成田線(なりたせん)は、以下の路線から構成される東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)。いずれも全区間千葉県内を走行する。総武本線佐倉駅から北へ分岐し、成田駅を経て、利根川南岸に沿って、再び総武本線との合流駅である松岸駅へ至る本線は、佐倉駅 - 松岸駅間では総武本線よりも13.4km営業キロが長い。空港支線は、成田駅から約2km北の地点で本線と分岐し空港第2ビル駅を経て成田空港駅に向かう。直通の軌道系交通機関がないため「世界一不便な国際空港」と揶揄されていた成田空港の状況をみた当時の運輸大臣である石原慎太郎の“鶴の一声”により、建設中止になっていた成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤の一部を活用して、1991年3月19日に京成線と同時開業した(成田空港高速鉄道も参照)。運輸省内部でもすでに1980年代半ばから実際的な検討を進めていた。開業当初は成田空港駅のみだったが、翌1992年12月6日の第2旅客ターミナルビル供用開始に伴い、3日前の12月3日に空港第2ビル駅が開業した。成田駅から分岐して我孫子駅に至る支線は、正式な愛称や通称などはないが、本線・空港支線とは区別された名称で呼称される場合があり、「我孫子支線」が一般的な表記である。また、直通する常磐線区間と併せて「常磐・成田線」として括っていることもある。2001年の我孫子支線全通100周年を機に、一般市民からこの支線の愛称を募集したところ、その中から「成田四季彩線(なりたしきさいせん)」と「水空ライン」の2種類が最終的な候補になり、フジテレビで同年4月6日に放送されたバラエティー番組『プレゼンタイガー』でJR東日本や沿線の関係者、並びに番組審査員4名(おちまさと、真島満秀、森下直人、ドン小西)の立会いの下審議した結果、この「水空ライン」が採用されたという。しかし、この愛称は我孫子市などの沿線自治体当局で使われたのみで、JR東日本ではその後も「水空ライン」とは案内せず、「成田線」の案内のままである。我孫子駅付近が東京支社の管轄であるほかは、全線が千葉支社の管轄である。千葉支社と東京支社の境界は、我孫子駅 - 東我孫子駅間の佐倉起点43km地点(常磐線天王台駅南方付近)にあたる。全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。普通列車は総武本線の千葉駅または銚子駅を始発・終着とする。総武本線経由や鹿島線列車と区別する意味合いから総武線内でも当列車を「成田線の列車」として案内している。快速列車は総武快速線から千葉駅・総武本線を経て当線に乗り入れる。「エアポート成田」など東京駅を経由して横須賀線に直通する列車も設定されている。主な運用車両は、快速列車がE217系、普通列車が209系である。優等列車では、特急「成田エクスプレス」のE259系、特急「あやめ」のE257系などである(詳細は「使用車両」を参照)。本線を走る大半の列車が東京方面と直通する佐倉駅 - 成田駅間の成田空港アクセス列車であり、空港連絡鉄道としての役割が重要視されており(「空港支線」の節も参照)、成田空港行き快速列車から接続する成田発の銚子行き普通列車が設定されているように、空港連絡列車中心のダイヤ編成となっている。また長編成の貨物列車も走行するため、久住駅 - 香取駅間の交換設備では線路長を長く取っている。このため、E217系の11両編成も乗り入れが可能になっている。香取駅から分岐する鹿島線直通列車は、千葉駅発着の列車のほか、成田駅・佐原駅発着の列車が設定されている。かつては鹿島線特急であった「あやめ」は、2004年10月16日に成田線特急「すいごう」を統合し、成田線特急「あやめ」として銚子駅・鹿島神宮駅発着便がそれぞれ1往復ずつ(臨時便はのぞく)運行されていたが、2015年3月14日の改正で廃止された。いずれも佐原駅 - 鹿島神宮駅・銚子駅間は普通列車として運行されていた。運転間隔は成田駅 - 佐原駅・香取駅間が1時間あたり1 - 2本程度、佐原駅・香取駅 - 松岸駅・銚子駅間が1本程度である。この区間は我孫子支線よりも運転本数が少ない。昼間などは、佐原駅で列車交換をしたあと、終点の銚子駅まで列車交換なしの列車もある。千葉駅 - 佐原駅 - 銚子駅間の普通列車は最大8両編成、鹿島線直通列車は4両編成で運転されている。なお、前述の通り千葉駅 - 佐倉駅間は総武本線であり、そこに成田線列車が乗り入れている形態であるが、交通新聞社発行の時刻表などにおいては、成田線系統に重きが置かれている場合がある。例えば、「全国版コンパス時刻表」や「MY LINE 東京時刻表」では、千葉駅 - 四街道駅・佐倉駅間の総武本線内しか運転しない列車であっても、これらは成田線のページにしか載っておらず、総武本線のページでは佐倉駅を跨ぐ列車のみを掲載している。前述のように、成田新幹線の施設を転用し本線に接続してJRの成田国際空港へのアクセス路線とした経緯があるため、成田駅から本線との分岐点(イオンモール成田付近にあり、単独の信号場ではなくここまでが成田駅構内扱い)までがJR東日本の第一種鉄道事業区間、そこから先は成田空港高速鉄道の第三種鉄道事業区間(JR東日本が第二種鉄道事業者)となっている。なお、分岐点には黒地に白抜きで「NKT 0.0」と書かれた境界を示す標識が立っている。この区間を走る定期列車は、朝夕の通勤時間帯に209系8両編成による普通列車が3往復運行と平日朝の上り1本が通勤快速として運行されている以外は特急「成田エクスプレス」と快速「エアポート成田」(上りは"快速"とのみ表示)のみで、いずれの列車も空港第2ビル・成田空港の両駅に停車する。成田駅 - 成田空港駅間のシャトル運転はなく、全列車がこれらの総武本線直通列車である。日中の本線は1時間あたり成田エクスプレス1 - 2本、快速1本のダイヤとなっているが、同じく成田空港に乗り入れる京成線には特急スカイライナーが1 - 2本(日中20 - 40分間隔)・料金不要の京成本線経由の特急が3本(日中20分間隔)・成田スカイアクセス線経由のアクセス特急が1 - 2本(日中40分間隔)運行されており、JRよりも圧倒的に本数が多い。またスカイライナーは成田エクスプレスに比べて料金・運賃が割安なため、京成線を使う空港利用者も多い。現在は支線内(我孫子駅 - 成田駅間)運転のほか、常磐線快速電車が直通運転を行っているが、本線(佐倉・佐原方面)との定期列車の直通運転は行われていない。起点から終点へ向かう列車を下りとする定義に従えば我孫子方面が「下り」であるが、実際には我孫子方面が「上り」、成田方面が「下り」として運用されており、列車番号も我孫子から成田へ向かう列車に(下りを示す)奇数番号が付番されている。常磐線直通列車は我孫子駅で列車番号が変わる。定期列車はすべて普通列車(各駅停車)で、途中駅発着の区間列車もなく、全列車が我孫子駅 - 成田駅間の全区間を通して運転する。線内運転列車のほか、常磐線経由の上野駅発着列車(常磐線内快速:一部は上野東京ライン経由で品川駅発着)が下り16本・上り17本(日中に限ると線内運転の列車と常磐線直通列車が1時間あたり各1本)運行されている。成田駅において成田空港方面への快速列車との接続が考慮されたダイヤ設定が行われている。品川・上野駅発着の列車の一部は我孫子駅で増解結を行う。増解結を行う列車は成田線内は基本編成10両編成での運転で、我孫子駅では5両の付属編成が増解結の対象となる。本線・空港支線で見られるような多層建ては行っていない。なお、直通列車の場合でも昼間を除き我孫子駅での停車時間が長い列車が多く、上りは常磐線水戸駅・土浦駅・取手駅方面からの先行の快速上野、上野東京ライン経由品川行きに、下りは後発の快速から、乗り継げる場合が多い。時刻表上においては、常磐快速線直通列車を含め線内は全列車が普通列車であるが、成田発上野行き列車の車内放送では「快速 上野行き」と案内されている。駅に掲示されている時刻表にも「快速 上野行き」と表記されていた期間があり、利用者の間では成田発上野行きの列車は「快速」との認識がある。これは、本線・空港支線における総武快速線直通列車と類似しているが、本線・空港支線の直通列車は千葉駅以東も含め全区間で快速として運転する点が異なる(千葉駅以東にも通過駅がある)。また、このような直通運転先の種別での案内は本線区に限らず行われている。全線単線で、全駅に列車交換設備がある。車両は常磐線快速電車と共用の直流電車(E231系5両または10両編成)を使用する。このほか、正月には成田山新勝寺への初詣客を乗せた団体専用列車が運行される場合が多い。沿線では、我孫子市・印西市を中心に住宅が多い上、沿線自治体以外(旧本埜村、茨城県北相馬郡利根町等)からの需要もあるが、日中毎時2本という本数の少なさから、利用者が路線バス等で直接常磐線や北総鉄道北総線の駅に流れてしまう傾向にあり、中間駅で乗車人員が多い湖北駅、布佐駅でも4000人程度に留まっている。特に東我孫子駅からは徒歩15分程度の常磐線天王台駅に、湖北駅周辺からは天王台駅・我孫子駅へ高頻度運転されている阪東自動車の路線バスに多くの利用者が流れている。潜在的な需要があることや、総武本線経由に比べ成田駅で折り返す必要が生じる配線上の問題があるものの、成田空港へのアクセス路線となりうることから、沿線自治体で複線化や増発を要望しているがその動きは鈍い。我孫子駅における常磐線との立体交差構造物が複線規格で建設されているほか、多くの区間で複線化用地が確保されている。沿線自治体でも複線化するための資金を集めるため、募金活動を行っている。2007年末から2008年夏の多客時には上野駅 - 我孫子駅 - 成田駅 - 成田空港駅間で臨時快速列車「エアポート常磐」が運行された。1985年11月の「国電同時多発ゲリラ事件」を契機に、運転士の担当を、常磐快速線の電車を担当する松戸運転区に移管した。車掌は松戸車掌区と成田車掌区が共同で担当した。国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)のストライキ時でも、我孫子支線では正常に運行されていた。2012年3月17日、我孫子運輸区が新設され、松戸車掌区と松戸運転区(ともに前日の3月16日をもって廃止)、および成田車掌区から業務が移管された。佐倉駅 - 香取駅間を1日2往復の高速貨物列車が経由するが、成田線内にはJR貨物の駅は設けられていないため、線内での貨物取扱もない。どちらも香取駅から鹿島線経由で鹿島臨海鉄道鹿島臨港線神栖駅に発着する列車である。すべて電車で運転されている。江戸っ子に親しまれていた成田山新勝寺を東京と鉄道で結ぶ構想は早くから存在しており、1887年に本所 - 市川 - 佐倉 - 佐原間を結ぶ武総鉄道、1889年に佐倉 - 成田 - 佐原間を結ぶ北総鉄道(1972年に設立され、京成高砂 - 印旛日本医大間を運行している同名鉄道とは別)の構想が立てられた。だが当初千葉県は、東京との交通手段において鉄道と利根川水運が競合することによる共倒れを恐れて、利根運河ができた以上同地域には鉄道は不要との見解を取った。そのため、本所 - 市川 - 佐倉間に総武鉄道(後の総武本線)がようやく開通したのが1894年であり、そこから成田方面に分岐する鉄道が築かれるまでにはさらに月日を要した。全駅千葉県内に所在。便宜上、末端部の全列車が直通する総武本線千葉駅 - 佐倉駅間、および松岸駅 - 銚子駅間も合わせて記載する。
出典:wikipedia
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