慶應義塾志木高等学校(けいおうぎじゅくしきこうとうがっこう 英語名: Keio Shiki Boys' Senior High School)は、埼玉県志木市本町四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立高等学校。慶應義塾普通部または慶應義塾中等部を卒業した者と国立もしくは公立の中学校を卒業し、または私立高等学校を併設しない私立中学校を卒業した者などとの間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する中高一貫校。慶應義塾が設置する男子校。1学年6クラスで計約250名、全校生徒数は約750名である。高校受験では一般約190名、自己推薦約40名を募集しており、これに内部進学者が加わる。卒業後、原則として無試験で慶應義塾大学に進学できる。略称は「志木高(しきこう)」(主に塾内での呼称)、「慶應志木(けいおうしき)」。1944年、慶大日吉キャンパス内に慶應義塾獣医畜産専門学校が開設された。当初は大学農学部を置く予定であったが、戦時下における政府の方針などから専門学校に縮小された経緯がある。翌年の敗戦後はアメリカ軍により日吉キャンパスが接収されたため、川崎市蟹ヶ谷の旧海軍東京通信隊の施設を借用して授業を再開したが、1947年、塾員松永安左エ門より寄贈された埼玉県志木の現校地(旧・東邦電力の東邦産業研究所が置かれていた)に移転した。1948年、学制改革により慶應義塾農業高等学校に転換、1957年には普通科高校に転換し、現在に至る。その際系列大学への無試験進学が認められるようになった。教育方針は以下の4項目である。生徒手帳の1頁目には、「慶應義塾の目的」という福澤諭吉の文章が載っている。内容は以下の通りである。校則がなく自由な校風である。例えば、制服は定められているが普段の服装は自由(系列校では他に中等部が該当する)、休講となった授業の時間は大学同様に学校に全く拘束されない、などである。容姿に関する規定もないに等しく、カラーやパーマ、イヤリングを施す生徒がいても注意されるという話は聞かれない。しかし、同時に自己責任が問われることも事実である。これは福澤諭吉の建学精神である「独立自尊」に由来する。また、緑豊かな環境、原則全員が慶大に進学できる(ただし成績評価が低く、留年する者も毎年存在する)ため進路の心配が少ないことなども、伸び伸びした校風を形成している要因である。式典も少なく、始業式や終業式は一切行われず、学期の初日から通常授業が始まる。期末試験終了から2週間程度の授業の後、長期休業に入る。上履きがなく、校舎内も土足で立ち入ることができる。掃除の時間もない。校内の敷地は広大(37000坪)で、武蔵野の面影を伝える樹林や竹林があり、埼玉県の準絶滅危惧種であるカタクリが生育するなど植生が豊かである。また校内には池が3か所、水田が1か所あり、ヒキガエル、アマガエル、カルガモなどが繁殖している。池の周辺では、カルガモの雛を狙うアオダイショウの姿もよく観察される。まれにタヌキ、モグラなども見かける。学校周辺は完全に市街地化しているため、校内のタヌキは遺存的な個体群であり、貴重なものである。自然度が高いためオオスズメバチが生息しており、近年駆除を行ったが未だに校内でよく見られる。志木市天然記念物に指定されているチョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)が敷地内に植樹されている。近年、生物部が飼育していたモリアオガエルが逸出し、定着した。産卵期には校内の池で卵塊を観察できる。農業高等学校時代の名残から、校内に作られた畑で耕作授業も行われている。このような恵まれた自然環境は本校の特徴の一つである(生徒1人あたりの敷地面積は他の高校と比べて非常に広い)。農業高校時代に農地だった土地は現在グラウンドとして活用されている。また以前は野火止用水が流れていたが、現在は暗渠化されている。現在の敷地面積は農業高校時代と比べ、半分ほどに減っている(慶應義塾の財政難の対策として所有地を売却したため)。校門前の校舎に続く白い斜路、大きな敷地が象徴となっている。独自の校歌はないが、『慶應義塾塾歌』がこれに相当する(入学式などの式典時に斉唱する)。「ペンマーク」と呼ばれる、2つのペンを交差した慶應義塾共通のマークである。「ペンは剣よりも強し」を表現している。学生証、学生服のボタンなど様々に用いられる。塾旗に由来する青赤青の横縞の並びである。学校で販売される慶應義塾オリジナルの詰襟制服の袖裏地には、この縞模様がデザインされている(ただし、詰襟であればボタンを付け替えることで一般的なものも使用可能)。入学する方法によって、入学生は内部進学者と外部受験者の2つに分けられる。普通部および中等部出身者(幼稚舎卒を含む)。入学試験に合格し、入学した者。多数の生徒がこれに当たる。本校の入学試験には以下の3種類がある。ほぼ全員の生徒が慶大へ進学できるため人気が高い。慶應義塾高等学校(日吉)に比べ募集枠はやや少ない。一般入試の試験日が他の高校と比べ早期であるため、開成高校や国立、他の早慶の附属高校を併願する受験生の多くが同校を受験する。本校卒業生全員が学校長から慶應義塾大学への推薦を受けられるため、主に他大学を受験する生徒を除いた(他大学を受験する場合、推薦を辞退しなければならない)卒業生の殆どが慶應義塾大学の各学部へ進学する。進学する学部は基本的に各人の志望が尊重されるが、実際には在学中の成績・出欠状況を考慮した上で、各学部毎に設けられた定員に従って決定される。特に、医学部と法学部、経済学部は例年人気が集中し、進学を希望しても叶わない場合がある。一方で、商学部、理工学部、文学部、薬学部、総合政策学部、環境情報学部、看護学部を志望した場合には、卒業条件さえ満たせば進学が認められる場合が多い。また、理工学部、医学部、薬学部のいずれかに進学するためには、2年及び3年次の必修選択科目で化学・物理を選択することの他に、3年次での自由選択科目で定められた理系科目(理工学部、薬学部と医学部では多少異なる)を選択することが条件となっている。なお、かつては自宅からの距離が遠いため通学困難な生徒のために学生寮が併設されていた。ただし、全寮制ではなく、通学生の比率の方が高かった。寮は有隣寮と高翔寮の2棟があり、有隣寮は1962年、高翔寮は1964年に完成。当時の慶應義塾の一貫教育校で寮を持つのは志木高が唯一であった。しかし、公共交通機関の発展等の影響から年々入寮者が減少したため、1987年度の新入生を最後として募集を終了、1990年に閉鎖された。寮のあった敷地は売却されたため、現在はマンションなどが建っている。卒業すれば学校長から慶應義塾大学の各学部への推薦を受けられるため、受験のための勉強は多くの場合しない。カリキュラムも非常に独特で、個性ある教員によってユニークな授業が展開される。教科書は数学系しか用いず、大学受験などを行うのは難しい環境になっている。自由選択の化学と物理のカリキュラムは大学二年の課程までに修了させる。定期試験は年3回、学期末(本校では1年間を単一学期としているが、ここでは便宜上学期を3つに分ける)に行われる。公式には、成績は年度末のみ記録される。ただし、第1期・第2期の期末にはその段階(学年始めからの通算)での習熟度の目安を示すために、成績評価が行われる。成績は各科目の通年の成績が算出され、8段階評価によってなされる。1と2は用いられず、3 - 10の成績が使用される。各学年において1度ずつだけ留年が許される(最長で6年間在籍可能)。留年の基準として、成績で評定平均が6を下回る場合または3を1.0、4を0.5として、それらの合計が各学年の成績算出時に2.5を超える場合には留年となる(ただし、恩赦により仮進級処分となることもある)。更に、2度続けて留年になると学則により退学しなければならない。なお、教員不在により休講になることが多々ある。2学年時の「総合的な学習の時間」では、言語や民族そして文化や歴史などに関する23の講座がある。2学年時と3学年時の語学課外講座では以下の23の言語と文化が学べ、その言語を母語とする講師を招いている例もある。系列の慶應義塾大学、慶應義塾高等学校、慶應義塾女子高等学校との合同練習が行われるクラブもある。2009年度、以下の19の体育部と11の文化部がある。
出典:wikipedia
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