山形放送株式会社(やまがたほうそう、"Yamagata Broadcasting Co., Ltd.")は、山形県を放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業とテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。略称はYBC。1953年にラジオ局として開局し(呼称: ラジオ山形)、1960年にテレビ放送を開始。当初は日本テレビを中心としたオープンネットでの放送だった。これは、当時の服部敬雄社長が正力松太郎の経営姿勢に共感を持っていたとも、背後の新聞社の関係(日本テレビ=読売新聞、ラジオ東京=毎日新聞)を勘案したともいわれる。NNN・ANNのクロスネットだった頃は、日本テレビ、テレビ朝日の番組が6:4の割合で放送されており、テレビユー山形開局までは、一部TBSの番組も放送されていた(なお、クロスネット時代のことについては山形テレビ(YTS)の項を参照)。1993年、YTSのネットチェンジ(FNN→ANN)によりNNN単独ネット局となり現在に至る。ラジオは開局当初、当時の服部社長がニッポン放送及びフジテレビの社長だった鹿内信隆と懇意にしていたため、ニッポン放送とネットワークを結んでいた。1965年以降はJRNとNRNのクロスネット。なお、1978年に勃発した巨人戦中継問題以降、月曜日のみRFナイターを編成していた時期もあった。現在、深夜から早朝の試験電波として日テレNEWS24のサイマル放送を実施している。山形県が現在筆頭株主(14.4%)である(ただし県内4局とも県の出資額は公平性の観点から一律1億円)。系列新聞は山形新聞。この新聞社との資本関係が非常に強く、社屋も共同で使用している。日本で唯一、テレビ局が社説放送をする局としても知られるが、これも山形新聞社との結びつきの強さが一つの鍵である。なお、元々ラジオ局として開局したためか、読売新聞・日本テレビ両社との資本関係は一切ない。しかし近年は読売新聞のテレビCM(スポットCM)を自社でも流すなど、キー局への配慮がなされている。また、YBCは読売新聞との資本関係がないにも関わらず、イベントを読売新聞東京本社の主催と山形新聞系列のYBCとの後援でイベント「東北サミット」(東北6県で不定期に開催する読売新聞東京本社の事業。イベント主催の発起人も読売新聞東京本社)を共催したこともあった。2005年12月1日に、NHK山形放送局・テレビユー山形とともに地上デジタル放送の本放送を開始した。企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:放送時間は、月曜0:00 - 4:00休止の24時間放送。月曜のみ4:00、ほかは5:00を1日の基点とする。県内同一周波数放送実施。以前は、テレビと共にローカルニュースは『山形新聞ニュース』、『YBCニュース』のタイトルが使われていたが、現在は『YBCニュースライナー』となっている。県内の公立高校入試の合格結果を、学校名、個人名も含めてアナウンサーが読み上げるという番組も過去に存在し、山形局(JOEF)が内陸地方の高校、鶴岡局(JOEL)が庄内地方の高校といった独自放送を行っていたが、現在は同一周波数化と個人情報保護の声もあって現在は放送されていない。2011年7月24日終了時点テレビ放送開始時、庄内地方でのテレビ放送を始めるにあたり、山形西蔵王親局から鶴岡高館山送信所への映像伝送が大きな問題となった。内陸(村山地方)と庄内地方の間には2,000m級の出羽山地が横たわり、直接の画像伝送が不可能だったからである。当時は、このような場合電電公社のマイクロ回線を常時借りるか、マイクロの自営回線を構築することが常道であったが、多額の費用が必要とされるため、山形放送では、山形親局と鶴岡送信所を両方見通せる新庄市にある標高1,000mの杢蔵山山頂に中継所を設置し、山形の電波を新庄で受信し、さらに、それを鶴岡で受信するという方法をとった。なお、NHKは当時山形放送局とは別に鶴岡放送局があった。これが全国の放送局の注目を浴び、他県でも同様の方法がとられるようになった。新庄杢蔵山中継所の建設に当たっては、当時の服部敬雄社長が自衛隊に対して出動要請を行い、多賀城駐屯地の施設部隊が登山道すらない高山の山頂までの車道を突貫工事で開削し、九州の部隊に配置されていた当時日本最大の大型ヘリコプターで機材の搬入を行ったという。村山地方⇔庄内地方の電波送受信における「杢蔵山経由」は、その後開局したテレビ局だけでなく、公共防災無線などでも活用されている。YBCラジオも、演奏所から新庄ラジオ中継局や鶴岡ラジオ中継局への音声伝送を杢蔵山経由で行っている。省力化を図るため、全送信所の無人化・リモートコントロール化を日本で初めて実現した放送局は山形放送である。YBCがNNNとANNのクロスネットだった時期、現在の『YBCストレイトニュース』の枠はNNN昼のニュースに続く形で『山形新聞ニュース』が約5分間放送され、その後ANNニュースライナーが放送されていた。1983年に放映された『HELLO!マイホーム』(のちに『ハロー!!マイホーム』へ改題)という住宅情報番組(現在の『ハウジング・ロード』にあたる枠)では、YBCラジオで4月 - 9月の期間に放送の綜合放送制作番組『いきいき歌謡ダイアリー』でも使われているポール・モーリア音楽の「雲に想いを」が当時使われていた。※MBS製作番組は腸捻転解消後も資本の関係でYTSに残る番組が数本ありほか多数 上記の2番組は、フジテレビ系列局の仙台放送が制作する番組であるが、YTSのネットチェンジ後もYBCにスポンサーの東北電力との契約が継続されていたので、フジテレビからフジテレビ系の番組の販売の拒否の対象から除外されていたと考えられる。◇印はANN脱退後に継続並びに新規で放送された番組、☆印は現在放映中山形県内ニュースは「YBC news every.」で放送された分のみを動画配信中(要Windows Media Player、祝日及び土日放送分のニュースは動画・文字配信共になし)。過去
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。