七つの大罪(ななつのだいざい、、)は、キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語。ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」だが、「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源(ななつのざいげん)と訳している。七つの大罪は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。キリスト教の正典の中で七つの大罪について直接に言及されてはいない。八つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」である。6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられる。その後「虚飾」と「傲慢」、「怠惰」と「憂鬱」は一つの大罪となり、「妬み」が追加され、そして今の七つの大罪、「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」となった。13世紀のトマス・アクィナスも、その著作の中で、キリスト教徒の七つの枢要徳と対比する形で七つの「枢要罪」をあげている。現代の『カトリック教会のカテキズム』では、「七つの罪源」について、ヨハネス・カッシアヌスやグレゴリウス1世以来伝統的に罪の源とみなされてきたものとして言及されている。それは以下の七つである。七つの掲載順は、『カトリック教会のカテキズム』のラテン語規範版と日本語版(2002年)で一部異なるが、ここではラテン語規範版および『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』日本語版(2010年)に書かれている順番による。また『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』日本語版(2010年)では訳語が異なるものがあるが、ここではそれを()内に付記する。中世のキリスト教の世界観が最もよく表されているダンテ・アリギエーリの叙事詩、『神曲』煉獄篇においても、煉獄山の七つの冠において、死者がこの罪を清めることになっている(煉獄篇を参照)。1589年、ドイツのペーター・ビンスフェルト()は、罪と悪魔の関係を記した著作を著したが、その中で、七つの大罪も特定の悪魔との関連付けている。このような七つの大罪と悪魔との関連づけは、キリスト教の本質的な部分と無関係だが、通俗的なグリモワールにおいて引用されることとなった。七つの大罪と悪魔の関連を最初に表現したのは、16世紀の版画家ハンス・ブルクマイアーである。これには、悪魔がそれぞれ自分の名の記されたリボンを手にしている姿が描かれていた。また、中世には悪魔でなく動物の姿で表しているものも見られる。プルデンティウス(348‐405以後)の「プシュコマキア」によれば、七つの大罪は、それぞれ次の美徳に対応しているという。暴食⇔節制、色欲⇔純潔、強欲⇔救恤、憤怒⇔慈悲、怠惰⇔勤勉、嫉妬⇔忍耐、傲慢⇔謙譲。2008年3月、ローマ教皇庁は新たな七つの大罪を発表した。それは、遺伝子改造・人体実験・環境汚染・社会的不公正・貧困・過度な裕福さ・麻薬中毒である。遺伝子改造などは、胚性幹細胞への牽制とみられる。マハトマ・ガンディーは1925年10月22日に雑誌『Young India』()にて、「七つの社会的罪」(Seven Social Sins)として次の七つを指摘した。「七つの社会的罪」はインドのラージ・ガートにあるガンディーの慰霊碑の外壁にも刻まれている。
出典:wikipedia
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