南大阪線(みなみおおさかせん)は、大阪府大阪市阿倍野区の大阪阿部野橋駅から奈良県橿原市の橿原神宮前駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。駅ナンバリング等に使われる路線記号はF。ラインカラーは緑である。大阪府南東部(南河内地域)の通勤通学および橿原・飛鳥・吉野方面への観光の足となっている。藤井寺駅 - 古市駅間は数多くの古墳を避けながら通る。大阪電気軌道(大軌)が敷設した多くの近鉄線(1435mmの標準軌)とは異なり、南大阪線系(南大阪線、道明寺線、長野線、御所線、吉野線)では1067mmの狭軌が採用されている。道明寺線・長野線を敷設したのは河陽鉄道、南大阪線を敷設したのは河陽鉄道を継承した大阪鉄道(大鉄)であり、その当初の目的は道明寺線柏原駅において接続する関西本線と提携して貨物輸送を行うことであったためである。また、全線がほぼ大阪線と並行しているが、当線のほうは前述のように古墳や山岳地帯を避ける形で敷設されたためにカーブが多いこと、それに建設費の都合で規格が低く抑えられたため、最高速度は大阪線の120km/hよりも低い110km/hに抑えられている。大阪市内の大阪阿部野橋駅から、矢田駅 - 河内天美駅間にある大和川橋梁までは高架橋となっているが、このうち河堀口駅 - 矢田駅間に関しては、高架化の際に仮線を設けず在来線の地上線の真上にそのまま高架線を建設する「直上高架方式」で施工された。スルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカード(自動券売機での乗車券引き換えのみ)、ICカードPiTaPa・ICOCA・Suicaなど全国相互利用の乗車カードが使用できる。全線、大阪統括部(旧天王寺営業局)の管轄である。大まかに見て、大阪阿部野橋駅から古市駅付近までは住宅街や学校など多くの建物が立ち並ぶ間を抜けるように走り、都市部らしく閉塞感の漂う風景が続くが、道明寺駅あたりから畑が目立ち始め、古市駅から先は一気にのどかな田園風景へと変わる。高見ノ里駅以東は竹内街道や長尾街道と並行しているために沿線には史跡や歴史的建造物が多い。また奈良県内では二上山や葛城山の山なみと並行するため、季節によって美しく様変わりする山肌を楽しむこともでき、花や紅葉の見ごろになると急行を臨時停車させる駅も少なくない。上ノ太子駅周辺ではブドウやミカンの栽培が盛んで、車窓から果樹園が見られる。以下に示す記述はすべて大阪阿部野橋→橿原神宮前方向における記述であり、逆方向に関しては順序が逆で、その風景が見える方向も左右逆となる。起点である大阪阿部野橋駅は、キタ、ミナミに並ぶ大阪有数の繁華街、阿倍野に置かれている阿部野橋ターミナルビル(あべのハルカス)に内包されている。大阪阿部野橋を出てすぐ、線路は高架に上がる。右へカーブしつつJR阪和線を跨ぐと間もなく河堀口駅。河堀口から線路はさらに右へカーブし、東住吉区へ移って北田辺駅、今川駅へと続く。今川を出てしばらくすると阪神高速14号松原線の高々架をくぐるが、その高々架の直下には地下鉄谷町線の駒川中野駅がある。南大阪線はさらに東住吉区内の住宅街を高架で進んで針中野駅、右手に長居公園や大阪芸術大学短期大学部大阪キャンパスを見ながら矢田駅と進む。矢田を出ると次第に密集していた住宅は間が開き始め、線路は大和川を渡る。大和川の手前に見える堤防沿いの細長い工事中の土地は、JRの阪和貨物線の廃線跡である。大和川より南は松原市となり、左手に阪南大学のキャンパスを眺めつつ、線路は高架から下りて地上に移り、古市検車区天美車庫を設置している河内天美駅に至る。線路は次の布忍駅を出てすぐ左へ急カーブを曲がる。そこからは右手に大阪府道12号堺大和高田線を眺めて走り、府道12号は次第に迫ってきて高見ノ里駅。さらに進むと松原市街地へ入っていき、河内松原駅に至る。河内松原駅は大阪阿部野橋から最初の準急停車駅であり、最初の緩急接続可能駅でもある。さらに美原、堺方面へのバスも発着しており、終日賑わいを見せる。河内松原を出ると線路は阪和自動車道をくぐって羽曳野市に入り、府道12号をくぐって住宅地を走り恵我ノ荘駅に至り、その後ゆるやかに左へカーブし高鷲駅に達する。高鷲を出てまもなく線路は藤井寺市に入り、右手に四天王寺大学のキャンパスが見えれば間もなく藤井寺駅である。四天王寺学園小学校が建っている所には2005年1月まで藤井寺球場があり、現在はオリックスと合併した近鉄バファローズの本拠地として栄えていた。藤井寺駅にはここから旧中央環状線を通って近鉄八尾駅方面に向かう便と、羽曳ヶ丘方面へ向かう便の、大まかに2種のバスが発着しており、交通の要衝となっている。また、藤井寺駅では大阪阿部野橋からの普通列車の大半が折り返すため、1本の引き上げ線があるものの、駅の東方が線路のぎりぎりまで建物がせり出している事情から引き上げ線は大阪阿部野橋方にある。そのため当駅折り返しの普通列車は到着後3回も折り返し作業をしなければならず、入出庫のつど藤井寺駅すぐ西側の踏切を通らねばならないために、この踏切は日中でも遮断機が長い時間にわたり開かない「開かずの踏切」となっている。藤井寺を出てしばらくは藤井寺市内の住宅街を走るが、西名阪自動車道をくぐると前方にある仲ツ山古墳を回り込むために左へ大きくカーブを切る。右へ曲がり旧国道170号をくぐるあたりで土師ノ里駅に着く。土師ノ里を出るとほどなく南大阪線最大の急カーブに至り、特急などの優等列車もここでは45km/hに速度を落として走行する。左手より道明寺線が合流して道明寺駅に至る。もともとは道明寺線の方が先に完成し南北に走る線路として開通していたため、後付けとなった南大阪線の方が急カーブを描く格好になっている。道明寺を出ると線路は再び羽曳野市に入り、西名阪自動車道をもう一度くぐる。西名阪のガードを抜けると風景は住宅地から一変して無花果などの畑が広がる。畑地帯を抜けると次第に羽曳野の市街地に移り、古市検車区を構える古市駅に至る。この駅では長野線と分かれるほか、この駅より先は長野線の富田林駅までと特急停車駅をのぞいて8両編成の電車は停車できなくなるため、車両の連結や切り離しが頻繁に行われる。本線と支線の分岐駅では、本線がまっすぐに進み、支線が分かれていくのが通例だが、古市駅においては支線の長野線がまっすぐ南下して、南大阪線の方が左へカーブする。これは先述した道明寺駅の場合と事情は全く同じで、先に柏原駅 - 道明寺駅 - 古市駅 - 河内長野駅間のルートが開通し、後から南大阪線の線路が開通していったためである。長野線と分かれると左手には古市の住宅地が、右手には台地の崖が連なる。ほどなく線路は石川を渡るが、石川を境に風景は一気に変わる。田園が広がる中に工業団地と住宅が点在するのが見え、線路はゆるやかに右へカーブし、駒ヶ谷駅に至る。この駅の左手には梅酒メーカーのチョーヤ梅酒本社がある。駒ヶ谷の住宅地を抜けると周辺は広大なブドウ畑や水田などが広がり、左手を国道166号(竹内街道)が並行する。右手に南阪奈道路が近づいてくると上ノ太子駅である。この駅は鉄道駅が存在しない太子町の玄関口の役割をなし、当駅から太子町の市街地、住宅地へ向かうバスが発着している。上ノ太子を出てほどなく線路は国道166号と踏切で交差し、山裾を縫うように蛇行して走り、4km以上に亘る33.3‰の連続上り勾配にかかる。蛇行のために南阪奈道路を2度アンダーパスし、線路は羽曳野市から太子町に入る(しかし先述した通り太子町内には駅がなく、あくまでも南大阪線は太子町を通過するのみである)。そこからしばらくは右手を奈良県道・大阪府道703号香芝太子線が並行する状況が続くが、この道路は途中で線路を跨いで左手側に移る。この線路を跨ぐ場所が穴虫峠であり、大阪府と奈良県の府県境にあたる。山岳を貫くトンネルを通らずに大阪府と奈良県の府県境を越えるのも、この路線の特徴の一つである。奈良県香芝市に入ると左手に見える県道703号は国道165号と合流し、大和高田バイパス(国道165号バイパス)と側道(従来の国道165号)に分かれ、南大阪線はバイパスを潜り、国道165号と並行する。ここから先はしばらく二上山の裾を沿うように走るため、右手方向には二上山のフタコブラクダ状の稜線が美しく見える。この間に二上山駅、二上神社口駅、当麻寺駅を通り、線路は葛城市に移る。この区間の山以外の風景においては、駅の前後に住宅が密集しているほかは、広大な田畑が広がりのどかである。なお、二上山のふもとは當麻寺(当麻寺)をはじめ牡丹の名所となっている地が多くあり、二上神社口と当麻寺の両駅は牡丹の見ごろになると一部の急行が臨時停車する。当麻寺駅から磐城駅にかけてはほぼ直線に進み、磐城駅を過ぎると再び国道166号と踏切で交差して、ゆるやかに左へカーブする。このあたりから住宅の数が増えてきて、ほどなく尺土駅に至る。尺土駅は御所線との分岐駅であるが、それとともに古市駅 - 橿原神宮前駅間において両端をのぞくと唯一の緩急接続可能駅であり、さらに大阪阿部野橋から最初の特急全列車停車駅でもあるため、終日にわたり準急(この区間は各駅停車)・普通と急行・特急との接続が行われている。尺土駅を出て御所線が右へ分かれると、再び田園風景が広がり大和高田市に入る。田園風景はつかの間で急速に建物の数が増え、高田の市街地に移っていく。次第に線路は高架を上り、高田市駅に至る。高田市駅は南大阪線における大和高田市の中心駅であるが、大阪線の大和高田駅、JRの高田駅には広大な駅前広場があるのに対し、高田市駅前は2車線(片側1車線)の国道166号(バイパス)にバス乗り場を兼ねたロータリーが申し訳程度に設置されているのみで、線路、道路のぎりぎりまで所狭しと建物が密集している。高田市を出ると線路はゆるやかに右へカーブを切り、JR和歌山線を跨いでほどなく高架から地上区間に下りる。しばらくは住宅地を進むが、徐々に住宅の間隔が空き畑が目立つようになると今度はゆるやかに左へカーブし、浮孔駅に至る。そこから少し進むと国道24号大和高田バイパスを潜り、橿原市に入る。水田地帯を抜け住宅地が迫ると坊城駅となり、さらに線路は南東へ直進する。坊城の住宅地を抜けると再び広い田園地帯に入り、左手には大和三山の一つ畝傍山と橿原神宮を包む森林が見えてきて、畝傍山の裾に入ると橿原神宮西口駅に至る。線路は左手に橿原神宮の森林、右手に奈良芸術短期大学などの学校群や住宅街を眺め、大きく右へカーブして橿原線との接続駅である橿原神宮前駅に達する。南大阪線としてはこの駅が終点であり、この駅で折り返す列車も多くあるが、線路はこの先も続いて吉野線となっており、一部の列車をのぞく急行と特急は吉野線に直通して吉野駅まで運転される。大阪阿部野橋駅から長野線・吉野線と直通運転を行っている。御所線とも古市駅折り返しおよび大阪阿部野橋行きのみだが直通運転がある。大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間には急行などのほか、「さくらライナー」や観光特急「青の交響曲」などの特急が運転されている。ダイヤは基本的に大阪阿部野橋発時刻はわかりやすく、できるだけ等間隔にそろえられている。近鉄の他の路線は多少のダイヤ変更が毎年行われているが、南大阪線については2000年以降、特急列車の運行形態を除いて大きな変更が行われていない。終日運転されている。基本的には吉野線に直通し、昼間時には大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間で1時間あたり2本運転されている。南大阪線内は古市駅を含む特急停車駅に停車し、吉野線内は各駅に停車する。したがって南大阪線における長距離の料金不要速達種別であるうえ、事実上の吉野線の各駅停車でもある。春の土休日には当麻寺駅・二上神社口駅に、秋の土休日には上ノ太子駅に臨時停車する列車がある。長野線直通は(長野線内は各駅に停車)平日の朝ラッシュ時には河内長野発大阪阿部野橋行きと大阪阿部野橋発富田林行きが、夕ラッシュ時には富田林発大阪阿部野橋行きと大阪阿部野橋発河内長野行きの列車が運転されている(2011年3月16日のダイヤ変更から平日夕ラッシュ時にも富田林発大阪阿部野橋行きが運転されるようになった)。また平日の深夜には大阪阿部野橋発橿原神宮前行が、平日の早朝には下り古市発橿原神宮前行きが運転されている(下り古市発橿原神宮前行きは2012年3月20日のダイヤ変更以前は平日の夕方ラッシュにも運転された。これは大阪阿部野橋発古市行き準急が終点の古市駅で種別変更されたものだった)。平日朝8時台には下りに大阪阿部野橋発古市行き急行も運転されていたが、2011年3月16日のダイヤ変更で廃止された。これは古市検車区への入庫を兼ねた列車だった。しかしこのダイヤ変更で上り平日深夜22時台に古市発大阪阿部野橋行き急行が運転を開始した。これらは急行停車駅1駅間のみの運行となっている。5月上旬から中旬の土休日には御所線近鉄御所駅まで直通する臨時急行「葛城高原号」も運転されている。定期列車は、近鉄他線区の急行とは違って特急を待避しない(1990年以降)。大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の急行の所要時間は90分強で、特急と急行の所要時間差は約15分強である。このため下りについては、急行が大阪阿部野橋駅を発車してから20分後に発車する特急より2 - 3分早く吉野駅へ到着し、上りは特急の3分後に急行が発車して特急より約20分後に大阪阿部野橋駅へ到着するダイヤが基本パターンとなっている。南大阪線内及び、長野線富田林以北では最長8両編成で、吉野線では最長4両編成、長野線富田林以南では最長5両編成。上りは橿原神宮前発大阪阿部野橋行きが平日の朝に1本、下りは大阪阿部野橋発橿原神宮前行きが深夜に平日2本、土休日1本運転されている。急行の停車駅に浮孔駅・坊城駅・橿原神宮西口駅が追加され、尺土駅 - 橿原神宮前駅間は各駅に停車する。下りの深夜の一部列車は古市駅で後ろの車両を切り離し、橿原神宮前行きの普通に変更して運転、前の車両は橿原神宮前駅で吉野行きの急行として運転する列車もある(種別変更運転の理由は吉野線の項を参照のこと)。最長編成は大阪阿部野橋駅 - 古市駅間は8両、古市駅 - 橿原神宮前駅間は6両。1972年以前の急行は当線の尺土駅 - 橿原神宮前駅間および吉野線の各駅に停車し、現在の区間急行と同じ停車駅であった。翌1973年に、従来の停車駅の列車を朝ラッシュ時の橿原神宮前発大阪阿部野橋行きに設定し区間急行が運転開始した。1980年代前半までは朝の大阪阿部野橋行きのみの設定であったが、現行ダイヤへの過渡期である1989年から1990年にかけては、昼間にも1時間あたり1本運転されていたことがあった。また2011年3月13日までは、土休日のみであったが吉野線吉野発も運転していた。2010年3月19日のダイヤ変更で平日朝の大阪阿部野橋行は廃止されたが、2011年3月16日のダイヤ変更で1本のみ復活している。2016年現在、近鉄全体ではこの区間のみに設定されている列車種別であり、英文表記は Suburban Express (方向幕における表示は「 SUB. EXP. 」)である。終日、大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅・長野線河内長野駅間で運転されている。大阪近郊における短距離の速達種別という位置づけで、昼間時は1時間あたり橿原神宮前駅発着が2本、長野線直通河内長野駅発着が4本の合計6本が運転される。つまり大阪阿部野橋駅には急行の3倍の数の準急が発着することになり、大阪阿部野橋駅 - 古市駅間では準急主体のダイヤとなっているといえる。途中駅で乗降客数が最も多いクラスにある藤井寺駅と河内松原駅の両駅を急行が通過し、代わりに準急を頻繁に運転させるダイヤが組まれているが、これは大阪阿部野橋駅から比較的近く、かつ乗降客数の多い駅の利便性を向上させることよりも、むしろ急行を中長距離の乗客の輸送に特化させて乗客の遠近分離を図った方が、ターミナルを離れるにつれ急激に利用客が減少する沿線事情に適しているという理由である。近鉄のほとんどの主要幹線の急行と準急は、始発駅付近でこうした停車駅パターンを採用している。普通が激減する藤井寺駅 - 橿原神宮前駅・長野線河内長野駅間での各駅停車としての役割を担っており、長野線直通準急の約半数が古市駅で吉野駅発着の急行と、橿原神宮前駅発着の大半の列車が尺土駅で特急と、それぞれ緩急接続を行っている。朝ラッシュ時には御所線近鉄御所発大阪阿部野橋行きが、吉野線直通としては平日上りが2本、土休日に下りが1本上りが2本の吉野駅発着列車が運転されているほか、朝ラッシュ終わり・夕ラッシュ・深夜時間帯には古市駅で河内長野行きと橿原神宮前行きまたは御所行き普通列車に分割される列車もある。朝夕ラッシュ時や早朝・深夜には富田林駅発着列車もある。2012年3月のダイヤ変更までは下り夕ラッシュ時に古市行き準急として運転し、古市駅から橿原神宮前行き急行に種別・行先変更する列車が存在したほか、2013年3月のダイヤ変更までは同じくラッシュ時に橿原神宮前行きと富田林行きに古市駅で分割される列車が存在した(案内上は橿原神宮前・富田林行き準急で、前部車両が橿原神宮前行き、後部車両が富田林行き)。それぞれのダイヤ変更後、前者は橿原神宮前行き準急、後者は富田林行き準急として運転されている。夕ラッシュ時の富田林行きは古市駅で分割後、後部車両が橿原神宮前行き普通列車に種別・行先変更を行っているが、2014年9月のダイヤ変更以降、一部の列車では分割作業を行わず、古市駅から別の車両を橿原神宮前行き普通列車に充当している。なお、2014年現在、橿原神宮前行き準急の後部車両が古市から富田林行きとなる場合も、種別・行先変更での案内を行っており、「橿原神宮前・富田林行き準急」の案内は行っていない。かつては朝ラッシュ時上りに藤井寺駅や、次の停車駅が終着駅であるにもかかわらず河内松原駅で後続の特急や急行に追い抜かれる準急が存在したが、現在では両駅で特急や急行を待避する準急は無く、古市駅を出発する全ての準急が大阪阿部野橋駅へ先着する。1965年のダイヤ変更までは土師ノ里駅は通過していた。現在は普通が一部をのぞき藤井寺までの運転となったこともあり停車している。また、1990年までは日中にも吉野線・御所線直通の列車がそれぞれ片道1時間あたり1本の割合で運転されていた。終日運転されているが、全線を通しで運転するのは早朝・深夜のごくわずかのみ(このうち平日の早朝の下りと深夜の上りは吉野線直通もあり)で、事実上古市駅を境に運転系統が分かれている。大阪側では大阪阿部野橋駅 - 藤井寺駅・古市駅間での運転が基本で、昼間時は1時間あたり大阪阿部野橋駅 - 藤井寺駅間の列車が4本、大阪阿部野橋駅 - 古市駅間の列車が2本運転されている。また河内天美駅の隣に古市検車区天美車庫がある関係で、早朝に河内天美発大阪阿部野橋行きが、深夜には大阪阿部野橋発河内天美行きがある。1980年頃までは針中野駅の乗降客が非常に多かったことからラッシュ時を中心に河内天美駅折り返しの普通列車も多く運転されていたが、同年11月27日の大阪市営地下鉄谷町線八尾南駅延伸に伴う駒川中野駅の開業により針中野駅の利用客が激減し、現在は早朝に上り1本と深夜に下りが平日に3本、土休日に2本が残るのみとなっている。朝および深夜をのぞく大阪阿部野橋駅 - 藤井寺駅間の運用においては、通常今川駅で準急(上りの一部列車をのぞく)、河内天美駅で特急または急行(一部列車をのぞく)を通過待避し、河内松原駅で、下りはさらにもう1本後、上りはさらにもう1本前の準急と緩急接続する。河内松原駅で緩急接続する列車は、下りは大阪阿部野橋駅を2本後(13分後)に出発、上りは大阪阿部野橋駅に13分前に到着する準急となり、優等列車と普通列車の所要時間差が大きいダイヤが組まれている。最長6両編成。藤井寺駅 - 古市駅間はおおむね11 - 15時台のみである(土・休日は9 - 10時台・16 - 17時台にも一部運転あり)。奈良県内に直通する列車は古市駅 - 橿原神宮前駅間での運転が基本(早朝上下線・深夜上りには吉野線直通もあり)で、一部列車は2両編成のワンマン運転となっている。この区間では準急も各駅に停車するものの、準急の多くが長野線直通としているため、普通を運転することで運転本数を確保している。昼間時は1時間あたり2本で、大阪阿部野橋駅発着の準急と交互に運転している。また平日の上りは朝は古市駅 - 御所線近鉄御所駅間の直通列車が運転主体となるため、尺土駅 - 橿原神宮前駅間の区間運転列車が運転される。夕ラッシュには終点の橿原神宮前駅にて、吉野線橿原神宮前駅 - 吉野口駅間の普通に系統変更して引き続き運転されたり、古市行の普通が御所行きに行き先変更をして実質大阪阿部野橋発御所行きとして運転されている列車もある。2012年3月20日のダイヤ変更では夕方ラッシュ時の古市駅で急行に種別変更を行う準急が全区間準急として運転される(藤井寺駅以東は各駅に停車)ために同時間帯は古市 - 橿原神宮前駅間は全列車準急として運転されるようになった。これにより御所線への直通運転や尺土駅 - 橿原神宮前駅間の区間運転列車はなくなった。最長4両編成。しかし2015年現在朝と夕方に古市駅発着で御所線への直通運転されている。長野線への直通列車は深夜に河内長野発大阪阿部野橋行きが、また平日の早朝には河内天美発で、土休日の早朝には大阪阿部野橋発で河内長野行きが、さらに平日の朝ラッシュ終了時には富田林発大阪阿部野橋行きが運転されている。行楽シーズンに臨時列車として運転されている。快速を前身とする。停車駅は古市駅停車の特急と同じ。最長4両編成(南大阪線内は最長8両編成)。急行は特急待避をしないが、快速急行については橿原神宮前駅で特急待避および大阪阿部野橋駅方の10分間隔運転に合わせるための時刻調整を行うため、橿原神宮前駅で最長12分停車する。このため大阪阿部野橋駅 - 吉野間の所要時間は1時間45分前後と同時間帯の急行より10分程度所要時間が長くかかっている。吉野線区間においても52 - 53分と、同区間を各駅に停車する急行とほぼ同じ所要時間である。かつては快速も運転されていた。日中の1時間毎の運転本数をまとめると、右図の通り。1時間当たり特急1 - 2本、急行2本が吉野線に、準急4本が長野線に乗り入れる。古市駅を境に利用状況が大きく異なることによる車両数の適正化、停車駅ホーム有効長の違い、分岐各線(長野・御所・吉野線)と合わせた車両運用の能率化により終日車両の増解結を行い、切り離した車両を即時別系統の列車にしたり、建前上の終着駅に到着後種別・行先を変更し引き続き営業運転させる(いわゆる「化け」)等の柔軟な車両運用を行っている。近鉄では他に奈良・京都・橿原線と名古屋線の一部の列車で表示上の終着駅到着後に種別・行先を変更して引き続き運転している。旅客の利便性目的ではない点が一般的な多層建て列車等との違いである。時間帯別においては次の通り。3 - 4両⇔5 - 8両2・3両⇔4・5両3 - 4両⇔5 - 8両南大阪線は愛称付き列車のほぼ無くなった近鉄他線区とは違い、現在でも季節に応じて愛称付きの列車(臨時列車を含む)・臨時列車を多彩に運行している。愛称列車には小型の愛称板が掲出される。また、LCD式に更新される前の大阪阿部野橋駅の発車標にはこれらの愛称付きの列車に対応するコマが存在し、LCD式となった発車標にもこれを踏襲して愛称が表示される。(4月 - 6月中旬)そのほか5月14日の當麻寺練供養の際には、4両編成で運転のごく一部の急行が当麻寺駅に臨時停車する。(9月 - 11月)このほか10月下旬から11月上旬の土休日に近鉄指定の観光農園である上ノ太子みかん園で行われるみかん狩りに行く旅客の利便性向上のため、上ノ太子駅に臨時停車する定期急行がある。(12月 - 3月)橿原神宮への初詣客などに利用されており、2010年12月31日から2011年1月1日にかけての終夜運転は、大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅間で特急は60分間隔(3時、4時台の運転はなし)、普通がそれぞれ30分間隔で運転し、一部列車は吉野駅まで運転されている。なお、2009年度は南大阪線系統全体で30分間隔に縮小されている。これ以前は特急も普通も20分間隔で、1990年代後半までは特急も普通も15分間隔で運転されており、長期的には縮小傾向にある。吉野線沿線には飛鳥や吉野などの観光地があり、春や秋のシーズンにはラジオ番組や新聞社主催のハイキングが開催されている。それに合わせた臨時列車も多く運転されている。また、ラジオウォークなど沿線で行われるイベントにあわせて取り付けられるヘッドマークも多い。行先はこれらの他に臨時急行、区間急行、快速急行の藤井寺行きがあるが、現在はほとんど使われていない。乗務員は特急のみ通し乗務で、それ以外は古市駅で交替する。ただし、長野線直通列車(準急)及び一部の吉野線直通列車(急行)、橿原神宮前発着の準急は古市駅で乗務交代を行わずそのまま終点まで乗務する場合もある。南大阪線系統では、1980年代後半から1990年代前半にかけて6400系列を一挙に投入して世代交代が一気にすすめられたことや、2000年代後半には阪神電気鉄道との相互直通運転に備えて奈良・京都線系統へ優先的に新車を投入したことなどから、2002年(平成14年)に6820系が2本投入されて以来、特急用車両を含めて新車が投入されない状況が続いていたが、2010年(平成22年)になって新型特急車両16600系が製造され、同年6月19日より営業運転を開始した。2015年現在において、2000年代以降に投入された車両数はこれら2形式8両に留まる。なお、南大阪線系統各車両は全車が古市検車区の所属となっており、列車検査(JRでいう仕業検査)、状態・機能検査(同じく交番検査)は同所で行われるものの(列車検査は同所のほか天美車庫・六田車庫でも行われる)、重要部検査・全般検査は五位堂検修車庫で行われることになっている。入場の際には橿原神宮前駅の東側にある台車振替場で標準軌用の輸送台車に交換され、電動貨車モト90形(モト97・98)に牽引されて八木西口駅から大阪線への短絡線を経由して五位堂検修車庫へ輸送されることになっている。台車振替場で外された当該車両の本台車は輸送時にモト97・98の荷台に積まれる。当線は府県境の上ノ太子駅 - 二上山駅間(穴虫峠)に33.3‰の連続勾配が存在するが、大阪線と異なり曲線を伴う勾配で通過速度が75km/h程度のため、勾配抑速ブレーキを使用するのは特急形車両のみで(その分通過速度が10km/h高い)、通勤形車両は(抑速ブレーキ付きの6422系以降も含め)通常のブレーキを用いて勾配を下る。名古屋線が狭軌だった頃は、南大阪線と名古屋線でも車両の転属がある程度行われていた。また同様に狭軌である養老線(今の養老鉄道)へ車両自体・または台車のみでも転用されたケースが多い。柏原駅 - 河内長野駅間(現在の道明寺線・長野線)を営業していた河南鉄道が、大阪鉄道と名を改め、自社路線で大阪に直通するべく建設した。河南鉄道創立当初は、柏原駅から関西本線へ乗り入れる計画であった。大阪天王寺駅(翌年に大阪阿部野橋駅と改称)まで開通し大阪進出を果たしたのは1923年のことである。次いで大和延長線を計画し、古市駅 - 久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間を1929年に全通させ、吉野鉄道線(後に大阪電気軌道吉野線となる)と直通運転を始めた。なお大阪電気軌道(大軌)は、1925年までに現在の近鉄大阪線・橿原線に当たる路線の大阪上本町駅 - 八木西口駅 - 橿原神宮前駅(旧駅、後に現在の橿原神宮前駅に統合されて廃止)間の路線を開業させており、大阪鉄道のこの路線とは競合することになった。それでも吉野鉄道を買収した大軌が、自社線となった吉野線と大阪鉄道線の直通運転を開始したのは、大軌本来の路線の軌間は1435mm、大軌吉野線と大阪鉄道のそれは1067mmと、吉野線が大軌本来の路線とは軌間が合わず、大阪鉄道線とは合っていたからだとされる。また大阪鉄道は、この大和延長線の建設が大きな負担となって経営難に陥り、久米寺駅開業の年には大軌の社長である金森又一郎が取締役に就任するなど、大軌の傘下に置かれることになった。その後1943年に、大阪鉄道は大軌を改めた関西急行鉄道(関急)に統合され、1944年には再編で近畿日本鉄道となった。阿部野橋ターミナルビル整備計画に伴い、大阪阿部野橋駅のホームが一部を除き約28m延伸されており、2009年3月20日に大阪阿部野橋駅西改札口が東側(ホーム側)に約35m移設され、同時に大阪阿部野橋駅からの営業キロの変更が行われた。2015年11月10日調査による主要駅の乗降者数は次の通り。
出典:wikipedia
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