出雲国風土記(いずものくにふどき)は、出雲国の風土記。編纂が命じられたのは和銅6年(713年)5月、元明天皇によるが、天平5年(733年)2月30日に完成し、聖武天皇に奏上されたといわれている()。「国引き神話」を始めとして出雲に伝わる神話などが記載され、記紀神話とは異なる伝承が残されている。現存する風土記の中で一番完本に近い。713年(和銅6年)に太政官が発した風土記編纂の官命により、出雲国国司は出雲国庁に出雲国造の出雲臣果安(いずもおみはたやす)を招き、出雲国風土記の編纂を委嘱した。733年(天平5年)になって、出雲国造の出雲臣広島の監修のもと、秋鹿郡(あいかのこおり)の人、神宅臣金太理(かんやけのおみかなたり)の手によって出雲国風土記は編纂された。総記、意宇・島根・秋鹿・楯縫・出雲・神門・飯石・仁多・大原の各郡の条、巻末条から構成されている。各郡の条には現存する他の風土記にはない神社リストがある。神祇官に登録されている神社とされていないものに分けられ、社格順に並べられていると推察される(島根郡を除く)。自然の地形の項ではその地形の様子と特産品の情報が記されている。出雲国の概要が書かれている。郷里に関しては意宇郡を参照のこと。郷里に関しては島根郡を参照のこと。郷里に関しては秋鹿郡を参照のこと。郷里に関しては楯縫郡を参照のこと。郷里に関しては出雲郡を参照のこと。郷里に関しては神門郡を参照のこと。郷里に関しては飯石郡を参照のこと。郷里に関しては仁多郡を参照のこと。郷里に関しては大原郡を参照のこと。出雲国の官道を中心にした主要な道網や駅・橋・渡船、軍団、烽(とぶひ)、戍(まもり)が記載され、奥付が記されている。すべての郷に地名起源の説話が掲載されているが、ほとんどが断片的にのみ収録されている。ある程度まとまった形で収録された説話には以下のものがある。『古事記』や『日本書紀』に登場する神もいくつか登場するが、当風土記にのみ登場する神も多い。ここでは複数の地名説話で名が挙げられた神とその妻や子らのみを挙げる。神名の漢字表記は最初に登場したものを採用し、読みの「のみこと」は省略する。現存する写本は70種程あるが、その中で最も古いと考えられるのは慶長2年(1597年)に細川幽斎が書写させたもの(細川本)である。また倉野憲司が所蔵していた写本(倉野本)も、奥付を欠いてはいるがほぼ同時期に書写されたと考えられる。そのほか尾張徳川家に伝わった写本(徳川家本)や上賀茂神社に伝わる万葉緯本など、近世初期から多くの写本がつくられ各地に広まった。尾張徳川家徳川義直により寄進されたと伝えられる日御碕神社所蔵の写本(寛永11年(1634年)書写、通称日御碕本)は島根県指定有形文化財となっている。江戸時代初期より研究が進められており、多くの注釈書や解説書が出されている。など
出典:wikipedia
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