つくば市(つくばし)は、茨城県南部に位置する市である。学術・研究都市としての筑波研究学園都市はつくば市全域を区域とする。特例市、業務核都市、国際会議観光都市に指定されている。農村が広がっていた地域であったが、1960年代から筑波研究学園都市として開発が進み、現在は日本国内最大の学術都市となっている。国や茨城県の政策により、1987年(昭和62年)に筑波郡谷田部町・大穂町・豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併し、つくば市が誕生した。さらに 1988年(昭和63年)に筑波郡筑波町、2002年(平成14年)に稲敷郡茎崎町を編入し、現在の市域になった。そのため、行政上の地区名として旧町村域に対応する谷田部、大穂、豊里、桜、筑波、茎崎が使用されている。市の北端に日本百名山の筑波山を擁していることや多数の研究機関が立地していることもあり、茨城県での主要な観光地になっている。また、2005年(平成17年)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開業し、市中心部より最短45分で東京都心と結ばれている。つくば市は、東京都心から約50km、成田国際空港から約40kmに位置する。市を代表する観光地である筑波山は、市北部に位置する。筑波山周辺を除き、関東平野の一部であり筑波・稲敷台地と呼ばれる標高20~30mの平坦な地形であり、関東ローム層に覆われている。また、つくば市の9月の標高は4月の標高より2cm低くなるが、市内にある国土地理院の研究によると、5月から8月に田植え用の大量の地下水をくみ上げるためである。平野部である市内長峰(高層気象台)にある観測点(つくば(館野))における観測によると、年平均気温は13.5℃、年間降水量は1235.6mmである(1971年から2000年の平年値)。太平洋側気候に属するが、内陸性で年間の寒暖の差、一日の内の気温差が大きい。冬は、1月から2月には最低気温が-5℃から-8℃くらいまで下がることもあり、1952年2月5日には、最低気温-17.0℃を観測している。また、当市を含む地方の季節風は「筑波颪」(つくばおろし)との異名があるが当市の地勢とはあまり関係がない。降雪は比較的少なく、20cmを超える積雪の年は1971年以降わずか4回であり、観測史上最深積雪は27cmで1936年2月5日まで遡る。一方、夏は蒸し暑く、猛暑日になることもある。1996年8月15日には最高気温37.8℃を観測した。また、山間部でも標高がそれほど高くないため平野部とは数℃程度の差であり、市内最高峰の筑波山(女体山)でもわずか877mなので避暑にはならない。市のシンボル的存在である筑波山にちなんだ名称である。(「筑波」・「つくば」の語源については、「筑波山#山名の由来」を参照。)市名の命名者は当時の茨城県知事・竹内藤男で、茨城県初のひらがな市名であった。竹内は漢字表記の「筑波市」にすると筑前国・筑後国のように「筑」を「ちく」と誤読される恐れがあることや、ひらがなの方がシンプルで現代的であるとして「つくば市」を推し、合併する予定の4町村(筑波郡谷田部町・大穂町・豊里町・新治郡桜村)にもその意向が伝えられていた。1987年(昭和62年)10月26日に土浦市で開かれた第1回合併協議会の2番目の議題として市名が討議され、「つくば学園市」や「新つくば市」などの候補も出されたが、結局「つくば市」で決着した。市内には国や大手企業の研究拠点が多数存在し、約300に及ぶ研究機関・企業と20,185人の研究者を擁し、このうち日本人の博士号取得者は7,215人に達する。外国からの研究者や留学生が多く、外国人登録者数は133カ国7,565人に及び、総人口の約3.5%を占める。研究者や大学生が数多く住んでいるため、転勤や入学・卒業に伴って毎年3月末の人口が大きく減少し、4月に元に戻る現象が発生する。2010年(平成22年)現在の人口は約21万人である。特例市としては人口増加率が1.3%で全国一である。平均寿命は男性79.2歳、女性86.2歳である。市の中央部に位置する「センター地区」と呼ばれる地区(現在のつくば駅周辺)は、筑波研究学園都市建設の一環で1980年代につくばセンタービルを核として計画造成された市街地で同都市の中心をなし、事実上の本市の中心地でもある。碁盤の目のような格子状の道路網の中につくばクレオスクエアを始めとするショッピングセンター、つくば国際会議場などの公共施設やライトオン、筑波銀行など民間企業の業務拠点が集積している。また、地中には総延長約7.4kmの共同溝が埋め込まれ、上水道管、地域冷暖房配管、廃棄物運搬用真空集塵管、電力線、電話線、ケーブルテレビ(ACCS)線などが収容され、これらの工事の際に道路を掘り返す必要がないように配慮されている。合併により誕生した市であり、合併前の旧町村の中心をなしていた谷田部、北条などの各既成市街地はいずれも本市の中心にはならなかった。一方、市役所庁舎は長らく旧町村ごとの分散庁舎体制を取りつつもその代表的な庁舎は谷田部に置かれていたが、2010年、研究学園地区(研究学園駅周辺)の現庁舎に集約移転した。1987年(昭和62年)11月30日に筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併し、人口約11万人のつくば市が誕生。むつ市、いわき市、えびの市に次ぐ日本で4番目のひらがな表記の市となった。また、合併当時、桜村は人口4万人超で、単独市制は不可能であったものの、日本で一番人口の多い村であり、4町村中人口が最も多かった。市外局番も「0298」に統一した。つくば市には、つくば市役所及び6つの窓口センターがある。詳しくはつくば市役所を参照。つくば市は、「産業支援事業」「誘客・定住促進のための情報発信PR事業」を柱とする事業を行うため、つくばエクスプレス沿線である秋葉原に、「つくば市東京事務所」を設置している。2008年(平成20年)年度決算の時点で、財政基盤の強弱を示す財政力指数は1.12、財政構造の弾力性を示す経常収支比率は89.4%、将来財政を圧迫する可能性の度合いを示す指標である将来負担比率は100.4%、財政の柔軟性を示す実質公債費比率は13.6%である。人口増加などにより財政力指数が高めである一方、将来負担比率や実質公債費比率が茨城県内市町村平均を上回るなど、大規模事業の推進による財政負担も大きくなっている。2005年(平成17年)の国勢調査において人口が20万人を突破したことから、特例市移行を検討。2006年(平成18年)6月の定例市議会において指定申出議案を可決、同年12月に閣議決定し、2007年(平成19年)4月1日に特例市に移行した。関東地方では13番目、県内では2番目の特例市である。2011年(平成23年)3月25日につくばモビリティロボット実験特区の認定を受け、日本で初めて搭乗型モビリティロボットの公道実験が可能になった。つくば市の就業者のうち、第一次産業従事者は3,133人、第二次産業従事者は17,268人、第三次産業従事者は69,190人である。研究学園地区以外では農業も行われており、特に筑波山麓で収穫される「北条米」は昭和初期に皇室への献上米になるなど高級米として知られる。また、畑面積の約3分の1を占める芝は日本一の作付面積(2,245ha)を誇る。近年では、摘み取り園式のブルーベリー栽培が行われるなど、新しい形の農業にも取り組んでいる。つくば市及び東京都小平市・山梨県北杜市が「日本三大ブルーベリー」の地とされる。また、日本で唯一搾菜の栽培が行われ、有名中華料理店などに出荷されたり、たまり漬として加工されている。つくば市では、JAつくば市とJAつくば市谷田部の2つの農業協同組合が事業を展開する。つくばエクスプレスの開通に伴い、都内や近県からの筑波山への観光客が増加している。また、市内にはパン屋が多く、2004年(平成16年)より「パンの街つくば」として振興を図っている。国立私立つくば市立中学校卒業生のうち、市内の県立高校へ進学する割合は例年3割程度である。市内に所在した県立上郷高等学校は、2009年度以降の新入生募集を停止。2011年に2011年(平成23年)3月31日に、県立石下高等学校(常総市)と統合し、県立石下紫峰高等学校(旧石下高校の敷地)となった。また、県立並木高等学校は中等教育学校への移行に伴い、2011年度より生徒募集を停止し、2013年3月に閉校した。つくば市は2012年(平成24年)4月より、市内全小中学校で小中一貫教育を開始。1中学校の学区と、学区内の小学校を1つの「学園」と定めた。小野川小学校を除いたつくば市立小学校は、小学校の学区が複数の中学校の学区に跨ることなく定められている。閉校した小学校私立かつては筑波鉄道筑波線が旧筑波町を走っていたが、1987年(昭和62年)3月31日に廃止された。現在、跡地はサイクリングロード(茨城県道501号桜川土浦自転車道線・愛称つくばりんりんロード)となっている。また、1970年代 - 1990年代にかけての学園都市の建設に伴い東京都などから転居者が増加し、2005年(平成17年)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開通。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス沿線では、「つくばスタイル」の名の元で沿線開発が行われている。JTB時刻表による市の代表駅はつくば駅であるが、市役所の最寄り駅は研究学園駅である。関東鉄道・関鉄パープルバス・ジェイアールバス関東によりつくばエクスプレス、JR常磐線、関東鉄道常総線の各駅を結ぶ路線があるほか、筑波山登山に便利な「筑波山シャトル」や市内の研究施設を巡る「つくばサイエンスツアーバス」といった観光路線も運行されている。また、市が企画し関東鉄道が運行するコミュニティバス「つくバス」が交通不便地域をカバーしている。主なバスターミナルはつくば駅に隣接するつくばセンターや筑波山の麓の筑波山口などである。ところで、市内には長い名前のバス停留所がいくつか存在する。これは、停留所名に最寄りの研究機関の名称を漏らさず盛り込んだり、研究機関の名前自体が長いためである。例として「産総研つくば東事業所つくば研究支援センター入口」(24文字)や「筑波大学春日エリア・筑波学院大学」(16文字)がある。自転車歩行者専用道路であるペデストリアンデッキ(略称:遊歩道、ペデ)が設置されている。赤塚公園からつくばセンターを経て筑波大学に南北につながる「つくば公園通り」約5kmと、センター地区及びその周辺における約43kmがある。つくば市は、北部の筑波山麓を除いて大部分が平野であり、1980年代ごろまでに学園都市として幹線道路整備が行われた。「日本の道100選」にも選ばれた学園東大通りを初めとして、計画的に整備された大通りが複数存在する。広範囲に分散する研究所の移動手段や通勤手段に自動車が使われることが多く、人口に対して交通量が多くなっている。2010年(平成22年)現在、1世帯あたりの自動車保有台数は1.7台である。市では「自転車のまちつくば」と位置づけて、市民の積極的な自転車利用を呼びかけている。市内中心部においては、土浦学園線および学園東大通り・学園西大通り・学園南大通り・学園北大通りの各大通りが道路網の中核を成す。それぞれ4~6車線が確保されているが、交通量の増加、つくばエクスプレスの開通に伴い中心部では近年渋滞が目立ち始めている。このため「つくバス」の導入や駐車場の立体化に取り組んでいる。国道354号は2車線であるが、大規模ショッピングモール等が出店した影響で、市内有数の渋滞箇所となっている。高速道路は、常磐自動車道が市の南部から東部へ走っており、谷田部IC・桜土浦ICの2つのインターチェンジが存在する。市内では首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の建設が進められており、常磐道東側につくば牛久ICが開通し、2010年(平成22年)4月24日にはつくば中央ICまでの区間が供用された。国際科学技術博覧会の計画策定以前の1972(昭和47)年頃から、筑波研究学園都市と常磐線を結ぶ新交通システムが検討されていた(日本モノレール協会誌「モノレール」1979(昭和54)年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」には、「荒川沖駅~高エネルギー」と「土浦駅~バスセンター」の2系統が掲載されている。)。1978(昭和53)年度予算要求において、交通需要の比較的多いと思われる筑波大学の北側から花室地区を通り土浦駅に至る14.6キロメートルのL字型部分について予算要求を行い、筑波大学附属病院から花室バスセンターに至る1.5キロメートルの区間が事業採択された(建設省の予算がついた)。しかしながら、その後検討を進めるなかで採算性に問題があることが判明し、事業中止された。なお、土浦ニューウェイ及びつくば花室トンネルは、新交通システムとしての事業中止後に道路として建設されたものであるが、将来的に交通量が増加した際に新交通システム(神戸のポートライナー、横浜のシーサイドラインの計画を参考に4両編成を想定)に転用しうるよう設計されている。つくば市は県内第二の観光都市である。2007年度は約380万3000人が訪れた。特に近年はつくばエクスプレスの開通により、東京からのアクセスが向上したため、観光客数は増加している。つくば市は、市役所内にフィルムコミッション室(つくばフィルムコミッション)を設けて、テレビや映画の撮影誘致活動を行っている。つくば市のロケ地としての利点は、東京都心から比較的近距離であること、研究所などにデザイン的に優れた前衛的な建物があること、学術・研究都市として計画的に整備された理路整然とした街並があること、手付かずの自然があることをあげることができる。スーパー戦隊・仮面ライダーシリーズ等の特撮番組のロケ地としても有名である。また、つくば市を舞台とした作品も存在する。
出典:wikipedia
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