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折尾駅

折尾駅(おりおえき)は、福岡県北九州市八幡西区堀川町にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅であり、鹿児島本線及び筑豊本線ではその最西端の駅である。東口前にあるロータリーを挟んだ向かい側に、かつては西日本鉄道(西鉄)北九州線の終着駅である折尾電停があった。本項目ではこれについても記す。1891年(明治24年)2月28日に九州鉄道により、また同年8月30日に筑豊興業鉄道により、両社の折尾駅が別々の場所で開業した。1895年(明治28年)に両鉄道の乗換の利便性を改善するため、現在地に2社共同の折尾駅が完成。1階に筑豊興業鉄道の駅舎、2階に九州鉄道の駅舎と棲み分けることとなり、日本初の立体交差駅となった。1914年(大正3年)6月25日に九州電気軌道(後の西鉄北九州線)の折尾電停が開業し、乗換客の増加に伴い駅舎設備が手狭になったことを受けて、木造2階建ての駅舎が1916年(大正5年)11月5日に完成した(詳細は後述)。折尾駅周辺で高架化(連続立体交差)事業が行わることとなり、駅舎は2010年(平成22年)秋以降に取り壊され、移築される方針が発表されたが、用地の問題等から先送りになっていた(詳細後述)。しかし2012年10月より取り壊し工事が開始され、同月7日始発より、仮駅舎と北口を新設、従来東口にあった駅機能と駅前広場の大部分が北口に移転した。ただし、北口仮駅舎前の広場はバス、タクシーのみ入構可であり、一般車の入構および乗降は許可されていない。なお、解体された旧駅舎のうち、化粧柱やその周囲に設置されていた円形ベンチなどシンボル的な部材の一部については、八幡西区役所折尾出張所内で展示・保管され、地域住民が閲覧可能となっている。新駅舎完成については、当初平成28年度中(2017年3月迄)を予定していたが、北口暫定駅前広場や仮駅舎整備に必要な用地の取得に時間を要し、整備完了が当初計画に比べ約4年半遅れたことを受け、立体交差事業そのものの完成予定が平成31年度中(2020年3月迄)から約3年遅れの平成34年度中(2023年3月迄)に延期され、新駅舎の完成予定も平成32年度中(2021年3月迄)に延期されることとなった。新駅舎は、現北口仮駅舎の西側、鹿児島本線と筑豊本線の高架分岐部分に建設され、完成時には、現在東口・西口・鷹見口・北口と分散している出口が新駅舎の1箇所に集約され、高架下に通路が確保される予定。鹿児島本線・筑豊本線(若松線)の発着する本駅舎と、黒崎駅 - 東水巻駅を直結する福北ゆたか線短絡線上の八幡西区北鷹見町にある通称「鷹見口」があり、両者は約150m離れている。鷹見口の場所には元々駅舎・ホームはなかったが、国鉄分割民営化後の1988年(昭和63年)に設置された。本駅舎と鷹見口の間は改札外連絡となり、様々な特例措置が設けられている(後述)。駅舎は東口・西口・北口の3つの改札口を持ち、北口は直営でみどりの窓口を設置。西口と鷹見口はJR九州鉄道営業に業務委託している。自動放送導入駅。東口にあった旧本駅舎は、駅舎の中央部分と鹿児島本線に隣接する側が2階建て・筑豊本線の直方側が1階建ての左右非対称構造になっているのが特色で、1895年(明治28年)当初の駅舎をベースに増築されており、「明治と大正のモダンな建築様式を重層的にうかがい知ることができるもの」と貴重性が提起されていた。設計者は、辰野金吾ともいわれている。利用客の増加により1916年(大正5年)現駅舎の外形でハーフティンバー様式の外壁の駅舎が竣工、1986年(昭和61年)駅前再開発と連動して建物の外形はそのままにコロニアル様式の外壁に改修された。鷹見口の駅舎は折尾信号通信区があり、鉄筋コンクリート2階建てになっている。鹿児島本線が高架駅、筑豊本線(若松線)と鷹見口が地上駅の立体交差構造になっている。各ホームとも明治時代に築かれた御影石(1・2番のりば)や赤煉瓦(3番のりば)に、コンクリートが地層のように積み重なり、嵩上げの歴史を示している。その古さからか大きな拡幅工事も行われなかったため、それぞれの階段が狭い。ホーム上屋等に木造部分が多く残り、4番・5番のりばの一部の骨組みは1935年(昭和10年)の改修時に米国のカーネギーやメリーゴーランド製、ドイツのクルップ製のレールを用いて作られたものが残っているなど、「レトロ」な雰囲気が見られる。ホームは筑豊本線(若松線)が相対式2面2線(1・2番のりば)、鹿児島本線が単式1面1線(3番のりば)と島式1面2線(4・5番のりば)、福北ゆたか線(鷹見口)が相対式2面2線(6・7番のりば)となっている。1番のりばだけが非電化で、若松線および福北ゆたか線から同線への直通列車専用となっている。鹿児島本線ホームでの福北ゆたか線・若松線乗換案内では1番のりば発着列車が「東口階段 1番」、2番のりば発着列車が「西口階段 2番」、7番のりば発着列車が「鷹見口 7番」と表示されている。販売業者:東筑軒(西口の向かい側に本社がある)、主な駅弁は下記の通り。かしわめし弁当は、全国各地で開催される駅弁展示即売会などでも出品され人気を博すなど有名駅弁の一つである。なお鹿児島線上りホーム(4番・5番のりば)では駅弁の立ち売りが実施されている。(2011年6月に販売員が体調を崩し自宅療養となり中止されていたが、2013年2月から新たなスタッフで再開された)2015年度の1日平均乗車人員は16,475人である。これは北九州市内の駅としては小倉駅に次いで第2位。またJR九州の駅としては第5位である。近年は利用者減少が問題視されている。周辺には学校が数多く立地しており朝夕の通学時間帯は学生で賑わう。開業当時の地名(遠賀郡折尾町)が由来。かつてこの一帯は山続きで、その姿が折り重なる尾根のように見えた事が折尾の地名の由来である。その歴史は古く、1444年には折尾郷と言う地名が存在していた。折尾駅周辺の総合的再開発(折尾地区総合整備事業は3事業を一体的に実施)に伴い、折尾駅周辺連続立体交差事業として鹿児島本線(陣原~水巻駅間)と筑豊本線(本城~東水巻駅間および短絡線を含む)の延長約4.5Km(筑豊本線=約2.4km、鹿児島本線=約2.1km)を高架化する事業が進められている。具体的には、現在の鹿児島線の線路位置を軸にして筑豊本線を移設させ、高架完成後は駅部で3線が同一フロアに4面7線のホームが集約される予定である。平成31年度(2020年3月)までに完成予定としており、総工費は約350億円を見込んでいる。この計画に伴い、現在のルネッサンス様式駅本屋、レンガ積み通路は取壊される予定となっている。JRは自社での保存には消極的であるが、市が門司港駅のような完全復元をするのであれば援助したいとの意向を持っている。駅本屋については、学識経験者が「木造駅舎の優美な姿は(国重要文化財の)門司港駅と並ぶシンボル。折尾の産業史を物語るだけでなく、地域の景観に溶け込んだ共有財産と言うべきで極めて価値が高い」と述べ、折尾駅舎保存と活用策の要望書を北九州市に提出。全国的に折尾駅舎の保存活用を望む声が高まり、署名活動やシンポジウムなどが実施された。これを受け、2008年(平成20年)6月27日、折尾地区自治区会連合会・協同組合折尾商連などにより設立された「おりお未来21協議会」が『折尾まちづくりビジョン』を北九州市に提出。「まちづくりビジョン・歴史的建造物の保全と活用に関する提言」として、現在の折尾駅舎は、文化の保存を主目的とする地域の人々が活用できる「生きた施設」として保全することを優先する事を求め、歴史的建造物を活用したまちを目指す、としている。2009年(平成21年)6月30日には、北九州市と「おりお未来21協議会」が『』として、現駅舎を「南口駅前広場付近」または「堀川沿いの歴史公園」に移築する2案をまとめた。レプリカでの再築は2018年以降としており、地域のシンボルとして保全するため、地域住民が自ら建物の維持管理から運営までを行い、駅舎保全に必要となる整備費(敷地取得費・建物保全費)は、住民が広く住民や企業へ寄付金を募る一方で、管理・運営費についても、原則、自主財源で賄うとしている。ただし現状では、仮改札口設置の前提となる暫定北口駅前広場用地の買収が進んでいない。2010年(平成22年)9月、東口駅前広場の駅舎隣接のトイレ位置にも仮改札口を設置することが決定したことから、住民団体「歴史遺産『北九州市レトロ』を創る会」が2010年11月24日、駅舎中央部を曳き家方式で移動し、仮改札口として活用の上、駅舎を保存活用するよう要望を出している。。これに対して市は「移動させて駅舎スペースが確保できるのか疑問。曳き家方式に駅舎が耐えられるか調査も必要だ」と話している。この要望に対し、市議会では建築消防委員会の閉会中審査を行った。市議会には別の団体からも保存を求める陳情が出されており、継続審査になっている。2012年(平成24年)3月20日に西口の駅舎が仮のものに切り替えが行われ、2012年(平成24年)10月7日に暫定的な北口広場と仮駅舎の利用が開始され、東口のバス乗り場、タクシー乗り場、みどりの窓口等のほとんどの駅機能が北口へ移される。東口は従前の位置より20m南へ移動し存続する。本駅舎の南向かいに西日本鉄道(西鉄)北九州線の折尾停留場があった。1914年(大正3年)6月25日に九州電気軌道が折尾まで延長された際に開業した高架駅で、1942年(昭和17年)の西鉄成立により同社の駅となった。木造モルタル造りでトタン屋根の駅舎があったが1982年(昭和57年)に火災で焼失し、その後駅前再開発に合わせて1985年(昭和60年)12月18日に3階建ての駅ビルに建て替えられた。駅舎建て替え後の駅構造は櫛形ホーム3面2線で、ホームは3階にあった。2000年(平成12年)11月26日の北九州線全廃により駅としては廃止されたが、ビルは駅施設部分を除きその後も用いられていた。しかし、先述の折尾地区総合整備事業によりビルの敷地が「折尾駅南口駅前広場」の用地となっているため、2010年(平成22年)9月頃から解体され、一旦、仮市民トイレと駐車場になった。隣接のオリオンプラザも同様に2018年迄に解体工事が始められる予定。高架橋駅の橋桁は赤煉瓦造りのアーチ橋で、現存する大正期の長大な赤煉瓦高架橋は折尾と同年に竣工した東京の新永間市街地線高架橋のみ。東側3連アーチの東端は直下を通る生活道路と斜めに交わるため、アーチを斜めにする「ねじりまんぽ」(まんぽはトンネルの意)と呼ばれる特殊工法が使用され、日本最大級である。通常のトンネルと隣接するのは折尾のみで、土木技術史の教科書的存在といわれている。「ねじりまんぽ」は、全国に20数例確認されているのみで、先述の折尾地区総合整備事業で保存活用の方向で検討される予定。

出典:wikipedia

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