津山線(つやません)は、岡山県岡山市北区の岡山駅から津山市の津山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。因美線とともに陰陽連絡線を構成し、岡山駅 - 鳥取駅間を結ぶ急行「砂丘」などの優等列車が運転されていたが、智頭急行智頭線の開業により同線経由の特急列車が運転されるようになると陰陽連絡線としての役割を失い、津山線は都市間連絡線として徹するようになった。全線を岡山支社が管轄しており、2016年3月26日よりラインカラーおよび路線記号が導入され、ラインカラーは山吹色()、路線記号はTである。なお以前は同支社管内で独自にピンク()がラインカラーとして設定されていた。岡山駅 - 法界院駅間はIC乗車カード「ICOCA」の岡山・広島エリアのうち、岡山・福山地区に含まれている。正式な起点は岡山駅だが、列車運行上は津山駅から岡山駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。これは、岡山駅で接続する山陽新幹線・山陽本線・宇野線・吉備線、津山駅で接続する姫新線に方向をあわせたためである。なお、津山線の創業企業体である中国鉄道が津山を中心に考えた「上り」「下り」の表記を、国有化の時にそのまま継承したという説がある。2015年6月20日現在、快速「ことぶき」と普通のみ運転されている。かつては津山駅から因美線・姫新線に直通し岡山駅 - 鳥取駅を結ぶ列車や、岡山駅 - 中国勝山駅を結ぶ列車もあったが、現在はすべて津山駅で運転系統が分かれている。2009年3月14日のダイヤ改正で急行「つやま」が廃止され、これにより津山線の優等列車はすべて廃止された。津山線ではこのほかに、岡山駅 - 鳥取駅間を結ぶ急行「砂丘」が、智頭急行線を経由する特急「いなば」(現在の「スーパーいなば」)が運転を開始する1997年まで運転されていた。岡山駅 - 津山駅間の全線を通して運転する列車が1時間あたり1本程度設定されているほか、福渡駅や金川駅発着も設定されている。平日・土曜日には野々口発岡山行きと通学輸送のための岡山駅 - 法界院駅間の区間列車が運転されている。後述の快速が通過する駅においては運転間隔が2時間前後開く場合がある。なお、臨時列車で津山駅から姫新線新見方面への延長運転が行われており、2006年3月には「勝山お雛まつり」の期間中、2009年3月13日まで設定されていた急行「つやま」が津山駅から快速として新見駅まで延長運転されていた。快速「ことぶき」は岡山駅 - 津山駅間で、日中はほぼ2時間間隔、下り8本・上り7本が運転されている。一般公募で津山線沿線に福渡駅・神目駅・亀甲駅・金川駅・誕生寺駅など縁起の良い駅名が多数あることから名付けられた。毎年夏には津山市で8月に開かれている「津山納涼ごんごまつり」をPRをする目的で快速「ことぶき」や姫新線の列車に河童のヘッドマークを取り付けて「ごんちゃん号」として走る。1997年11月29日のダイヤ改正で、岡山駅 - 鳥取駅間を智頭急行線経由で結ぶ特急「いなば」の新設に伴い、岡山駅 - 鳥取駅間を当線経由で結んでいた急行「砂丘」が廃止されたため、急行「つやま」1往復とともに運行を開始した。当初は急行列車の代替でもあったことから、座席指定席も設定されていた。しかし、津山線でみどりの窓口があるのは岡山駅・法界院駅・津山駅の3駅のみで、金川駅・福渡駅および簡易委託扱いの弓削駅・亀甲駅では停車駅でありながら座席指定券を購入できず、金川駅・無人化前の福渡駅では手書き補充券での発券となり、運用面で問題があった。しかも座席は自由席と変わらず、当初は座席近くの窓に「指定席」と書かれた藁半紙の紙片が貼られていただけだったが、その後対象外の列車が記述された正規のステッカーに更新された。あまりの扱いのひどさから「最低の指定席」と非難され、地元メディアや雑誌などでも話題にされたこともあった。このためか徐々に縮小され、2001年3月7日に指定席の設定が廃止されて全車自由席となっている。車両は、運行開始当初はエンジンを330PS仕様のものに換装した岡山電車区気動車センター(現在の岡山気動車区)所属の専用塗色のキハ47形2両編成による限定運用であった。その後、同センター所属のキハ47形のエンジンの大半が330PS仕様となった以後も、「ことぶき」は専用塗色車2両編成での運用が基本となっていたが、同区の車両の朱色5号単色への塗装変更により、現在はこういった運用はなくなっている。2005年から2007年の毎年3月には、姫新線の中国勝山駅前で行われる「勝山ひな祭り」の開催に合わせて、津山駅 - 中国勝山駅間で1往復が延長運転していた。また、2007年には4月1日から6月30日まで開催されていた「岡山デスティネーションキャンペーン」期間中にも延長運転が行われ、これが好評であったため、同年7月以降もしばらく土休日およびお盆休み期間中などに実施されていた。なお、津山線には国鉄時代の1970年代から1980年代にも、快速列車が設定されていた時期があったが後に各駅停車化されたため、その後は1988年に中国勝山発岡山行き快速が朝に設定されるまで(この快速は1997年の「ことぶき」登場時頃に廃止)、津山線に快速列車が運行されたことはなかった。津山線では山間部を走行するため、落石が多く発生しており警戒が行われている。2005年2月26日には玉柏駅 - 牧山駅間で落石が発生し、キハ40形1両で運転されていた回送列車が衝突する列車脱線事故が発生した(運転士1名が負傷)。同年3月14日に運転を再開したが、2006年11月19日には同一区間の別の箇所でも落石が発生し、変形した線路に津山発岡山行きが通過して脱線する列車脱線事故(津山線列車脱線事故)が発生した(乗客25名が負傷)。再び落石の可能性があることから、発生源の岩石などに処置を施すとともに、ワイヤーネット・落石防止柵および落石検知装置が設置されたが、同区間のほかの落石が発生する可能性がある場所にも落石検知装置が設置され、2007年3月18日に運転を再開した。2006年に起きた脱線事故の場所では、並行する県道に落石によって道路の陥没が脱線事故の約1時間前に発見されていた。県道は警察が現場を確認して通行止めにしていたが、JR西日本には伝わっておらず、落石などの災害時には、道路と鉄道が近接する区間では落石などによって災害が発生した場合は、道路管理者・鉄道事業者に対して必要に応じて速やかに情報を提供するよう通達が通知されている。なお、2005年に起きた脱線事故では、JR西日本が落石した斜面一部を所有する岡山市に対し、土地所有者には土砂の撤去と崩落防止の義務があるとして、復旧費用の一部である2,889万円の負担を求めた裁判が行われ、岡山地方裁判所は岡山市に2,611万円の支払いを命令した。岡山市はこの判決を不服として控訴をしていたが、岡山市がJR西日本に対して1,400万円を支払うことで和解が成立した。岡山気動車区所属のキハ40・47形とキハ120形300番台が使用されている。2016年3月現在は、キハ40・47形による運用が主力となっていて、1996年の当線の高速化工事(歴史節参照)完成直後に多く見られたキハ120形300番台による運用は2往復にまで減少している。津山線は、吉備線と同じく中国鉄道(現在の中鉄バス)が私設鉄道法で開業した私鉄が発祥で、大半が1944年6月1日に戦時買収で国有化された路線である。岡山県の県庁所在地である岡山と美作地方の中心都市の津山とは明治維新以降人や物の往来が増加していた。古くから両都市を結ぶ津山街道(現在の国道53号とほぼ同じルート)があったが、辛香峠などの難所があった。また、当時の岡山県の南北交通で主流であった舟運(高瀬舟)を使おうにも岡山は旭川水系、津山は吉井川水系であり、旭川を北上して福渡から津山街道に入るか落合までさらに北上し院庄から津山に入るなどの方法しかなく、人や物の往来に困難を来していた。このため最新の交通手段である鉄道の敷設が企画され、1896年4月30日に中国鉄道が設立された。同年に岡山 - 津山 - 勝山 - 根雨 - 米子の免許が下り、早くも7月には起工、1898年12月21日に「中国鉄道本線」として岡山市駅 - 津山駅(現在の津山口駅)までが開業した。津山駅以遠は建設を断念し免許は失効、のちに国により姫新線や伯備線として建設された。開業区間はほぼ津山街道に沿う形であるが、法界院駅 - 野々口駅間は難所の辛香峠を避け旭川沿いに建設されている。建設は国の技術によらなかったため、曲線やトンネルの断面などが独自の規格となっている。現在でも曲線半径が綺麗な数字になっていないのはこのためである。鉄道の開通により高瀬舟による旭川の舟運は主役の座から降りることとなり、金川や福渡といった鉄道の結節点から先の末端へのフィーダーに変化した。このため金川や福渡は大きく栄えることとなる。当初はタンク式の蒸気機関車が牽引する列車であったが、1930年以降は気動車が導入され、吉備線とあわせ国鉄制式車並の大型車総勢17両を揃え、手堅い設計で実用的に使いこなし全国的にも知られる存在であった(「買収気動車」を参照)。しかも一部は便所付き車両を導入するなど旅客サービス水準は高かった。しかし戦時買収で国有化され中国鉄道本線から津山線となった。戦後中国鉄道の気動車は地方私鉄に払い下げられ、設計の優秀さから長く使用されたが、当の津山線はC11形などが牽引する列車で運転された。その後国鉄でも気動車が次々と投入され、津山線に再び気動車が戻るようになり、旧岡山鉄道管理局管内では比較的早くに無煙化された。その後は国道53号の整備・それに伴う沿線地域のモータリーゼーション化の加速・沿線地域の過疎化もあって合理化され、交換設備が取り外されたり列車本数が削減されるなど徐々に利便性が悪化していた。このため、1996年に沿線自治体の資金負担や住民の募金によって高速化改造(交換設備の復活と一線スルー化)、キハ120形300番台の投入が行われ、所要時間の短縮や増発が行われた。なお、当線の高速化への取り組みはのちに鳥取県や島根県が山陰本線を高速化する際に参考としている。JR西日本直営駅は両端の駅(岡山駅と津山駅)のみ。中間駅のうち、法界院駅・金川駅の2駅はジェイアール西日本岡山メンテックによる業務委託駅、それら以外の中間駅は簡易委託駅または無人駅である。( )内は岡山駅起点の営業キロ。
出典:wikipedia
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