、それらが駅弁にあてはまるかどうかについては議論がある。旧来からの駅弁業者が伝統的な駅弁のほかにコンビニ弁当に類似した比較的安価な弁当を販売している場合もあるため、厳密な定義は困難である(駅弁業者が出自であっても、その後大規模な食品会社に発展したところではその地域のコンビニ弁当やお惣菜商品の調理を一手に引き受けているところも少なからず存在する)。狭義の意味では、「駅弁」とは社団法人日本鉄道構内営業中央会(以下「中央会」と略す)に加盟している業者が調製し駅構内で販売しておりなおかつ米飯が入っている弁当のみを指すこともある。日本国有鉄道(国鉄)時代には白飯と焼き魚・肉料理・フライ・卵焼き・蒲鉾などの一般的な惣菜を使用した、いわゆる幕の内弁当の系列のものを普通弁当と称しそれ以外の弁当を特殊弁当と称して制度上の区分がなされていた。ごはんとおかずというセットになっていないもの、たとえば「押し寿司」などは「特殊弁当」に分類される。さらに国鉄が「米飯がはいっていないものは駅弁ではない」としたために、長万部駅の「そば弁当」や大船駅の「サンドウィチ」などは国鉄末期まで駅弁として認められなかった。この「中央会加盟業者が調製である」「米を使っている」という条件に該当する弁当は包装紙に共通デザインの「駅弁マーク」と呼ばれる商標を入れ、交通新聞社発行のJR時刻表(大型版のみ)欄外に販売駅弁の記載があるのが特徴である。この「駅弁マーク」を有する弁当のみが「駅弁」であるという定義づけは当の中央会や一部の人々の間で行われているが、この定義は下記のような事情から現実的とはいえない。かつての国鉄では、駅改札内での弁当の販売は中央会加盟業者に対してしか認めていなかった。しかし国鉄が分割民営化されJRとなって以降、中央会非加盟の業者にも駅構内での販売を認めるようになったことから「駅構内で販売される弁当」と「中央会」とが必ずしも結びつかなくなった。新規業者の参入のほか既存の業者が中央会を脱退した上で引き続き駅構内での販売を行っている例もあり、「中央会に所属」「駅弁マークがついていること」は条件とはできなくなった。これは駅弁は調製から購入・消費までにタイムラグがあるため、食中毒の防止などを目的として調製方法などにさまざまな厳しい要求があったこととも関係する。製造から4時間以内で売り切らねばならないという規制はO-bentoの登場とともに廃止された。また、もともと私鉄の駅構内で販売される弁当については中央会は(JR駅でも販売している業者を除いて)関係ない。そして、もっぱら私鉄の駅でのみ販売されている駅弁も存在する。中央会に加盟している業者でも駅構内での販売を取りやめ駅前の自社店舗での販売のみとしながら引き続き駅弁マーク入りの駅弁を販売する例もある一方、駅前に店舗を構える中央会非加盟の弁当業者が独自の弁当を作り「駅弁」を名乗る例もある。後者の例は観光客誘致の手段として、地方においてよく見られる。中央会加盟業者がJRの駅構内で販売している場合でも、横浜駅や鳥栖駅で売られている焼売や大船駅で売られているサンドイッチ弁当のように米飯が入っておらず「駅弁マーク」を付けることができなかったが一般には駅弁と見なされている商品もある。大船軒の「サンドウィッチ」には駅弁マークこそついていないが、包装紙には「SINCE 1898/日本デ最初ノ駅弁サンドウィッチ」と明記されている。また、山陰本線の益田駅のように、時刻表にはまったく駅弁の表記が無いのに、キヨスクには「益田駅の駅弁」と大きく書かれ、ごくふつうにキヨスクで販売されている例もある。以上のような事情から、駅構内や駅前の弁当業者の店舗で販売される弁当を総合して「駅弁」と呼ぶ場合が多い。デパートで催される駅弁大会に出品されたり旅情報を扱ったテレビ番組で取り上げられたりする「駅弁」もこのような広義の条件に該当する弁当であり、中央会加盟業者が調製する弁当とは限らない。車内販売の行なわれる列車では駅弁のほか、列車内限定の弁当が販売されていることもある。イベント列車などにおいては、そのイベント限定の弁当が販売されることもある。これらも一般的には「駅弁」に含まれるものと解されている。多くの販売店では、駅弁を食べる際の飲み物として煎茶が販売されている。販売店によっては街の持ち帰り弁当店と同様に即席みそ汁やスープも販売しお湯を供するケースもある。かつては湯呑兼用の蓋が付いた汽車土瓶と呼ばれる陶器の小瓶入りの茶が売られた。1889年(明治22年)に静岡駅で信楽焼の土瓶にお茶を入れて販売したのが嚆矢と言われている。1921年(大正10年)、鉄道省は衛生上の理由により土瓶を禁止したためガラス製のものが登場した。しかし煎茶が丸見えのため、煎茶が尿のように見えて飲む気にならないなどの理由でわずか数年で製造が中止された。汽車土瓶は重量があり破損しやすいために後にポリ容器入りにとって代わる事となるが、現在も汽車土瓶入りの煎茶は小淵沢駅など一部で販売されているほか、近年でも復刻の形で駅弁とともに期間限定で販売されることもある。昭和30年代から汽車土瓶に代わって半透明の厚いビニールやポリプロピレンなどで出来たポリ茶瓶が一般的となった。基本的には、黄緑色のプラスチックのスクリューキャップ(ネジ式の蓋。汽車土瓶の蓋同様湯呑機能も持つ)の付いた小瓶にその場でポットなどからお茶を注いで販売されたが、利便性や機能性の面から複数の種類が登場する事となった。前述の容器に既に淹れたお茶を入れるだけの物や、容器に湯を注いで購入者が飲む際に淹れられるようティーバッグを添えて売られる物、ティーバッグタイプも紐のついたティーバッグを容器の中へ吊るしたものや紐無しの物を直接投入するだけの物、画像にあるような弾力のあるビニールの小瓶にティーバッグ専用のスペースを設けて購買者が瓶の上からティーバッグを揉むことで濃さを調節できるもの、容器に茶漉しを付けて粉茶を直接投入するものなどバラエティに富んでいた。しかしビニール容器入りの煎茶も1980年代末期以降、販売時にお湯を用意する必要のない缶入りの緑茶や烏龍茶が普及したため少なくなった。さらに1996年(平成8年)4月に500ミリリットル以下のペットボトル飲料の販売が解禁されたため、2000年代以降ではあまり見られなくなり、駅弁とともに売られるお茶は、ペットボトルや缶入りのお茶にほぼ取って代わられたといえる。(2016年5月)現在でもポリ茶瓶のお茶が販売されているのは、大原駅(千葉県)、伊東駅(静岡県)など日本全国で10駅に満たないが、ポリ茶瓶も汽車土瓶と同様に復刻の形で販売されることがある。台湾では「」と呼ばれる各地の鉄道駅や列車の車内販売で販売される弁当があり、日本の駅弁と異なり必ず温かい状態で販売される。駅弁の内容は、排骨飯(油で揚げた骨付きの豚ばら肉を白飯の上に載せたもの)に(台湾風煮卵)、豆腐干、沢庵漬けや高菜を添えたものなど、米飯と肉料理と付け合わせから構成される弁当が一般的である。このような弁当は駅により多少の違いはあるが、どの駅でも大きな差異はなく比較的画一的である。また、台東線の池上駅などでは駅弁の立ち売りも見られるほか、2015年7月には台北で国際駅弁祭り()が開催され、日本や台湾を始めとする6か国11社の駅弁が販売された。韓国でも駅構内や車内販売で米飯にプルコギを主体とする惣菜を合わせた幕の内弁当のような弁当、その他の米飯と数種の惣菜による幕の内弁当のような弁当、海苔巻の弁当が販売されているが日本の駅弁ほどの多様性はない。しかし近年では日本の駅弁文化に習い、ソウル駅に多数の駅弁販売店が出店し、多様な駅弁が販売されるようになった。また北朝鮮では、首都の平壌駅に駅弁があると北朝鮮鉄道本「将軍様の鉄道」に著されている。樺太(サハリン)では、1945年(昭和20年)まで樺太東線知取駅などで駅弁の販売が行われたほか、残留ロシア人による「ロシアパン」の駅売りも行われていた。これらはソビエト連邦による占領以降は廃止されたが、(2016年)現在でも、主要駅の売店ではピロシキやサラダなどの惣菜類が販売されている。中国では、食堂車営業列車の車内販売で弁当()が販売される。メニューは朝食がマントウと粥、昼食と夕食は米飯や炒麺と肉料理などのおかず数品がセットとなっているのが一般的である。いずれも食堂車で調製され、温かいままの状態で販売される。モンゴルではウランバートル駅をはじめとする主要駅及び列車内で弁当の販売がある。K3/4次列車など国際列車以外の列車でも、ピロシキや羊肉の入った水餃子などが販売される。東南アジアの各国でも、鉄道駅構内や車内販売で弁当が販売されている。ベトナムの列車では車内販売は国鉄職員が担当し、食堂車で調製された弁当が温かい状態のままスープとともに販売されるほか、駅のホームでも弁当やバインミーが販売されている。タイではガパオライス(米飯の上に肉料理と目玉焼きを載せたもの)やパッタイ、タイカレーなど多種多様な弁当が販売されている。これらの弁当は、発泡スチロール製の容器に米飯を入れ、その上におかずを載せたスタイルが一般的であるが、バナナの葉やビニールに料理を包み、一口サイズにして販売されている弁当もある。マレーシアでもナシゴレンやナシレマッなどの弁当が販売され、紙箱やタッパーなどに入ったもののほか、(Nasi bungkus)と呼称されるバナナの葉やビニールコーティングされた紙の上に米飯とおかずを盛り、包んだ状態で提供される弁当もある。インドでは、ダッバー(Dabba)という金属製の容器に、カレーと米飯やチャパティなどのパン類を入れた弁当が鉄道駅や列車内で販売される。ヨーロッパではイタリア北部・中部やフランスの各地で、肉料理にサラダ、パスタ、パンかサンドウィッチ、小瓶のワインを合わせた食事セットが販売される鉄道駅がある。しかし食事セットはどの駅でも大きな差異はなく、販売される駅も日本の駅弁販売駅ほど多くはない。なお、2012年4月に運行を開始したイタリアの高速列車イタロ(Italo)では、日本の駅弁を参考にしたイタロ・ボックスが有料で提供されている。そのほかに2016年3月より、パリのリヨン駅でJR東日本及び日本レストランエンタプライズとフランス国鉄の共同企画として、日本の駅弁5種類が販売された。当初は2カ月間限定の企画であったが、好評であったため販売期間が延長された。社団法人日本鉄道構内営業中央会の加盟業者以外の弁当も含む。
出典:wikipedia
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