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アドバンスト・マイクロ・デバイセズ

アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(Advanced Micro Devices, Inc. / AMD)は、アメリカの半導体製造会社である。1969年に設立され、インテルx86互換マイクロプロセッサ及び、自社64ビット技術のAMD64対応マイクロプロセッサ、APU (Accelerated Processing Unit)、GPU (Graphics Processing Unit) や、フラッシュメモリ等を生産している。米国本社所在地はカリフォルニア州サニーベル、日本本社所在地は東京都新宿区。ペナン州、蘇州に製造拠点を、ドレスデンおよびトロントに研究拠点を持つ。半導体製造部門は2009年3月にGLOBALFOUNDRIESとして分社化した。AMDを「アムド」と読むことがあるが、AMDの日本法人である日本AMD株式会社の登記社名は「日本エイ・エム・ディ株式会社」であり、公式発表などでも常に「エーエムディー」と呼称される。当初、AMDはインテルのセカンドソースでプロセッサやペリフェラルチップを製造するメーカーの一つだった。しかし黎明期からAMD独自設計のFPUであり8ビットCPU時代のデファクトスタンダードとなったAm9511/Am9512(後にインテルがAm9511のセカンドソース8231を製造)や、インテルの8257よりも高性能なDMAコントローラAm9517Aを開発する技術力を示した(後にIntelがAm9517Aのセカンドソース8237Aを製造)。しかしインテルは業績の向上とともに製造能力を拡充したことでセカンドソースを必要としなくなり、1985年発表のIntel 386プロセッサ(当初の名称は80386)以降、インテルはセカンドソースを認めず、製造に必要な資料を公開しない方針を取った。多くのセカンドソースメーカーはそれを期に撤退したが、AMDをはじめとした数社は独自の開発を行い同一ではないものの互換性のあるプロセッサの製造を開始する。AMDは1991年、最初の互換プロセッサ「Am386」を投入。インテルは既に次世代製品のi486シリーズを発売しており、同プロセッサは旧世代ではあるが低価格製品として採用された。AMDはi486互換プロセッサ「Am486」の開発を進めていたが、インテルによるAMDのマイクロコード使用が不正なものであるとして争われた訴訟の結果、Am486は出荷差し止めの仮処分を受ける。1993年に出荷されたAm486プロセッサは、Am486DXやAm486SX等が出荷され互換プロセッサとして好調な売れ行きを見せ、1995年には486プロセッサのアップグレードパスとしてi486互換プロセッサ「Am5x86」を出荷した。Am5x86はi486DX4とピン互換であり、160MHzで稼動させることでインテルのPentiumプロセッサ100MHzと同等、133MHzで稼動させることで75MHzと同等の性能を発揮するとして、486プラットフォーム用プロセッサとして使用された。1996年には、Pentium(P54C)プロセッサと「ピン互換」の「K5」プロセッサを出荷し、安価な互換製品として認知されていたが、開発の遅れにより収益にはあまり貢献しなかった。当時のAMDはK5シリーズに続く開発中の次世代プロセッサK6シリーズの性能が向上しない問題に直面していた。そこで、K6と同世代のNx686を開発中だったプロセッサメーカーのNexGenを買収し、同社の開発チームを手に入れるとともに、Nx686を元にSocket 7と互換性を持つよう設計変更した「K6」プロセッサを1997年に出荷した。K6はPentiumのSocket 7と互換性がありMMX拡張命令セットも実装した。K6は発売当初からMMX Pentiumシリーズよりも高クロックで動作している。AMDは引き続きP5バス互換プロセッサの開発を進め、K6に「3DNow!」を追加した「K6-2」を発表した。K6-2はPentium IIに迫る性能をもち、大手メーカーが製造するPCにも採用された他、P5バスにおけるアップグレード手段としても人気があった。その後に登場したインテルのPentium IIIに対し、AMDはK6-2に256KBのL2キャッシュを統合した「K6-III」プロセッサを開発し、同時期のCeleronに対しては、K6-2を競合させた。1999年に出荷されたK6-IIIプロセッサは、整数演算性能ではPentium IIIを超える性能をもっており、AMDはPentium IIIよりも高速であると主張していたが、浮動小数点演算性能ではPentium IIIに及ばず、浮動小数点演算性能が重視される分野への採用は進まなかった。浮動小数点演算性能については、3DNow!を使用することにより改善するものの、AMDは3DNow!を扱うためのライブラリを提供するのみでソフトウェアの開発環境が整わなかったことから、3DNow!に対応したソフトウェアは少なかった。互換プロセッサメーカーは、性能面でインテル製のプロセッサに対抗できなくなったことやインテルの知的財産保護制度の活用により方針の転換を余儀なくされ、互換プロセッサ市場からの撤退や組み込み用プロセッサ市場への移行が進んだ。AMDは、この状況の中でAthlonプロセッサの開発に成功し、インテル製プロセッサと性能面で対抗できたことで、当初は価格面で劣勢を強いられてはいたがx86互換プロセッサの製造・販売を継続することができた。K6-IIIではPentium IIIに対抗するには不十分であったことから、AMDは1999年に浮動小数点演算性能を高めたAthlonプロセッサ(開発コードネーム「K7」)を出荷した。訴訟の和解条件である非互換路線に転換し、独自のプロセッサバスとCPUソケット(Slot A)を採用した。Athlonプロセッサでは、AMDのプロセッサとして初めて商標が採用された(AMD Athlon)。後にインテルのCeleronに相当する低価格ラインには「AMD Duron」の商標が付けられた。Athlon登場時は、オフィスソフト等ではPentium IIIと同等の性能をもつとしていたK6-IIIとAthlonを併せ広報していたが、製造不良が多発していたK6-IIIの製造を打ち切り、後継にK6-IIIの下位製品であるもののK6-2+を発売した。インテルがPentium III 1GHzの製品発表会開催の事前情報を得たことで、AMDはインテルより数日早く1GHz (1,000MHz)で動作するAthlonプロセッサを世界初のパソコン用プロセッサとしては発表した。その後、第7世代の開発中止で苦戦していたインテルを尻目にPentium IIIと競合しつつもAthlonは順調に性能を向上させ、人気を博した。その人気から、K7世代においてAMDはインテルから5%のシェアを奪取した。これは1メーカが90%以上の寡占状態にある市場においては驚異的なことである。「K7」から「Thunderbird」にかけてのAthlonはエポックメーカーとして成功したが、単純なクロック増加のみでの性能向上に限界が見えたこともあり、Athlon XP以後はキャッシュ・レイテンシの改善や、パイプライン適正化などによる効率化を重視し、クロック周波数以外での性能向上に力を注いでいく。しかし当時はクロック周波数の高さこそが性能の高さに直結するという風潮があった。そこでAMDは、周波数によらない性能を表すための指標となる「モデルナンバー」を採用した。モデルナンバーは、当初はThunderbird比とされ、インテル製CPUのクロック周波数を意識したものではないとAMDは主張していたが、その後「モデルナンバーが『他社製CPUのクロック周波数』とMHz換算で同じ(例:モデルナンバーが2000+ならばクロック周波数で2,000MHz)であれば同等かそれ以上の性能を示す」とするプレスリリースを発表する。その当時、デスクトップ向けCPUでの『他社製』とは、実質インテルしかなかったため、このプレスリリースはインテルやクロック至上主義への対抗であることは明らかだ。その後、インテルがPentium 4でハイパースレッディング・テクノロジーを実装してからは、このモデルナンバーとインテル製CPUのクロック周波数が当てはまらなくなり、AMDでは「自社製CPUの性能を表すひとつの指標」としている。しかし、Athlon 64(後述)の投入に合わせてモデルナンバーの再構築を行い、再びインテル製CPUのクロックの性能と同じであることを示すモデルナンバーを用いている。AMDはK7コアの後継であるK8コアにおいてx86-64(後にAMD64と改称)と呼ばれる命令セットを採用し、2003年にサーバー向けがOpteronとして、デスクトップ向けがAthlon 64として発売された。価格競争の続くコンシューマー向けCPUとは違って高収益を確保できるサーバー市場向けCPUへの参入はAMDの悲願であった。AMD64では既存のx86命令セット (IA-32) を拡張し、x86命令セットと上位互換の64ビット命令セットを実装した。一方、サーバー向けCPUとしてOpteronのライバルとなるItaniumを発表したIntelが実装していた64ビット命令セットであるIA-64は、従来の主流であったx86命令セットとの互換性が無かったため、特にサーバ市場においてはIA-64よりも比較的安価にそしてx86からの連続的な移行を可能とするAMD64命令セットが支持され、AMDはサーバー市場で大きな成功を収めた。サーバー市場に大きな影響力を持つマイクロソフトもIntelにAMD64と互換のある命令セットの採用を要請、これを受けてインテルもAMD64と互換のある命令セットのIntel 64を実装したプロセッサを発売せざるを得なくなり、後にマイクロソフトはAMD64に対応するWindowsをx64 Editionとして発売した。こうして32ビットCPU時代はインテルの提唱したIA-32が市場の主流であったものが、64ビットCPUではAMDの提唱したAMD64が市場の主流となった。2005年4月、AMD初のデュアルコアCPUであるOpteron Dual-Coreを発表、数ヶ月後にはデスクトップ向けのデュアルコアCPUであるAthlon 64 X2シリーズを発表した。2008年にはデュアルコア版SempronをSempron 2000 として発売し、AMDはマルチコア時代への移行を果たした。Athlon 64 X2シリーズは64ビットCPUが当たり前となった2007年4月にはAthlon X2と改称された。2007年9月、AMDはK8の次期コアとしてK10を発表し、その最初の製品としてクアッドコアの第三世代Opteronをリリース。ほどなくデスクトップ向けとしてもAMD Phenomの名称で発売された。同時にPhenomがAMDのメインストリームCPUとなり、Athlonはバリュー(低価格帯)へと移行された。1つのCPUにデュアルコアが2ダイ収められたIntel Core 2 Quad(Kentsfield)に対し、Phenomは4つのコアを1ダイに収めた「真のクアッドコア」と称していたが、初代Phenomは65nmプロセスで製造されていたため、45nmプロセスを採用したインテル製品には及ばなかった。2009年1月には45nmプロセスに移行したPhenom IIをリリースするも、性能や価格的にはCore 2 Quadの最上位製品と互角になり、Core i7 920とも勝負できる製品となる。後にリリースされたPhenom II X6では6コアに拡張され、Lynnfieldに匹敵する性能を発揮するも、Core i7 Extremeには及ばなかった。2011年10月にはK10コアの後継となるBulldozerコアを採用した最初のCPUであるハイエンド向けのAMD FXシリーズが発表された。Bulldozerコアは従来のコアとは違ってスクラッチでゼロから設計された。10W-125WのTDPを指向しており、AMDはBulldozerコアの採用でワットあたりの性能の劇的な向上が見込めるとしていた。また、デスクトップPC向けとしては世界初のネイティブ8コアを搭載するプロセッサーとして期待も高まっていた。しかし、サイクル当たりの命令数 (IPC, ) や浮動小数点演算性能は振るわず、その後も改良が続けられているがデスクトップ向けとしてはIntelの後塵を拝する結果となっている 。Bulldozerの低迷は、マルチスレッドを活用することでマルチコアCPUに最適化されたアプリケーションソフトウェアよりも、シングルスレッド動作のためにコアあたりのピーク性能が重要となるアプリケーションのほうが依然として主流であったことも関与している。2012年10月、Bulldozerコアの改良版となるPiledriverコアを採用したFXシリーズCPUを発表・発売。高クロック化と低発熱化を行なった。。Bulldozer系列アーキテクチャの低迷を打破するべく、2015年5月にコードネームZenと呼ばれる新アーキテクチャの開発が発表された 。ZenはBulldozerを刷新するものであり、FinFETプロセスを採用すること、IPCの大幅な向上やSMT (Simultaneous Multi-Threading) 対応などが予定されている。2006年10月のAMDによるATI Technologiesの買収後、CPUとGPUなどマザーホード上にある複数のチップを1つに収めた製品の開発がFusionのコードネームでスタートした。AMDはCPUとGPUを統合した製品をAMD Accelerated Processing Unit (AMD APU) と呼称し、2011年より製品の発売が始まった。2011年1月にFusionの最初の製品(モバイル向け)がリリースされた。低性能、低価格、低消費電力を指向したBobcatコアが採用されている。2011年7月には初のメインストリーム向けとなる第2世代FusionであるAMD Aシリーズ (コードネーム: Llano) がリリースされた。LlanoのCPUコア自体はPhenom II (Deneb) と同じで、K10コアに依拠している。2012年10月に、Bulldozerコアを採用した初のAPUであるAシリーズ (コードネーム: Trinity) がリリースされた。第8世代のゲーム専用機であるPlayStation 4 (2013年発売) およびXbox One (2013年発売) にはともにアーキテクチャのGPUを採用したAMD APUのカスタマイズ品が搭載されている。2014年1月には、新型のSteamrollerコアを初採用し、hUMAに初対応するAPU (コードネーム: Kaveri) が発表された。2014年11月には、新型のコアを初採用し、 1.0仕様に完全対応するAPU (コードネーム: Carrizo) が発表された。ATI Technologiesを吸収合併し、GPUの開発にあたっている。合併により両社の得意分野が相乗効果を生み、では競合のNVIDIAが逼迫する程、技術開発、新製品の投入サイクルを上げ、マーケットにおける攻勢を強めることで業績を伸ばしている。またGPU関連技術を手に入れたことでAPUの開発も可能となった。AMDは3次元コンピュータグラフィックスAPIであるOpenGLや、CPU/GPU混在のヘテロジニアス環境向けアクセラレーションAPIであるOpenCLの仕様策定・標準化にも携わっている。そのほか、オーバーヘッドを低減した独自のローレベルグラフィックスAPIであるMantleを開発し、後発のローレベルAPIであるDirect3D 12 (DirectX 12) やVulkanの礎となった。

出典:wikipedia

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