簡体字(かんたいじ、、)は、1950年代に中華人民共和国で制定された、従来の漢字を簡略化した字体体系である。簡体字という呼称は通称・俗称であり、正式には簡化字(かんかじ、、)と言う。中国大陸のほか、シンガポールなどでも採用されている。複雑な漢字の簡略化に際して、楷書化した草書の要素を多く取り入れ、また画数の少ない部品に置き換える手法も多く使っている。現在の『簡化字総表』は偏旁に使用できない簡体字350字(第1表)、偏旁に使用できる簡体字132字と簡化偏旁14個(第2表、下記参照)、第2表を適用した簡体字1753字(第3表)からなっている。総数は2235字になる。これらの漢字は『簡化字総表』にまとめられている。漢字の簡略化は古くから俗字として行われていたが、正字として使われることはなかった。清末の1909年、陸費逵が『教育雑誌』創刊号に「普通教育当採用俗体字(普通教育に俗字を採用すべきだ)」という論文を発表したことが簡化運動の始まりとされる。五四運動時代の1920年、銭玄同は『新青年』に「減省漢字筆画的提議(漢字の筆画を減少させる提案)」を発表し、1922年には陸費逵らと連名で国語統一籌備会に常用の漢字すべての筆画を減少させる提案をしている。1934年にも国語統一籌備会に簡略された字体の収集を提案し、翌1935年には2400字余りの『簡体字譜』の草案が編まれた。一方で、国民政府教育部でも324字の「第一批簡体字表」を公布したが、1936年に「不必推行」(普及の必要なし)の命令が出され実施されることはなかった。その後、簡略字体の収集が盛んになり1937年には字体研究会が1700字の「簡体字表第一表」を発表している。中華人民共和国が建国された3年後の1952年、簡略字体の議論を受けて、漢字研究の機関として「中国文字改革研究委員会」が設立された。1954年に憲法が制定され、政務院が改組されるなど新体制への変化の中で、中国文字研究改革委員会も中国文字改革委員会に改名し、1955年に『漢字簡化方案草案』を発表した。翌年の1956年1月、この草案を基に『漢字簡化方案』(簡:)が国務院より公布され、514字の簡体字と54の簡略化された偏や旁が採用された。数年の使用実験を経て、簡化字は1959年までの4度改訂公布され、1964年に『簡化字総表』にまとめられた。1977年、中国文字改革委員会は新たに「第二次漢字簡化方案草案」を発表し、さらなる漢字の簡略化を目指した。しかしこの試みは文化大革命直後ということもあって、あまりにも拙速なもので、字体が簡略化され過ぎて「読みにくい」、「見苦しい」と猛烈に批判され、社会に混乱を催した。その結果8年間の試行で廃止された。これらの簡化字は俗に二簡字と呼ばれる。この後、若干の漢字の取り扱いに変更があったものの、新たに大規模な文字改革は行われておらず、公式に定められた規範としての簡体字は安定期に入っていると言える。華人が多いシンガポールでは、1968年に簡化漢字委員会を設置し漢字の簡略化の検討を始め、翌1969年に教育省が502字を収録した『簡体字表』を発表した。この表により、シンガポールは中国大陸とは異なる独自の簡略化を進めた。その後1974年に中国大陸の簡体字を取り入れ、シンガポール特有の簡体字との併用が行われた。1976年に発表された『簡化字総表』で、シンガポールの簡体字は中国大陸のものと基本的に一致するようになった。マレーシアでは1981年に『簡化漢字総表』を発表し、中国大陸と同じ簡体字が実施されている。現在、中国大陸やシンガポールのほとんどの出版物は完全に簡体字を採用しており、学校教育も簡体字しか教えず、繁体字の読解力が低下しつつある。一方、台湾や香港、北米の華僑社会などでは繁体字を使い続けており、簡体字があまり読めないという人が多い。台湾で行われた電話世論調査によると、45%が簡体字を完全に読めない、41%が少し読めると答え、完全に読めると答えたのは残りの14%にとどまった。こういった事情と政治的・社会的要因によりしばしば同じ本について、中国向けに「簡体字版」、台湾・香港向けに「繁体字版」の2種類が出版されることがある。実際の手書きの文章では、現在の中国大陸に限っても、規範的な簡体字のほかに、繁体字、二簡字、俗字といった異体字が混用されることは珍しくない。本来は「簡体字」とはもとの字より画数を減らすなどして簡単にした字体、つまり日本語で言う「略字」に相当する語であり、例えば「」と「沢」はいずれも「澤」の簡体字である。しかし現在の日本では、中国で使われている字のうち日本とは違う字体の文字を総称して、「簡体字」と呼ぶことが広まっている。例えば、日本では以下の字(括弧内は日本で使用されている字体)を全てまとめて「簡体字」と呼ぶことが多いが、簡化字は全て簡体字に含まれるが、選用字と新字形はもとの字と比べ画数の減っていない字も含むため全てが簡体字とは言い難い。以下の字(括弧内は旧字体あるいは繁体字)は日本で「簡体字」と呼ばれることが少ないが、れっきとした簡体字である。簡体字の簡略化方法にはいくつか種類がある。日本における簡略化漢字である現行の新字体とは全く別に実施されたが、結果的に、簡略化された一部の字は日本の新字体や日本で俗に行われる略字と同一のものもある。その一方で、簡体字が日本の別の漢字と衝突することもある。たとえば、「机」は日本では「つくえ」だが、中国では「機」の簡体字である。「叶」という字は日本語では「かな-う」と読むが、「葉」の簡体字であるため、日本語では一般に「葉」と書き改める。簡体字で「叶」 () と表記する姓があるが、繁体字では「葉」となる。日本にも「叶」姓は存在しているが、別姓である(「かなえ」または「かのう」と読む)。このように、簡体字が繁体字や日本の新字体と混同されるケースは少なくない。簡体字で書かれた中国の固有名詞を日本語の文章で使用する際には日本の「新字体」に書き直すのが通例であり、日本の報道各社の用字用語集には簡体字と日本漢字の対照表を掲載しているものがある。1955年、中国文字改革委員会は「簡化方案」に先立ち「第一批異体字整理表」を公布して異体字の整理を行っている。そこでは810組1865個の漢字を扱った。例えば「并・並・併・竝」を「」とし、「屍・尸」を「」とした。(偏旁単独で表示できないもの、一部の環境でその可能性のあるものは、その偏旁が含まれる漢字2字を記し、併記した)2009年3月3日、全国政治協商会議の潘慶林委員が、簡体字は中国の伝統文化の継承を妨げるとして、10年間で繁体字に段階的に戻すよう提案した。潘は、簡体字は簡略化し過ぎていて漢字本来の芸術性や表意文字としての成り立ちを破壊している、書くのが面倒とされてきた繁体字は今ではキーボードで簡単に入力できると理由を挙げ、繁体字復活は中国と台湾の統一にも有利と政治的な理由も挙げている。繁体字復活とは別に、行き過ぎた簡略化を修正する見直し論もあるという。潘の提案に対し、中華人民共和国教育部(教育省)は、簡体字継続は現行法で保護されていると反論している。
出典:wikipedia
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