篠山市(ささやまし)は、兵庫県中東部に位置する市。兵庫県中東部に位置し、東西30km、南北20kmのやや長方形で、広さは377.61km²で県内第8位、兵庫県域の約4.5%を占めており自然環境の豊かな地域である。地目別にみると農地48.8km²、宅地8.36km²、山林207.63km²となっており、四方を山に囲まれ篠山盆地を形成し、市の中心部は盆地内に位置する。古来京都への交通の要として栄えてきた歴史があり、町並みや祭りなどに京文化の影響を色濃く残している。兵庫県でも旧丹波国に当たるため神戸より京都との方が結びつきが強い。気候は盆地特有の寒暖差が顕著で冬季の寒さは比較的厳しく、夏は高温・高湿であり、いわゆる内陸性気候に属する。主な産業は、農業、観光業が中心となっているが、少子高齢化の影響により他の地域と同様に農業の衰退が顕著であり、産業面において構造転換を迫られている。現在では観光と農業を組み合わせた観光農業(グリーンツーリズムの類)や、気候の寒暖差を活かした特産物の農業生産に移行しつつある。例えば、盆地特有の寒暖差を生かした丹波黒大豆の生産が全国的にも有名となっている。一方で山林の多くは杉・檜などの植林となっているが、木材価格の低迷や後継者難から主要な産業とはなっていない。また、秋から冬にかけては盆地特有の濃い霧が発生する日が多く、低い山(盃ヶ岳など)からでも眺められる雲海は「丹波霧」とも呼ばれ名物にもなっている。アクセス面においては市内西部を縦貫するJR福知山線(宝塚線)の複線電化、舞鶴若狭自動車道(開通時は「舞鶴自動車道」)の開通により、大阪や阪神間へのアクセスは良くなっており、宝塚、伊丹へは片道40〜50分、大阪へは1時間程度といった通勤圏となっている。このことからも経済的には、舞鶴や福知山をはじめとする北近畿経済圏というよりは大阪経済圏といった方がよい。しかし人口はここ近年減少傾向にあり、地価の下落も著しい。兵庫県多紀郡は、篠山市誕生の3月31日以前は、篠山町・今田町・丹南町・西紀町の4町があった。篠山盆地を中心とする多紀郡は、近世篠山藩の支配を受けていた。篠山町は、篠山藩の城下町として、近世以来、多紀郡の中心として発展してきたが、この篠山町を中心とした多紀郡4町は比較的まとまりをもった地域であった。1958年以来、6回目の合併協議がおこなわれたが、1996年に合併研究会が発足し、1997年に合併協議会が結成された。協議の結果、1999年4月1日に旧多紀郡篠山町・今田町・丹南町・西紀町の4町が合併し市制が施行された。兵庫県内においては、1967年4月1日に加西市が誕生して以来32年ぶりの市制施行となった。篠山市の誕生に際し、「自治体合併による人口4万以上の市制」を全国で初適用、平成の大合併のさきがけとなった。しかし合併後、市内各所で20億円規模の箱ものが建設され市民一人当たりの借金が200万を超えるなど市の財政は悪化、一時財政再建団体となる危険性もあったため、財政健全化を求める声が多い。市の行政機関として市中心部に、篠山市役所本庁舎を置く。他に、出先機関として、今田支所、丹南支所、城東支所、多紀支所、西紀支所、西紀支所西紀分局を置いている。丹波地方の国や県の行政・司法機関は、隣接市の丹波市柏原町に集中しているが、兵庫県丹波教育事務所は、篠山市に所在する。また、旧多紀郡を主な管轄区域とする行政・司法機関として、兵庫県篠山庁舎、篠山簡易裁判所、兵庫県警篠山警察署、神戸地方法務局篠山支局、篠山区検察庁、柏原公共職業安定所篠山出張所が、篠山市に所在する。※2014年(平成26年)5月1日現在。主要産業は農業で主な特産物は、丹波篠山黒豆(黒枝豆)、山の芋、丹波松茸、丹波栗、丹波茶など農産物を始め、丹波焼、丹波木綿など。デカンショ節は全国的にも知名度が高く、8月の「デカンショ祭」や「陶器まつり」、「味覚まつり」をはじめ、多くの観光イベントが年間を通じて行われ観光業も活発。(以上、アイウエオ順)北は丹波市および京都府の福知山市、東は京都府の南丹市および船井郡、西は加東市と西脇市、南は三田市、川辺郡及び大阪府の豊能郡にそれぞれ接しており、文化的・経済的には丹波市又は三田市との結びつきが強い。また平成の大合併により篠山市の周辺では、福知山市、丹波市、南丹市、加東市など多くの自治体が合併を進めてきた。その結果篠山市は、従来地理的に離れていた福知山市と接することとなった。平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.37%減の43,268人であり、増減率は県下41市町村中28位、49行政区域中36位。2014年(平成26年)5月8日に「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」が発表した2040年人口推計結果で、20歳から39歳までの若年女性の減少率が2010年(平成22年)比で58.7%となり、「消滅可能性都市」の1つとされた。少子高齢化や市内周縁部の過疎化により、学校数は減少傾向にある。例えば小学校では統合の動きが見られ、中学校も近年において多紀中学校と城東中学校が統合し、篠山東中学校となった経緯がある。なお、昭和24年(1949年)4月から昭和41年(1966年)3月まで、兵庫農科大学(現、神戸大学農学部)が設置されていた。兵庫師範学校(現神戸大学発達科学部)の分校が設置されていたこともある。(以下の記述中の「史跡」「重要文化財」「天然記念物」は、文化財保護法に基づき国が指定した史跡、重要文化財、天然記念物を指す)
出典:wikipedia
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