『般若心経』(はんにゃしんぎょう)、正式名称『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典で、般若経の1つともされる。大正新脩大蔵経に収録されている、玄奘三蔵訳とされる経題名は『般若波羅蜜多心経』であるが、一般的には『般若心経』と略称で呼ばれることが多い。『般若心経』をさらに省略して『心経』(しんぎょう)と呼ばれる場合もある。各宗派において用いる場合には、頭部に「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)や「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)や『摩訶般若波羅蜜多心経』(まかはんにゃはらみったしんぎょう)とも表記される。現存する最古の漢訳文とされる弘福寺(長安)の『集王聖教序碑』に彫られたものでは、冒頭(題名部分)は『般若波羅蜜多心経』だが、末尾(結びに再度題名を記す部分)では『般若多心経』(はんにゃたしんぎょう)と略されている。なお、漢訳の題名には「経」が付されているが、サンスクリット典籍の題名は「(般若)(波羅蜜多)(心)」であり、「経」に相当する「(スートラ)」の字句はない。僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられている。空性を短い文章で説きながら、末尾に真言()を説いて終わるという構成になっている。現在までに漢訳、サンスクリットともに大本、小本の2系統のテキストが残存している。大本は小本の前後に序と結びの部分を加筆したものともいわれている。現在最も流布しているのは玄奘三蔵訳とされる小本系の漢訳であり、『般若心経』といえばこれを指すことが多い。真言はサンスクリットの正規の表現ではない上、色々な解釈が可能であるため定説はない。仏教学者の渡辺照宏説、中村元説、宮坂宥洪説など、異なる解釈説を行っている。1992年アメリカのジャン・ナティエ(Jan Nattier、当時インディアナ大学準教授)により、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという偽経説が提起されている が、これには原田和宗や石井公成による詳細な反論がなされている。しかしながら、現存する最古のサンスクリット本(梵本)は東京国立博物館所蔵(法隆寺献納宝物)の貝葉本(東京国立博物館によれば後グプタ時代・7~8世紀の写本)であり、これを法隆寺本(もしくは法隆寺貝葉心経)と称する。(右図)漢訳よりも古い時代の写本は発見されていない。オーストリアのインド学者、(1837-1898) は、「伝承では577年に没したヤシという僧侶の所持した写本で609年将来とされる。またインド人の書写による6世紀初半以前のものである」と鑑定していた。古いもののため損傷による不明箇所が多く、江戸時代の浄厳以来、学界でも多数の判読案が提出されている。この他、日本には東寺所蔵の澄仁本などの複数の梵本があり、敦煌文書の中にも梵本般若心経が存在している。またチベットやネパール等に伝わる写本もあるが、それらはかなり後世のものである。一般的には、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒經』が現存中最古の漢訳とされる。649年、インドより帰還した玄奘もまた『般若心経』を翻訳したとされている。。現在、玄奘訳の最古のテキストとされるものは、672年に建てられた弘福寺(興福寺)の集王聖教序碑中の『雁塔聖教序』の後に付加されているテキストである。2016年9月27日にこれより古い時代の661年に刻まれた玄奘訳の石経が北京で発見されたという報道があったが、内容の検証は未だなされていない。また玄奘訳とされている『般若心経』は読誦用として最も広く普及しているが、これは鳩摩羅什訳と玄奘訳との双方がある経典は、古来前者が依用されていることを考慮すると異例のことである。なお玄奘訳『大般若波羅蜜多経』転読は頻繁に行われるが、経典のテキストそのものを読誦することは稀である。以下は、代表的な流布テキストに句読点を施したものである。なお、羅什訳・玄奘訳とも、「般若波羅蜜(多)」「舍利弗(子)」「阿耨多羅三藐三菩提」「菩薩(菩提薩埵)」及び最後の「咒(しゅ)」の部分だけは漢訳せず、サンスクリットをそのまま音写している。また、玄奘訳とされるテキストには版本によって、例えば下記の箇所のように、字句の異同が十数箇所存在する。日本では仏教各派、特に法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。ただし、伝統的な仏教宗派、浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗・法華宗は『法華経(妙法蓮華経)』を根本経典とするため、般若心経を唱えることはない。"これは当該宗派の教義上、用いる必要がないということであり、心経を退けているのではない。"例えば、浄土真宗西本願寺門主であった大谷光瑞は般若心経の注釈を著している。一般の人々にとっては、「空」を説く経典と言うより、むしろ、「霊験あらたかな真言」の経典として受け止められており、一部には悪霊の力を「空ずる」という解釈もされた。古くから般若心経の利益で病気が治るという信仰があり、既に日本霊異記にその説話が残っている。お守りとして所持したり、病気になったときに写経して平癒を祈願したりした人が多い。江戸時代には、文字を読めない層のために、内容を絵に表した絵心経も製作された。百瀬明治『般若心経の謎』によれば、これは元禄年間に現在の岩手県二戸郡の八幡源右衛門という人が文字の読めない人向けに創作した後、随筆によって諸国に伝播されブームとなったものであり、文字が読める人たちの間でも判じ物的に楽しまれたという。現在では写経の際によく筆写される。また手拭いなどにも印刷され、極めて普及している。解釈書も大量に出版されており、中には般若心経の原意を取り違えたものさえあり、仏教学者が警鐘を鳴らしているような状態である。現代の主な翻訳及び解説としては、訳者自身が校訂したサンスクリット原文を含む中村元・紀野一義訳の岩波文庫本、高神覚昇の『般若心経講義』、また臨済宗の僧侶の立場から解釈した松原泰道の『般若心経入門』金岡秀友 『般若心経』などがある。
出典:wikipedia
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