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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄領のことである。幕府領、幕領ともいう。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。幕末の慶応4年(1868年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。豊臣政権時代の徳川氏の蔵入地が基である。関ヶ原の戦い、大坂の役などでの没収地を加えて、17世紀末には約400万石となった。その年貢収入は幕府の財政基盤となった。大坂、長崎など重要な都市や、佐渡金山などの鉱山、湯の花から明礬を生産していた明礬温泉も天領とされた。佐渡、甲斐、飛騨、隠岐は一国まるごと天領となった。幕府直轄の各領地には代官処がつくられ、郡代や代官・遠国奉行が支配した。また預地として近隣の大名に支配を委託したものもあった。観光地として有名な高山市の高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・郡代役所である。1799年(寛政11年)には東蝦夷地(北海道太平洋岸および千島)が、1807年(文化4年)には和人地および西蝦夷地(北海道日本海岸や樺太(後に北蝦夷地として分立)およびオホーツク海岸)が天領とされたが、1821年(文政4年)には松前藩領に復した。1855年(安政2年)になると、和人地の一部と蝦夷地全土が松前藩領から再び天領とされているが、1859年(安政6年)の6藩分領以降に東北諸藩の領地となった地域もあった。江戸時代末期に老中首座となった水野忠邦は、天保の改革の一環として上知令(江戸城大坂城の十里四方を天領とする)を発令したため、天領の石高は増えたが、周辺に領地を持つ大名から大きく非難された。天保郷帳において日本の天保年間の総石高(内高)は琉球を含めて3055万8917石余と算出されているが、勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」によると、1842年(天保13年)の天領は総石高の14%に当たる420万石を占めた。また18世紀以降の天領の石高の変遷は以下の通りである。地方区分は現代のもの。人名は代官を務めた旗本。いずれも箱館奉行の「御預所」。戊辰戦争(箱館戦争)後の令制国および郡をカッコ内に記す。戊辰戦争(東北戦争)後の令制国をカッコ内に記す。

出典:wikipedia

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