岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南東部に位置する政令指定都市で、同県の県庁所在地である。中国・四国地方で第2位の人口を有する。全国的には桃太郎の伝説と吉備団子や西大寺会陽(裸祭り)、温暖な瀬戸内の気候により育まれたマスカット・オブ・アレキサンドリアや白桃など高級フルーツの産地として有名な都市である。中心部には岡山城や日本三名園の一つである後楽園を擁している。岡山藩池田氏の城下町として栄えた江戸時代以来、地域中心都市として発展してきた高層ビルの立ち並ぶ中心部と、閑静な田園や中山間地域が広がる郊外部を持っている。また古くから学都としての趣を持ち、明治期から戦前の昭和期にかけて旧制第六高等学校(中国四国地方唯一のナンバースクール)、旧制岡山医科大学(中国四国地方で設置された初めての大学)、旧制岡山農業専門学校、旧制岡山農業研究所、旧制岡山師範学校、旧制清心女子専門学校などが開校された。現在でも市街地中心部に数多くの大学や専門学校が存在し、学都としての性格をより一層強めている。中四国のクロスポイントとして、1980年代以降の瀬戸大橋の開通、JR線の四国との直通化、山陽自動車道の開通に伴い交通インフラが急速に整備され、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏として成長してきた。2005年以降、周辺4町と合併したこともあり、人口は70万人を突破した。2009年4月1日には政令指定都市に移行し、北・中・東・南の4行政区が設置された。国土地理院地理情報によると、岡山市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは35.08km、南北の長さは47.76kmである。また、2010年国勢調査基準による人口の重心は、岡山市北区表町三丁目10番27号付近にある。市の北部はなだらかな丘が続く吉備高原の一角をなしており、市民の水がめである旭川ダムや岡山空港、および近郊住宅街がある。瀬戸内海に注ぐ旭川と吉井川、2つの一級河川の運搬・堆積作用によって形成された南部の岡山平野に中心市街地が位置しており、さらに平野の南部は江戸時代以降の干拓地であり農地が広がり、穀倉地帯をなしている。その南に児島湾を挟み、瀬戸内海を望む風光明媚な児島半島の丘陵地を成す。北を中国山地、南を四国山地に挟まれた瀬戸内海沿岸部に位置するため、典型的な瀬戸内海式気候に分類される。日照時間は年間約2000時間と長く、年間降水量は1100mm程度と雨・雪は全国的に見て非常に少ない。冬季は1月平均気温が4.9℃と関東以西の太平洋沿岸ほどは温暖ではなく比較的寒くなり、朝晩は氷点下まで下がることも少なくないが、積雪はほとんどない。一方、夏季は瀬戸内海の影響で酷暑となり、猛暑日になることも多く、同じ規模の都市の中では特に熱帯夜日数が多い。1989年以降、降水量1mm以上の降水日数が全国の県庁所在地では最少であるため、「晴れの国」をキャッチフレーズとしている。なお、岡山地方気象台は都市部にある官署地点の中では、1961年〜1990年平年値と比べると気温の上昇が比較的緩いものの、1982年10月1日の移転前は、観測場所は岡山大学に近い津島桑の木にあり、現在の地点の観測(岡山市桑田町)よりもヒートアイランドの影響を受けにくく寒冷であった。2015年3月5日、嘗ての観測場所に近い岡山市北区津島に33年ぶりに移転された2003年からは、市内北区の岡山空港に近い場所(観測地名 : 日応寺)でも観測が行われている。岡山地方気象台に比べ都市化の影響が小さく、また内陸部に位置するため夏季冬季ともに気温が2℃ほど低い。冬は寒冷で、夏の熱帯夜もほぼない。史上最低気温は、2003年1月29日の-9.0℃。市の推計人口は現在71万人を超えており、全国の市で19番目に多い(全政令指定都市20市中では静岡県静岡市に次いで少ない)。2010年国勢調査確定値 では709,584人となっている。人口増加率では、2005年国勢調査 - 2010年国勢調査で政令指定都市20市中9位(1.93%増)となっており、現在増加傾向にある。古代の岡山は吉備国の一角であり、弥生時代と古墳時代には、筑紫・出雲・ヤマト・毛野などと並んで、日本列島を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献した。しかし、吉備の興隆を快く思わないヤマトに勢力を削減され、備前国・備中国・備後国・美作国に分割され、これ以後現在に至るまで、経済・文化の面で連関の強い旧吉備国の政治的な統一は達成されていない。吉備国が分割された後、備前国の国府は現在の岡山市域内に置かれたと見られる。岡山周辺は室町時代までは農村地帯で、16世紀には金光氏が小規模な城を築いて拠点にしていた。戦国時代に岡山の地の交通の便と土地の広さに目を付けた宇喜多直家は1570年(元亀元年)に金光宗高を謀反の疑いありとして切腹させて、岡山城を奪った。その後城を大規模に拡張し、山陽道を岡山経由に付け替えて、備前国内外の商人を呼び寄せ、1573年(天正元年)に本拠にすべく移住した。直家が始めた城下町・岡山の振興は、秀家の代にも続けられ、これ以後、岡山は主に備前国の政治経済の中心地となった。宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで没落すると、1601年(慶長6年)に小早川秀秋が岡山城に入った。秀秋は翌1602年(慶長7年)に死に、小早川家は断絶した。1603年(慶長8年)には池田忠継が入り、以後江戸時代を通じて、岡山は池田氏の城下町となった。城下町としての岡山は発展を続け、池田氏第四代の綱政の代である1707年(宝永4年)には町方人口が3万0635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万 - 5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。後楽園が造成されたのもこの時期である。しかるに町方人口は享保の頃から漸減し、幕末の1858年(安政5年)には2万0092人となる。これは岡山藩の新田開発による農村商業の発達とは対照的であり、藩当局が農村から都市への人口流入を抑制する政策をとったことによるものとみられる。明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県により、岡山は岡山県の県庁所在地となり、1889年(明治22年)には市制を敷いた。市制施行当時、面積5.77km²、人口4万7564人。1920年(大正9年)には人口9万4585人を数えた。1930年(昭和5年)、岡山市歌を制定。第二次大戦末期の1945年(昭和20年)6月29日に岡山空襲で大きな被害を受けて1000人以上が犠牲となり、10万人以上が家を失った。混乱期を過ぎると街は順調に発展し、周辺市町村との合併を進めた。1960年(昭和35年)頃には、倉敷市を含めた県南広域都市の構想を岡山県知事が提唱したが、倉敷市長の失踪に端を発する騒動により、白紙撤回された。1972年(昭和47年)3月15日には山陽新幹線岡山駅が開業、1988年(昭和63年)3月20日には瀬戸大橋線が開業し、以来は鉄道交通の要衝となっている。1996年(平成8年)には、国から中核市に指定された。その後の2005年(平成17年)3月22日、隣接する御津郡御津町・児島郡灘崎町の2町を編入、2007年(平成19年)1月22日、隣接する御津郡建部町・赤磐郡瀬戸町の2町を編入した。2007年(平成19年)6月26日夕方に、市の人口が70万人を突破した。2009年(平成21年)4月1日には新潟市・浜松市(2007年4月移行)に続いて全国で18番目、中国・四国地方では広島県広島市に次いで2番目となる政令指定都市に移行し、北区・中区・東区・南区の行政区が設置された。2012年(平成24年)6月1日には、市制123年目となるこの日に「岡山市民の日」が制定された。主に岡山商工会議所青年部が中心となり、政令市移行をきっかけにさらに市民が郷土愛を深めるために、岡山市へ働きかけたものである。2012年3月まで副市長(2007年3月以前は助役)を2名置いていたが、2012年4月から試行的に1人制となった。その後、同年8月24日から、再び2人制となった。主要な組織(局)のみ記載(2013年(平成25年)4月1日現在)岡山市内には以下の4つの行政区が設置されており、行政区の数は政令指定都市20市のうちで3番目に少ない(最少は静岡県静岡市と神奈川県相模原市の3区)。各区の人口、面積、人口密度は以下のようになっている。(人口は2010年国勢調査確定値)市内の各福祉事務所は区役所の直轄組織となっている。警察署は市内に6箇所あり、政令指定都市であるため岡山県警の市警察部が統括している。管轄区域は概ね行政区の区域と一致するが、一部は合併以前の管轄のままとなっている地域がある。※詳細な管轄区域については、岡山県警察署の名称、位置及び管轄区域に関する条例において確認することができる。消防は全域を岡山市消防局が担当し、北・中・東・西・南の5消防署・1分署・13出張所(うち1出張所は岡山市へ消防・救急業務を委託している吉備中央町に設置)・1救急ステーションが設置され、岡南飛行場には消防航空隊の基地が設置されており、西消防署には特別高度救助隊が組織されている。2009年度以降の管轄区域は概ね行政区の区域と一致している。北区については北消防署と西消防署の2署が管轄する。新設の西消防署の管轄区域は、北区のうち、京山、石井、中山、高松、足守の各中学校区、御南中学校区のうち笹ヶ瀬川以西、吉備中央町である。北消防署の管轄区域は北区のうち西消防署の管轄区域を除く区域である。また、西消防署の新設により、三門出張所と庭瀬出張所は西消防署に統合という形で廃止された。2010年度より西消防署の高度救助隊が、政令指定都市に設置が義務付けられている特別高度救助隊へと格上げされた。2014年には岡山市では22年半ぶりとなる分署、番町分署が開設された。1961年(昭和36年)岡山県知事だった三木行治が新産業都市の受け皿として、全国6大都市(当時)に次ぐ大都市形成のため打ち出した計画で、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による当時での人口が約90万人(その後の人口規模は約130万人に達している)の大規模な合併であった。三木知事と自治省(現総務省)出身の森県企画室長を中心に推し進められ、全ての関係市町村議会で合併の議決が行われ(岡山市においては1962年12月17日、22対16の賛成多数で議決)、岡山市・倉敷市・児島市(現倉敷市児島)を除く首長も承認し国に合併申請をした。しかし、倉敷市長が年末年始に公印を持ったまま上京し一時失踪する騒動が発生したことで倉敷市の調印が行われず、このことで岡山・児島の二市も脱退、1964年には三木知事の急逝により構想は頓挫した。高度経済成長期に入り、岡山市は郊外へ市街地を拡大させ膨張していったことで、周辺市町村のあちこちで急速なベッドタウン化が進み社会資本整備が追いつかなくなり合併が一気に進んだ。1969年(昭和44年)に財政再建団体転落直前であった西大寺市を皮切りに一宮町、津高町、高松町、吉備町、妹尾町、福田村、足守町、上道町、興除村さらに1975年(昭和50年)の藤田村に至るまで11市町村との大合併が行われ、岡山市は政令指定都市の法律要件である人口50万人を突破した。2002年2月 岡山青年会議所が岡山市と玉野市との合併による政令指定都市移行の要望書を岡山市長に提出し、7月には岡山市と玉野市、灘崎町、御津町、瀬戸町による合併研究会が設置され、さらに2003年4月には 瀬戸町を除いた任意合併協議会が設置された。2004年1月に新設合併、既存の独自の行政サービスの維持などの内容で中間答申がなされるが、玉野市では議会と市民グループの反対があり2月に岡山市との合併を断念し離脱した。しかし残る灘崎町・御津町は岡山市との合併協議を続け2005年3月に編入合併した。(岡山県南政令市構想第一次合併)他の町と合併協議をしていた建部町・瀬戸町は相次いで方針を転換し、政令指定都市移行を前提に岡山市に合併を申し入れ、2007年1月に編入合併された(岡山県南政令市構想第二次合併)(国勢調査人口69万6千、合併時推計人口69万8千人)。そして、2007年6月には推計人口70万人突破し(市調査の推計人口、県の月次報告では8月1日)、政令市移行のための人口要件が満たされたこととされた。1889年(明治22年)の市制施行以来、周辺の市町村と合併を繰り返してきた現在の岡山市は御津郡(旧御野郡・津高郡)・上道郡・吉備郡(旧賀陽郡)・児島郡・邑久郡・都窪郡(旧都宇郡)・赤磐郡(旧赤坂郡・磐梨郡)・和気郡・久米郡(旧久米南条郡・久米北条郡)と備前国・備中国・美作国の広範囲の地域に及んでいる。※1969年以降に合併された旧市役所・町村役場は、岡山市の区役所・支所・地域センターとして引き継がれている。岡山市は、海外の6都市・2地域と交流を行っている。各区のページの「町丁・大字」項あるいは「境域」および岡山市の町・字一覧を参照。「平成の大合併」で編入した御津・灘崎地区は2010年3月21日まで、建部・瀬戸地区は2012年1月21日までにそれぞれ合併特例区が設けられていた。香川県高松市とは、宇高連絡船(発着は玉野市)の時代から相互交流が盛んである。また民放テレビは岡山県と香川県のエリアが同一のため、お互いの地域の情報が得やすい状況にある。1988年の瀬戸大橋の開通以降は、マリンライナーにより岡山駅と高松駅が1時間弱で結ばれたこともあり、相互交流がより密になっている。2009年7月6日に岡山市長と高松市長の会談が行われ、両市で共同の観光PRに取り組むことや、ケーブルテレビ・ホームページを活用して情報発信を行うことや、渇水時における岡山市から高松市への水の提供など、非常時の協力体制を構築すること等について合意がなされた。岡山駅から瀬戸大橋線で四国と直結しており、四国の全ての県庁所在地へ向かう特急が発着するほか、特急やくもで山陰主要部(米子・松江・出雲市)と、智頭線経由の特急スーパーいなばで鳥取市とも結ばれており、岡山駅はすべての新幹線のぞみが停車する一大ターミナルになっている。また高速道路は、東西に山陽自動車道が貫き、岡山JCTで岡山自動車道とクロスしており、隣接する倉敷JCTより瀬戸中央自動車道経由で四国の高速道路と結ばれており、日本海から太平洋へ抜ける交通の結節点となっている。中国地方または中四国地方においては、交通の結節点である岡山市は物流拠点都市としての位置付けが大きく、食品・流通業系企業の一部は中国・四国地方の拠点を岡山市に設置している例がある。北部の高原・丘陵地帯では、全国的にもブランド力のある品目を多く抱えている果物の栽培が盛んであり、岡山市の一大産業となっている。「桃(白桃、清水白桃、黄金桃等)」や「葡萄(マスカット、ピオーネなど)」がその主なブランド品目である。また、乳牛を中心とした畜産も盛んであり、加えて「椎茸」や全国でも珍しい「黄ニラ」の栽培が行われている。南部の広大な児島湾干拓地に田園地帯を有るため米の生産量が8,900tにのぼり岡山県全体の四分の一を占める。品種は「朝日米」が多く、一部では酒米の「雄町米」も栽培している。その他では「蓮根」、「茄子」やビールの原料となる「二条大麦」などの栽培も行われている。かつて、冬期には「イグサ」栽培の一大産地であったが、現在は僅かになっている。また、日照時間が長い岡山県南の平野部は生花の生産が盛んなところでもある。岡山市内でも「スイートピー」、「デンドロビウム」、「ラークスパー」などが栽培され全国各地に出荷されている。製造品出荷額は8,200億円と岡山県全体の約10%を占め、機械・化学・食品・印刷などの業種が中心である。臨海部の児島湾は旭川や吉井川等の一級河川から流出する土砂の堆積により水深が浅く、1万t級の船舶が航行可能な航路を整備することが困難なため重化学工業地帯は形成されていない。そのため、岡南工業地帯にクラレ・DOWAホールディングス・西日本ダイケンプロダクツなど、また、旭川東岸の新岡南地区と九蟠地区には、ヤンマー農機製造(ヤンマーグループ)や中四国セキスイハイム工業(セキスイツーユーホームを製造)、永谷園など全体的に軽工業系の工場が多い。これらのことから、内陸部の工業団地開発に力を入れており、市内近郊の久米、東岡山や新岡南などに鉄工、鋳物などに中規模の内陸工業団地が多い。また、「岡山リサーチパーク」や「西大寺新産業ゾーン企業団地」などに研究や物流に重点を置いた事業所の誘致を進めている。周辺4町の編入に伴い、2005年に御津町のカバヤ本社工場と4つの工業団地、2007年には瀬戸町のキリンビール岡山工場等が加わった。岡山都市圏の中心都市で県内では圧倒的な集客力があり、代表的な商業地としては表町と岡山駅周辺があげられる。近年の都心商業地の流れとしては、アーケードの商店街から主要施設を結ぶ道路沿いに移行し、分散傾向にあったが、岡山駅周辺の再開発や商業施設進出が相次ぎ、近年都心回帰が起っている。小売店舗の新規出店等は昭和50年代から平成初頭までは郊外が中心となり、中心部は停滞傾向であった。その後、都心回帰へと流れが変わると、1998年(平成10年)JTが市役所筋の工場跡に建設したイトーヨーカドーとジョイポリスの複合施設「ジョイフルタウン岡山」が再開発の先駆けとなった。また、高層マンションの建設も相次ぎ、中心部の居住人口が増加傾向に転じたことも後押しになり、飲食店や雑貨、衣類などの路面店も中心部への出店が活発になっている。岡山市および岡山県の一大商業集積地。旧城下近くに発展した商業地である。岡山駅前からは徒歩でも行ける範囲であるが、バスや路面電車も走っている。市内バス経路の多くが表町中央部の天満屋バスステーションを経由して岡山駅に向かうことから、買い物客が集まる構造となっている。周辺には中国銀行の本店や岡山県庁なども控え、表町商店街中央部に立地する地元百貨店の天満屋本店を核として幅広い年齢層をターゲットとした商業店舗が集積している。また、商店街北東側の「オランダ通り」が裏通りから若者の街へと変貌している。近年の動きとしては1999年のクレド岡山、さらにロフトを核テナントとする岡山ロッツ(旧:イズミ岡山店)等の開店が挙げられる。一方で、北端に岡山シンフォニーホール、南の西大寺町に三丁目劇場、東には旧日銀岡山支店跡を再生したルネスホールと岡山市民会館などの劇場・音楽ホールを有し、文化的な色合いを強めている。岡山城・後楽園などの歴史的施設、美術館や博物館などの文化施設が立地する天神地区等は「岡山カルチャーゾーン」とも呼ばれ、観光ゾーンにも隣接しているため、岡山県風致地区条例で建築物等の制限が課せられている。山陽新幹線・新大阪〜岡山間開業を挟み、高島屋などの県外資本の大型店の出店や中四国初の本格的地下街である岡山一番街が開業し、市内中心部の商業地図を2極に塗り替えた比較的新しい地区である。ここ数年は再開発が相次ぎ、西口に岡山コンベンションセンターとリットシティビル、東口では岡山駅の橋上化による商業施設さんすて岡山、成通岡山ビルに大型家電量販店のビックカメラなど、商業施設が相次いでオープンした。かつて林原グループが所有していた岡山駅東口の南側の土地(約46,000m²)は、中四国地方最大規模の複合商業施設イオンモール岡山となった。これまでの郊外型ではない初めての政令指定都市中心駅前に立地する都心型商業施設として、東急ハンズ、H&M、ZARAなどのテナントやシネマコンプレックス、岡山放送のスタジオ・報道部門のオフィスが併設されている。なお、市役所筋を介して向かい側には同じイオングループのファッションビル岡山ビブレがあったが、イオンモール岡山の開業に伴い、2014年5月11日をもって閉店した。※太字は上場企業岡山県内の大学と政財界により、知的資源の活用と地域社会や産業界との連携を図ることによって「時代に合った魅力ある高等教育の創造」と「活力ある人づくり・街づくりへの貢献」を目指し2006年(平成18年)4月に設立された。現在、当組織に加盟しているのは岡山県内16の4年制大学、および岡山県と岡山経済同友会で、事務局は岡山理科大学内にある。岡山市内には中学校38校(うち国立1校)が設置されている。高等学校を併設していない中学校については、各区の記事を参照されたい。幼稚園・小学校については、各区の記事を参照されたい。なお、市内には幼稚園80園(うち国立1園、私立9園)、小学校93校(うち国立1校、私立2校)が設置されている。岡山駅を中心に放射状に鉄道路線が延び、市内のほとんどの主要地域と結ばれているなど、鉄道網は充実している。特にJR発足以降は、国鉄時代の列車型ダイヤから都市圏輸送に重点を置いたものになり、合わせるように沿線人口の多い山陽本線には徐々に駅が増えている。2005年10月1日に山陽本線の岡山〜庭瀬間に北長瀬駅、2008年3月15日には高島〜岡山間に西川原駅が開業した。今後の計画として、JR吉備線のLRT化構想等がある。民営の岡山電気軌道が運行している。2路線、合計総延長4.6kmと日本でもっとも短い路面電車で、岡山駅前から表町や県庁のある旧城下町を中心に路線がある。1日に約1万人が利用し、市民の足として定着し黒字経営を続けている。今後の展望として岡山駅東口駅前広場への乗入れ、市役所筋を南下し市役所のある大供(だいく)から岡山大学病院もしくは大元駅までの延伸、または大供から東の清輝橋線・大雲寺前を結ぶ環状化などの新線構想がある。同時に市役所筋をトランジットモール化する構想もあり、車線減少に伴う交通渋滞の影響を調査する社会実験が行われたことがある。また、LRT化を予定しているJR吉備線との相互乗り入れが岡山電気軌道とJRとの間で既に合意されている。しかし、いずれも建設資金の負担に関して行政側と企業側で折り合いがつかず、計画は進んでいない。民営バス数社がエリアを分けて運行し、公営交通(市営バス)の運行実績はない。路線は岡山駅東口のバスターミナルと天満屋バスステーションを中心に放射状に路線網が形成されている。また、岡山駅西口バス乗り場が2010年4月24日に開設、岡山駅から北西方面の路線バスと高速、観光、空港リムジンバスが発着している。八晃運輸が乗車方法が前乗り後ろ降り先払い、運賃が均一運賃制である以外は、乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は整理券による対キロ区間制である。なお、岡電バス・東備バス・両備バス・下電バス・宇野バスでは非接触ICカードであるHarecaを採用しており、中鉄バスの一部路線も含め共通に利用できる。一方、中鉄バス(一部路線)・備北バスは各々専用のバスカード(プリペイドカード)を発行している。Hareca導入各社(宇野バスを除く)はスルッとKANSAI協議会に加盟しているため、PiTaPaとICOCAも使用できる。岡山市において広域的な移動軸となっている幹線道路は南北方向が国道30号と国道53号、東西方向が国道2号バイパスと旧国道2号(現国道250号、岡山県道162号岡山倉敷線)、北西方面が国道180号である。特に国道2号バイパスは岡山市を東西に貫く幹線道路のうちで唯一4車線以上の道路であり、なおかつ旭川や百間川などの大規模河川を渡っていることもあって、多い場所で一日10万台以上が通過する。地上波テレビ放送では、岡山県は香川県と同一の放送エリアになっており、岡山市には3局が、高松市には2局が本社を置いている。岡山・玉野市境の金甲山送信所には、岡山県と香川県のテレビ放送局の送信所の親局が設置されている。ラジオ放送については岡山・香川の各県域放送であるが、両県の多くの地域で聴取が可能であり、岡山市においても香川県の県域放送を聴取できる。※本社が香川県高松市にあるが、岡山市も放送対象地域に含まれている放送局(ともに岡山市に岡山本社を置いている)ケーブルテレビは2局がサービスエリアであるが、2局のエリアが混合している地域は今のところない。また、この2局はoniビジョンの番組は視聴可能である。岡山市の市外局番は次のとおりである。2013年5月1日より、岡山瀬戸MA・玉野MA・福渡MAに該当する岡山市内・久米南町内の区域はすべて岡山MA(上記1.のエリア)に編入された。郵便番号は以下の通りである。岡山市出身の人物一覧を参照。行政観光
出典:wikipedia
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