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京急大師線

大師線(だいしせん)は、京急川崎駅と小島新田駅を結ぶ、京浜急行電鉄(京急)の鉄道路線である。全線が神奈川県川崎市川崎区にある。英語表記は、Keikyu Daishi Line。駅ナンバリングで使われる路線記号はKK。大師線は多摩川の南側を大師道(国道409号)に沿って東西方向に走っている。京急川崎駅1階の大師線ホームを発車すると、直進して本線への連絡線および川崎変電所へ至る車両基地を右折し、東方へ直進して大師道(国道409号)を平面交差する。やがてカーブで減速し六郷橋(および旧六郷橋駅)の下をくぐる。そのまま徐行運転を続け、東南東方向にカーブし港町駅に至る。そして、ほぼ東へ直進し、運河橋梁付近を高架で通過し鈴木町駅付近で地上に戻る。そのまま地上を直進し川崎大師最寄りの川崎大師駅を出た付近で再び大師道(国道409号)と平面交差する。川崎大師駅からは東北東方向に約0.2kmほど進み、国道と並行して東方へ直進する。そのまま東門前駅および産業道路駅を通過し、ここで単線となり産業道路(神奈川県道6号線)を平面交差で、首都高速道路横羽線を立体交差で通過する。現在この道路の踏切を解消するために地下化事業が進行中である。産業道路踏切を過ぎると、東南東方向に向きを変え単線並列となり、小島新田駅に達する。大師線沿線を含む大師道(国道409号)よりも北側の地域は多摩川リバーサイド地区、また大師河原・殿町地区として大師線地下化事業や首都高速道路の整備とともに都市再整備が進められており、現在も工場跡地を利用した大規模なマンション建設や複合商業施設の建設が進められている。川崎大師で有名な大師線ではあるが、浮島の工業地帯の通勤路線でもあるため、全線に渡り利用客が多い。これは産業道路駅で浮島地区のバスが多数発着しているため。普通列車のみ運行されている。全列車が京急川崎駅 - 小島新田駅間を往復する運用で、他路線との直通や途中駅での折り返しはない。毎年大晦日から元日にかけては川崎大師参拝客のため終夜運転が行われる。2000年代初頭の正月ダイヤでは本線からの直通列車が運転されたことがある。基本的に平日ラッシュ時5分間隔、日中は10分間隔の運転となっているが、1月の土日、港町駅近隣にある川崎競馬場でのレース開催時や、10年に一度の5月に行われる川崎大師大開帳などには増発される。一時期、ワンマン運転も検討されていたが、設備改良が困難だったことから見送られた。4両編成で運用されている。1500V昇圧以降は140形、230形、400形、500形、700形、1000形などが使用された。600形は2016年2月28日に655編成、6月12日にも652編成が大師線の運用に入ったほか、架線観測などの回送で夜間に入線することがある。2000形についても2010年11月4日に2411・2421編成、2016年6月11日にも2451編成が入線している。正月ダイヤで運転されていた本線直通列車で600形が大師線に入線した例があり、同じく正月ダイヤで新1000形が運用されたこともあるほか、正月ダイヤ以外でも新1000形が運用されるケースがある。なお、800形は6両固定編成のみ、2100形は8両固定編成しかないため、入線できない。大師線は京浜急行電鉄のルーツである。当初は川崎大師への参詣路線として建設され、1899年に開業した。営業運転を行う鉄道としては日本で初めて標準軌を採用し、また電車による運行は関東で初めてのものである。人力車組合の反対で遅れていた現在の京急川崎駅への乗り入れも3年後の1902年に果たした。なお、大師駅から先、総持寺駅(京急本線の京急鶴見駅 - 花月園前駅間にあった駅)まで当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で建設されることになり、子会社の海岸電気軌道の手で1926年10月16日に大師 - 総持寺間が全通した。海岸電気軌道は鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)に買収された上に1937年12月1日に廃止となった。海岸電気軌道線の大師 - 大師河原間は現在の川崎大師駅 - 産業道路駅間とほぼ一致しているが、産業道路駅からは産業道路に並行して総持寺へ向かっていた。同駅の手前から産業道路横浜方面へ伸びる細い道が海岸電気軌道線の跡である。同線の開通以降川崎大師へは毎年各地からの参詣客で大いに賑わうこととなり、それまで初詣といえば地元の神社仏閣へ参拝するのが習慣であったものを、各地の有名社寺まで電車に乗って初詣をするという習慣に変えた歴史的にも意義のある路線である。開業後、会社の予想を大幅に超える収益を上げたことから京浜間に路線網を拡大する基礎を築くとともに、各地の電気軌道計画に影響を与えることとなった。太平洋戦争中は陸上交通事業調整法により東京急行電鉄の運営となり、防諜上の理由により一部駅名を変更した。また、工業地帯への通勤輸送を担うため、海岸電気軌道の廃線跡を一部活用して桜本駅まで延伸された。戦後、京浜急行電鉄として独立後の1952年に塩浜駅 - 桜本駅間を川崎市交通局(当時は交通部)に譲渡し、1964年には国鉄塩浜操車場駅(現在の川崎貨物駅)建設のため小島新田駅 - 塩浜駅が休止され、1970年に正式に廃止、現在の路線が確定した。1949年より鈴木町駅 - 桜本駅間で下り線が1067mm軌間との三線軌条となり、沿線の味の素川崎工場と、日本冶金工業から国鉄の貨物線への貨物輸送が行われた(さらに三線軌条の内側の1067mm軌間は川崎市電日本鋼管前電停まで繋がっていた)。その後、前述の線路変更の結果、1964年以降は塩浜操車場駅から川崎大師駅先にある味の素川崎工場までに短縮され、大師線の旅客列車終車後に味の素へ出入りする貨物列車が運転されていた(運行は神奈川臨海鉄道が請け負っていた)。1960年代の最盛期には1日2便運行されたが、トラック輸送およびコンテナへの移行により貨物列車の運行が減り(末期は不定期に週2日程度)、1997年に貨物輸送が廃止されたため、現在は通常の二線軌条となっている。全駅が神奈川県川崎市川崎区に所在する。ホーム有効長は4両編成分となっている。廃止・譲渡区間の駅は「廃止・譲渡区間」の節を参照小島新田駅 - 塩浜駅 - 入江崎駅 - 桜本駅2008年度の1日平均乗降人員は下記のとおり。川崎大師 - 小島新田間は地下化工事が進められており、このうち、東門前 - 小島新田間は2018年度に、川崎大師 - 東門前間は2023年度にそれぞれ地下化される予定。京急川崎 - 川崎大師間はすぐに工事着手できない状況であることから、2016年3月29日付けで休止となった。大師線を羽田空港まで路線を延長して空港アクセス路線とする構想もあったが中止となった。その後に持ち上がった神奈川口構想(首都圏第3空港構想)では川崎市川崎区の殿町付近(小島新田駅北西、現在のキングスカイフロント)に何らかの空港施設建設を計画しており、延伸構想が再燃する可能性もある。

出典:wikipedia

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