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岡山電気軌道

岡山電気軌道株式会社(おかやまでんききどう、英称:Okayama Electric Tramway Co., Ltd.)は、岡山県岡山市内で2路線の路面電車と、岡山市内で路線バス・貸切バスを運営している企業。両備グループの中核会社の一つである。愛称は岡電(おかでん)。鉄道関係の書物などでは「岡山電軌」と略称している記述もあるが、地元ではこのような略称はほとんど使用されていない。本社は岡山県岡山市中区徳吉町二丁目8番22号。長崎電気軌道などとともに、明治時代創業の日本の鉄道会社の中で創業時から社名を一回も変更していない珍しい鉄道会社で2010年(平成22年)6月9日に創立100周年を迎えた(同年7月31日には親会社の両備ホールディングスが創立100周年を迎える)。戦前は岡山市周辺の乗合バス事業で西大寺鉄道(後の両備バス、現在の両備ホールディングス)とお互いの傘下のバス会社同士が競争していたが、1935年に岡電・西大寺鉄道両者傘下のバス会社が合併して岡山バスが発足したことで終結にむかい、戦後1960年に両備バス出身の社長を迎えて以来(役員としては1952年から)、資本的にも人的にも両備ホールディングスとの繋がりが深い。現在は両備ホールディングスが筆頭株主であり、また両備ホールディングスの筆頭株主でもあり、両備グループ代表で両備ホールディングス会長兼CEOの小嶋光信が社長を兼務し、両備グループの中核企業の一つとなっている。長年岡電バスが市内線、両備バスが郊外線および長距離バス・観光バスという棲み分けがなされてきた。岡山市街の拡大に合わせて路線は広がったが、両備が持つ西大寺・玉野などのような高収益路線がなく、経営状況は必ずしも良好ではなかった。1980年代には労使紛争も多発し、ストライキで市内交通が麻痺することもしばしば起きた。その後不採算路線の廃止などの合理化で経営状況が安定する一方、両備グループがグループ経営を強化し、よりグループ内での結びつきが強くなっている。これは、下津井電鉄とは比較的関係が良好であるが、中鉄バスとは対立することが多いなど岡山県内のバス会社同士の関係が必ずしも良好ではないことから両備としては味方を増やし発言力を強める意味合いもある。2003年4月に実施された中国ジェイアールバス両備線の運行移管時の協議のこじれが発端で、中鉄バスとの間に競合関係(岡山駅 - 中庄駅間の場合、同じ区間に両備バス・岡電・下津井電鉄の共同運行系統と中鉄単独系統の2系統が運行されている)が生じ、その後中鉄バスが運行していた岡山空港リムジンバスへの参入や、お互いの営業エリアに競合する新規路線を開設している。2005年2月中鉄バスと神姫バスの共同運行で運行している岡山 - 神戸間の高速バスに、岡山電気軌道の単独運行で高速バス路線を開設して同路線に参入するなど、さらに熾烈さを増していた。しかし、両備グループ2社(両備バス・岡山電気軌道)及び中鉄バスの3社が岡山県の公共交通システムを互いに協力することを目的として、2005年7月11日に両社社長の初回会談が行われ、2006年2月6日に調印式が行われる。その結果、2007年1月1日に岡山空港リムジンバスを中鉄バス・岡電バスの共同運行となり、1月4日に岡南飛行場線・岡山駅→天満屋バスセンター→松浜町→労災病院系統を岡電バスに、半田山ハイツ・津高台団地線・免許センター線を中鉄バスにそれぞれ一本化し、中鉄バスが運行する新保・万倍線と泉田・福富西三丁目線、労災病院→松浜町→天満屋バスセンター→岡山駅系統(普通便)については岡電バスへ運行を移管した。2008年2月1日には、岡山 - 神戸間の高速バスも両備グループ内の高速バス事業効率化のため、両備ホールディングス(両備バス)へ運行移管した。2008年7月22日からは、国道53号線で岡電バスと中鉄バスがそれぞれ運行する津高営業所線(岡電バス運行)、半田山ハイツ線・津高台団地線、国立病院線、運転免許センター線(いずれも中鉄バス運行)の4路線を両社の共同運行とし、国道180号線を運行する岡山駅 - 万成間を中鉄バスとの運行本数調整のために運行を休止した。軌道事業については路線長が短く、日本全国で最小規模とされる。岡山駅構内への延伸やライトレール化構想のあるJR吉備線への相互乗り入れ、岡山市役所方面や果ては岡山空港までの延伸など様々な構想が浮かんでいるが、いずれも資金面などで具体化していない。また2004年に鉄道事業廃止提出書を提出し、廃止が予定されていた南海電気鉄道の貴志川線の事業を引き継ぐことを2005年4月28日に発表し、子会社の和歌山電鐵が2006年4月1日に貴志川線の事業を南海電気鉄道から引き継いだ。他にも名古屋鉄道の岐阜地区600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)や日立電鉄、北海道ちほく高原鉄道の廃止後の受け皿として名前が浮上したが、これらは実現することなく廃線となっている(詳細は「事業撤退が表明された鉄道路線の運行支援」の節を参照)。スルッとKANSAI協議会に加盟していて、2006年10月1日から両備ホールディングス(両備バス)・下津井電鉄と同時に非接触ICカードシステム「Hareca」(ハレカ)を導入し、PiTaPa、ICOCAの利用も可能になったが、Harecaのみチャージ可能でPiTaPaとICOCAは運賃の支払いのみ利用可能であり、運賃収納機はICOCAやPiTaPaのチャージに対応しているがチャージはしてくれない(運賃表示器の下にチャージはHarecaのみ行う旨を記載した紙が貼られている)。なお、ICOCAで運賃を支払って利用明細(利用履歴)をJR西日本の駅で印字すると、利用駅欄の入場駅部分はバス等、出場駅部分にはバスに乗った場合には「岡電バ」、路面電車に乗った場合には「岡電軌」と表示される。全国ICカード相互利用が開始された2013年3月23日以降も、Hareca・PiTaPa・ICOCA以外のSuicaなどのICカードは使用できない。2012年6月現在9200形以外の車両には「石津式(もしくは岡電式、岡軌式)」と称される独自のパンタグラフが装備されている。空気圧やバネの力ではなく下部に組み込まれた錘の重力で架線に追従させるものである。高速走行での追従性に難があるが、構造が単純であるため保守しやすい特徴がある。また、中央分離帯上にある島式ホームの電停と日本では一般的な相対式ホームの電停の両方が存在し、電停により乗降車する扉の左右方向が異なるため、9200形をのぞきすべて前後2扉の車両になっている。また9200形も同様の理由により運転台寄りは左右両方に扉を設置している。車両には4桁の番号が付けられており、以下の法則に基づいている。例:9201一般路線は、岡山駅・天満屋バスステーションをターミナルとして、岡山駅近郊で、比較的短距離の路線を運行し、住宅地・団地・大学・病院への輸送に従事している。このほか、岡山駅と岡山空港とを結ぶ連絡バスも運行している。詳しくは、会社全体の概要項を参照のこと。※桑野営業所は、両備バスから移管。各路線の共通区間において、両備バスとの定期券共通乗車が可能となっている。また、火の見線、重井附属病院線、コンベックス岡山線、岡山駅 - 中庄駅線において、下津井電鉄との定期券共通乗車が、中鉄バスとの共同運行路線である半田山ハイツ・津高台団地線、国立病院線(スポーツセンター経由のみ)、運転免許センター線では中鉄バスとの定期券共通乗車が可能となっている。行先表示に付けられる系統番号が、系統ごとではなく行き先ごとになっている。そのため終点で折り返して同じルートを戻る場合に違う系統番号となる(一部例外あり)。以下で〈 〉囲みは廃止・休止された路線のもの。「NTT」は、NTT岡山前を、「岡山駅」は、岡山駅東口バスターミナルをあらわす。2014年12月にイオンモール岡山が開業してからは、イオンモール前のバス停を経由する便すべてのバスの経由地表示欄にイオンの表示が入るようになった。※読み方:岡南(こうなん) 大供(だいく) 撫川(なつかわ)全線でHareca・PiTaPa・ICOCA利用可能。方向幕の時代は、特急便は「赤」、急行便は「朱」、天満屋に入らない便は「緑」、市役所経由便は「青」と色分けされていた。中鉄バスとの共同運行路線以下(停留所名)は一部の便のみ停車。〈停留所名〉は循環運行する。詳細は#外部リンクの岡山電気軌道ホームページにて確認のこと。岡山市内中心部の岡山駅前・表町商店街・イオンモール岡山各間の回遊性を高め、中心市街地の活性化を図ることを狙って、2015年4月1日から運行を開始したが2016年7月18日に廃止となった。岡山駅西口 - 津高営業所妙でん寺前・岡山理大方面岡山駅 - 三野・妙善寺・岡山理大・津高営業所方面天満屋バスセンター - 半田山ハイツ・津高台団地・国立病院・免許センター方面岡山駅西口 - 高柳・花尻方面岡電高屋 - 岡山駅・岡南営業所・卸センター・健康づくり財団病院前方面岡山駅 → 西小学校前方面県庁前・天満屋バスセンター・岡山駅 - 平田・北長瀬駅前方面旧2号線方面(旧中国JRバス路線)岡山駅 - 県庁前・岡電高屋方面京山・岡山駅 - 後楽園・藤原団地方面岡山駅 - 築港元町・中央市場方面岡山駅 - 岡山ろうさい病院方面岡山駅 - 南ふれあいセンター・岡南飛行場方面岡山駅 - 大東方面岡山駅-日赤病院方面岡山駅 - 新保・万倍・泉田方面岡南営業所行き桑野営業所の移管に伴い、同営業所管理の路線および車両が岡電バスに移籍している。移籍車両の塗装は当初は両備バス時代のままで、正面と後ろタイヤ横の社名のみ「両備バス」から「岡電バス」に変更しているのみであったが、一部の車両はバンパーのみ岡電バスの塗装に変更されている。また、運賃箱も岡電バス仕様に交換している。社名ロゴは「RYOBI」のままである。いつ頃からかは不明だが、他営業所と同じ、昔からおなじみの車体デザインのバスも使用されるようになってきた。岡山駅 - 倉益南・桑野営業所・岡山ふれあいセンター・三蟠南・新岡山港方面天満屋 - 汗入・火の見・重井附属病院・コンベックス岡山方面同じ両備グループ内に三菱ふそうの岡山地区販売ディーラーの岡山三菱ふそう自動車販売があることから、バスは三菱ふそう製に統一されていたが、2005年4月に貸切用に日野自動車製大型観光バス(セレガR GJ)1台を導入した。同社が日野自動車製バスを導入したのは1979年に中型貸切用バスを導入して以来26年ぶり、大型バスとしては1974年に貸切用バスを導入して以来で、実に31年ぶりである。また、2006年12月には前述の新保・万倍線と泉田・福富西3丁目線の中鉄バスから岡電バスへの運行移管に伴い、中鉄バスから中型路線バス(レインボーRJ)4台が移籍した(現在は4台とも廃車)。三菱製大型車両の車体メーカー選定はかなり特徴的で、かつては隣県の広島交通と同様に西日本車体工業(西工)製ボディ(42MC→B-I型・53MC→B-II型・58MC)を標準とした。しかし、一般路線車については1990年代中頃から三菱純正のエアロスターM仕様ボディに切り替えており、ほどなく後継のニューエアロスター仕様となって、現在に続いている(西工製ボディのB-II型(96MC)・ワンステップバスも2台だけ導入されている)。一方、空港リムジン車両は両備バスからの移籍車をのぞいて西工製ボディ(C-I型・02MC)が標準であったが、2005年秋以降の三菱ふそうから西工への観光系シャーシの供給停止に伴い、2007年には三菱純正ボディの車両も導入され、2009年には尿素SCRシステム搭載の車両も導入された。乗合車両には3桁の番号、またはアルファベット1文字と2桁の番号が付けられており、以下の法則に基づいている。なお、貸切車両は番号ではなく漢字1文字を使用している。例:A05なお、三菱ふそう乗合の場合、番号が999まで達したため、その次は500となった。※2010年10月に両備バスから移管された桑野営業所の車両は、両備バス時代の車両番号をそのまま使用している。2011年6月以降、桑野営業所と岡南営業所の間で車両の移籍が度々行われているが、桑野 → 岡南へ移籍した車両は両備バス時代の車両番号から岡電の車両番号へ変更され、岡南 → 桑野へ移籍した車両は岡電の車両番号のまま移籍した。2003年3月に鉄道事業法が改正されて鉄道事業への参入・撤退・譲渡の規制が緩和されて以来、岡山電気軌道は、運行事業者が運営から撤退(廃止)することが表明された路線の運行支援に積極的に手を挙げている。以下のいずれも沿線自治体が施設を保有する上下分離方式による公設民営が検討された路線で、岡山電気軌道が直接運営するのではなく、別途運営会社を設立し、岡山電気軌道は経営・運行ノウハウの提供を行う形での支援を表明している。岡山市内の電気事業は1894年の岡山電燈を嚆矢とし、電気事業を独占していたが供給量が不足かつ高料金であるという問題があった。岡山電気軌道は会社設立後電燈電力供給事業の兼営を申請し、1913年11月兼営許可書が下付されると。1914年8月より営業を開始した。この事業は拡大し一時は電車運輸収入を上回るほどであった。しかし備作電気と岡山水力電気が設立されることになり、過当競争による値下げ合戦をしいられることになった。このため岡山電気軌道は電車事業が好調であったことから電燈電力供給事業を譲渡することに決定し1926年7月に中国合同電気に譲渡されることになった。

出典:wikipedia

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