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仙石線

仙石線(せんせきせん)は、宮城県仙台市青葉区のあおば通駅から仙台駅を経由し宮城県石巻市の石巻駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、陸前山下駅 - 石巻港駅間の日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物支線を持つ。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害を受けて、2012年(平成24年)3月現在高城町駅 - 陸前小野駅間が不通となっていたが(詳細は「運行形態」「東日本大震災による影響」の節を参照)、陸前大塚駅 - 陸前小野駅間の高台移転による新ルートの区間が完成したため、2015年(平成27年)5月30日から全線で運行が再開された。名称は、起点(仙台市)と終点(石巻市)から1文字ずつ取って付けられた。仙石線は私鉄である宮城電気鉄道の路線が1944年(昭和19年)の戦時買収により国有化された路線であり、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東日本の路線となった。JR東日本が保有する営業路線の中では東北地方唯一、JRグループでは日本最北の直流電化路線である。電動車による他路線への直通運転が不可能である点を活かし、2WAYシートやATACSなど開発システムのテスト路線となることが多い。駅間距離が短く、また、開業当初より仙台口においては1時間に2 - 3本の運行が行われていた。このため、国有化後、地元では国電と呼ばれていた。あるいはほかの国鉄路線と仙石線の駅がそれぞれ立地する松島や塩竈、石巻などでは仙石線の駅を「電車駅」、ほかの国鉄路線の駅を「汽車駅」と呼ぶなどして区別していた。東塩釜駅付近 - 高城町駅間は東北本線と併走しており、2015年には松島海岸 - 高城町間に連絡線が作られ、仙石東北ラインとして直通運転を開始している(保守用の渡り線はこれ以前から存在していた)。東北本線と徒歩連絡が可能な駅もあるが、通しの乗車券が発券できるのは松島駅 − 高城町駅間のみである。かつて仙台駅では松島への観光に仙石線の利用を促す案内が行われた。これは、東北本線にも「松島駅」があるが、同駅と松島の観光地は1km程度離れており、松島海岸駅のほうが至便であるため。2015年から仙石東北ラインの運転が開始されたことで、仙石東北ラインでも高城町駅で乗り換えることで松島海岸に向かうことができる。松島海岸駅のホームの山側からは並行する東北本線・仙石東北ラインの車両が県道の先に間近に見える。仙台駅 - 松島駅間と仙台駅 - 松島海岸駅間の運賃はともに410円である。一方、塩釜方面への案内は特にされてはいないが、仙台からの場合、観光目的地であるマリンゲート塩釜や鹽竈神社は本塩釜駅が最寄りの下車駅となる。ただし、宮城県塩釜高等学校など東北本線塩釜駅の利用が至便な施設も存在する。2000年(平成12年)に完成した仙台トンネルに新線が開通し、あおば通駅 - 陸前原ノ町駅間の約3.5kmが地下線となった。ラインカラーはスカイブルー()に設定されている。支線をのぞく全区間がIC乗車カード「Suica」の仙台エリアに含まれている。支線をのぞく全線がJR東日本仙台支社の管轄となっている。仙石線は、仙台近郊の通勤・通学路線であると同時に、塩釜(塩竈)・松島などの観光地へのアクセス路線としての一面や、仙台・石巻間の都市間輸送の性格も兼ね備える路線である。仙台駅の西側にあるあおば通駅が路線の起点である。あおば通駅から陸前原ノ町駅を過ぎるまでは仙台トンネルを通る地下線であるが、地下水位の低い洪積台地の地下を通るあおば通駅から榴ケ岡駅を過ぎた辺りまでと、長町-利府断層帯より先の地下水位が高い沖積平野の地下を通る区間では異なる工法により施工された。あおば通駅の地下ホームは標高20mほどで、ここから榴ケ岡駅を過ぎて断層まで緩やかに下り、断層の東側の一段低い所にある宮城野原公園総合運動場の前で大きく北東へ曲がる。ここからは断層の際に沿って走り、宮城野原駅を過ぎた辺りで最も深くなり、陸前原ノ町駅に向かって上り始め、同駅を過ぎると地上に出る。同駅のホームの先で、東北本線支線(通称、宮城野貨物線)の高架をくぐる。その後、そのまま高架となっていき、国道45号と梅田川を跨ぎ、地上線となるのはそれからである。ここからは断層の東側の地下水位の高い沖積平野であり、住宅地として不向きであったため、近年まで仙石線の南側のみを工業・流通団地としての利用に制限した。そのため、北側は田園風景が広がるが、近年小鶴新田駅が設置されて一部が市街化した。福田町駅近くになると、古くからの住宅地が形成されている地区に入る。ここからが仙塩地区と呼ばれ、陸奥国国府・多賀城の時代から、七北田川両岸にある自然堤防上や松島丘陵上に人家が形成され、現在では市街地となっている地区となり、多賀城市や塩竈市まで続く。なお、中野栄駅 - 多賀城駅間で仙台臨海鉄道臨海本線を築堤で乗り越える。本塩釜駅付近は、ルート変更により塩釜線沿いに線路を移設した関係で、海沿いを走る高架線となり眺めは良い。東塩釜駅から先は単線となる。線路は利府町と松島町で、松島丘陵をトンネルで通りながら、松島湾沿いを走る。この付近で仙石線と東北本線は、並行するように線路が敷設されている。特に、利府町内においては線路が接近しており、列車の併走が見られる場合もある。松島海岸駅は、日本三景・松島の観光の中心地である。同駅を過ぎ、東北本線との線路の並行が終了し、高城町駅に向かうために当線が右カーブした先で、左手より東北本線から分岐した仙石線・東北本線接続線が合流する。また、陸前富山駅から陸前大塚駅 - 東名駅にかけては、奥松島の海岸線に沿うように線路が敷設されており、松島湾の眺めを楽しむことができる。震災前は、東名駅付近まで奥松島の海岸線に沿うように線路が敷設され、東名駅からは東名運河(貞山運河)沿いを走っていたが、震災後は陸前大塚 - 陸前小野間で高台を通るルートに変更され、左手に災害公営住宅の造成を見ながら東名駅と野蒜駅付近を通る。鳴瀬川を越えると、列車は石巻平野(仙北平野)の水田地帯の中を走る。そして石巻市内に入ると沿線に住宅地が多く見られるようになり、北上運河(貞山運河)を越え、右手から石巻港駅から来た貨物支線と陸前山下駅の手前で合流する。同駅を過ぎると当路線は築堤を上り、右にカーブしながら地上に降りた先で、左手から石巻線が近づくと間もなく終点石巻駅である。仙石線は前述の通り、東北地方のJR線では唯一の直流電化路線であり、東北地区を走る他線(交流電化路線)の車両は運用できないため、首都圏で運行されていた通勤形電車を転配して運行している。車両についての詳細は各車両の項目のほか、「仙台車両センター宮城野派出所」の項目も参照。仙石線の前身である宮城電気鉄道の車両については同項目および「宮城電気鉄道の電車」を参照。2015年5月30日のダイヤ改正以降、運行形態は仙石線内のみを運行する普通列車と、同日に開業した仙石東北ライン特別快速・快速列車に大別される。あおば通駅 - 高城町駅間は、このダイヤ改正により普通列車のみの運行となった。仙台駅 - 石巻駅・女川駅間を、仙台駅 - 高城町駅間東北本線経由で運行している。おおむね1時間に1本運転しているが、仙台駅発11時台と石巻駅発7・12時台の運転はない。仙台駅9時24分発と石巻駅20時58分発(最終列車)の上下各1本が停車駅の少ない特別快速として運転されている以外は快速として運転されている。快速には、種別がで表示されるタイプとで表示されるタイプがある(駅時刻表では「快速(赤)」「快速(緑)」と表記している)。快速(赤)は東北本線仙台 - 塩釜間の途中駅無停車、快速(緑)は同区間各駅停車で、仙石線内(高城町 - 石巻間)の停車駅はいずれも同じである。仙石東北ラインとして運行される区間には待避設備がないため、先行列車の追い抜きはないが、原則として高城町駅にて同駅発着の普通列車(あおば通駅 - 高城町駅間運行)と相互接続を行っている。1列車4両編成を基本に運行するが、仙台12時台発と石巻13時台発の快速(緑)のみ2両編成で運行する。気動車で運行しているため、列車番号には「D」が付与されている。2016年8月6日からは、「仙石東北ライン」のうち上り始発列車と下り最終列車が石巻線の石巻駅 - 女川駅間に乗り入れ、仙台駅 - 女川駅間を直通運転している。あおば通駅 - 石巻駅間を仙石線内各駅に停車する。すべての列車があおば通駅発着の4両編成となっている。2015年5月30日以降は仙石東北ラインとの誤乗防止のため、方向幕・行先表示LEDで「仙石線経由」の表示がなされるようになった。朝夕ラッシュ時は約6 - 8分間隔で運転されている。車両基地への出入りを兼ねて、あおば通駅 - 小鶴新田駅間の区間運転列車がある。日中は1時間あたり4本運転されており、あおば通駅 - 石巻駅間の全線を走る列車と多賀城駅・東塩釜駅・高城町駅を発着駅とする区間運転列車がそれぞれ1本程度運転されている。下りは15分等間隔で運転されているが、上りは少しずれが生じている。高城町駅発着列車は、基本的に高城町で仙石東北ライン石巻駅発着に10分前後で乗り換えられるダイヤとなっている。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である楽天Koboスタジアム宮城(宮城野原駅が最寄)でプロ野球の試合がある日は、あおば通駅 - 小鶴新田駅間で臨時に列車の増発を行っている。上り列車の方向幕・行先表示LEDには「仙台・あおば通」と表示されているが、これは仙台方面あおば通行きの列車であることを強調するために便宜上用いているもので、途中駅で分割・併合が行われるというわけではない。JRの列車番号は原則として電車には「M」が付くが、仙石線の場合はいわゆる電車ダイヤのため、電車で運行される普通列車には「S」が付与されている。2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、仙石線は甚大な被害を受け、全線で不通となった。3月28日のあおば通駅 - 小鶴新田駅間運転再開、4月7日の余震による再度全線不通を経て、4月19日に同区間が再開されてからは段階的に復旧範囲が拡大し、2012年3月17日の時点で、仙台側はあおば通駅 - 高城町駅間、石巻側は陸前小野駅 - 石巻駅間で列車運行を再開していた(詳細は後述「東日本大震災による影響」の節も参照)。ここでは、震災の影響で不通区間が発生していた時期について述べる。この区間は当初から震災前と同じ205系3100番台電車で運行を再開した。2011年3月28日にあおば通駅 - 小鶴新田駅が復旧した。このときは1時間に2 - 7本ほどの運転であった。高城町駅まで復旧後のダイヤは、列車の大半があおば通駅 - 東塩釜駅間の区間列車であり、東塩釜駅 - 高城町駅間は1時間に2 - 3本程度であった。また、現行と同様に小鶴新田駅・多賀城駅までの区間列車が設定されていた。多賀城駅は2014年3月までは高架化工事により折り返し運転ができず、多賀城駅 - 東塩釜駅間を回送のうえ東塩釜駅での折り返しとした。高城町駅まで復旧した際に、あおば通駅 - 高城町駅間の快速列車(A快速・B快速)も設定された。A快速の停車駅はあおば通駅・仙台駅・多賀城駅・本塩釜駅・東塩釜駅・松島海岸駅・高城町駅、B快速の停車駅はあおば通駅 - 多賀城駅間の各駅および本塩釜駅・東塩釜駅・松島海岸駅・高城町駅であった。B快速は通過駅が3駅(下馬駅・西塩釜駅・陸前浜田駅)しかなかったため、2014年3月15日のダイヤ改正をもって各駅停車に格下げされる形で廃止され、残ったA快速が単に「快速」として運行された。この快速も、都心部手前の通過駅で運転間隔が大きく開く要因となったため、2015年5月29日を最後に、この区間の快速列車は消滅した。高城町駅 - 陸前小野駅間は東日本大震災の影響により2015年(平成27年)5月29日まで不通となっており、2011年(平成23年)7月16日から同日まで、松島海岸駅 - 矢本駅間でバス代行輸送が行われていた。本数は2014年(平成26年)3月15日から運行終了までのダイヤでは1日上り19本、下り20本で、朝夕のラッシュ時は、1本あたり最大5台同時運行していた。松島海岸駅で快速列車に接続することが多かったが、バスが遅延した場合でも原則として接続は行わなかった。代行バス停留所は不通区間の各駅前に設置されていたが、高城町駅のみ離れていたため、仙石線電車区間(あおば通駅 - 高城町駅間)と代行バスの乗り換えは松島海岸駅で行うよう案内されていた。この区間は軌道の損傷・駅舎流失等、甚大な被害をうけたため、当初復旧の目途が立っていなかったが、2012年1月に、2015年度中にも全線復旧する方針が発表された。被害が大きかった陸前大塚駅 - 陸前小野駅間は、内陸側に移設されることになった。2014年7月30日には2015年6月までに全線再開することが発表された。2015年1月29日には再開日が同年5月30日と発表され、事前発表通り運行を再開した。2011年7月16日に矢本駅 - 石巻駅間で運行を再開し、2012年3月17日には陸前小野駅 - 矢本駅間の運行を再開した。電化設備が復旧していなかったことから、全面復旧までこの区間は小牛田運輸区所属のキハ110系気動車による臨時ダイヤでの運行となっていた。陸前小野駅 - 矢本駅間は1日数本、矢本駅 - 石巻駅間では1時間あたり1 - 2本となっており、全列車普通列車(2両または4両編成)であった。矢本駅 - 石巻駅間が運行再開された当初は、この区間を運行する列車には列車番号に「Y」が付けられていたが、陸前小野駅まで運行を再開した2012年3月のダイヤ改正で、原則通りの「D」に変更された。大震災発生直前まで運転されていた快速列車は、あおば通駅 - 石巻駅間をおよそ1時間に1本運転されていた。2004年10月15日までは快速列車に「うみかぜ」の愛称が与えられており、停車駅の違いによりA快速とB快速の2種類があった。A快速の停車駅はあおば通駅・仙台駅・多賀城駅・本塩釜駅・東塩釜駅・松島海岸駅・高城町駅・野蒜駅・陸前小野駅および矢本駅 - 石巻間駅の各駅であり、B快速はA快速の仙台 - 多賀城間を各駅停車にしたものであった。2009年3月14日のダイヤ改正以前は駅案内においては方向幕の色から、A快速は「快速」、B快速は「快速」と案内されていた。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天Koboスタジアム宮城(宮城野原駅が最寄。2011年時点の名称は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」)でプロ野球の試合がある日は、仙台駅 - 多賀城駅間を通過するA快速(赤快速)が宮城野原駅に臨時停車する場合もあった。仙石線の快速列車の停車駅については、古くは列車により様々であったが、時代を下るにつれパターン化され、そのパターンも次第に整理・統合された(1972年頃には通過駅が榴ケ岡駅と宮城野原駅の2駅のみというパターンもあった)。例えば、1998年 - 1999年頃の日中に快速列車が毎時2本に設定されたことがある。このうち1本は現在の速達タイプの停車パターンで、もう一方は石巻 - 本塩釜間が各駅停車となる区間的な快速列車であった。2007年3月のダイヤ改正以前は、東塩釜駅は快速通過駅であった。他に特筆できることとしては「特別快速」がある。当初の特別快速は石巻駅 - 仙台駅間を1時間以内で結ぶことと仙台市内の百貨店10時開店を意識したダイヤで1969年に登場した(途中、松島海岸駅・本塩釜駅停車、上り午前・下り午後の計2本は矢本駅にも停車)。その後、CTC化と軌道強化・東塩釜駅 - 石巻駅間の単線区間の一部交換可能駅一線スルー化等に伴う線内最高速度85→95km/h化完成をみた1983年10月より、休日ダイヤにおいて仙台駅 - 石巻駅間50.5kmをノンストップで走る特別快速が1往復設定されたが、停車駅の見直しに伴い、2000年3月11日のダイヤ改正で廃止となった。後年に再び停車駅の少ない「特別快速」が土曜・休日に設定された(停車駅は仙台駅・多賀城駅・本塩釜駅・松島海岸駅・高城町駅・野蒜駅・矢本駅・石巻駅)が、2003年10月1日のダイヤ改正で再び廃止された。2003年3月22日から土曜・休日に石巻行きの赤快速(A快速)の1本と緑快速(B快速)の1本、そしてあおば通行きの普通列車2本を、石巻市にゆかりの深い漫画家石ノ森章太郎の作品のキャラクターのラッピングが施された「マンガッタンライナー号」として運行していた。待避線が当路線内に設置されていないため、先発の列車が終着駅に先着するダイヤは、現行と変わらない。大震災発生直前のダイヤは、すべての列車があおば通駅発着であり、そのうち大部分の列車が多賀城駅や東塩釜駅で折り返す区間列車であった。あおば通駅 - 石巻駅間の全線を通して走る普通列車は1時間に1本で、快速と普通が約30分間隔で交互に運行されていた。高城町駅始発あおば通駅行は朝に1本設定されていたが、高城町駅行下り列車は設定がなかった。時期により、あおば通駅 - 松島海岸駅・高城町駅間および矢本 - 石巻駅間の区間列車が設定されていた。また、小鶴新田駅開業前はあおば通駅(仙台駅) - 苦竹駅間の区間列車が、さらに古く陸前原ノ町電車区があった頃には仙台駅 - 陸前原ノ町駅間の区間列車が存在した。現在、普通列車については1列車4両編成のみで運行しているが、1987年-1998年頃までは、矢本駅 - 石巻駅間の区間列車運転を主として、105系電車を用いた2両運用が全区間で存在した。仙石東北ラインの快速・特別快速は、高城町から連絡線を介して東北本線に乗り入れるが、これとは別に貨物列車や臨時の旅客列車が石巻線に乗り入れる。現在は高城町駅および石巻駅からの直通運転が可能となっているが、元々が独立した鉄道会社であった名残から、かつては仙台駅と石巻駅の着発線および駅舎が他路線とは独立しており、直通運転は物理的に不可能であった。仙台駅構内には、1970年頃まで東北本線と仙石線を結ぶ引き込み線があったが、現在は存在しない。石巻駅構内では、石巻港への貨物列車の入線や他線との連絡のために、石巻線と仙石線の線路が繋がっている。また、保線用車両の行き来を目的に松島駅 - 松島海岸駅間に東北本線との渡り線が設けられていたが、後述の仙石線・東北本線接続線の建設により現在は存在しない(営業用車両の走行はできなかった)。石巻線は非電化路線であるため、気動車の場合は仙石線・石巻線の両線を直通することが可能であり、2000年の仙台トンネル開通以前はグラシア(後のこがね)による臨時列車(仙台駅 - 女川駅・気仙沼駅間)が運行されたことがあった。なお、1992年頃には、石巻線の石巻駅 - 女川駅間の直流電化により、仙石線の女川駅乗り入れが調査されたことがあった(詳細は「石巻線#仙石線との直通運転構想」を参照)。2016年8月6日からは仙石東北ラインの一部列車を女川駅まで延長運転している。仙石線への気動車の入線については、それ以外にも、多賀城駅 - 矢本駅間のビール列車(小牛田運輸区のキハ23形・40形・58形使用)、ふるさとによる野蒜駅 - 石巻駅間の鳴瀬町(現:東松島市)町民号といった団体専用列車での入線が時折あった。仙台トンネルの開通により仙台駅 - 苦竹駅間では、East i-D をのぞき、気動車の入線は基本的に不能になったが、東塩釜駅 - 石巻駅間では団体専用列車という形で気動車の入線があった。東日本大震災後の2011年7月16日に復旧した矢本駅 - 石巻駅間、2012年3月17日に復旧した陸前小野駅 - 矢本駅間では架線の損傷や変電所が使えないため、2015年5月30日の全面復旧まではキハ110系気動車が使用されていた。また、仙台市の交通政策で、仙石線を西公園まで延伸して東西線計画の一部とする構想もあったが、仙台市が独自に地下鉄東西線を建設する方針をとったために、構想は立ち消えとなった。2015年度の全線復旧後、松島海岸駅 - 高城町駅間と東北本線塩釜駅 - 松島駅間を結ぶ連絡線(仙石線・東北本線接続線)が敷設され、仙石東北ラインという愛称でHB-E210系気動車を使用した東北本線への直通運転が開始された(塩釜駅 - 高城町駅間を結ぶもので前述の保線用車両の渡り線とは分岐方向が違う)。この連絡線を経由する直通列車は終日運行が明言されており、2013年時点では従来の仙石線全線を走行する快速電車の運行も引き続き行うと発表していたが、2015年5月のダイヤ改正よりあおば通 - 高城町間を走行する快速は廃止されることが決まった。East i-Dによる軌道試験が行われる以前は、マヤ34形客車を用いた検測列車(マヤ検)の牽引は牽引車クモヤ145形を用いて行われていた。しかし地上線時代の仙台駅および地下化後のあおば通駅は機回し線がなく、またクモヤ145形が1両しか在籍していないため、上り列車で仙台駅(地上線時代)もしくはあおば通駅(地下化後)に入線すると車両の付け替えができないため、以前は105系を使用し、の編成で運転されていた。105系廃車後は103系のクモハ編成からMc+Mのみをマヤの前に連結し、の編成で運行された。なお105系および103系による運転はあおば通駅 - 宮城野電車区間のみで運行され、宮城野電車区 - 石巻間はクモヤ145形のみの牽引で運転されていた。なお仙石線では103系は老朽化の進むMc編成から置き換えが始まったが、マヤ検の都合上、置き換え開始後しばらくはMc編成が残留していた。そのためMc編成の全廃はマヤ検終了後の2003年7月であった。宮城電気鉄道により、1925年(大正14年)6月5日に仙台駅 - 西塩釜駅間が開業。以後順次延伸され、1928年(昭和3年)11月22日に仙台駅 - 石巻駅間が全通した。1944年(昭和19年)5月1日に戦時買収により国有化され、仙石線となった。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後はJR東日本の路線となっている。当初、宮城県庁付近を基点とする計画があり、東北本線との交差のため仙台駅 - 東七番丁駅(仙台東口駅)間は地下区間として建設されたが、これは日本で最初に開業した営業用の地下路線である。この区間の開業は、日本初の地下鉄である東京地下鉄道(現在の東京地下鉄銀座線)の開業に先立つこと2年半であり、また郊外電車の地下乗り入れとしても神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線より3年早かった。その後、宮城県庁までの延伸は資金難と仙台市電の開業により断念され、1952年(昭和27年)には路線短縮により地下区間が廃止となった。廃止された地下区間は、2000年(平成12年)の再地下化までの間、仙台駅の北側にあった地下改札口(駅ビルの食料品売り場に改装され現存しない)や東北本線の各ホームと、仙石線ホームを結ぶ地下通路として利用されていた。この地下区間は単線でありかつ距離が短かったこと、現存していないことなどから、現在はほとんど紹介されない存在となっている。現在の仙石線地下区間は前述の通り2000年に完成したもので、別物である。東北本線(当時は日本鉄道)は、大正期にあたる1920年代前半には仙台駅をはさんで岩沼駅から岩切駅まで複線化されていたが、開業時から全線単線だった仙石線(当時は宮城電気鉄道)の複線化は、1943年(昭和18年)12月5日に東七番丁駅(後に仙台東口駅、さらに(地上線)仙台駅に改称)から陸前原ノ町駅までの区間で初めて実現した。戦後、東北本線では複線・電化が進み、高度経済成長期の1968年(昭和43年)に全線複線電化が完了した(ヨンサントオ)。仙石線でも同年には陸前原ノ町駅 - 多賀城駅間、翌1969年(昭和44年)には多賀城駅 - 西塩釜駅間が複線化され、仙台駅(地上線)から塩竈市の中心駅である本塩釜駅の1つ手前まで複線化が完了した。1968年(昭和43年)、(新)都市計画法が施行され、都市高速鉄道が規定された。これにより、踏切を介して平面交差していた鉄道と道路を、渋滞や踏切事故等を減らす名目で立体交差させる都市計画がなされるようになり、既存の道路側を立体交差させるオーバーパスやアンダーパス、既存の鉄道を立体交差させる高架化や地下化、さらに高架鉄道や地下鉄等の新設が進められた。当地でも同法に基いて、1970年(昭和45年)に従前の5つの都市計画区域を統合して宮城県が「仙塩広域都市計画区域」を指定。同区域内には当時、市が仙台・塩竈・名取の3市のみだったが、各市の中心駅周辺で複線化が唯一未施行だった塩竈市の本塩釜駅周辺への都市高速鉄道事業の適用を見込み、1971年度(昭和46年度)に高架化の調査を行った。結局、西塩釜駅から陸前浜田駅までの区間 (L=5,410m) を「仙塩広域都市計画 都市高速鉄道事業 日本国有鉄道仙石線」として都市計画決定し、西塩釜駅から東塩釜駅を過ぎた辺りまで (L=2,770m) を嵩上式(鉄道側の高架化)、同地より陸前浜田までの区間を地表式(道路側の立体交差)として整備し、1981年(昭和56年)に西塩釜 - 東塩釜の高架・複線化が完成した。その後、仙台都市圏の都市高速鉄道事業は、仙台市地下鉄の南北線および東西線の新設、そして、仙石線の複線区間の連続立体交差事業として実施された。また、仙台都市圏内ながら仙塩都市計画区域の外にある山元町では、東日本大震災からの復興事業として、山元都市計画都市高速鉄道東日本旅客鉄道株式会社常磐線、すなわち、JR常磐線の内陸移設 (L=12,010m) が2013年(平成25年)12月3日に宮城県により決定された。仙台 - 苦竹間については、仙台駅付近が曲線が多い蛇行線形になっていたほか、踏切による交通渋滞問題が発生していたため、連続立体交差事業が行われた。この事業では、1985年(昭和60年)に着工された仙台トンネルが2000年(平成12年)に完成、地下化によって14の踏切が解消された。この際には路線の直線化によって距離が短縮されるとともに、あおば通駅が新設されて仙台駅以西に延伸開業した。これは地下化建設当時検討されていた仙台市営地下鉄東西線との直通運転を視野に入れて先行して仙石線の連続立体交差事業が始まったが、国鉄仙台駅と仙台市営地下鉄仙台駅が離れていたため直通運転案では仙台駅を二分して建設することになり、連続立体交差事業の補助金対象区間を長く取るために地下鉄寄りの「仙台(西)駅」を仙石線と地下鉄との境界駅としたため、この駅までを国鉄線として建設することになったからである。その後地下鉄直通運転案は断念されたが「仙台(西)駅」までは建設され、地下化開業にあたってJR仙台駅とは離れている「仙台(西)駅」の正式名称を「あおば通駅」と決定して開業した。また、2004年(平成16年)より多賀城駅周辺1.8kmの高架化事業も進められた。2009年(平成21年)11月29日に上り線が高架に切り替えられ、2012年(平成24年)4月8日には、下り線も高架に切り替えられた。その後、駅舎を中心とした施設の構築工事も行われ、2013年(平成25年)11月17日に新駅舎が供用開始した。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、当路線の約68%が海岸部に近接していたため、地震と津波双方による被害を受け、軌道変状312か所、線路流出3km強、ホーム変形19か所、橋梁・高架橋の損傷12か所、駅舎損傷14か所、電化設備については津波被害の大きさによりデータが取れないほどであった。地震発生により、野蒜() - 東名()間で上りあおば通行普通電車(1426S電車、M9編成)が停止()、乗客約50人が指定避難場所だった東松島市立野蒜小学校()に避難した後、車両は津波に押し流されて脱線、4両編成の前2両は山側に横滑りし、後ろ2両は山側に90度向きを変えて大破した。また、石巻駅では到着後のM7編成が冠水して被災した。野蒜 - 陸前小野間では石巻行き快速電車(3353S電車、M16編成)編成が松島丘陵東端の切り通し区間頂上部付近で停止()、乗客約100人は指定避難場所の野蒜小への移動を開始したが、元消防団員の乗客の1人が津波を予見して運転士に進言し、乗客全員が車両に待機していたところ、襲ってきた津波は同車両を含む同地には到らず全員が無事だった。地震直後より全線で不通となった仙石線は、震災当日から2週間以上を経た同年3月28日、仙台市内のあおば通駅 - 小鶴新田駅間でのみ運転が再開されたものの、翌月7日に発生した余震のために、再び全線で不通となった。再度不通となったあおば通駅 - 小鶴新田駅間の営業は1週間余り後の同4月15日に再開され、次いで4月19日には小鶴新田駅から東塩釜駅までの営業も再開された。さらに、同5月28日には東塩釜駅から高城町駅までの営業も再開、これによって、仙台を起点とする区間においてはあおば通駅から高城町駅までが繋がることとなった。一方、石巻寄りの区間については、震災発生から4か月余りを経た同年7月16日になって矢本駅 - 石巻駅間の営業が再開されたが、電化設備が復旧していないことなどから、電車ではなく気動車による運行となった。さらに陸前小野駅 - 矢本駅間が2012年3月17日に再開された。復旧が手付かずの状態となっていた高城町駅(松島町) - 陸前小野駅(東松島市)間であったが、JR東日本仙台支社は2012年(平成24年)1月、当該区間の一部内陸移設などによって、2015年(平成27年)度までに全線復旧させる方針を発表した。この区間の復旧工事の費用は100億円超で2013年(平成25年)度中に着工、線路が流出するなど被害の大きかった東松島市内の陸前小野駅から陸前大塚駅までの約6.4kmについては震災前よりも500メートル程度内陸に移設する。また、この区間にあって駅舎が被害を受けた野蒜駅、東名駅の2駅も移設される。2014年7月30日には、復旧工事の目途が立ったことから、2015年6月までに全線再開することが発表され、2015年1月29日には全線再開日が同年5月30日と発表された。なお、陸前小野駅 - 陸前大塚駅の移設ルートは当初、下記の三つの案が作られたが、安全性や街づくり、早期復旧の観点から現位置かさ上げ+高台移設案を採用することになった。また、東北本線の塩釜駅 - 松島駅間と線路が並行している仙石線の松島海岸駅 - 高城町駅間に、両線を連絡する接続線(仙石線・東北本線接続線)を敷設し、仙石線が全線復旧する予定の2015年(平成27年)5月30日から「仙石東北ライン」として東北本線の塩釜以南と仙石線の高城町以北を相互直通運転する計画が発表され、予定通り運行が開始された。

出典:wikipedia

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