館山市(たてやまし)は、千葉県南部に位置する市。東京湾に面し、安房地方の西部に位置する。安房地域における政治・経済・文化の中心都市。本市は房総半島の南部、東京湾岸(内房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南約70㎞に位置する。東京都心から100km圏内である。なお、東京からは東京湾アクアラインを利用するルートが最短であり、約95kmである。市中心部は内房線沿線、特に館山駅周辺に住宅地や商店街が立ち並び安房地域における人口・商業・産業集積の場となっており、館山都市圏や館山商圏を形成している。商業施設などの大型店は、北条地区の館山バイパスや海岸通り沿いといった郊外に出店しているため、館山駅周辺の旧商店街のシャッター通り化やドーナツ化現象が問題となっている。年間気温16度以上で、冬でもめったに雪が降らない温暖な地域であるが、放射冷却によって、早朝の気温は氷点下を記録することがある。市南部の富崎地区や豊房地区において、過疎化が顕著である。現在の館山市は1939年に新設合併で誕生したものである。前身の館山町、館山北条町については当該項目を参照。房総半島の南部に位置し、館山湾に面して広がっている館山低地(北条平野)に古代の条里制の遺構がみられるなど、古代からの歴史を持つ。中世後期になってからは、安房国を支配した里見氏の所領地となり、里見義康が1588年に岡本城(南房総市)から館山の地に拠点を移し、館山城を築城した後は、現在の館山地区に城下町が形成された。このころもっとも繁栄していたのは館山地区であり、市の名前も中心部の「館山」を採用している。なお、名前の由来は「城の山」=「館の山」からきている。1878年、北条村に安房郡役所が設置されてからは、北条地区が安房地域の政治・経済・文化の中心地となり、1919年に安房北条駅(現館山駅)が開設されると、交通の要所として、ますます北条地区に中心機能が移って行った。1930年ごろ、館山航空隊、州埼航空隊、海軍砲術学校などの設置により、第2次世界大戦中は軍都として発展した。戦後は、カツオ漁などの餌イワシを供給する水産基地、北条海岸などの海水浴を中心とする観光都市へと移行した。漁業経営体数、従業者数及び漁獲高はいずれも減少している一方、従業者1 人当たりの漁獲高は増加し、労働生産性の向上がみられる。いわしやさばの漁獲量が多い。農家数及び農業従事者数はいずれも減少しており、平成17 年では昭和60 年の約4 割となっている。また、経営耕地面積についても、平成17 年では昭和60 年の半数近くにまで減少している。農業産出額は、平成7 年から減少している。生産性に関しては、1 農家当たりの農業産出額及び経営耕地面積当たりの農業産出額ともに過去20 年間で一貫して増加傾向である。これは、小規模農家の離農が進んだことなどによるものと推測される。電子デバイスを主要産業としていたが、「ユー・エム・シー・ジャパン」は2012年に撤退した。館山駅周辺の中小商店街は衰退しており、年間商品販売額は低下しているが、沿道型大型商業施設の出店により、売り場面積は増加している。館山市のみならず、南房総市や鋸南町から多くの買い物客が訪れ、館山商圏の中心都市となっている。高速バス路線開設により、時間的・値段的にも不利な鉄道は劣勢を強いられ、平日の君津-館山間の特急さざなみは廃止となった。東京湾アクアラインや館山自動車道の開通によって、房総の道路状況が飛躍的に向上し、多くの高速バス路線開設で都心方面とのアクセスが便利になった。運行概要などは各記事を参照。館山には海上自衛隊の第21航空群が置かれ東日本のヘリコプター部隊の司令部となっている。付近には旧海軍の遺跡が点在し、赤山地下壕は壕内も見学可能な日本唯一の航空要塞跡である。また、零戦の機関銃試験射撃場跡には、7.7㎜機関銃弾の弾痕が残されている。
出典:wikipedia
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