伊集院 光(いじゅういん ひかる、1967年11月7日 - )は、日本のお笑いタレント、ラジオパーソナリティ、元落語家。本名・篠岡 建(しのおか けん)、旧姓・田中(たなか)。男性。東京都荒川区西尾久出身。文京区在住。星企画(5代目三遊亭圓楽一門が所属していた芸能事務所)、フリーを経て、ホリプロ所属。身長183cm。体重125kg(前後5kgぐらいは常に変動している)。東京都立足立新田高等学校中退。妻は元アイドル・篠岡美佳。大柄な体型の「デブタレント」だが、体格を活かした仕事は「銭形金太郎」を最後に大きく減らしている。雑学に長け、クイズ番組ではその培われた知識や「ひらめきの天才」と呼ばれる推理力で上位の成績をおさめることが多い。教養系バラエティ番組では聞き手として起用される。テレビ出演とは別に「ライフワークはラジオである」と思っていて、TBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』に力を注ぐ。ラジオでは毒舌と下劣ギャグ・珍言妄言・自虐ギャグなど、テレビとは違う一面をみせる。しばしばテレビにおける人当たりの良いキャラクターを「白伊集院」、ラジオでのキャラクターを「黒伊集院」とファンに例えられることがあるが、本人によれば「テレビとラジオでは喋る対象を変えてるので聴いてる人からはそう思われてるかもしれない」としている。高校受験に失敗(入学した足立新田高校は当時倍率が1倍未満の底辺校だった)してからは部活動(野球部)を除いて不登校になり、アメ横の店員、スーパーの店員(惣菜製造など)といったアルバイトをしていた。1984年7月、不登校を案じられて、父親の知り合いである「吉河さん」(後に大師匠である5代目三遊亭圓楽の実弟であることが判明)の紹介により圓楽一門へ入門。三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭圓楽)の弟子となり、三遊亭楽大(さんゆうてい らくだい)として活動をはじめる。その後、高校を卒業間近の3年生2月(ただし、本人曰く3年次はほとんど出席していなかったため、卒業に必要な出席日数を確保していたかは不明)に中退。師匠には内緒で「伊集院光」の名でラジオ番組に出演し始める一方で1988年に二つ目昇進。入門5年目の同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人演芸大賞「落語の部」)本選に「子褒め」で出場を果たしている(他の本選出場の4人はいずれも修行年数が10年以上)。楽太郎から伝授された噺は40-50席以上。楽太郎の弟子という関係で、日本テレビの番組『笑点』の「若手大喜利」にも出演していた。1990年、「三遊亭楽大」ではなく「伊集院光」の名で人気を博し、脚光を浴びていたラジオ番組出演が一門に知られ問題となる。話し合いを重ねた結果、落語家としての籍を離れる(破門ではなく自主廃業)。この時、楽太郎は伊集院を擁護しており、2003年4月には三遊亭楽太郎一門会へ出演させたり、ラジオやテレビでの共演もあるなど、楽太郎は未だに身内として扱っている。また、伊集院本人も楽太郎のことを「師匠」と呼び敬意を払っている。現在、三遊亭楽大の名は楽太郎門下の別の落語家が名乗る。1987年、元兄弟子の放送作家・石田章洋(三遊亭花楽京)からの誘い(ただし、人数合わせのサクラに近い)で、ニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』(1987年10月 - 1988年3月)に出演。このオーディションで優勝したことがお笑いタレントとしてのデビューのきっかけと語っている。当時のキャッチフレーズは「オペラ座の怪人」を捩った「オペラの怪人」(但し、邦題「オペラの怪人」というタイトルの映画も実在する)。タキシードで正装し、威風堂々と「オー・ソレ・ミオ」を「恐ぉ〜れ山のイタコ」、「鰹風味のほんだし」(味の素「ほんだし」サウンドロゴ)を「鰹風味のふんどし〜」、「静かな湖畔」の歌詞を「静香の眉間にシワがある〜、クドークドー」など、替え歌ギャグをオペラ調に歌うギャグオペラ歌手という肩書きだった。この頃はテレビの深夜番組や、『笑っていいとも!』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、上記のギャグオペラを披露する仕事が時々あったが、ギャグオペラと掲げてしまったためその言葉と内容に縛られ、リサイタルと称した舞台(お笑いライブ)でもギャグオペラのコーナーを設けなければならず、また当時は「足立新田高校声楽科中退」後イタリアに留学し、ルチアーノ・パヴァロッティに師事していたと語ってしまったため、ある程度オペラについての知識を勉強せねばならず苦労したという(足立新田高校に声楽科は存在しない。無論、留学やパヴァロッティに師事したという件も嘘である)。本物のオペラ歌手だと間違われて、オペラのCDのライナーノーツ(解説)の依頼があったという逸話もある。『あごはずしショー』終了後は『山口良一のそれゆけ!土曜日行進曲』のレポーターなどを経て、1988年10月より冠番組『伊集院光のオールナイトニッポン』に登板。『あごはずしショー』で共演した岩井富士夫が制作スタッフであった『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』(CBCラジオ)にも1989年10月より週1レギュラーで出演を始め、以来、名古屋でも断続的にレギュラー番組を持つようになる。『オールナイトニッポン』では番組内から生まれた架空のアイドル・芳賀ゆいが話題になるなど、次第にコアな人気を集めていく。その後、平日夜の人気番組だった『三宅裕司のヤングパラダイス』の後番組パーソナリティの最終選考(2名)に残り、選ばれたのは内海ゆたお(現:ゆたか)(『内海ゆたおの夜はドッカーン!』)だったが、内海が精神的なプレッシャーのため11ヶ月で降板し、『伊集院光のOh!デカナイト』が開始されることとなった。『Oh!デカナイト』も名物コーナー「ザ・ベースボールクイズ」をメインにしたイベントで西武球場のスタンドを中高生のリスナーで満員にするなど人気番組となるが、1995年4月に降板。スポンサーとの軋轢や局側と喧嘩別れしたとされる形での4月末という改編期でない時期での終了などもあり、一夜限りの復活として開局50周年記念日スペシャル番組の中で『Oh!デカナイト』を放送する2004年までニッポン放送の番組への出演は一切無かった。その時期、『Oh!デカナイト』の企画で久保こーじと組み「荒川ラップブラザーズ」(略して「ARB」)のクレジットでラップのCDを出している。2014年、『ニッポン放送開局60周年記念 ラジオで聴いた『忘れられぬミュージック』』で10年ぶりにニッポン放送への出演をした。1995年10月からTBSラジオの深夜番組『深夜の馬鹿力』を開始し、主なラジオでの舞台をTBSラジオへ移す。(同様にニッポン放送からTBSラジオへ移動したパーソナリティに天野ひろゆき、爆笑問題などがいる。)『深夜の馬鹿力』は2016年現在も続いており、1998年4月から2008年3月までの10年間にわたっては日曜午後のワイド番組『伊集院光 日曜大将軍』『伊集院光 日曜日の秘密基地』のパーソナリティも務めた。この時、一番長くアシスタントを務めたTBSアナウンサーの竹内香苗からはその「妻に対する誠実な人柄」により「理想の男性」と評されている。TBSラジオでの活動にて、いくつかの受賞をしている。2000年には小桜局長がコロッケパーティーを開催(ナイスプレー賞受賞)。2001年にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」を授与されたが、トロフィーを自局の番組でリスナーにプレゼントしようとし、局長から止められた。2003年には放送批評懇談会から「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」を授与され、その授賞式では『深夜の馬鹿力』番組内の企画として成人用紙オムツを装着し、壇上で放尿しながら受賞スピーチをした。また、『日曜日の秘密基地』の2006年2月のスペシャルウィーク企画「どこの誰かは知らないけれど、話してみたらスゲー人スペシャル」にてギャラクシー大賞ラジオ部門を受賞。毎年大晦日に在京3局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が持ち回りで担当していた全民放AMラジオ局およびラジオたんぱ合同の『ゆく年くる年』では、ニッポン放送時代に1992→1993年を、TBSラジオ時代には1996→1997年・1999→2000年と3度パーソナリティを担当した。2016年春より、30年間放送された『大沢悠里のゆうゆうワイド』の後を継ぎ、TBSラジオの平日午前帯ワイド番組のパーソナリティを務めることが2016年1月18日に発表された。2016年4月11日、『伊集院光とらじおと』のタイトルで新番組開始。同日、オフィシャルブログ「伊集院光とらじおとぶろぐと」を開設した。多くは先述のラジオやテレビ番組にて語られた内容であるので注意されたい。北海道日本ハムファイターズのファンとして知られる。小学生の頃から社会人野球のファンとなり、後楽園球場で開催されている都市対抗野球大会に1人で通い、様々な企業の社歌を覚えていた。特に、後にOh!デカナイトでトラブルを起こしてしまった新日本製鐵(現・新日鐵住金)のファンであった。ほどなく後楽園をフランチャイズとしていた日本ハムのファンとなり、9歳の時にファンクラブに加入。ファンとなったきっかけは、初めて見に行った日本ハムの試合でホームランを打った千藤三樹男選手(1972年 - 1981年、1982年 - 1991年在籍)からサインを貰ったこと。田中幸雄選手(1986年 - 2007年在籍)の大ファンだった。1996年7月には、東京ドームにて日本ハムの試合で始球式を行った。笑いを取ろうとして、日本テレビの大道具が製作した大リーグボール養成ギプスのレプリカを装着して登場したが、投球時に養成ギプスのバネの部分が乳首を挟み出血したというエピソードがある。セ・リーグでは、東海地区で長年レギュラー番組を持っていたこともあり中日ドラゴンズを応援している。プロ野球キャンプは、毎年、中日がキャンプを行う北谷町、及び、日本ハムがキャンプを行う名護市を訪れている。これは、伊集院のラジオ番組で毎年のように語っている。決して運動神経が良い方ではなかったが高校時代は控え捕手(後に一塁手に転向)として野球部に所属していた。2003年からはラジオ番組スタッフや若手芸人をメンバーとした草野球チーム(現在のチーム名はビッグ・アスホールズ)を結成してプレイしている。父は医薬品企業ライオンの研究員であり(当初はアンネ株式会社に勤めていたが、1993年にライオンが吸収合併する)、日本初の女性用生理用品「アンネナプキン」等の開発を担当した。伊集院は次男で兄・姉・弟がいる。母は料理教室のアシスタント・スタッフ。日本テレビ系『』で共演したタレント・篠岡美佳と1995年11月7日に結婚。兄弟のいない彼女のため、婿養子となる。ペットは犬を3匹(ジャガイモ「ゴールデンレトリバー」、ナンキン「ミニチュアダックスフント」、カプチーノ「前出2匹の子」)飼っている。また、篠岡との間には子供はいない。2011年3月11日に発生した東日本大震災およびそれに伴う原発事故の際には余震や放射能を心配して妻を和歌山県西牟婁郡白浜町の実家に犬を連れて一時帰宅させていた。事実上の別居状態であったが、仕事で名古屋・関西方面に訪れた際に会いに行くなど特に不仲ではなかったという。2012年5月に帰京している。事務所を問わず、まだ無名のタレントや芸人を見つけてきては自らの野球チームに半ば強制的に加入させることで関係が深めていくという(ただし伊集院の参加しているリーグの別のチームに参加する者も多い)。また、渡辺雅史や池田卓生といった伊集院に関係するスタッフも半ば強制的に伊集院の野球チームに入っている。
落語家という厳しい上下関係の芸人の世界で育ったため、現在も芸人は縦社会という観念を強く持っているとのこと。現在は上に立つものとしての意識を持ち、若手に対し、野球の試合に出したり、自分の番組に出演させたり、深夜に遊びに来いと命令したり、伊集院がはまっている遊びにつきあわせたりと、何かと面倒を見たりこき使ったりしている。
番組アシスタントでブレイクしたアンタッチャブル、サンドウィッチマンといった、後に『M-1グランプリ』で優勝する芸人、オテンキのり等『爆笑レッドカーペット』で脚光を浴びた人物もいる。以前はほとんど若手芸人に知り合いなどいない状況だったが、2003年に草野球を始めたのをきっかけに若手と交流を持つようになった。女芸人も可愛がっており、ロリィタ族やたかまつなならと食事を共にする機会も多い。少年時代からの家庭用ゲーム愛好家であり、成人後も、後輩格の芸人やスタッフと小遣銭を賭けたゲーム大会を自宅でひらくなどして楽しんでいる。『週刊ファミ通』などに連載を持つほか、ゲーム関連のTV番組(『GameWave』など)へも出演してた。好きなゲームは「風来のシレンシリーズ」と「実況パワフルプロ野球シリーズ」、「クレイジータクシーシリーズ」、「ガチャろくシリーズ」。「ドラゴンクエストシリーズ」はラジオの企画の題材としてよく登場する。人生で最も感動したゲームは『MOTHER』。同シリーズの熱狂的なファンで、完結作の『MOTHER3』発売直前には製作者である糸井重里とweb配信の生対談を行った。一方で他のRPGはほとんどプレイしていない。YouTubeでの生放送イベント「Minecraft WEEK2 with Google Play」では、YouTubeクリエイターの赤髪のともと一緒に初めてのマインクラフトをプレイした。日本ゲーム大賞では度々司会を担当している。藤子不二雄のまんが道が大のお気に入り。ラジオに作者の藤子不二雄Aを招いたことがある。また、前述した野球好きと併せ、本を出す程野球漫画には造詣が深く(伊集院は「球漫」と名づけた)、『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』に代表されるような漫画のフィクション性を生かした奇想天外な作品から、選手引退後スカウトに転身し新人発掘に勤しむ人物を描く地味な作品まで守備範囲は広い。中でもハロルド作石『ストッパー毒島』を「宇宙一の野球漫画」とベタ褒めしている。また「ヤンキー漫画」と呼ばれるジャンルの、いわゆる「不良礼賛」が嫌いなため、その両方の特性を併せ持った『ROOKIES』については連載初期から読もうか読むまいか悩んでいた(ドラマ版は「不良礼賛」要素が高まったため、視聴を初期の段階でやめている)。元々映画にあまり興味はなかったものの、尊敬する太田光に影響され少しずつ観るようになり、主に1950年代の日本映画を評価している。特に太田光に薦められて視聴した黒澤明作品への評価は高い。洋画ではテリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』やティム・バートン監督作品のファンで、ギリアム来日時にはインタビューが実現した。デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』を絶賛しており、ラジオのトークでもリンチのテイストを取り入れたコーナーを作るなどして特に好む。現在終了分その他、不定期で、プロ野球中継の日本ハム戦に、ゲスト解説として出演することがある。その他、TM NETWORKのアルバム『EXPO』収録曲「Crazy For You」に笑い声をサンプリングされている。
出典:wikipedia
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