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国税庁

国税庁(こくぜいちょう、英語:National Tax Agency、略称:NTA)は、内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現、酒類業の健全な発達及び税理士業務の適正な運営の確保を図ることを任務とする、財務省の外局である。国家行政組織法第3条第2項及び財務省設置法第18条第1項の規定に基づき、財務省の外局として設置されている。任務は、財務省設置法により「内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現、酒類業の健全な発達及び税理士業務の適正な運営の確保を図ること」と規定されている(第19条)。国税の賦課・徴収をつかさどるとともに、酒販免許・酒造免許などを通じて酒類業界を管轄する。税制の企画・法制化は財務省主税局の所掌であり、国税庁は租税制度を執行する機関(実施庁)としての位置付けになる。国税庁長官を長とし、内部部局として長官官房、課税部、徴収部及び調査査察部を置くほか、審議会として国税審議会を、施設等機関として税務大学校を、特別の機関として国税不服審判所を、地方支分部局として全国を分轄する形で11の国税局及び沖縄国税事務所を設置する。国税局及び沖縄国税事務所の下には、それらの一部事務を分掌する下部組織として計524の税務署が置かれている。本庁舎は、東京都千代田区霞が関三丁目1番1号に所在する財務省本庁舎の5階である。上記財務省設置法第19条に規定された任務を達成するため、財務省設置法第4条に列記された事務のうち下記の計7号の事務を分掌するとともに、第20条に別に規定された事務をつかさどる(第20条)。具体的には以下のことに関する事務がある。第4条第21号にある「第27条第1項各号に掲げる犯罪」とは国税庁の所属職員がしたその職務に関する犯罪(第1号)やその職務を行う際にした犯罪(第2号)、国税庁職員への贈賄(第4号)などであり、国税庁長官が任用した国税庁監察官がその犯人及び証拠を捜査するものとされる(第27条第1項)。ここでいう「捜査」とは司法警察職員の行う捜査(刑事訴訟法第189条)ではなく、それに準ずる犯則調査に位置づけられている。したがって国税庁監察官は裁判所に逮捕、差押えおよび捜索などを請求することはできない(第27条第2項)。徴税の手続きの一つとして、税務署では、個人の場合は毎年2月中旬から3月中旬にかけて確定申告を受け付ける。法人は決算期の終了から2カ月以内に行う。国税庁長官は、納税功労に対し表彰する最高の納税表彰として納税意識の高揚等、税務行政の円滑な運営に尽力に尽力した者に国税庁長官表彰を授与する。これに準ずる表彰として、国税局長表彰、税務署長表彰がある。また、税に関する作文コンクールなどでも国税庁長官賞を授与することがある。また、法人会等の運営に対する発展に寄与した功労者などには国税庁長官感謝状を贈られる。国税庁の組織は基本的に、法律の財務省設置法、政令の財務省組織令および省令の財務省組織規則が階層的に規定している。地方支分部局の区分は国税局と沖縄国税事務所である。国税局の名称および管轄区域は以下の通りである。東京、大阪、名古屋の国税局には映画「マルサの女」で有名になった査察部がある。その他の国税局は本庁と同様に調査査察部で査察業務を行う。2012年度(平成24年度)一般会計における当初予算は7048億8400万円である。財務省が所管する一般会計予算24兆9837億8600万円に占める割合は約2.82%である。ただし、財務省予算から国債費21兆9442億1700万円を除くと23.2%になる。科目別の内訳は、国税庁共通費が5836億9700万円、国税庁施設費が25億8500万円、税務業務費が1125億5400万円、国税不服審判所が50億5600万円、独立行政法人酒類総合研究所運営費が9億9200万円となっている。一般職の在職者数は2011年(平成23年)1月15日現在、5万6945人(うち、女性1万120人)である。財務省の全在職者数7万2455人(1万2800人)の78.6%(79.1%)を占める。定員は省令の財務省定員規則に5万6194人と定められている。職員の競争試験による採用は主に国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)、同(大卒程度試験)、国税専門官採用試験および税務職員採用試験の合格者の中から行われる。いずれの試験も人事院が実施機関である。2010年度(平成22年度)の採用実績(2011年(平成23年)4月1日付採用)によると、旧Ⅰ種(現在の総合職試験に相当)合格者からの採用者数は9人で、区分別内訳は法律4人、経済2人、理工Ⅳ2人、経験者(司法試験合格者)1人となっている。旧国税専門官試験からは740人、旧Ⅲ種試(税務区分)(現在の税務職員採用試験に相当)からは346人を採用した。国税庁職員は一般職の国家公務員なので、給与は一般職の職員の給与に関する法律(一般職給与法)によって規律される。俸給表は他省庁の一般職職員と異なり税務職俸給表が適用される。これは国税庁に勤務し、租税の賦課及び徴収に関する事務等に従事する職員に適用する俸給表である(人事院規則九―二第3条第1項)。ただし、内部部局に勤務しとくに指定を受けていない者(同規則第3条第1号)や幹部職員(第2・3号)および行政職俸給表(二)の適用を受けるもの(第4号)などは適用から除外される。国税実査官、国税調査官又は国税査察官が国税犯則取締法の規定に基づく調査、検査又は犯則の取締りの業務で人事院の定めるものに従事したときは特殊勤務手当として犯則取締等手当が支給される(人事院規則九―三〇第28条の5第1項第6号)。金額は業務に従事した日一日につき550円である(同条第2項第1号)。労働基本権のうち争議権と団体協約締結権は国家公務員法により認められていない。団結権は保障されており、職員は労働組合として国公法の規定する「職員団体」を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる(国公法第108条の2第3項)。現在、職員団体としては国税労働組合総連合(略称:国税労組)、全国税労働組合(全国税)および沖縄国家公務員労働組合(沖縄国公労)全税支部が活動している。国税労組は国税局ごとに組織された単一労働組合の連合体で、道国税、東北国税、関信国税、国税東京、北陸国税、名古屋国税、四国国税、福岡国税、熊本国税および沖縄国税の12単組で構成されている。全国税は国税局ごとに、複数の支部によって対応する「地方連合会」をつくる形式をとっている。沖縄国公労全税支部は沖縄国税事務所のみに組織をおく。加盟単産は国税労組および沖縄国公労(全税支部)は国公連合、全国税は国公労連となっている。組織人員は2011年度(平成23年度)の労働組合基礎調査によると国税労組が3万1795人、全国税は379人となっており、前者が絶対的多数派の地位にある。国税労組は他財務省関係機関の連合系労組のとともに協議会の全大蔵労働組合連絡協議会(全大蔵労連)を構成している。全国税はこれに相当する組織として全税関と大蔵国公を構成する。第二次世界大戦の終結から間もない1946年(昭和21年)、日本の労働運動の全般的な高揚を背景に、2月の東京財務局における東京財務職員組合を発端として、国税部門における労働組合の結成が相次いだ。5月16日には国税職員の最初の全国的労組である全国財務職員組合連合会(全財)が結成された。全財は1947年(昭和22年)1月に単一組合に改組し、略称は引き継ぎつつ正式名称も全国財務労働組合に改めた。全財は全国官庁労働組合協議会(全官労)の中核労組として、1947年(昭和22年)の二・一ゼネストや1948年(昭和23年)の3月闘争および7月闘争など急進的な官公庁労働運動に参加し、1947年(昭和22年)2月には大蔵当局と労働協約を調印した。7月闘争を契機として国公労働者からスト権が剥奪されるのに前後して、全財では執行部の方針を左翼的としてこれに批判的な勢力が強まった。全財再建同盟が1948年(昭和23年)7月に結成されたほか、関東、東北、山陰等の諸支部の脱退が相次ぎ、1949年(昭和24年)2月8日、脱退支部は新たな全国組織である日本財務職員労働組合協議会(日財労)を結成するに至った。分裂後の組合員数は全財が3万8000人、日財労が1万6000人であった。しかし、1949年(昭和24年)夏の総定員法による大量馘首を経て、税務職員労組の分裂状態を克服する機運が高まり、1950年(昭和25年)1月25日、全財と日財労は再統一して日本財務職員労働組合連合会(日財労連)を結成した。また1949年(昭和24年)12月に全官公から分裂して結成された日本官公庁労働組合協議会(官公労)に加盟した。1953年(昭和28年)4月26日、日財労連は全国税職員労働組合連合会(全国税)に改称し、1958年(昭和33年)12月24日には組織を単一化、現在の名称である全国税労働組合に改称した。1962年(昭和37年)から1963年(昭和38年)にかけて、1962年(昭和37年)5月の関東信越国税局を皮切りに、全国各地の国税局で全国税から脱退し、第2組合を結成する動きが急速に進んだ。発生した第2組合群は1962年(昭和37年)10月29日に全国組織として国税労働組合全国会議を結成した。全国税から国税会議系へ移行する動きは進行し、全国税は少数派組合へ凋落していった。全国税は総評に加盟していたが、国税会議は系列の全官公へ加盟して同盟に接近し、1977年(昭和52年)には同盟に正式加盟した。このとき、国税会議の組合員数は2万7000人に達していた。1960年代から1970年代の組合勢力の激変の背後には、大蔵省・国税庁当局による全国税組合員を対象とした切り崩し工作と第2組合の育成があったことが指摘されている。全国税はそのような認識から、「勤務条件に関する行政措置の要求」(国公法第86条)の制度を利用して、人事院に対し当局に脱退工作を止めさせるよう「団結阻害行為の排除」を要求したものの、人事院の調査ではそれを裏付ける証拠は見つからず、棄却判定が下された。当時大蔵官僚だった秦郁彦は1962年(昭和37年)から1963年(昭和38年)にかけて、「遠山修審議官を指揮官とする庁をあげての切り崩し工作が成功して壊滅状態になった」「説得工作にあたっては……不当労働行為の口実を与えないよう細心のルールでのぞんだという」と著書で記している。労戦再編の最終局面にあった1989年(平成元年)10月15日、国税会議は協議会に改組して名称を現在の国税労働組合総連合に改め、日本労働組合総連合会(連合)の結成に参加した。一方、全国税は上部組織の国公労連とともに全国労働組合総連合(全労連)へと流れていった。

出典:wikipedia

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