怪獣映画(かいじゅうえいが)は、巨大な怪獣とそれがもたらすパニックを主題とした特撮映画のジャンル。怪獣映画とは、いわゆる怪獣が登場する映画である。日本では一つのジャンルとして独自の発展をとげてきたが、国外ではモンスター映画というより広いジャンルに含まれる。モンスター(怪物)は怪獣よりも広い範囲の想像上の生き物(ゴーレム、フランケンシュタイン、ドラキュラ、透明人間、ミイラ男、狼男、半魚人、エイリアンなど)を含む。また、ゾンビ映画はアメリカではとても人気が高く、幾つもの派生作品が作られ続けているが、日本の怪獣映画とは異なるジャンルである。必ずしも明確に区別できるとは限らないが、怪獣と怪物と怪人の違いには注意しなければならない。アメリカでは『ゴジラ』をはじめとする日本製の怪獣映画を、従来の「monster (怪物)」という概念とは区別して「Giantmonster movie (巨大な怪物の映画)」と呼ぶ場合がある。いずれにせよ、現代社会に実在しない巨大な、あるいは怪奇的な生物的存在をスクリーンに登場させるという試みは映画の黎明期から行われてきた。怪獣映画というジャンルは「秘境冒険もの」や「空想科学もの」、「怪物ホラーもの」映画の延長線上に発展してきたが、これらの中の必ずしも一つに属するというわけではなく、複数の要素を含んでいることが多い。怪獣の存在についてはSF的な設定が多いが、戦争あるいはファンタジー的な要素も織り込まれ、怪獣が暴れることで群集が起こすパニックが主眼となる場合もあるなど、ジャンルはいずれとも特定しがたいものがある。反面、ストーリーについては『キングコング』(1933年)『ゴジラ』(1954年)などの古典的作品を踏襲している事が多い(詳細は後述)。『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1972年)や『モスラ』(1996年)など異質の展開を試みた作品はあるが定着をみていない。円谷英二は自らのテレビ用作品『ウルトラQ』(1966年)で新機軸を試み、これは『ウルトラシリーズ』ヘ結実した。また、東宝より後発ながら、大映ではガメラという独創的な怪獣キャラクターが作られ、その映画はシリーズ化された。これは子供を主人公にした、まさに「子供の為の怪獣映画」という新たな可能性を広げたが、大映の経営破綻によりシリーズは打ち切られてしまった。後年の新生大映による「平成ガメラ3部作」は旧ガメラシリーズよりもSF性の高い、やや異質なものとなっている。日本におけるこのジャンルの出自が『ゴジラ』(1954年)であり、そのパターンを長く踏襲していたことから、怪獣映画は戦争のメタファーであると言われ続け、1990年代以降には意識的にそれを念頭に置いた作品が防衛庁の協力の元に製作されている。歴史的には、特に恐竜を登場させるものが古く、1910年代にアニメを含む数作が作られている。1925年には実写版の恐竜パニック映画『ロスト・ワールド』が公開された。1933年には『キングコング』公開され、巨大な怪獣による高層ビルの破壊シーンという王道パターンを確立した。さらに、1953年公開の『原子怪獣現わる』は核兵器によって巨大生物が誕生し文明社会に災害をもたらすというストーリーで、後の怪獣映画の設定に大きな影響を与えた。中でも最も完成度の高いものは『ゴジラ』(1954年)であるが、他にも『放射能X』(1954年)、『水爆と深海の怪物』(1955年)、『海獣ビヒモス』(1959年)などが作られた。古代の神話や叙事詩的な、英雄が火吹きドラゴンと戦うというストーリーの映画は。初期には『』(1924年)があり、『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』(1956年)に登場する三つ首のドラゴンは日本の怪獣キングギドラに影響を与えたと言われている。SF的な異星の怪獣と戦うという設定では、初期には『フラッシュ・ゴードン』の(1936年)があり、まさに後の怪獣映画のイメージにつながるデザインの怪獣との戦いシーンが含まれている。1950年代には、特撮技術、巨大怪獣による都市破壊、SFで用いられるビームや破壊光線、熱線などの攻撃技、核兵器による放射能、エイリアンなどの現代の怪獣映画につながる要素が出揃い、ゴジラはその集大成といえる。こうして、ゴジラ以降、日本では怪獣映画というジャンルが花開いた。20世紀初頭にはストップモーション・アニメーションによる撮影が一般的だったが、日本においては出自たる『ゴジラ』(1954年)で採用された着ぐるみが以後も主流となる。また怪獣の表情など細かい部分の演出では、機械仕掛けを使うメカトロニクス(アニマトロニクス)による撮影も併用された。さらに20世紀末になってコンピュータグラフィックスが技術的にもコスト的にも映画で使えるレベルになり、従来の撮影技法と併用して使われている。また、過去には(特に欧米において)小動物を撮影し、合成の段階で巨大生物にするといったような低予算な作品(主にB級映画、トカゲ特撮とも呼ばれる)もある。また、日本では『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)のキングギドラの3つの頭と2本の尻尾や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)のカマキラスやクモンガ、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)のビオランテの触手等はピアノ線による操演技法を採用し、人が入れないシャープな造形の怪獣の登場や、腕にはめ込んでも再現できない部分の演出に成功しており、操演技法でのカマキラスとクモンガの動き(特に移動する動き)はCG技術を以ってしても再現不可能と言われている。因みに、どの怪獣の操演も各関節のピアノ線を操作するのに20名以上(クモンガの場合は20名、キングギドラの場合は25名)の人員を必要とし、クモンガの時は小道具係や照明スタッフまでもがこれに駆り出され、操作場所となっていた天井からの操演スタッフたちの汗が雨のように降り注いだというエピソードは有名である。現在、目覚しい発達を見せているCG技術だが、前述の通り、実際の撮影ではこれら諸技術を適宜組み合わせて使用しており、それで全てをまかなっているわけではない。たとえば『ジュラシック・パーク』では主として遠景のブラキオサウルスはCG、近景のティラノサウルスはメカトロニクス、ヴェロキラプトルは着ぐるみといった構成になっている(勿論、これも大まかな説明である)。日本の怪獣映画では、例えば『ゴジラ』において細かい動きが必要とされるシーンはストップモーションを使っており、『キングコング対ゴジラ』では生きたタコの接近撮影も使用している。最近の『ゴジラ』シリーズでも細かい動きや局所的なアップカットにはメカトロニクス、派手な特殊効果にはCGが使われている。怪獣映画というものを文芸的側面から見た場合、そのストーリー展開はおよそ二つのタイプに大別される。ひとつは『キングコング』に代表される様な「秘境への冒険」や「怪物の発見・捕獲」などを発端にした展開。そしてもうひとつは「水爆実験」や「環境汚染」、「薬害」、「宇宙探査」、「隕石落下」など科学的事象を発端にして、古生物の復活・現存生物の怪獣化・宇宙から未知の生物が襲来(または繁殖)といった、或る程度のSF性を持った展開である。東宝の『ゴジラ』をはじめとする日本の怪獣映画の場合、後者のタイプが多い。しかし、ゴジラの映画はシリーズ化されるにつれてSF性や人間ドラマが薄められ、ゴジラの活躍そのものを主軸にしてストーリーを転がし、次々に現れる新怪獣との対決を見せ場にした「怪獣対決もの」ともいうべき内容にシフトしていった。大映の『ガメラ』も同様であるが、ガメラの場合はむしろ子供たちに楽しんでもらう為の「現代のお伽噺」を目指し、明確な意図を持って怪獣対決路線へ進んでいった。東宝はゴジラシリーズとは別の方向性を示す怪獣映画の模索を図り、外国資本を取り入れ、欧米で人気の古典的怪物「フランケンシュタイン博士の人造人間」に着想を得たホラー色の濃い作品『フランケンシュタイン対地底怪獣』、そして『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の2本を作ったが、この路線は定着しなかった。作中における怪獣の扱い方(「設定」および「描写」と言い換えても良い)についても、欧米と日本とではずいぶん違う。欧米の作品に登場する怪獣(または怪物)は生物学的な意味での敵、すなわち「人間の天敵」として扱われる場合が多く、したがって人や家畜を捕食する場面などで観客の恐怖感を煽る。しかし日本の怪獣映画の場合、怪獣それ自体があまりにも強大で、特殊な超能力を持っているのが当り前な作品が多く、怪獣の存在が明らかになった時点で「人類滅亡の危機」というスケールの大きな話になってしまう。つまり日本では怪獣は「人類社会をおびやかす敵」として描かれ、人類の文明に対する警告者、報復者、不条理な破壊者として観客を恐怖させる。その暴虐ぶりも欧米の怪獣とは違い、ビルを押し倒したり列車を転覆させたり船を沈めたり飛行機をたたき落としたりなど、人々が働いて作ったもの(すなわち「文明の利器」)を破壊することに終始する。こうした描写は日本製怪獣映画の特色ともいえるが、決して日本の作品に人畜を捕食する怪獣が皆無という訳ではない。また、欧米の作品にも文明破壊者的な大怪獣(イギリスの『怪獣ゴルゴ』など)は存在する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。