ペルージャ()は、イタリア共和国中部にある都市であり、その周辺地域を含む人口約17万人の基礎自治体(コムーネ)。ウンブリア州の州都であり、ペルージャ県の県都である。1308年設立のペルージャ大学を擁する大学町である。付近にはアッシジがある。ペルージャ県中部に位置する。アレッツォから南東へ約57km、テルニから北北西へ約64km、シエーナから東南東へ約89km、フィレンツェから南西へ117km、首都ローマから北へ約135kmの距離にある。東南東約19kmにアッシジがある。市域中央部にはテヴェレ川が流れる。隣接するコムーネは以下の通り。市域はフェッロヴィーエ・デッロ・スタートのペルージャ駅周辺と、城壁の内部(ペルージャ大学やバスターミナルがある)などから成る。ペルージャはイタリアの中心に位置しているが、湿気のある亜熱帯性気候であり、北イタリアの大部分と類似している。ペルージャはの居住区であったが、最初に文献に登場したのは、エトルリア人の12の連合市の一つである「」()としてである。紀元前216年と205年に、ローマの援軍として第二次ポエニ戦争に加わった。紀元前41年、。ランゴバルド人の時代、ペルージャはトゥーシアの主要都市の一つと呼ばれていた。9世紀、ペルージャは教皇に屈服し、カール大帝とルートヴィヒ1世もこれに合意した。しかし11世紀までに、コムーネは自治を主張し、その後何世紀もの間、ペルージャは独立状態を維持した。その間、シエナ、アッシジ、アレッツォ、フォリーニョなどの近隣諸国と、何度も戦争状態となった。1797年、フランス軍に占領された。1789年2月4日、ペルージャを首都とし、フランスの三色旗を国旗とするティベリーナ共和国が誕生。1799年にローマ共和国に併合される。1832、1838、1854年に、ペルージャを地震が襲った。ペルージャには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。ペルージャは、チョコレートで有名である。これは当地に本社を置き、Baciというチョコレートを広く輸出しているペルジーナ社に拠るところが大きい。ペルージャのチョコレートはイタリアで大変人気があり、毎年10月に、街ではユーロチョコレート・フェスティバル(Festa del Cioccolato, Eurochocolate)が開催される。2007年の人口は163,287人で、その47.7%が男性、52.3%が女性であった。 未成年者(18歳以下の子供)が16.41%で、一方の年金生活者は21.51%であった。イタリアの平均は、未成年者が18.06%、年金生活者は19.94%であった。ペルージャの住民の平均年齢は44歳で、イタリアの平均年齢は42歳である。2002年から2007年までの5年間で、ペルージャの人口は7.86%増加した。一方、イタリア全体では3.85%の増加であった。2006年時点で、人口の90.84%はイタリア人で、欧州の他国から来た住民が3.93%(特にアルバニア、ルーマニアが多い)、アメリカ人が2.01%、北アフリカが1.3%であった。大多数の住民がローマ・カトリックを信仰している。市域を東西にフォリーニョ=テロントラ線、南北にチェントラーレ・ウンブラ線が走る。フォリーニョ=テロントラ線は西にテロントラ(トスカーナ州アレッツォ県コルトーナ市)、東にアッシジを経由してフォリーニョを結ぶが市域を東西に走る。チェントラーレ・ウンブラ線は北にサンセポルクロ(アレッツォ県)、南にテルニを結ぶ。両路線はポンテ・サン・ジョヴァンニ駅で接続する。また、ポンテ・サン・ジョヴァンニ駅からはチェントラーレ・ウンブラ線のペルージャ・サンタンナ駅への支線が出ている。このほか、市内にはミニメトロ(ピープルムーバー)が走っている。アッシジとの市境にペルージャ空港がある。
出典:wikipedia
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