加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2009年10月16日)は日本の音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト、歌手。「トノバン」または「トノヴァン」という愛称で呼ばれることもあるが、これはライブでドノヴァンの楽曲をカバーするなどしたことに由来する。1960年代後半にフォークグループザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)でデビュー。その後、ソロ活動に移行し、並行して1970年代初頭から中盤にかけてロックバンドサディスティック・ミカ・バンドを結成するなど、斬新なアイデアに満ちた創作活動で、1960年代後半から70年代の日本のミュージックシーンをリードした。1977年、作詞家の安井かずみと再婚。彼女が病に倒れる1990年代初頭まで「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」のコンビで、通称『ヨーロッパ三部作』などのソロ作品の他、数々の作品を他ミュージシャンに提供した。また、時代の先端を行くファッショナブルな二人のライフスタイルも世間の注目を集めた。さらに、1980年代から映画・舞台音楽、1990年代後半からはスーパー歌舞伎の音楽など、ポップミュージックの垣根を越えた様々なジャンルの音楽も幅広く手掛けていた。京都市伏見区生まれ。生後すぐに神奈川県鎌倉市に移り、鎌倉と逗子市で小学校4年まで育つ。その後1年間京都で、その後は高校卒業まで東京日本橋で育つ。加藤自身「江戸っ子なんです」と述べている。ボブ・ディランの「くよくよするなよ (Don't Think Twice, It's All Right)」 に影響を受けギターを始める。1965年 - 東京都立竹台高等学校卒業後、仏師だった祖父の後を継ぐ気持ち半分で京都市伏見区の実家に近い仏教系大学龍谷大学に入学。1967年 - アマチュアフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散記念に制作した自費製作アルバム(インディーズではない。)『ハレンチ(破廉恥)・ザ・フォーク・クルセダーズ』中のオリジナル曲「帰って来たヨッパライ」に対するリクエストがラジオ局に殺到し、プロデビューの話が持ち込まれる。加藤は難色を示したが、北山修による毎朝の説得を受け入れ、1年限りの約束でプロの世界に入った。1968年 - シングル2作目に予定していた「イムジン河」が発売中止にされた。1968年7月1日 - 「水虫の唄」(作詞・作曲:山田進一、補作詞:足柄金太、補作曲:河田藤作) をアルバム『紀元弐阡年』の先行シングルとして発売した。彼らは曲に合わせていろいろな名前を使い分け、このシングルは「ザ・ズートルビー」という名前で発表した。1968年10月17日 - フォーク・クルセダーズ解散。1969年 - ソロ活動を開始。愛称「トノバン」に現されるように、ドノヴァンの影響を色濃く漂わせた楽曲も垣間見える(初期のソロ活動では、イベントで当時より20年近く日本で未発売だったドノヴァンのアルバム『H.M.S. Donovan』中の曲をカヴァーしたりもしていた)。この時期、頻繁にロンドンと東京とを行き来した。この頃、吉田克幸と知り合う。1970年7月 - 福井ミカと結婚。1971年4月5日 - 「あの素晴しい愛をもう一度」を、作詞・ボーカル(デュエット)を担当した北山修との連名で発売した。1971年11月 - 加藤ミカをボーカルにしたサディスティック・ミカ・バンドを結成。そのサウンドは、ロンドンポップ、グラム・ロック、レゲエから、今でいう「ワールド・ミュージック」、琉球音階の導入など、実験精神に溢れたもので、加藤の先取の気質がよく顕われている。1974年 - クリス・トーマスのプロデュースによるミカ・バンドのセカンド・アルバム『黒船』を発表。その後、ロキシー・ミュージックのオープニング・アクトとしてイギリスツアーを敢行する。1975年 - 福井ミカと離婚。それによりミカ・バンドは解散する。1977年 - 安井かずみと再婚。1994年に死別するまで、安井との作詞作曲コンビで数多くの作品を発表した。1980年代 - ソロ・アルバム『あの頃、マリー・ローランサン』などを発表。1985年6月15日 - 国立競技場で5万人の観客を集めて開催された国際青年年(IYY)記念イベント"ALL TOGETHER NOW"に参加し、サディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカルは松任谷由実)を再結成させる。1989年 - サディスティック・ミカ・バンド再結成。新ヴォーカリストに桐島かれんを迎え、のちに解散コンサートを行った。1980年代後半から舞台音楽も手がけ、「歌舞伎史上初めて洋楽オーケストラを歌舞伎に取り入れた」と市川猿翁 (2代目)に言わしめた。この縁から、後の「ザ・フォーク・クルセダーズ新結成解散コンサート」は市川猿之助と共に歌舞伎の口上で幕を開けることになった。1995年 - 中丸三千絵と再々婚する。2000年に離婚。1996年 - フジテレビ系『ポンキッキーズ』挿入歌として西田ひかるとのデュエット曲「メロディー」を発表。2002年 - ザ・フォーク・クルセイダーズ新結成。2005年 - PlayStation 2用ゲームソフト『天外魔境III NAMIDA』の音楽を担当。指揮に佐渡裕、演奏に新日本フィルハーモニー交響楽団、歌手にサラ・ブライトマンを起用した。2006年 - サディスティック・ミカ・バンド再結成。ヴォーカルに木村カエラを迎え、2枚のアルバムをリリースしライブを行った。2007年 - 坂崎幸之助とのユニット「和幸(かずこう)」を結成。2007年・2009年にアルバムリリース、ライブを行った。2008年3月 - 加藤を中心に小原礼、屋敷豪太、土屋昌巳が集まり、「男4人じゃムサい」とANZAをボーカルに起用、VITAMIN-Q featuring ANZAを結成した。バンド名はエレクトリックギター/ベースのパーツとして使われるオイルコンデンサーの名前から取られている。同年12月、『VITAMIN-Q』発表。2009年10月2日 - 東京国際フォーラムでの松任谷由実のライブにゲストとして登場。これが公の場では最後の活動であった。2009年10月17日 - 長野県軽井沢町のホテルで遺体となって発見された。死因は首吊りによる自殺と見られている。享年63(満62歳没)。2009年12月10日 - 北山修・坂崎幸之助主催で「加藤和彦さんを偲ぶ会 KKミーティング」が行われる。生前の関係者が多数参加し、500名程が参加した。2012年3月 - NHK「ハイビジョン特集」にて安井の闘病生活を題材にした単発ドラマ「優雅な生活が最高の復讐である」が放映される。安井役を麻生祐未、加藤役を袴田吉彦が演じた。 その他その他・・・・その他、作曲のみに限定して約3000曲
出典:wikipedia
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