中西 輝政(なかにし てるまさ、1947年(昭和22年)6月18日 - )は、日本の歴史学者、国際政治学者。京都大学名誉教授。専門は国際政治史、文明史。保守系の論壇や政治活動でも知られる。京都大学での指導教員は高坂正堯(学部は民法の林良平)、ケンブリッジ大学ではサー・フランク・H・ヒンズリー。この二人に対する思いは『高坂正尭著作集』第6巻(古典外交の成熟と崩壊)解題「ヨーロッパへの愛あるいは歴史への愛」に記されている。この2人と並び、特に江藤淳から大きな影響を受けたと回想している。。ただし、中西との学術的、政治的スタンスは異なっている。『正論』、『諸君!』、『VOICE』、『WiLL』などの保守系オピニオン誌の常連寄稿者である。執筆内容は時事評論が多いが、ルーズベルト・アメリカ合衆国大統領夫妻(フランクリン・ルーズベルト、エレノア・ルーズベルト)の「反日」・「容共」的姿勢や、敗戦後の日本占領統治を主導したGHQ内のニューディーラーの体質、戦後民主主義を批判する歴史に関する論稿も多い。2007年(平成19年)7月13日には、慰安婦問題に対する旧日本軍による組織的・計画的な強制連行がなかったとする理解に基づき、米国大使館に手渡されたアメリカ合衆国下院121号決議全面撤回を求める抗議書に賛同者として名を連ねた。また、田母神俊雄が航空幕僚長在任中に発表した論文について、その主張を支持した。、近年は情報・諜報研究についても積極的な発言を行ない、2002年(平成14年)には門下生を中心とした「情報史研究会」という研究会を設立した。また、冷戦期にソ連の暗号解読を行なっていた「ヴェノナ計画」関連資料がクリントン政権期に米国で公開されたことを受けて、マッカーシズムへの再評価を主張している。小泉純一郎については、政権成立当初は評価していたものの、その政治手法が大衆迎合的であり、実施した政策(構造改革、北朝鮮政策など)もまた支持できないものであるとして、批判を強めていった。その後小泉に代わり、より保守的な政治を推進する「保守革命」「保守新党」の必要を主張し、その中で石原慎太郎、安倍晋三らを高く評価することとなる(「政治との関わり」の項も参照)。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では安倍晋三の選挙運動はがきに推薦人として記載され、公職選挙法違反の疑いをかけられたが、安倍事務所と中西の妻の手違いと説明された。安倍の首相就任前後には、政策に影響力を持つブレーン「五人組」(他に伊藤哲夫、西岡力、島田洋一、八木秀次)の一人として報道されたこともある。2006年春以降は五人組の一人伊藤哲夫と安倍政権に向けた政権構想の推敲を重ね、また安倍が自民党総裁選直前の7月にアメリカの『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿を予定していた論文は、中西と安倍の対話をまとめたものを「五人組」で読み合わせしたものだが、諸事情により掲載は見送られた。安倍晋三の政治姿勢を高く評価している。第1次安倍内閣発足後は「美しい国づくり」企画会議のメンバーに選ばれている。ただし、中西本人は政権発足時から安倍のブレーンであることを否定している。しかし、後に「戦後70年談話や日韓合意を契機に、安倍政権への評価が根本的に変わった。当初の支持を撤回する」とした。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。