セントルシアは、西インド諸島のウィンドワード諸島中央部に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。島国であり、海を隔てて北にフランス領マルチニーク、南にセントビンセント・グレナディーン、南東にバルバドスが存在する。首都はカストリーズ。正式名称は Saint Lucia ( セイント・ルーシャ)。日本語の表記はセントルシア。セントルシアの名は、クリストファー・コロンブスがこの島を「発見」したとされる日が、聖ルチアの祝日であったという伝承に由来する。聖ルチアは、ナポリ民謡「サンタ・ルチア」で歌われていることで有名なキリスト教の聖人である。アラワクと呼ばれるアメリカ先住民が3世紀頃に南アメリカ大陸のギアナ地方から海を渡って定住したが、その後、カリブと呼ばれる別のアメリカ先住民が進出してきた。ヨーロッパ人による島の「発見」の歴史的経緯ははっきりとしていないが、1500年頃にスペイン人の探検家 フアン・デ・ラ・コーサによって発見されたのではないかと考えられている。ヨーロッパ人による定住はフランスが最初で、約100年間ほどフランスが島を統括していた。現地語のクレオール語がフランス語を語源とするのは、ここに由来する。その後島を巡りイギリスとフランスが争い、17世紀から18世紀にかけて14回領有権が変わった。最終的に1814年のパリ条約においてイギリスの領有が確定した。1958年から1962年の間は、西インド連邦に加盟していた。1962年に西インド連邦が解体した後、1967年に自治領となり、1979年2月22日に独立した。セントルシアは立憲君主制(英連邦王国)、議院内閣制をとる立憲国家である。現行憲法は1979年2月22日の独立に伴い施行されたもの。国家元首は国王だが、英連邦王国のため、イギリスの国王がセントルシアの国王を兼ねる。国王の職務を代行する総督は、国王により任命される。政治の実権は行政府たる内閣にあり、その長である首相は総督が任命する。この任命は通常、下院総選挙後に多数派を構成した政党の指導者に対して成される。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命する。総督による任命は形式的なものである。立法府たる議会は両院制で、上院と下院により構成される。上院は11議席で、全議員が任命によって着任する。その任命は、6議席が総督、3議席が野党指導者、残り2議席が宗教界や財界などの社会的集団によって成される。下院は17議席で、全議員が直接選挙(小選挙区制)によって選出される。両院とも任期は5年。二大政党制であり、保守系の統一労働者党(UWP)と社会民主主義を掲げるセントルシア労働党(SLP)の力が強い。他の小政党も存在するが、二大政党の勢力を覆すほどの勢力は持っていない。セントルシアは中華民国(台湾)を承認している。正規軍は無く、代わりにロイヤル・セントルシア警察隊が準軍事的組織として存在している。また、警察隊の中に沿岸警備隊が含まれている。地域安全保障システムには1982年の設立当初から加盟している。11地区 (quarter) に分かれる。ウィンドワード諸島南部に位置し、島の北部にはセントルシア海峡を挟んでマルティニーク島があり、島の南部にはセントビンセント海峡を挟んでセントビンセント島である。火山島で最高峰は標高951mのジミー山である。山がちな島で豊かな熱帯雨林があり、島の南西部、スフリエールの南の方にあるプチ・ピトン山(748m)とグロ・ピトン山(798m)は双子の山として有名である。2004年にはピトン管理地域として世界遺産に登録された。農業はバナナが中心で、他にはココアやコプラなどもある。また、観光業も有望である。2005年の国際通貨基金の調査では、一人当たりGDPは4,658米ドルとなっている。島内に鉄道は敷設されておらず、道路も整備されたものは首都を中心とした西海岸とヘウノラ国際空港を中心とした南東海岸に限られる。内陸の山岳地帯では未だに徒歩ないしラバが主な交通手段である。住民は、90%がアフリカ系である。また、混血が6%、インディオが3%、白人が1%である。言語は公用語が英語である。また、フランス語をベースとしたパトワと呼ばれるクレオール語が使われる。宗教は、ローマ・カトリックが90%、聖公会が3%、プロテスタントが7%である。セントルシアのノーベル文学賞作家として、デレック・ウォルコット(1992年受賞)が挙げられる。また、黒人初のノーベル経済学賞を受賞したアーサー・ルイスも、国籍はイギリスであるがセントルシアの出身であり、彼は西インド諸島大学の創設にも大きな役割を果たした。セントルシアには、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が1件存在する。
出典:wikipedia
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