『セブン』(, 劇中の表記は")は、猟奇殺人を描いた1995年のアメリカ映画。監督はデヴィッド・フィンチャー。キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、その事件を追う刑事たちの姿を描いたサイコ・サスペンス。先鋭的な映像センスと、ノイズを活用した音響により、シリアスかつダークな独特の世界観を描いている。4週連続で全米興行成績1位に輝いた大ヒット映画であり、IMDBでは『第三の男』、『シャイニング』を上回る評価を得ている。雨の降り続く、とある大都会。退職まであと1週間と迫ったベテラン刑事サマセットと、血気盛んな新人刑事ミルズは、ある死体発見現場に急行した。死体は信じられないほど肥満の男であり、彼は食べ物の中に顔を埋めて死んでいた。死因は食物の大量摂取とその状態で腹部を殴打されたことによる内臓破裂。状況から、何者かによって手足を拘束され、銃で脅されながら食事を強制されていたことが判明し、殺人事件と断定される。サマセットは死体の胃の中から発見されたプラスチックの破片から、現場の冷蔵庫の裏に、犯人が脂で書いたと思われる「GLUTTONY(暴食)」の文字と、事件の始まりを示唆するメモを発見する。次の被害者は強欲な弁護士のグールドであり、彼は高級オフィスビルの自室で血まみれになって殺されていた。死体はちょうど贅肉の部分を1ポンド分切り落とされており、状況から犯人は2日かけて、被害者にどこの肉を切るか選ばせていたと推定された。現場には被害者の血で「GREED(強欲)」の文字が残されており、サマセットは、犯人が「七つの大罪」をモチーフにして殺人を続けていると判断する。その後の捜査で、壁に指紋で書かれた「HELP ME」の文字が発見され、その指紋から前科者の通称ヴィクターが浮かび上がる。警察がヴィクターの部屋に踏み込むと、彼は左手首を切られ、舌を噛み切った状態で、ベッドに縛りつけられて廃人となっていた。壁には「SLOTH(怠惰)」の文字が書かれていた。部屋には警察が踏み込んだ日の1年前からヴィクターが衰弱していく模様を写した写真が残されており、犯人は計算した上でヴィクターを拘束した1年後にヴィクターの部屋に踏み込ませたのだった。手がかりを失ったサマセットは知人のFBI関係者と裏取引し、図書館の貸し出し記録を違法に入手する。その記録から「七つの大罪」に関する書物を借りていた明らかに偽名と分かる“ジョン・ドウ”という男を容疑者として割り出す。サマセットとミルズはジョンのアパートを訪ねるが、偶然、帰宅してきた彼と鉢合わせする。ジョンは2人に発砲すると逃走をはかり、ミルズは後を追うが、隠れていたジョンに顔を殴られ、頭に銃口を突きつけられる。しかし、何故かジョンは撃たず、逃走する。警察がジョンの部屋の捜査を始めると、これまでの被害者の写真が発見され、彼が一連の事件の犯人と断定される。さらには、ヴィクターの自宅を捜査していた時に撮られたミルズの写真も発見される。ジョンは大胆にも報道カメラマンを装って警察の前に現れていたのだった。そこへ、ジョンから電話があり、彼は警察への称賛と計画変更を挑戦的に告げる。ほどなくして、ある娼婦が、4番目「LUST(肉欲)」として殺害される。続けざまに美人モデルが5番目「PRIDE(高慢)」の死体として発見され、彼女は自慢の顔面を切り裂かれたことで、警察・病院へ通報することなく、自らの命を絶っていた。「ENVY(嫉妬)」「WRATH(憤怒)」が残る中、サマセットらが勤める警察署に血塗れの服を着たジョンが自首してくる。ジョンは取り調べを受けるが、彼の本名、経歴、目的は一切不明。ジョンは弁護士を通じてミルズとサマセットの2人を指名し、彼らに残る2つの死体の隠し場所を教えるという。ジョンは2人を伴って、ある荒野に連れて行かせる。3人が待っていると、宅配便がやってきて1つの小さな箱を置いていく。サマセットが調べると、箱の中にはミルズの妻・トレイシーの生首が入っていた。ジョンはミルズに箱の中身を教え、自分は彼を羨んでトレイシーを殺したと明かした。逆上したミルズはサマセットの制止を無視してジョンを射殺する。6番目の「ENVY(嫉妬)」はジョン自身、7番目の「WRATH(憤怒)」はミルズのことだったのだ。ジョンの目論みは成功し、彼の正体も動機も不明のまま事件は終結した。※Blu-rayにはソフト版、テレビ版の計4種類の日本語吹替を全て収録フィンチャーは「フリードキンがエクソシストの後に作ったかもしれない種類の映画」としてセブンを製作した。彼は映画撮影技師のダリウス・コンジと仕事をし、「肩越しに後部座席から徐々に見えるようカメラを動かす」というような(全米警察24時 コップスの影響を受けた)単純な撮影技法を採用した。銀残しという現像の手法を使い、コントラストの強い映像となっている。特に捜査官が用いるゴム手袋、図書館のライト、街頭で配られるクーポン券など、淡いグリーンの配色に執着している。フィンチャーが示したかったように、騒々しい住人や常に降り続くように見える雨、込み合った都市の通りは本作の不可欠な要因である。「汚い、暴力、倫理の欠如といった、憂鬱にさせる表現。視覚的に、そして文体的に私たちはこの世界を描写したかった。できるだけ本物で、かつ生きるためには必要とされるものすべてを」。この目的のために、陰気で、しばしば不気味な世界を作るようデザイナーのアーサー・マックスは注文された。「私たちは、都市の中の人々のモラルの腐食を反映させるためセッティングした」とマックスは述べている。欧米で「ブリーチ・バイパス」と呼ばれる銀残しを多用した本作の映像について、同様の現像処理は日本で実用化され、色彩を制御する研究の一環として撮影監督のヴィットリオ・ストラーロがテクニカラー現像所とともに試行錯誤を繰り返して来たこと、また銀残し処理が行われた本作の上映プリントが100本のみの配給と限られていたという事実があるにも関わらず、手法として殆ど忘れ去られていた銀残しの大流行とさらなる技術進化を促し、デジタル撮影機器でも同様の画質をより簡便に得られるような機能が付される現状に至っている。フィンチャーは銀残しを含め反映される画質が意図により近くなるようレーザーディスク・DVD・ブルーレイディスクといった先進メディアによるビデオソフトリリースの度に時間を掛けてフィルムスキャンやリマスター作業を繰り返した。リマスターされたDVDではオリジナルのネガフィルムからHDスキャンされた。そのため、上映用フィルムやマスター・ポジなど複製を繰り返したものよりもシャープで鮮明な画質を得ている。ポジ現像前のネガフィルムからのスキャンなので、製作時にこだわったブリーチ・バイパスの色調整は1からやり直しになり、コンピューター処理によって当時のフィルムを参照しながら色調整するという手段が取られている。さらにスーパー35で撮影されていたため、画面を上下に微調整でき、上映時に切れてしまった被写体の調整なども行っている。脚本のほとんどはアンドリュー・ケビン・ウォーカーがニューヨークにいた期間に彼によって書かれている。「ニューヨークで過ごした過去は嫌いだったが、もしそのことがなければ、私はおそらくセブンを書いていなかっただろうことは事実です」。サマセットは俳優のウィリアム・ハートがモデルで、名前はウォーカーが好きな著者であるサマセット・モームにちなんで命名されている。フィンチャーは、酷評された『エイリアン3』の後、1年半にわたって脚本を読まなかった。彼は「新たに映画を撮るくらいなら、大腸癌で死んだ方がマシだ」と述べている。しかし、脚本を読んだフィンチャーは監督になることを承諾した。フィンチャーはウォーカーの許可を得て一部の脚本を書き直した。企画段階では、アル・パチーノがサマセット役として検討されたが、『訣別の街』に出演するため流れた。一時はジェレマイア・チェチックの名も挙がっていた。同時期にブラッド・ピットには、『アポロ13』への出演オファーがあったが、こちらの作品の出演を選んだ。本編の途中でブラッド・ピットは左腕を怪我しているが、実際に腕を骨折している。スタントシーンをスタントマンを用いずに、本人が行ったためである。撮影前のオーディション(すでにミルズ、サマセット役は決定済)の際、後に警部役となるR・リー・アーメイがジョン・ドゥ役を演じて観せたが、監督やピット、フリーマンは「なんというか、容赦が無さ過ぎる」とコメント、結局正キャストとしてケヴィン・スペイシーがジョン・ドゥ役を引き受けるという経緯があった(DVDコメンタリー)。ケヴィン・スペイシーは「映画が公開されるまで自分が出演していることは絶対に宣伝しないでくれ」と言い、観客のサプライズを狙っていたが、宣伝の際に映画会社のクリエイターがうっかりケヴィンの名前を書いてしまい、激怒したという逸話がある。ケヴィンの名前はオープニング・クレジットには入っておらず、代わりにエンド・クレジットで最初に名前が表示される。監督は「主役2人とグウィネス、その次くらいが犯人だろうと予想されるのを防ぎたかった」と述べている。撮影はロサンゼルス(カルフォルニア州)で行われた。オープニングクレジットで流れる音楽は、ナインインチネイルズの「クローサー」のリミックスヴァージョンである。エンディングに使われた曲「ハーツ・フィルシー・レッスン」は、デヴィッド・ボウイによるもの。アルバム『アウトサイド』に収録されている。プロデュースはボウイ70年代の3部作を手がけたブライアン・イーノ。本作は1995年9月22日に2411の映画館で公開され、初週で1390万ドル売り上げた。最終的に北米で1億10万ドル、それ以外の地域で2億2710万ドル、世界合計で3億2730万ドルの総収益を上げた。この総収益は1995年における7番目に高い記録である。本作は批評家達から高い評価を受け、「Rotten Tomatoes」でも2012年現在でも80%の肯定的評価を受けている。「本作のとっておきの切り札(ace in the hole)は、若く頑固な新人刑事と、老練なベテラン刑事を演じたピットとフリーマンである。だからといって、その差異が素晴らしい、現実味があるというわけではない。彼らの卓越した演技によって、未完成のキャラクターが完全なものになっている」と、ゲイリー・アーノルド(ワシントン・タイムズ)はキャストを称賛している。シーラ・ジョンストンは、インデペンデント紙上の彼女のコーナーでフリーマンの演技を称賛した。彼女は「映画は、犯人逮捕を諦めない疲れきった引退間近の男を演じきったフリーマンの演技を完全にものにしている」と述べている。『』のレビューでJohn Wrathallは「セブンはGeorge Sluizer の『ザ・バニシング 消失』(1988年の映画版)以来最も恐ろしい結末の作品であり、連続殺人鬼との攻防を扱った作品としては『刑事グラハム/凍りついた欲望』以来だ」と書いている。カイル・クーパーが担当したオープニング・クレジットは公開当時、映画本編と同様に大変な評判となり、日本のテレビドラマやバラエティ番組のオープニング・クレジットに数多く模倣された。
出典:wikipedia
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