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尼崎駅 (JR西日本)

尼崎駅(あまがさきえき)は、兵庫県尼崎市潮江一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。JR線内では、兵庫県内で最東端の駅となる。第4回近畿の駅百選に選定された。神戸・宝塚・大阪・京都・京橋方面を相互に結ぶ結節点で、はまかぜ号・スーパーはくと号とサンライズ瀬戸・出雲号を除く各方面に向かう全ての営業列車が停車する要衝である。ただし、尼崎市の商工業の中心は阪神本線の尼崎駅周辺で、尼崎市役所へは立花駅が最寄り駅となる。アーバンネットワーク、およびIC乗車カード『ICOCA』の利用エリアに含まれている(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。駅長が配置された直営駅で、管理駅として福知山線の塚口駅と猪名寺駅を管轄している。隣の塚本駅との駅間距離はJR神戸線区間内では最長(4.3km)である。JR西日本では旅客案内上で独自の愛称路線名がよく使用されているが、上記では東海道本線が「JR神戸線」の区間内に含まれている。また、福知山線も大阪駅(東海道本線所属)から当駅を経て篠山口駅までの区間が「JR宝塚線」と呼ばれている。案内上では、東海道本線の下り(神戸方面)のみが「JR神戸線」と表記されており、反対の上り(大阪・京都方面)は「JR京都線」と表記されている。JR京都線の正式な起点は大阪駅だが、当駅 - 大阪駅間ではJR神戸線とJR宝塚線の列車が混在するため、直通先の名称を使うことで案内を統一している。「JRおでかけネット」の駅構内図でもこのような表記が使われている。以下では、新大阪駅を越えて運行される列車は上記の形態を考慮して「JR京都線」系統として扱う。ただし、JR宝塚線方面からの列車のうち大阪・新大阪駅終着のものについては、塚本駅を通過することから区別し「JR宝塚線」系統として扱う。この他にも東海道本線支線(北方貨物線)の登記上の終点となっているが、実際には当駅より1つ大阪方の塚本駅の構内(東海道本線所属、厳密には東西線・加島駅の地上付近)で本線に合流している。なお、当駅の前後には特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅(塚本駅と加島駅)があるが、「大阪市内」発着の乗車券で乗車している場合は、大阪市外にある当駅で途中下車しないことを条件に、東海道本線・大阪駅方面と東西線方面への乗り換えが認められている。東海道本線の当駅は、1874年(明治7年)に神崎駅(かんざきえき)として開業した。1891年(明治24年)には現在の福知山線の前身にあたる川辺馬車鉄道が尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 伊丹駅間を開業させたが、東海道本線との交差地点には連絡線が設置されなかった。川辺馬車鉄道は1893年(明治26年)に摂津鉄道となり、さらに摂津鉄道を買収した阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで延伸開業した1898年(明治31年)、大阪駅乗り入れのために阪鶴鉄道の塚口駅と東海道本線の神崎駅を結ぶ連絡線が設けられた。尼ヶ崎駅 - 塚口駅間は阪鶴鉄道国有化後は福知山線(国有化当初は、阪鶴線と呼称)の支線として扱われ、"尼崎港線・尼港線"と呼ばれることになる。1911年(明治44年)には、この支線上にも「神崎乗降場」が東海道本線との交差地点南側に設けられた(この時点では神崎駅と別駅扱いだが、運賃上は神崎駅と同一扱い)が、東海道本線の駅とは約300m離れていた。「神崎乗降場」は東海道本線を越える築堤の上に片面ホーム1面1線で設置されており、「土手の上にある神崎駅」から「ドテカン」と呼ばれていた。そして1949年(昭和24年)、街の代表駅としての実状を考慮して尼崎港線の尼ヶ崎駅を尼崎港駅、神崎駅を尼崎駅に改称した。1969年に「尼崎乗降場」は当駅と同一駅扱いとなり「尼崎臨時乗降場」に変更されたが、実態には変化がなかった。国鉄時代には、同一駅名の連絡駅にもかかわらず別の場所にそれぞれの路線の駅が設置されている例として、宇美駅(香椎線と勝田線)・石巻駅(仙石線と石巻線・現在は統合)・浜川崎駅(南武線と鶴見線)が存在したが、他の3つは私鉄買収によって路線が成立したのが要因であったのに対し、当駅は利用客の便宜を図ったことが要因となった。この「尼崎駅」と尼崎港線は1981年に旅客営業が廃止された後、1984年に廃止された。本線の「尼崎駅」は、駅西側に貨物駅を持ち、また麒麟麦酒の工場や周辺の工場への専用線を持つなど、尼崎市における国鉄の貨物取り扱いの中心となっていた。利用客は少なく、駅設備もホーム間をつなぐ地下通路と南北に小さい駅舎があるだけの駅であった。1964年9月30日までは、当駅で折り返す東海道本線の各駅停車が運転されていたが、翌10月1日の改正で甲子園口駅まで延長された。当駅に停車するのは、各駅停車と福知山線の快速・普通のみで、東海道本線の新快速・快速は通過していた。特急・急行列車も全て通過していたが、1981年4月の福知山線の宝塚駅までの電化の時に、急行「丹波」が1往復停車し、1986年11月1日改正で特急「北近畿」に格上げされた後も、そのままで受け継がれた。JR化後も大きな変化は無く、3面9線のやや変則的な配線のままであった。しかし、JR東西線の建設に伴い当駅が東西線との分岐駅にもなるため、配線の変更やホーム1面の増設、駅舎の橋上駅化(地下通路は廃止)が行われ、面目を一新した。以下、計画の概要をJR西日本がまとめた講演資料に基づき説明する(「課題」「効果」といった事項も同様)。最初の構内改良計画は1989年2月、運輸大臣より鉄道施設の変更認可を受けた。その内容は次のようなものであった。しかし、計画作成後、福知山線と東海道本線の輸送量が予想以上に伸張したため、社内で次のような問題点が指摘された。このため、最終的に決定した計画では次のような考え方が打ち出された。次のような制約条件・要求が求められ、改良に盛り込まれた。改良工事は1駅に対する工事としては比較的規模の大きなものとなり、大規模な切り替えだけでも22回に及んでいるが、1997年3月8日のJR東西線開業に間に合わせることができた。この改良で、次のような課題が社内で意識された。このため、当駅の大阪方にJR東西線-東海道本線内側線を結ぶ渡り線が追加され、1997年9月1日のダイヤ改正より使用を開始した。この改良で上記の問題は解決し、各ホームの行き先を統一した。また、一連の改良計画を扱った発表は日本鉄道施設協会より「総合技術講演会最優秀論文」を受賞した。最初の改良の以前、福知山線上り線は駅西方の貨物線群北側を沿っていた。最初の計画でもその経路を踏襲していたが、計画変更を行った際、貨物線群南側を回り込む下り線に平行する形に変更された。このため、上り線は駅西北の名神高速道路南側の地点に半径304mの曲線が設定された。半径300m程度の曲線は日本の在来狭軌鉄道としては珍しいものではないが、2005年4月25日に福知山線脱線事故が発生した後には、「魔のカーブ」として事故当初から一部マスコミがこの経路変更を問題視した。5年後、遺族団体が鉄道事故調査委員会の調査報告を検証する過程で、当該区間の運転経験がある運転士にアンケートを行った。このアンケートに回答した者の21.5%が速度超過の経験があったことや、41.5%が事故前より当該のカーブへATSを設置するべきと考えていたことなどが明らかになっている。ダイヤ面からは、改良工事後当駅での折り返し列車が復活し、JR神戸線の新快速・快速に加え、福知山線の特急も全列車停車するようになった。このことで乗降客はさらに増加基調が続いた。貨物取り扱いは専用線の廃止や麒麟麦酒の工場の移転などもあって、後に廃止されている。かつて当駅はJR貨物の駅(国鉄時代は貨物取扱駅)であり、駅周辺の工場から多くの専用線が当駅に接続していた。専用線はクボタ阪神工場・神崎製紙神崎工場・麒麟麦酒尼崎工場・住友軽金属工業工場へ続くものがあった。このうち最後まで使用されていたのは駅東側にある神崎製紙(当時は新王子製紙、現在の王子製紙)神崎工場へ続く専用線であった。この線は、東海道本線の北側に沿って東へ向かい、本線の盛土下を通り抜けて、その南側にある工場へ至っていた。主に有蓋車による紙製品の発送で使用されていたため、当駅から飯田町駅へ向かう貨物列車も運行されていたが、コンテナ化により1995年(平成7年)9月29日の発送をもって専用線は廃止された。これに伴い、当駅を発着する定期貨物列車も廃止された。定期列車が廃止された後も、阪急電鉄が保有する専用線が敷設されていた。立花駅寄りにあるアルナ工機が製造した鉄道車両の搬出用に使用されていたが、2001年(平成13年)11月の発送をもって廃止された。島式4面8線のホームを有する地上駅で、橋上駅舎を有する。南北の自由通路を挟み東西に、改札(東口・西口)が配置されている。改札内にはJR西日本の子会社が経営する書店やカフェ等が設けられ、改札外には調剤薬局(一部改札内からも利用可能)、コンビニエンスストア等が入居している。3路線共に、方向別にホームが1つ以上割り当てられており、有効長は全て12両編成分。ホーム間は跨線橋で連絡している。乗り入れ路線の項にあるように、大阪方面は直通運転先の路線名で記載する。上記の他に、8番のりばの北隣にもホームのない待避線(9番線)がある。JR神戸線の本線は、外側線が1・8番線、内側線が4・5番線となる。JR宝塚線及びJR東西線の本線は、2・7番線である。いずれも、日中の1時間あたりの運行本数である。また朝晩は本数が多くなり、当駅発着便の設定もある。新快速と快速がそれぞれ4本と普通が8本の計16本が停車する。普通は当駅で半数が入れ替わりとなる。(JR京都線—JR宝塚線列車とJR東西線—JR宝塚線列車が相互接続)上りはJR神戸線→JR京都線の列車は大阪まで先着する。JR宝塚線→JR京都線の列車は塚本付近で新快速に追い抜かれる。下りはJR東西線→JR神戸線の列車は芦屋まで先着する。JR京都線→JR宝塚線の列車は西宮付近で新快速に追い抜かれる。快速・区間快速・普通がそれぞれ4本と特急『こうのとり』1本の計13本が停車する。快速は大阪駅発着系統(宝塚駅発着系統・篠山口駅発着の『丹波路快速』が2本ずつ)である。東西線直通の区間快速は次の塚口駅で折り返す。宝塚方面・新三田行きの下り普通は当駅を出ると川西池田駅まで先着する。区間快速・普通が4本ずつの計8本が停車する。区間快速は東西線内の各駅に停車し、直通先の学研都市線・京橋駅 - 四条畷駅間で通過運転を行う。2014年度の1日平均乗車人員は44,125人で、尼崎市内の駅としては最多である。JR西日本の駅では第18位で、兵庫県内のJR西日本の駅では三ノ宮駅、神戸駅、明石駅、姫路駅、元町駅に次ぐ第6位である。ここ20年は増加傾向が続いており、2010年度に4万人を上回った。近年の1日平均乗車人員推移は下表のとおりである。阪神バスなどが乗り入れ、主に市内各地へと向かう路線が発着している。以下、特記しないものは阪神バスが運行する。阪神バスの乗り場は北口と南口に3か所ずつあり、1 - 3番のりばが北口、4 - 6番のりばが南口にある。また、阪神バス以外の乗り場は南口に2か所ある。

出典:wikipedia

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