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新京成電鉄新京成線

新京成線(しんけいせいせん)は、千葉県松戸市の松戸駅と千葉県習志野市の京成津田沼駅を結ぶ新京成電鉄が経営する鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はSL。松戸方面行を「上り」、京成津田沼方面行を「下り」としている。台地の分水嶺に沿ったルート(つまり小金牧の区域内)をとっており、トンネルが1つも存在しない。すべて普通列車(各駅停車)で、京成津田沼 - 松戸間の全線通し運転を基本とする。朝晩に車両基地(本社)のあるくぬぎ山発着の列車があり、朝ラッシュ時には新津田沼折り返し列車がある。かつてはラッシュ時を中心に京成津田沼 - 鎌ヶ谷大仏間や京成津田沼 - 高根公団間の区間列車も設定されていた。朝ラッシュ時は京成津田沼 - 新津田沼間が単線のため9分間隔で、他の区間が4分半間隔、夕ラッシュ時8分間隔で運転しており、日中でも10分間隔運転と郊外路線ながら本数が多い。日中に関しては一部を除き接続する東京直通路線よりも本数が多いほどである。これは駅間距離の短さも手伝って日中の生活需要も大きいためである。一方で長い区間を乗車する旅客が少ないことなどから急行運転を行う予定がない。車両については「新京成電鉄」を参照のこと。全通した1955年に実施したものの同年中に取りやめて以来長らく実施してこなかった京成千葉線への直通運転を2006年12月10日再開した。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後しばらく休止されていたが、同年6月27日再開されている。乗り入れは8900形以外の新京成電鉄の車両により行われていて、すべて6両編成で運行されている。運行区間は全列車とも松戸 - 京成津田沼 - 千葉中央間で、新京成線や京成千葉線の途中駅止まりの列車は運行されていない。将来は京成車による相互乗り入れや運行時間の拡大、京成千原線への乗り入れ区間拡大も検討している。直通運転はラッシュ時には行っていない。2012年10月21日改正のダイヤでは、松戸駅発車時刻で平日は午前8時42分から午後3時40分まで、土曜・休日は午前6時20分から午後4時40分まで運転している。なおこの時間帯は、一部を除いて京成津田沼始発・終着の新京成線の列車が同駅の6番線から発着するところ、同駅始発・終着の京成千葉線の千葉中央・ちはら台方面の列車の多くは同一ホーム上の5番線から発着し、乗り換えの便宜を図っている。他方、直通運転が行われていない時間帯は、5、6番線とも新京成線の列車の発着に使用されることが多く、京成千葉線の列車は1、2番線に到着し、3、4番線から発車する。使用される方向幕は全車英字入りとなっており、新京成線内では行先のみ、京成千葉線内では「普通」表示の付いた行先表示となる。表示変更は京成津田沼駅での停車中に行われる。乗り入れ再開時には、沿線から千葉方面への乗客誘致をアピールするため、乗り入れ対応編成の一部に「Chiba」をあしらったステッカーを車体に貼付けするとともに、車内ドア上部には「matsudo to CHIBA 06.12.10」(後に単に「matsudo to CHIBA」に変わった)というキャッチフレーズも添えられた。本路線大半の区間は旧日本陸軍鉄道連隊が戦前に演習用として敷設した線路で、第二次世界大戦後京成電鉄へ払い下げたという経緯による。新京成線はなぜ曲線が多いかについての問い合わせも来るという。またこれに関し「新京成電鉄の線路はなぜ曲がっているか?」とのテーマから旧日本陸軍鉄道連隊や戦争の歴史学習へ導く記載が、高校日本史教科書の一部に見られる。鉄道連隊演習線跡地買収に西武鉄道も名乗りを上げるも、京成電鉄へ払い下げが決定し、1946年3月、京成電鉄へ認可されて同年10月に新京成電鉄を設立する。開業直前に当時のGHQが旧軍用線の復活を懸念し一時は開業が危ぶまれたが、新京成電鉄幹部の説得により、予定通り1947年12月27日に新津田沼駅 - 薬園台駅間を軌間1067 mmで開業している。演習線は様々な状況での路線敷設演習のために急曲線が多数介在する屈曲線形で、旅客線開業時に可能な限り直線化を図るも現在なお良好な線形でない。移動距離に比して道程が長く、津田沼駅 - 松戸駅間は直線距離約16 kmに対し道程26 kmである。演習線軌間は600 mmと極端に狭隘だったが京成電鉄払い下げ時に1067 mm(3フィート6インチ)へ改軌される。当時の地方鉄道法では軌間1372 mmでの建設が認められなかったため、親会社の京成電鉄準拠の軌間1372 mmは許可されず、1067 mmに設定している。払い下げ以後、新津田沼側から延伸し、建設資金不足から一時期常磐線松戸駅までの全通を諦めて初富駅 - 松戸駅間にバスを運行するも、三菱電機の支援で敷設工事を再開して松戸駅まで全通する。なお、松戸駅 - 上本郷駅間は旧軍用線ではなく、全くの新線であるため、台地を切り崩す工事が行われた。切り崩しで生じた残土を利用して平潟土地整理事業がなされた。開業当初、開発が進んでいない沿線付近は雨や霜解けでぬかるむ道路を駅まで歩き革靴やハイヒールへ履き替える乗客が多く、松戸延伸開業時は各駅に下駄箱設置もみられた。全通は地域の人々から暖かく迎えられ、数々の恩恵を受け、近所の農家から赤飯や餅、夕飯のおかず等の差し入れが度々あったという。古くは松戸新田駅やみのり台駅などの5駅が小さな駅舎で一人勤務のワンマンボックス駅(畳一帖未満の小さな建物)だった。1953年10月、全線の軌間を1372 mmへ、1959年8月に1435 mmへ改軌する。親会社の京成電鉄よりも早期の改軌で、京成電鉄の改軌予行練習も意図すると推察されている。従前に松戸 - 柴又間、国府台間も免許取得して松戸市内で路線用地を買収するも、千葉大学園芸学部や柴又駅周辺の反対から計画頓挫して未成線のまま1971年頃に免許失効している。買収した路線予定地のうち仮称三矢小台駅はリブレ京成三矢小台店と松戸新京成バス折り返し場へ、その他の多くが住宅地へ転用されている。国府台駅までの延伸計画は、流山電鉄の市川駅延伸免許取得による周辺地域での路線バス運行など、営業機会損失を阻止する意図もあった。新津田沼駅は現位置へ至るまで駅舎位置や路線が変遷しており、以前の同駅と京成津田沼駅への2路線に分かれていたものを現在は急カーブで1線にまとめている。詳細は「新津田沼駅」を参照。新津田沼 - 京成津田沼間のイオンモール津田沼所在地は1982年頃まで京成電鉄第二工場が存在し、京成線改軌期間中に、京成電鉄所属構内側線の引き込み線扱いとして先行改軌された新京成線1435 mmと京成線1372 mmの軌間を移設してレール4本を敷設している。京成電鉄第二工場の出入構は主に深夜に行われた。京成電鉄の車両工場が宗吾参道へ移転後、1987年に新京成電鉄へ譲渡され、0キロポストは現在も新津田沼駅に設置されている。優等列車は現在設定無いが、かつて同線内各駅停車で京成千葉線方面へ急行「九十九里号」を運行し、赤電なども使用した京成上野始発の同名列車も運行していた。松戸駅を出発すると右側に大きくカーブをし、下総台地を登る緩やかな勾配にさしかかる。国道6号を超え、勾配を登り終えると新京成鉄道模型館があった上本郷駅へと到着する。松戸 - 上本郷間は新たに建設された区間であり、切り通しの残土は松戸駅の向こう側である平潟の土地整理に利用された。元々の鉄道連隊演習線跡とは上本郷駅手前で合流する。次の松戸新田駅とみのり台駅は駅間距離が短く、しばらく住宅地の中を走る。武蔵野線との乗換駅である八柱駅を過ぎると、左手に21世紀の森と広場や森のホール21を見ながら右にカーブし、常盤平駅へと至る。この周辺は新京成線の開通後に常盤平団地としてベッドタウン化した街である。次の五香駅を過ぎるとカーブが連続する線形が続き、併走する千葉県道57号千葉鎌ケ谷松戸線(一部区間は国道464号との重複区間)とはこの先踏切で4回も交差をすることになる。元山駅を出ると自衛隊松戸駐屯地の横を走り、新京成電鉄本社のあるくぬぎ山駅へと至る。駅周辺は梨園が多く、シーズンになると観光農園として賑わっている。線路は東に進路を変え、くぬぎ山車両基地を右手に見ながら北総線・成田スカイアクセス線の高架と合流し、北初富駅へと至る。この先、新鎌ヶ谷駅までは北総線・成田スカイアクセス線と併走して走る。新鎌ヶ谷駅を出ると南へ大きく進路を変え、初富駅へと至る。この区間は現在新鎌ケ谷の街の開発にあわせ、連続立体交差化が行われている。次の鎌ヶ谷大仏駅は船橋新京成バスの車庫に隣接しており、駅の近くには駅名の由来にもなった鎌ヶ谷大仏がある。しばらく直線区間が続くが、二和向台駅を過ぎると再びカーブの多い線形となる。三咲駅から滝不動駅にかけては沿線に畑や果樹園などの田園風景が広がるが、次の高根公団駅を過ぎると再び住宅地の中を走る。高根木戸駅にかけての周辺には日本住宅公団(現在のURの前身)により開発された高根台団地が広がり、「高根公団」駅の駅名の由来にもなっている。やがて線路は東葉高速鉄道線との乗換駅である北習志野駅へと到着する。周辺には習志野台団地が広がり、また学校が多く朝夕は学生で賑わっている。北習志野駅を過ぎると右にカーブし、すぐに習志野駅へと到着する。習志野と称するものの、駅は習志野市ではなく船橋市に位置している。次の薬園台駅付近は直線区間が続くが、前原駅を過ぎると国道296号と交差し、線路はイオンモール津田沼を左に見ながら大きくカーブして新津田沼駅へと至る。周辺は繁華街となっているが、JRの津田沼駅とは400m程離れており徒歩連絡となる。これから先は単線区間となり、大きく逆S字カーブを描きながら京成本線と合流し、終点・京成津田沼駅へと到着する。2005年度の旅客輸送人キロは722百万人キロとなっている。

出典:wikipedia

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