ソクラテス以前の哲学者(ソクラテスいぜんのてつがくしゃ)は、ソクラテス以前の初期ギリシア(紀元前6世紀から前4世紀)の哲学者のことである。しかしソクラテス以前には「哲学」という概念はなく、彼らを哲学者と表記するには異議が多いため、しばしば独語を用いてフォアゾクラティカーVorsokratiker ともいう。デモクリトスとソフィストはソクラテスと同時代人であるが慣例としてソクラテス以前の哲学者に含める。活動期は紀元前7世紀末から前5世紀までおよそ2世紀に渡り、場所はイオニアからマグナ・グレキア(大ギリシャ)に及ぶ。バルカン半島の南端ヘラスの地に南下してきたドーリス族によって、この地に先住していたアカイア族が押し出され、エーゲ海の対岸のイオニアや、マグナ・グレキアに移住していき、その地で初期のギリシア文化が形成された。前5世紀になってペルシア戦争のためにイオニア地方が衰微し、フェニキア系カルタゴとの小競り合いによってマグナ・グレキアに不安が広がり、ギリシャ人世界の中心がギリシャ本土に移るまでは、イオニアやマグナ・グレキアがギリシャ文化の先進地帯であったからである。ソクラテス以前の哲学者たちの思想は難解をもって知られまたその範囲についても議論の余地がつねに残る。これにはいくつかの理由が考えられる。ソクラテス以前の哲学者の多くは自然と宇宙を自ら思索の対象とした。そのため彼らの思想は宇宙論あるいは自然学としばしば呼ばれる。彼らは外界の現象についてそれまでの擬人的な神話による説明を排除しより一般化された非擬人的な説明を求めた。たとえば雷はゼウスが怒り雷撃を投げているのではなく、雨雲が空気の裂け目を生じその裂け目から嵐が吹き出し光がみえているのだと説明される。この姿勢は盲信的な宗教から離れ哲学、さらには科学へ至る考え方の転換点として世界史的にも画期的であった。彼らが説明を試みようとしたものには、などがある。イオニアの自然哲学は宇宙生成論から出発し(宇宙はなにから生じるのか)、次第に身の回りの現象を説明する方向へと向かった。個々の現象についてなぜそのような現象が生起するのかが問われ、さらにそのような現象すべてを統御する原理が求められた。「ロゴス」と呼ばれたその統制原理は火や数という具体的なもののなかに求められた。ここから数の性質を問い、派生的な諸概念、たとえば無限についての探求が行われた。また自然現象への問いは宇宙の究極的構成原理としての原子を仮定し原子の機械論的運動で世界を描像する原子論にゆきついた。こうした原理への問いはまた、既存の社会、都市国家のありようを反省し、そこでのふるまいを慣習によってではなく論理によって再び規定しようとするソフィストたちの登場にもつながっていく。あるいはまた、アナクサゴラスのように擬人的な神の描写に対する懐疑と拒否にもつながっていった。彼らの提案した現象記述は観察にもとづくとはいえ、思弁的で後世の自然科学からは否定される。後世の学者たちはソクラテス以前の哲学者たちが提示した答えのほとんどを真実とは受け取らなかったが、彼らが答えを求めようとした質問、さらに問いを立て探求するという態度はそのまま受け継がれた。しかし、近代に入っての多くの自然学上の発見によって原子論のようにその論理が再評価されたものもある。哲学史の上ではソクラテスを知るのには、ソクラテス以前の哲学者を研究する必要があると18世紀の後半から唱えられるようになった。ドイツの古典学者ディールスは彼らのテキストの断片を集めた『ソクラテス以前の哲学者』を刊行し研究の土台を作った。のちにはクランツがこの作業を受け継いだ。この断片集は彼らについての言及の断片と彼らに帰せられる断片を収録したもので、現在これらソクラテス以前の哲学者のテキストに言及する場合には出典指示のためディールス=クランツの断片集にある断片の整理番号(略称DK)を用いるのが普通である。近現代の哲学者でとくにソクラテス以前に注目する哲学者にはマルティン・ハイデッガー、古典文献学者でもあったニーチェなどがいる。
出典:wikipedia
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