牛車(ぎっしゃ、ぎゅうしゃ)は、ウシや水牛に牽引させる車のことで交通手段のひとつ。主に荷物を運搬する荷車タイプのものと、人を運搬する乗り物タイプのものがある。現代の日本では軽車両扱いではあるが、観光用や祭礼用などを除いてあまり見かけられなくなっている。かつては世界各地で用いられており、発展途上国では今でもごく普通に見ることが出来る。2005年にはコスタリカの牛飼いと牛車の伝統がユネスコの無形文化遺産に登録されている。日本の平安時代では貴族の一般的な乗り物であった。移動のための機能性よりも使用者の権威を示すことが優先され、重厚な造りや華やかな装飾性が求められた。そのため、金銀の装飾を施すなど華麗という以上に奢侈に流れる弊害が出たため894年(寛平6年)、一時乗車が禁止されたこともある。「延喜内匠式」には屋形の長さ8尺、高さ3尺4寸、広さ3尺2寸という。通常4人乗りで、あるいは2人乗り、あるいは6人乗る。乗降は、後方から乗り、降りるときはまず牛をはずし軛のための榻を人のための踏台として前から降りる。なお、源義仲が上洛して牛車に乗った際に、これを知らずに後から降りて笑いものになったことがある。男性が乗るときは簾を上げ、女性のときは下げる。乗って宮城門を出入りする者は、妃以下大臣嫡妻以上は宮門外を限り、四位以下および内侍は上東門から出入りする。999年(長保元年)、六位以下の乗車の禁止、陽明門外の車の立様の規定などさまざまな規定がある。牛車の牛を引く牛飼童(うしかいわらわ)や牛車の両側につく車副(くるまぞい)と呼ばれる者達がつき従って使用された。各部の名称は、ヒトが乗るところは屋形(やかた)、車箱、箱、坐るところは床(とこ)。屋形の上を前後に通る木は棟、前後の外に出る部分を眉、眉の両側に突き出る部分を袖、眉袖の裏の格子になっているところを眉格子、袖格子、屋形の前上部中央につく総角の緒を棟融。前後の口の左右にある板を榜立(ぼうだて)、その前の板を踏板、箱の左右の窓を物見(ものみ)、その下の板を下立板、箱の前後、物見の上に差し出るところを庇。前後の口の下に張る低い仕切の板を軾(とじきみ)、高欄、前方に長く出る2本の木を轅(ながえ)、その車の後ろに出る部分を鴟尾(とびのお)、轅の端のウシの頭を扼するところを軛(くびき)、その下に置く台を榻(しじ)。車輪の心棒を軸(よこがみ)、その端の鉄を轄(くさび)、箱と車とをつなぐ索を※ 外字(革へん+ツクリは膊のツクリ)(とこしばり)、車輪の輻(や)の集まるところを轂(こしき)、筒(とう)、轂の口の鉄を釭(かりも)、「かも」という。前後に簾があり、それぞれ前簾、後簾といい、内側の帳を下簾(したすだれ)という。
出典:wikipedia
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