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ユーフォニアム

ユーフォニアム(ユーフォニウムとも)は金管楽器の一種。一般的にB♭管で、幾重かに巻かれた円錐管と、通常4つのバルブ(弁)を持つ。音域はテナーやテナー・バスのトロンボーンとほぼ同じであるが、それよりも幾分か柔らかく丸みのある音色を奏でる。主な活躍の場は金管バンド(英国式ブラスバンド)、ファンファーレバンドと吹奏楽であるが、オーケストラにおいてもテナー・チューバなどとしてスコアに指定される事がある(チューバも参照)。ユーフォニアムのマウスピースは多くのメーカーでカタログ上トロンボーンと共通に扱われているが、トロンボーンのものよりややカップの深い物が好まれる。各国には、ユーフォニアムとほぼ同じ役割を担うものの、音色、形状、バルブシステムなどの異なる楽器が存在し、これら全てを統括したグローバルスタンダードな名称は、今のところ存在しない。従って、これらの楽器は、個々においてはその本来の名称を使い、日本において一纏めに呼ぶ必要がある時は、便宜上「ユーフォニアム」と呼ぶのが、今のところは妥当である(例:次項の「各国のユーフォニアム」「ユーフォニアムの歴史」のように)。日本のユーフォニアムの役割に相当する各国の楽器には大きく3つのタイプが現存し、各国で用いられている。この他、以下のような楽器もある。ユーフォニアムの音色は、トロンボーンやホルンにも似ているためか、一般的にはよく知られていない。ユーフォニアムの音色がよく感じられる代表的な作品には、以下のようなものがある。ユーフォニアムは、ヴァイマルのコンサートマスターであったフェルディナント・ゾンマー(Ferdinand Sommer)が自身専用のソロ楽器として発案したゾンメロフォン(Sommerophone)を元に、改良が加えられ、一般に使われるようになった。元々はオイフォニオン(Euphonion)と呼ばれたが、この名前はギリシア語の“euphonos”「良い響き」(eu=良い、phone=響き)に由来する。ゾンマーのゾンメロフォンが登場する以前は、セルパンやバスホルン、オフィクレイドなどが金管低音の役割を担ってきた。1835年に、プロイセンの軍楽隊長だったW.ヴィープレヒトの要請を受けて、C.モリッツによってF管のアップライトベル、フロントピストン式バスチューバ(Basstuba)が作られた。続いて1837年には、それよりも小型のB♭管のアップライトベル、フロントピストン式テノールチューバ(Tenortuba)が作られた。こうして、金管の低音域をバスとテナーという別々の楽器で演奏するようになり、前者がバスそしてコントラバスチューバへと発展し、後者がユーフォニアムへと発展していった。1843年にゾンマーは、モリッツのテノールテューバやその後各地で作られた同じような楽器を元に、ゾンメロフォンという楽器を発案する。これはゾンマー自身がソロを演奏するために発案したものである。1851年のロンドン万国博覧会にて、アルバート公を始めとするイギリス王族の御前で、オルガンを伴奏に、ゾンマーがこのゾンメロフォンを用いてソロ・リサイタルを開催した記録が残っている。 そのリサイタルのスケッチ(ゾンマーがゾンメロフォンを演奏している)はVictoria and Albert Museumにて見ることができる。この楽器は、C.モリッツの製作したテノールチューバと同じような、細いチューバ型であった(ただし、バルブはロータリー式)。ゾンメロフォンが完成した翌年の1844年、ゾンメロフォンを製作したウィーンのフランツ・ボック(Franz Bock)とフェルディナント・ヘル(Ferdinand Hell)が、それぞれゾンメロフォンを改良させた「Euphonion」「Euphonium」という楽器を作った(いずれもバルブはロータリー式)。特にボックが作った「Euphonion」(オイフォニオン)は、バルブこそロータリー式であるが、現在のユーフォニアムに近い太い楽器であり、その音色は「オーケストラのチェロに匹敵する」と、ボック自身が特許出願の際に記している。この楽器は、後にチェルヴェニー(Cerveny)社(現チェコのメーカー)からも「オイフォニオン」として一般向けに製造販売されるに至った。19世紀中頃に登場した「オイフォニオン」が実際に楽曲に使われた例としては、ブルックナーの「行進曲 変ホ長調」(1865年作曲)が挙げられる。こうした流れとは別に、ベルギーでは1843年にアドルフ・サックスが、高音域から低音域までを同一の音色でカバーする一連の金管楽器「サクソルン」を製作し、1845年に特許を取得した。現在のユーフォニアムは、このサクソルンのバス(Basse)のスタイル(アップライトベル、アップライトピストン)を踏襲している。ユーフォニアムは、セルパンやバスホルン、オフィクレイドの高音域を担うために生まれてきた楽器や、またサクソルン一族のバスとして生まれた楽器などが元になっている。そして、ゾンマーによる発案と彼自身の演奏活動をきっかけに、ソロを担う楽器として、またオーケストラのチェロのような役割を担う楽器として改良が加えられ、現在の形状と音色とに至ったのである。なお、現在の一般的なユーフォニアムの形状は、1890年代のイギリスのブージー社(Boosey & Co.)製のユーフォニアムとほとんど変わらない。この画像は歴史的楽器展示室にて見ることができる。日本におけるユーフォニアムの歴史は、明治3年(1870年)にイギリスよりユーホーニオンが到着した事により始まった。日本人初のユーフォニアム奏者は、明治2年(1869年)に薩摩藩によって集められた軍楽隊の伝習生、尾崎惟徳(平次郎)であった。軍楽隊の伝習生は、当初イギリス式教育を受けたが、明治3年に陸海軍が分離された後、海軍軍楽隊はイギリス式教育(後にドイツ式教育)、陸軍軍楽隊はフランス式教育を導入したため、ユーフォニアムに相当するパートに関しては、海軍では「ユーフォニオン、バリトン」、陸軍では「プチバス、小バス」等と様々な名称で呼ばれていた。遺されている多くの画像によれば、いずれも主にフランス式の楽器(サクソルンバス)が使われていたことがわかるが、一時期の海軍や音楽学校、各種音楽隊、学校教育における吹奏楽部などでは、指導者の方針により、ドイツ式バリトンや(小バスではない)ユーフォニアムなども使われていた。第二次世界大戦敗戦後に米国より導入されたスクールバンドの普及により、現在、日本においては名称は「ユーフォニアム(ユーフォニウム)」に定着し、楽器もイギリスで発展したピストン式のユーフォニアムが一般的になっている。おおよそ1960年代からユーフォニアムを専門とする演奏家が活躍を始めた。その後、ユーフォニアム部門のコンクール開催や海外演奏家の来日等により、専門家としての能力と指導力を身につけたユーフォニアム奏者達は、続々と音楽大学の講師として赴任し、日本の演奏家による国外での活躍も見られるようになった。オーケストラのスコアに、テナーチューバのパートが設けられていることがある。これは作曲者がユーフォニアム、ドイツ式のバリトン、B♭管のワグナーチューバなどを想定して設けるパートであり、作曲者がどの楽器を想定してこのパートを設けたかは、記譜や他楽器からの持替え指定、作曲年代、曲想などにより判断されている。現在、ユーフォニアムやドイツ式のバリトンで演奏される楽曲に、リヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』、『ドン・キホーテ』、ホルストの『惑星』、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』などがある。ラヴェル編曲の『展覧会の絵』(原曲はムソルグスキー作曲のピアノ曲)にはチューバのパートが設けられているが、当時のチューバはユーフォニアムに近いフランス式の楽器(フレンチ・チューバ)であったとして、高音域が続く「ビドロ」のソロのみ、しばしばユーフォニアムで演奏される。日本においてはピストン式のバルブを持つ楽器を「ユーフォニアム」、ロータリー式を「テナーチューバ」と区別する場合がある。しかしその結果、「テナーチューバ」はパート名であるにもかかわらず、オーケストラで使用される「楽器」である、という誤解が生じる原因となっている。オーケストラにおいては、前述のような「テナーチューバ」のパートの他に、マーラーの交響曲第7番では「テノールホルン」の指定があり、ショスタコーヴィチのバレエ音楽「黄金時代」は「バリトン」の指定、レスピーギの「ローマの松」では「フリコルノ・バッソ」の指定がされている。日本において入手し易い代表的なメーカーは以下の3社である。各社とも音色・操作面において明確なオリジナリティを有する。

出典:wikipedia

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