LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

ジャングル大帝

『ジャングル大帝』(ジャングルたいてい)は、手塚治虫の漫画およびそれを原作とした一連のアニメ作品。英題は日本国内では"Jungle Emperor Leo"、日本国外では第1、第2シリーズから再編集劇場版までが"Jungle Emperor"、1989年のリメイク版および1997年の劇場版が"Kimba the White Lion"、2009年のテレビスペシャル版が"Jungle Taitei"。アフリカのジャングルを舞台に、白ライオンのレオを中心とした一家三代とムーンライトストーンを巡って争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマである。大阪在住の医学生時代は単行本の描き下ろしを中心として来た手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾った作品であり、学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年(昭和25年)11月号から1954年(昭和29年)4月号にかけて全43回を連載。本来は『密林大帝』として単行本で描き下ろす予定だったのが、上京して偶然訪れた学童社において加藤謙一編集長の奨めで連載することになった経緯を持つ。連載開始時は4ページ、第2回からは扉ページのついた10ページに拡大になり、連載中は最大で16ページになるなど「漫画少年」の看板作品として君臨。以後の手塚は、単行本描き下ろしから、月刊漫画誌に仕事を切り替え、大学卒業後は漫画家に専念。1951年に『鉄腕アトム』を「少年」で連載を始めるまで、少年誌での手塚の代表的な仕事が本作である。4度にわたりアニメ化され、プロ野球球団(パリーグ)「西武ライオンズ」(現:埼玉西武ライオンズ)のマスコットに本作のキャラクターが採用されたことで、世代を越えた認知度を持つ。手塚は本作が連載後に日本公開されたアニメーション映画『バンビ』を百回くらい見たと語り、その影響で生きるための苦しさを描こうと、初めはハッピーエンドにする予定だったが予定を変え悲劇にしたと語っている(バンビの終わり方自体はハッピーエンドだがジャングル大帝ではあえて逆のバッドエンドにした)。後にディズニー本家がアニメ版『ジャングル大帝』で育ったクリエイターによりアニメ映画『ライオン・キング』(1994年公開)が制作されたのではないかと指摘されたことでも知られる。「白いライオン(ホワイトライオン)」というアイディアは、手塚がかつて動物の絵本を依頼された際にライオンの絵を白熱灯の下で彩色したところ、黄色を塗るつもりが電灯の黄色い光のために白と黄の絵の具を間違えて塗り、出来上がってみると白いライオンになって没になった失敗談が発端という。ジャングルを舞台とする趣向は、手塚が少年だった1930年代初めにターザン映画などを代表とする秘境冒険映画、猛獣映画など人気を呼んだアメリカ映画の影響が指摘されている。具体的には、レオの父親パンジャの名前は1934年の『パンジャ』という猛獣狩り映画、設定は1933年の『密林の王者』などとする説がある。第二次世界大戦後の1950年代の日本では再びターザン映画が封切られており、その当時の日本の子供向け漫画や絵物語では、ターザンものやジャングルものは最もポピュラーなジャンルの1つであった(例えば山川惣治の『少年ケニヤ』(1951-1955,産業経済新聞連載)がターザン的な絵物語の例である)。夏目房之介や二階堂黎人は、主人公レオが人間と動物の間に立っており、手塚の他作品『0マン』や『勇者ダン』などと同じく、本作の主題を異者同士の葛藤と和解であるとしている。呉智英は、『ジャングル大帝』での暗黒大陸アフリカのジャングルの近代化をめぐる主人公レオの内心の葛藤は、手塚治虫の戦後日本における民族主義と近代主義の両方へ不信感を向けたもので回答を出しておらず、近代主義と民族主義の調和を訴えた作品と読むのは安易な読み方であるとする。アニメ版の楽曲を担当した冨田勲は、『ジャングル大帝』には連載2年前の1948年から始まった南アフリカのアパルトヘイトが影響しており、レオはネルソン・マンデラではないかという私見を述べている。手塚の名を高め、1950年に「漫画少年」誌上では完結していた『ジャングル大帝』だったが、単行本化のほうは長らく完結せずのままであった。連載中の1950年に出された学童社の単行本(2巻まで)はもちろん、1967年の光文社の手塚治虫漫画全集も4巻までと刊行が途中で中断し、(雑誌連載時の読者以外は)話の結末までを読むことができない状態が続いた。テレビアニメの放送とともに1965年から1968年にかけて刊行された小学館のサンデーコミックス(注:後の時代に秋田書店が出した単行本サイズの「サンデーコミックス」という名のシリーズとは違い、雑誌サイズの大判のもので、冒頭がカラーページで他の読み物も付属した)で、連載以来13年目にしてようやく単行本として完結をみた(第5巻目には初めて完結できたことを述べた著者の言葉が収録されている)。しかし、アニメ化の際に作画の参考資料として持ち帰っていたスタッフが急逝し、その上そのスタッフの部屋も整理されたため、前半部分を中心にオリジナルの原稿を紛失したため、かなりの部分を描き直している。後半の第三部は、ほぼ連載時の状態で残っている。以後、小学館の手塚治虫全集(ゴールデンコミックス、1969年 - 1970年)、文民社の手塚治虫作品集(1976年)が出版され、1977年の講談社の「手塚治虫漫画全集」版が現在の定本となっている。なお、「手塚治虫漫画全集」の全400巻(当初刊行予定は全300巻であった)の記念すべき第1巻は、このジャングル大帝(の1巻)であった。「漫画少年」連載のオリジナル版は、印刷された「漫画少年」を版下として、1990年から1992年にかけて、手塚治虫ファンクラブ京都の「ヒョウタンツギタイムス」から復刻。そして、2009年になって小学館クリエイティブより「漫画少年」連載版が『漫画少年版 ジャングル大帝』として全2巻で正式に復刻された。近年の紙ベースのものではない書籍としては、講談社手塚治虫漫画全集の原稿用フィルムからスキャナーで取り込んで電子化されたDVD版の手塚治虫全集や、ダウンロード方式の電子ブックファイル版などもある。(これは冨田勲「子どものための交響詩・ジャングル大帝」(1966年,LP,日本コロムビア,ステレオ)の音に会わせて動画を付けたOVAで、その物語の展開は音楽が作られたのと同じく虫プロ版ジャングル大帝の第1話にほぼ沿っている)。フジテレビ系列で1965年(昭和40年)10月6日 - 1966年(昭和41年)9月28日まで全52話を放送。日本国産初のカラーテレビアニメシリーズとされることが通例だが、半年前、1965年4月から、カラーによるテレビアニメ『ドルフィン王子』が放送されている。しかし、全3話に過ぎなかったため、あまり話題にならず、忘れ去られて行った。よって本格的なカラーテレビアニメのシリーズは本作という評価が一般的である。スポンサーは三洋電機が「サンヨーカラーテレビ劇場」と銘打って一社提供を行い、自社製品であるカラーテレビ購買需要を喚起する番組として活用した。漫画連載は10年以上前であり、テレビアニメ黎明期であるため俗悪番組のそしりを避けるべく、『鉄腕アトム』と同じく、手塚漫画の中では「よい子」の代表格であるレオに白羽の矢が立った。レオの理想主義は教育者の支持を得て、日本PTA全国協議会、教育者懇談会の推薦番組に、番組向上委員会の青少年向け推奨テレビ番組に選定された。1966年第4回テレビ記者会賞特別賞、1966年厚生省中央児童文化財部会年間優秀テレビ映画第1位、1966年厚生大臣児童福祉文化賞を受賞している。予算は1話250万円、総額1億2000万円の制作予算が組まれ、並行して放送する『鉄腕アトム』は外注プロダクションを多く使うことにし、『ジャングル大帝』には虫プロダクション生え抜きの主流スタッフを投入。虫プロの社員スタッフで制作されることになった。ただし、手塚治虫は制作現場から外された原作者という立場に過ぎず、『鉄腕アトム』『W3』のような手塚のチェックは入っていない。これはプロデューサー主導による予算管理に基づく制作体制を取ることで、虫プロが赤字体質から脱却することを意図した広告代理店出身の穴見薫虫プロ常務による改革の一環だったと言われる。画面の動きに合わせた音楽の作成と収録に当時としても破格の番組製作予算の4分の1から3分の1程度が当てられていたなどといわれる。音楽は音響監督の田代敦巳の推薦で、冨田勲に決定。ミュージカルの要素が組み入れられた本作では、1話ごと画面に合わせ新たに作曲、録音する工程が取られた。そのため、音楽には総制作費の4分の1から3分の1をかけ、『鉄腕アトム』と比較すると音楽予算は5倍になった。輸出先のアメリカの担当者も音楽を絶賛したという。本作のレコードは朝日ソノラマと日本コロムビアが発売し、ソノシート、EPレコードのほか、主題歌・挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』とレコード化に向けて新たに曲を書き下ろした『子どものための交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードが発売された。当時は朝日ソノラマのソノシートが全盛期だったが、日本コロムビア専属歌手だったポップス歌手弘田三枝子がエンディング主題歌「レオのうた」を歌い、収録盤SCS-1は10万枚以上のヒットを記録した。日本コロムビアの公式サイトではSCS-1を「アニメソングのコロムビアの原点となった」としている。挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』と『子どものための交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードについては、これが日本で最初の主題歌集とアニメの交響曲のLPだと言われている。小学校の音楽授業の鑑賞教材にも使えるレコードという発想で制作された『子どものための交響詩 ジャングル大帝』は1966年の第21回芸術祭の音楽部門に参加し、奨励賞を受賞した(1976にも同LPは再プレスされて発売された。 その後も音楽CD化され、またさらに音源の音にアニメーションを付けたOVA版としてVHSやLDやDVDが作られた。さらに冨田勲自身による再編曲と新演奏の録音である2009年改訂版の「交響詩ジャングル大帝〜白いライオンの物語〜」の音楽CDなどもある)。オープニングテーマ『ジャングル大帝のテーマ』およびエンディングテーマ『レオのうた』は、『ジャングル大帝』のレオがマスコットキャラクターの埼玉西武ライオンズのチャンステーマとしても使用されている。2005年4月27日には、「」がコロムビアミュージックエンタテインメントより発売された。『鉄腕アトム』での経験を活かして、テレビアニメ版は当初よりアメリカ輸出を意識。アメリカでは既にカラー放送が主流になっていたことからカラーで制作。どんなエピソード順に並べても大丈夫なように、あるいはアメリカの放送コードに引っ掛かって放送できない回があった場合のために、原作の漫画は大河ドラマであったのに対して、主人公レオの成長物語ではなくなり、基本は1話完結のエピソードとなっている(実際には前編後編の2話で完結のエピソードも少しある)。黒人の描写には気をつけ、漫画的なカリカチュアライズした表現は用いず、登場させる際も黒人を悪役にはしないなどの配慮が取られた。そのような妥協の甲斐もあって、『鉄腕アトム』に続いて、アメリカの3大ネットワークの一角NBCが購入し、ネットワークでは放送されなかったものの、番組販売され、『Kimba the White Lion』として放送された。ほか原作者の手塚治虫本人の手でコミカライズされ、小学館の児童雑誌『幼稚園』『小学一年生』から『小学四年生』の1966年10月号から12月号にかけて『ジャングル大帝』が連載された。アニメ化に先立ち、『幼稚園』『小学一年生』の1966年4月号から9月号までは『レオちゃん』という題名で連載している。1975年10月3日から東京12チャンネルで開始した『手塚治虫まんがアワー』(金曜20:00 - 20:54)の前半で再放送(後半は『ふしぎなメルモ』)したが、番組が半年で終わったため、第23話「大怪虫」で終了した。2006年3月から5月を初回としたアニメ専門チャンネルカートゥーン ネットワークでの放送の際には、第8話「きちがい雲」のみ放送されなかったが、その後は「バッタの襲撃」というサブタイトルに変更して放送されている。1966年7月31日に東宝系で公開された。本来の公開予定作品だった新作長編『鉄腕アトム』が脚本も完成しない状態のため、その代替作品として、急遽テレビで放送していた『ジャングル大帝』の第1話と第41話を中心に再編集したもの。1967年にイタリアのヴェネツィア国際映画祭の児童映画部門の第1位であるサンマルコ銀獅子賞を受賞した。同時上映は『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』と『つるのおんがえし(人形劇)』。フジテレビ系列で1966年(昭和41年)10月5日から1967年(昭和42年)3月29日まで放送。『ジャングル大帝』の視聴率は20%以上を獲得し、内容的にも各賞を受賞する好評に、手塚の構想に基づき1年目は子供時代編の続編として主人公レオが大人となり、家族を持った原作の後半部分をアニメ化。物語もスポンサーと対象年齢の兼ね合いから、レオもライアも死んでしまう原作とは違い、死なないで子どもたちと一緒になって走り去っていくハッピーエンドに変更された。第14話は1967年第6回日本テレフィルム技術賞を受賞している。しかし、視聴率は低迷し、15%を割ったことから半年で打ち切りになった。アメリカでもNBCが購入することはなく、1984年になって宗教チャンネルの Christian Broadcasting Network が『Leo the Lion』のタイトルで放送した。本作の後に作られたテレビシリーズの作品との混同を避けるためか、最近では原題の作品タイトルから「新」の字を除いて表記されることが多い。1967年発表。第1作と同じく手塚治虫自らがコミカライズを担当した『ジャングル大帝 進めレオ!』を、小学館の学習雑誌『小学一年生』『小学二年生』の1月号から4月号にかけて連載。テレビ東京系列にて、1989年(平成元年)10月12日から1990年(平成2年)10月11日まで放送(時間枠:毎週木曜日19時30分 - 20時)。全52話。番組表では途中から『手塚治虫の新作アニメ ジャングル大帝』と表記された。企画は1987年にスタート。『青いブリンク』『森の伝説』と並び、手塚治虫本人が最後に手掛けたアニメの1つ。1989年度第14回文化庁こども向けテレビ用優秀映画奨励作品。レオが人間の言葉を喋らない設定になり、ストーリーも第1話が原作の第1部を使っていること以外はオリジナルとなっている。西武ライオンズのマークとして青年のレオの顔が使われており、権利関係で混乱が起きることが予想されたが、手塚治虫は「あれはレオではなく、レオの父親のパンジャです」と主張し、本作に登場するのは子供時代のレオのみなので混乱はないと関係各社に説明した。※放送日時は1990年9月中旬 - 10月上旬時点(秋田テレビ、三重テレビ、テレビ山口、南海放送については本放送終了後に放映された日時、宮崎放送については打ち切り時点の日時)、放送系列は放送当時のものとする。第3作放送前年の1988年に作られた4分6秒のパイロット版。演出:宇井孝司、原・動画:小林準治。1997年8月1日より松竹系で公開。従来のテレビアニメ版との繋がりは一切ない完全新作で、テレビアニメ版では最後が改変された原作の第3部を忠実に描くことを意図として製作。手塚を敬愛するスタッフが集まり、生前の手塚ならこうしただろうとイメージしながら構築した作品である。当時の松竹は配給収入の低下に悩んで、日本アニメーションの『フランダースの犬』の映画版から始まるアニメ路線を試みており、『ジャングル大帝』の劇場版もそのうちの1本であった。手塚プロには松竹側から3、4年前から手塚作品をやりたいと接触があり、当初松竹は『鉄腕アトム』の映画化を希望していたという。なお、本作の約9ヶ月前には手塚プロの別スタッフによる「BLACK JACK(劇場版)」が同じ松竹系で公開されている。『ジャングル大帝 -勇気が未来をかえる-』は、フジテレビ系列にて、2009年(平成21年)9月5日に「フジテレビ開局50周年」「手塚治虫生誕80周年」記念アニメとして土曜プレミアム枠で放送されたテレビスペシャル。2012年2月29日に韓国で劇場公開。バラエティ番組の放送作家として知られる鈴木おさむが初めてアニメの脚本に挑戦し、オリジナルストーリーを書き起こしたことで話題になった。本作では、「家族愛」「友情」「環境問題」をテーマとして、近未来の人工ジャングルに住む動物たちとそれを管理する人間との戦いを描く。声優陣は専業声優でない芸能人を数多く起用、俳優の時任三郎や松嶋菜々子は本作がアニメ声優デビューになったと言われる 。視聴率は、サッカーの国際強化試合「日本×オランダ」の生中継に次いで時間帯2位となる13.1%を記録した。エターナルアースによって造られた巨大な人工島『ネオジャングル』では、動物を捕獲移住させ管理していた。動物の声を聞くことが出来る少年・大山賢一は、ネオジャングルに生息する子供の白ライオン・レオと出会い、ネオジャングルの存在が間違っていると思うようになる。そんな中、病原体の蔓延によりレオ達の住む区域の動物をリセット(殲滅)しようとする人間に対し、レオら動物たちは反旗を翻した。『アニメ交響詩 ジャングル大帝』は、テレビアニメ第1作放送時に発売されたレコード『子どものための交響詩 ジャングル大帝』に映像をつけるコンセプトで制作された51分のオリジナルビデオアニメ作品である。1991年4月1日に日本コロムビアより発売された。監督は、新旧のテレビアニメシリーズのスタッフでもあった虫プロ出身の平田敏夫が務めている。『ジャングル大帝/本能寺の変』。2000年公開。手塚治虫ワールドの300インチシアターで上映された短編映画。火の鳥がストーリーテラーとなる2本立ての作品。『ジャングル大帝レオ 空を染める謎の星』。サイエンスアート社によるプラネタリウム上映番組で、スライド枚数約230枚、投影時間約29分。不吉な赤い星火星をめぐってレオたちが冒険をするという2003年火星大接近に着目したストーリー。本作(原作漫画)を巡っては、黒人描写をめぐって差別だとして抗議を受ける問題が起きている。1990年9月に「黒人差別をなくす会」より、手塚作品の黒人描写が差別と偏見を助長すると抗議して「善処」を求める内容の内容証明が手塚プロダクションを始めとして、手塚作品を出版する大手出版社に送られた。これを受けて、東京、名古屋、神戸で開催されていた「手塚治虫展」では、『ジャングル大帝』のパネルを撤去し、パンフレットから黒人の部分を削除して差し替えがなされた。当時の「黒人差別をなくす会」は、鳥山明の『Dr.スランプ』、佐藤正の『燃える!お兄さん』など、手塚以外の漫画にも同様に抗議を行い、それらの作品では指摘された黒人の部分を描き変える形の対処が取られたが、既に作者が故人となっていた手塚治虫作品の場合は、描き直すことが不可能であった。そのため、手塚プロダクションでは、1990年12月までに講談社の「手塚治虫漫画全集」の全巻を出荷停止したのを始め、その他、7社の出版社から出されている手塚の単行本のうち黒人が描かれているもの全てを一時的に出荷停止する処分が取られた。その後も、「黒人差別をなくす会」からは定期的に抗議文が送付されて来る中、描き直しが無理のため絶版処分とする処置も浮上したが、1992年春に講談社社員の発案で、手塚が故人であることと作品が描かれた当時の時代背景を示すものであるとする断り書きを巻末につけて理解を求めることに決定。『ジャングル大帝』を始めとする手塚作品の再出荷を開始した。1993年には日本アフロ・アフリカン協会からも抗議を受けたが、手塚プロダクションと出版社を交えて対話が行なわれ、断り書きをつけることで基本的合意が得られている。以後も「黒人差別をなくす会」からは定期的に抗議が寄せられているというが、これがきっかけとなって、黒人が登場するしないにかかわらず手塚作品が出版される際は断り書きを巻末につける形が通例となっている。手塚治虫ファンクラブ京都は、当初1990年8月に手塚プロダクションの許諾を受けて、ファンクラブの会報「ヒョウタンツギタイムス」誌上で「漫画少年」連載のオリジナルの『ジャングル大帝』の復刻を開始。1990年10月に『ジャングル大帝』が人種差別とする「黒人差別をなくす会」から抗議文が大手出版社と手塚プロダクションへの抗議に続く形で到着したが、手塚治虫ファンクラブ京都はこれに納得せずに独自に刊行を続行。黒人描写がある手塚作品が大手出版社から出荷停止になっていた時期にも、手塚治虫ファンクラブ主宰者は、手塚治虫ファンクラブ京都の名を外して手塚プロダクションとは無関係の立場に切り替えたうえで刊行を継続、1992年3月遂に最後までの復刻が完了した。これが漫画少年版の史上初の完全復刻である(手塚プロダクション, 司田 武己,『手塚治虫バカ一代 ―「幻のジャングル大帝」を覆刻した男・石川栄基の物語』,集英社インターナショナル,ISBN: 978-4797670967, (2004年2月26日))。本作とディズニープロダクションの1994年公開のアニメ映画『ライオン・キング』とが類似しているとして、ディズニーが模倣したのではないかと日米で話題になった。1994年7月11日に『サンフランシスコ・クロニクル』紙が掲載した記事が発端になり、アメリカのマスメディアに話題が拡大、この件に対して、ディズニー側は7月14日に『サンフランシスコ・クロニクル』紙に回答を寄せ、公式にはアメリカで放送された『ジャングル大帝』をスタッフは見ていないとして模倣を否定した。ただし、このディズニー側の主張に対しては、フレデリック・L・ショット、有馬哲夫、渡辺繁らから疑問が呈されている。日本へはアメリカで話題になっているとして、共同通信が配信。7月13日に毎日新聞、翌14日に『読売新聞』、18日に『朝日新聞』が報じたのをはじめとして、スポーツ新聞やテレビでこの問題が紹介された。手塚治虫を敬う漫画家の里中満智子は『ジャングル大帝』を見たことはないとするディズニーの態度に疑問を抱き、ディズニー作品を配給するブエナ・ビスタ・インターナショナルへ質問状を送った。里中の質問状には、ちばてつや、藤子・F・不二雄、水島新司、永井豪、モンキー・パンチ、矢口高雄、一条ゆかり、弘兼憲史、杉浦日向子ら約80名の漫画家が賛同し、計488人の署名が添えられた、手塚治虫の死後、著作権を管理している手塚プロダクション並びに遺族は仮に盗作だったとしてもディズニー側と事を構えない事を決めた。理由は「ディズニーファンだった故人がもしもこの一件を知ったならば、怒るどころか『仮にディズニーに盗作されたとしても、むしろそれは光栄なことだ』と喜んでいたはずだ」とした。手塚治虫の長男で、手塚プロダクションの取締役も務める映像作家の手塚眞は、問題にしなかった理由として、ディズニーへのバッシングに荷担したくなかったこと、文化は模倣によって成立すること、『ライオンキング』には白いライオンが登場せず、動物だけの世界で閉じており『ジャングル大帝』のような人間社会と交流するドラマがないことを理由に似ているとは思わなかったことを挙げている。有馬哲夫も『ライオンキング』はディズニーの世界戦略から『ジャングル大帝』のような社会性がないことを指摘し、かつて虫プロに在籍していた吉川惣司も文化は互いに影響しあうものであるとして手塚プロの対応を見識であると評価している。手塚プロもテレビアニメ版を制作した山本暎一も問題にしなかったこともあり、騒動は自然と終息した。ディズニー側からの里中満智子への返信には模倣は否定しつつも、手塚治虫の業績を認め、手塚へ敬意を表する旨が記されていたという。プロ野球埼玉西武ライオンズのマスコットとして、『ジャングル大帝』のレオが採用されている。オーナーの堤義明から手塚治虫本人直々に電話があり、イメージ戦略のために依頼したという。キャラクター使用料は3000万円だった。マスコットキャラクターはレオということになっているが、実際には生前の手塚が「あの絵は実はレオの父親のパンジャなんですよ」と語っていたように絵柄自体は大人になったレオではなく、微妙に異なるデザインのレオの父親パンジャである。しかし、そのまま「レオ」と呼ばれている。西武鉄道においては乗車カードに「レオカード」、山口線(及びそこで使用される西武8500系電車)に「レオライナー」の愛称がある。西武鉄道のボタン式旧券売機(タッチパネル新型券売機には書かれていない)や西武鉄道グループの西武バス(高速バス・貸切バスおよびノンステップバス※のみ)・西武高原バス・伊豆箱根鉄道・近江鉄道のバス及び西武ハイヤーのタクシー(黒塗りのハイヤーは除く)にもレオが描かれている。しかし、ここ最近の導入車両や車体更新車両ではレオマークが消え『Non-Step Bus』の文字だけになっている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。