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プロ野球ニュース

『プロ野球ニュース』(プロやきゅうニュース、英称:"PROFESSIONAL BASEBALL NEWS")は、かつてフジテレビ系列の地上波テレビ局で放送され、後にフジテレビ系CS放送のフジテレビONEで放送されている、プロ野球(日本プロ野球・NPB)を中心としたスポーツの情報を提供するテレビ番組である。第1期は、1961年4月1日にニュース番組の1コーナーとして『きょうのプロ野球から』のタイトルでスタート。後に『プロ野球ニュース』に改題した。その後、1965年に一旦番組終了となる。放送時間はスタート当初は23:15-23:35だったが、後に23:00-23:35→22:55-23:10に変わった。また、1964年までは翌7:00-7:20に再放送されていた(いずれもペナントレース期間中のみ放送だった)。1960年にはカラー放送が始まっていたが、まだ、テレビ界で全時間帯におけるカラー化には至ってなく、全体の1割程度だった。その為、第1期の場合は白黒で放送していた。当時の番組は、2試合をフィルムに解説を交えたうえで、残りの試合は共同通信社より送られてきた情報を短くまとめて、結果をフリップに書いたものを利用しつつ伝えていた。『プロ野球ダイジェスト』を放送終了した日本テレビは1965年11月『11PM』の放送を開始。瞬く間に人気番組に駆け上り、23時枠は同局の一人勝ち状態が続いた。これに各局もより報道色の強いワイドショー番組等で対抗するものの、すぐに『11PM』以上のお色気路線に転向したNET(後のテレビ朝日)の『23時ショー』が辛うじての成功例で他は全く歯が立たない状態だった。しかし『11PM』の視聴率が1975年頃から落ち始め、それに合わせるかの様に地方局が相次いで「11PM」のネット放送を打ち切った。その状況にプラスして「万年下位」と言われた広島東洋カープが初優勝、阪急ブレーブスが初の日本一、一方で読売ジャイアンツが球団史上初の最下位からの立ち直りを期して張本勲を補強する等1976年のプロ野球の盛り上がりが開幕前から期待されていた。それに合わせるかのように1974年にNHKの「ニュースセンター9時」が始まり、NHKのニュース番組で初めてスポーツコーナーが設けられた。プロ野球の結果と途中経過の速報や大相撲の結果を電光掲示板で伝えるなど、当時としては画期的だった。また、「人間ドラマにスタンスを置いた(当時の担当ディレクター・笠井重治談)」夏の甲子園のリポートも、好評を博した。また、1974年10月14日にはこの日をもって17年間のジャイアンツでの選手生活を終えた長嶋茂雄が、新調した紺のスーツを着て、スポーツコーナーに生出演し、当時スポーツコーナーを担当していた福島幸雄のインタビューに応じた。これについては福島自身が長嶋に対して生出演の依頼を行い、それに留まらず、この日のトップ項目にするように粘り強く頼み込み、キャスターの磯村尚徳が「やりましょう」と、「長嶋引退」のニュースをトップに据える決断を下した。この一連の取り組みにより、「ニュースセンター9時」がスポーツ情報の面でも一躍リードする存在となった。その分、民放のスポーツニュースが充実していなかった事が、浮き彫りとなった。また、1970年代当時のプロ野球中継は日本テレビがいわば独占で後楽園球場で行われる巨人戦の試合を放送(2002年シーズンからNHKが東京ドームでの巨人戦の試合を中継することになり、日本テレビが開局以来続いてきた独占は崩れることになる。)し、ほかの放送局では他の球場で行われている試合を中継するというのが1つのパターンとなっていた。そのような状況下で、1975年の秋、フジテレビ社内では「スポーツニュースのワイド化」の構想が練られていた。当時フジテレビにおけるスポーツ制作の部署は「報道局スポーツ部」となっており、部内の上層部に野球に詳しい人材が多くいたが、その中の一人が、かつて地上波時代(第1期)のプロ野球ニュースのキャスターを務めた鳥居滋夫であった。アナウンサーをしていた頃は初期の競馬中継などスポーツ中継を担当していたが、この時はアナウンサーからスポーツ部の中心的存在となっていた。社内では「プロ野球ニュース」の立ち上げに関連した会議がいくつか行われ、準備は進んでいた。特に、最大の問題は「キャスター」を誰にするのかであった。いろいろと名前が挙げられたが、平日には野球解説者の佐々木信也に、週末には土居まさると決まった。特に佐々木の起用は相当な議論の末の決断であった。また、同時にという番組における明確な方針が決められた。この節では、佐々木信也・みのもんた(1980年4月-1988年3月)がキャスターを務めた1976年-1988年3月を前期、フジテレビアナウンサーが主にキャスターを務めた1988年4月-2001年3月を後期に分ける。なお、前期から後期へ移り変わる間には1987年4月-9月に「FNNニュース工場」に、同年10月-1988年3月まで「FNN DateLine」に、1988年4月-1990年3月まで「ニュース最終版」にそれぞれ内包されている。そして、10年半のブランクを経て1976年に日本初の本格的スポーツニュースワイド番組『スポーツワイドショー プロ野球ニュース』として再スタートした。放送時間帯は主に23時台の『FNNニュース最終版』(1968年-1977年放送)→『』(平日)、『』(週末)(1977年-1987年放送)の終了後。ただし、1987年度は『FNNニュース工場』→『FNN DateLine』にインサートする形(一部ネット局ではこの『プロ野球ニュース』のコーナーだけネットした放送局もある)で放送された。スタート当時の「プロ野球ニュース」の制作体制は最高責任者である「編集長」を筆頭に、「現場担当デスク」「局内担当デスク」と「各球団の担当記者」といわばピラミッド状に形成されていた。その他に「ディレクター」「アシスタント・ディレクター」など含めると総勢でおよそ25名の陣容で日々の番組制作に関わっていた。1976年にはスポーツ新聞の形式に倣った各球団ごとの担当記者も新設された。前述のとおり初代の平日版総合司会は佐々木が務めた。佐々木は高橋、大映、大毎で4年間プレーした経験を元に脚で稼ぐキャスターとして人気を博し、1988年3月の勇退まで12年間総合司会の地位を築いたが、その後、スーパーバイザーとして務めた(なお、理由は不明だが、局側は公式には1976年開始、初代キャスターは佐々木としている。また、佐々木は第1期放映当時はNET(日本教育)テレビ、後のテレビ朝日や日本テレビで解説者として出演していた)。週末に関しては初代から土居→はらたいら→押阪忍→みのもんたと1988年までに4人代わっている。中でも、はらは3ヶ月担当したが、本業の漫画家との兼ね合いや、生放送でアドリブが利かず、特にある日の放送でCMまで40秒伝えなくてはいけないところを手元の原稿で25秒読んでしまい、その後の15秒は自らの言葉でコメントをする事ができなかった。結局生放送に出演することが難しくなった事から途中降板したとされている。また、みのの語りによる『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』は同番組の看板企画として定着し、ついには不定期ながら独立番組となるまでに至った。ある意味、みのがコメディリリーフ的な役割を持ち、キャスターとしてのブレークのきっかけをつかんだといえる。なお、みのは一時期日曜夕方の『サントリー スポーツ天国』担当のため、金・土にシフトしたこともあった(この間、佐々木は日 - 木担当)。シーズンオフの一時期には月曜もみのが担当したこともあった。この番組では開始当初から2つの画期的な試みが行われた。この試みは番組における方針(前述)と共にすぐさま視聴者の共感を得た。当初見込んでいた「巨人びいきのテレビ中継」に不満を抱えていた他球団のファンはともかく、当時はパ・リーグが脚光を浴びる場面はほぼ皆無だっため、その日行われた全ての試合を解説者付きで細かく見せる放送はパリーグの選手が特に喜んだ。また、セ・リーグの各球団のファンも普段のパ・リーグの選手がプレーをする姿に新鮮味を感じていた。なお、番組開始当初の様子について佐々木は後のインタビューで、「(球界関係者は)おそらく98%ぐらい見ていてくれたんじゃないのかな?」と語っている。番組開始当初はビデオテープが普及しておらず、フィルムで撮影したものを球場から運んで急ぎ現像室で、汗水垂らしてフィルムを切っちゃ繋げ、切っちゃ繋げて放送時間に間に合わせる編集作業は大変だった。その中で、スローモーション専用のフィルムカメラを他のスポーツニュースに先駆けて採用したことは注目された。さらに、番組開始当初は試合のハイライトだけでなく、番組独自の「ヒーローインタビュー」も行われていた。1回3分から3分半で、謝礼は3万円だったが、パ・リーグの選手の中には「謝礼なんて、とんでもない。『プロ野球N』に出させてもらうだけで万々歳です」と受け取るのを断った(しかし、翌シーズンにその選手の所属球団から番組に請求書を送り付けた)。佐々木は「巨人あたりから『お前のところも、ギャラを受け取れ!』という指示があったのではないか」と話している。また、王貞治のホームラン世界新記録である756号達成時には、試合後の王と荒川博(当時巨人打撃コーチ)をスタジオに招待し、記録達成の裏話を披露するなど、大記録を達成した選手にはシーズン中でも積極的にゲストとして出演した。本番組の開始はスポーツ新聞の伝え方にも大きな変化をもたらした。従来のスポーツ新聞は記事の内容のほとんどが試合経過に紙面を割いていたが、前夜に番組で試合経過を伝えるようになってからは、プレーの裏側に焦点を当てた記事が目立つようになり、さらに、これまで試合経過や戦評に割いてきたスペースには選手個人に関する情報を記事にするようになったため、いつしか「スポーツ新聞の女性誌化」と言われるようになってきた。プロ野球の方も第1次長嶋政権初年度に巨人軍が優勝して人気再燃のきっかけを作り、これがきっかけで『11PM』を放送していた一部の放送局が『プロ野球ニュース』に切り替えるようになった(後述)。特に1980年代から登場した番組最後の「今日のホームラン」のコーナーは、プロ野球のみならず多くの野球選手・指導者にも好評で、打撃フォームの確認や向上に役立てられたといわれている。その他、女性ファンの開拓にも貢献したとされる。昭和30年代は球場に女性ファンが来ることはなかったが、この番組から女子アナが球場に来るようになり、野球選手と結婚するケースも増えた。女子アナの起用を提案したのも佐々木で、シーズンオフの「選手の家庭訪問」のような企画は女性がやった方がいい、と提案して最初に起用されたのが中井美穂だったという。視聴率の面でも開始直後には5-6%台をマークし、時には10%近くに達していた。シェア(占拠率)も、同時間帯でトップを獲得。この影響で、フジテレビは1979年に「報道局スポーツ部」から「スポーツ局」に昇格させた。民放では初の出来事だった。佐々木がキャスターを務めた時期の特徴として、その日行われたすべての試合をストーリー仕立てにしていくことでフジテレビのスタジオと各系列局の一体感を持たせた。例えば、前の試合が乱打戦だった際には佐々木が系列局のスタジオにいるキャスターと解説者に対して「○○(球場名)はすごい試合でしたが、首位を争う○○(チーム名)はどうだったでしょうか」とコメントを振ってから系列局のスタジオへと切り替えた。さらに、佐々木はその系列局のスタジオにいる解説者の発言にも気を配り、何か使えそうなコメントがあったら、「○○(解説者)さんはこんなことを言っていましたが、これに関する談話が入っています」などと言いながら話を展開していった。また、各系列局のアナウンサーが「固有名詞」や「過去の出来事」を誤って伝えてしまった場合でも、訂正は基本的に佐々木が行っていた。このようなストーリー性のある番組進行はのちの各局スポーツニュースでも多用され、定番化されている。1977年、この年からフジテレビ独占放送が始まったバレーボールワールドカップ期間中は、プロ野球ニュースのタイトルを外し、ハイライト番組として放送していた。また、同時期に日本テレビ放送網も全く同じ題名の『プロ野球ニュース』と題した番組が放送(時間不明)されていたが、こちらは読売ジャイアンツの主催試合のハイライトが主であり、次の1978年ごろから『巨人戦ハイライト』と改題された。1980年代に入ると「今日のホームラン」と題したその日の公式戦全ホームランを映像リプレーするコーナーが番組の末尾に行われた。その中でも初期のコーナー・テーマソングであったジェームス・ラスト・バンドの「VIBRATIONS(ヴァイブレイションズ)」は特に人気があった(シングルカットもされている)。またスタジオセットが変わった1987年から、それまで取材したアナウンサー・解説者がその試合について振り返ってメインキャスターに振って、その後その試合についての関連情報を話すという体裁だったのを、試合のビデオが終わりスコアテーブルを表示した後、メインキャスターと取材解説者のその試合についての質疑応答が行われるようになった。1987年より、毎年6月もしくは7月に放送される長時間特番『FNSの日』が開始。本番組も『プロ野球ニュースSP』として1コーナー扱いで放送され、これは後の『すぽると!』にも引き継がれている。この時は「FNSの日」のパーソナリティーが特別キャスターやゲストとして招かれて、通常とは異なる特別コーナーが設けられたりもした。又、シーズンオフにはクイズ大会、選手の旅行企画、バラエティー等の企画コーナーを日替わりで放送し、プロ野球選手の隠れた素顔を披露した。中でも、その選手の故郷を訪ね、名所・旧跡を巡り、居酒屋などにて同級生などと思い出話を語り合う「わが故郷」のコーナーや数十人のファンを招待し球団関係者や野球解説者がワンテーマを設けスタジオで講演を行う「ザ・講演」のコーナーはどちらも佐々木が企画し放送されたものだった。中にはそのまま独立番組として番販できそうなコーナーまであり、有名なところでは古田敦也を中心とした(関西テレビが企画)昭和40年会(昭和40年生まれのプロ野球選手が集まって何らかの行事を行う)があった(1992年より『ボク達同級生!プロ野球昭和40年会VS48年会』として関西テレビの正月特番として放送)。なお、シーズンオフの企画はスタッフ会議にてアイデアを出し合いどのようなコーナーを放送するのか検討する。この企画の体裁は『すぽると!』でも日替わり企画として続いているが、『すぽると!』発足後は野球シーズン中にも曜日別企画を取り入れている。これ以外では、毎年12月24日の放送にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』との同時中継を行っていた。ドリフ大爆笑では、佐々木信也司会で「プロ野球ニュース」をパロディ化した『お天気ニュース』のコントが放送された。1988年4月から『FNN DATE LINE』と合わせた『ニュース最終版』という一つのワイドゾーンを形成するものの、実質的には独立番組に戻り、平日はまずこの番組から、週末は『DATE LINE』の後から放送した。1990年4月からは、全曜日とも『FNN NEWSCOM』終了後からの放送となって完全に独立化。1993年にはJリーグ開幕と同時に「Jリーグ情報」を始めるなど、この頃から番組自体も内容の変化を迫られることになる。1993年度は、日曜キャスターに森脇健児、月曜キャスターに森口博子を起用し、日曜は「サンデーバード」と題して『サンダーバード』のテーマをBGMにした独特の演出で放送、月曜はF1担当として古舘伊知郎が出演、また、レポーターとして女性アナウンサーが多数出演するなど、バラエティ色が強化された。また、大阪球場のヤジ合戦などといったものも紹介されたことがある。1994年4月、『LIVE'94 ニュースJAPAN』(平日)、『LIVE'94 スポーツWAVE』(週末)のそれぞれ1コーナーとなり、事実上再び深夜のニュース・情報番組のインサートする形式に戻った。しかし、このときは完全にインサート先の番組の1コーナー的な扱いとなっており、FNN加盟局以外でのネットは不可能となった。これに伴い、それまで系列外でネットを実施していた日本テレビ系の一部地方局(クロスネット局で最終便ニュースをNNNから受けるテレビ宮崎含む)は全てネットから離脱し、丁度同時期にスタートした日本テレビのスポーツ番組『どんまい!!スポーツ&ワイド』に移行した。また、これと同時に『スポーツワイド』の冠がタイトルから剥され、『プロ野球ニュース』にタイトルを戻した。平日版は『ニュースJAPAN』が優先されるためこの時から時間短縮を余儀なくされセ・リーグ(特に巨人戦や阪神戦)では従来の解説と実況付きのスタイルで放送する一方で、重要度の低い試合では試合内容を大まかに伝えるのみと言った内容になっていった。また緊急時や重大ニュースが入った場合は大幅に放送時間をカットされることもしばしばあった。しかし、ニュース番組にインサートされたことと、ベテランアナウンサーの福井謙二の起用により、1993年度に見られたバラエティ化路線は影を潜め、スポーツ情報をストレートに伝える形式となった。翌1995年に『スポーツWAVE』終了に伴い、週末のみ再々独立。その後日曜放送分は、1997年4月に『Grade-A』放送(この為毎週日曜日の同枠には『新ボキャブラ天国』が放映された)の為一旦終了するも、半年で復活。ストレートニュース形式の平日とは打って変わって、パンチ佐藤、長嶋一茂、大久保博元などマルチな活躍が目立つ解説者や、木佐彩子、中村江里子、大橋マキなど人気女性アナウンサーの個性を前面に出した構成で、再びバラエティ色が強まった。2000年4月から、平日分も『ニュースJAPAN』の1部と2部の間に挟んだサンドイッチ方式の形で実質再々独立し、同年4月 - 12月の間は『プロ野球ニュース2000』のタイトルで放送された(2001年1月以降は元に戻した)。しかしこの頃になるとプロ野球人気に陰りが見え始め、プロ野球以外の内容に割く時間の方が多くなり、番組タイトルとの乖離が目立ってくる。そして、2001年3月で地上波版終了(事実上2度目の放送打ち切り)。第2期時代は25年の歴史に幕を閉じた。その後『感動ファクトリー・すぽると!』に移行する。主な背景としては、プロ野球人気の低迷でメジャーリーグやサッカー(欧州、W杯)や格闘技(K-1、PRIDE)などにも重点を置くようになったことが挙げられる。「プロ野球ニュース」の制作スタッフで、後に「すぽると!」のプロデューサーを務めた岡泰二は「感動ファクトリー・すぽると!」への移行について「そのときスタッフの頭の中にあったのは、もうプロ野球だけではスポーツニュースとして視聴者を満足させられないんじゃないかという思いでした。それで、思い切ってプロ野球ニュースという看板をはずしもっといろいろスポーツ情報を均等に扱える土壌を作ったんです。」(テレピコ #46 「SPORT」 第1話「これでは視聴者を満足させられないと、“プロ野球”の看板を外しました。」より 2009年09月25日掲載)と当時の様子を話している。また、週末担当として8年間キャスターを務めたみのもんたは自身が1988年3月に卒業した後の状況について「ちょうどスポーツの多様化とか言われるようになった頃で、『プロ野球N』でもいろんなスポーツを取り上げるようになっていった。番組タイトルと内容が一致しなくなっていった面はあったと思う。だから局のほうも番組を一新したかったんじゃないかな。」とその後の番組内容の変化や、それに伴う「感動ファクトリー・すぽると!」への移行について、後のインタビューで語っている。また、この他の背景としてはプロ野球以外のスポーツ選手の一部から「プロ野球ニュースという番組名の番組に、なぜプロ野球選手ではない自分が協力しなければならないのか」との理由で、インタビューなどを断られることが増えてきたこと、女性キャスター3人(宇田麻衣子、荒瀬詩織、大橋マキ)の退社がほぼ同時に決まるという異例の事態で、大幅なリニューアルを迫られたことも影響したと言われている。番組は開始当初から前半のネットセールススポンサー6-8社と、後半のローカルセールスとに分かれており、提供表示されるスポンサーは原則一律で30秒のCMを提供していた(ローカルセールスの一部地域は除く)。ネットセールスとフジテレビのローカルセールスでは1988年3月まで全スポンサーとも読み上げがあったが、1988年4月以後はスポンサーの読み上げは省略され「ごらんのスポンサー」扱いとなった。(後の「すぽると!」でも一部の曜日を除きスポンサーの読み上げはされていない)特に、資生堂は番組オリジナルのインフォマーシャル(生コマーシャルではない)「ナイト・イニング」を送り、宍戸錠出演でコラムと男性化粧品の紹介が行われていた。地上波での放送終了を受け、2001年4月からスカイパーフェクTV!(後のスカパー!プレミアムサービス)、スカイパーフェクTV!2(後のスカパー!)のフジテレビ739(後のフジテレビONE スポーツ・バラエティ)で新生「プロ野球ニュース」が始まった。(2009年以降は題名の後に西暦を付記する【2011年の場合は「プロ野球ニュース2011」】) CS移行時に佐々木信也がキャスターに復帰し、佐々木を含め解説者がキャスターを務める形式に変わった。なお曜日別の担当キャスターが不在の際(地上波「すぽると!」などへの出演の都合で出られない時)は、他の解説者が司会を務める(平松政次、谷沢健一、高木豊ら)。また、佐々木信也が週末のキャスターを担当していた時期には、佐々木不在時の代役として福井謙二が出演することがあった。さらにCS移行によって、地方局のアナウンサー・解説者(フジテレビと兼務している者は除く)は出演しなくなった。2007年から、一部曜日を除き、司会ペアリングは男性は番組解説者、女性はフジテレビのアナウンサーを原則とするようになった。ただし女性がフリーアナウンサーであったり、男女ともフジテレビのアナウンサーの場合もある。ただし、2011年度の土曜・2012年度の日曜のみ、形式上の司会は関根潤三とアナウンサーのペア(2011年度・田淵裕章、2012年度・松村未央)となっていたが、実際は司会席にはアナウンサーが1人で担当し、関根は「ご意見番」という位置づけで他の解説者と同じコメンタリー席(右端。実際には司会席とコメンタリー席の中間)に陣取っていた。2012年(谷岡慎一)以後、土曜日の司会は原則として男性アナウンサー1人で担当する(まれに解説者1人で担当する日もある。2014年度は他の曜日と同じように男女ペアになることもあった)。2013年以降、関根はレギュラーシーズン中は毎月最終日曜日と開幕直前SPと年末反省会SPに「ご意見番」として出演している。プロ野球中心のスポーツニュース番組だったフジテレビ時代とは違い、フジテレビ739ではほぼプロ野球専門の番組となった(他にはメジャーリーグの日本人選手の成績を伝える程度)。プロ野球の試合がある日は毎日放送されるが、オフシーズンは原則週1回の放送になる(2008年はオフシーズンの放送を休止)。試合解説のVTRは、権利関係の問題からフジテレビおよび系列局が収録した試合を除いてJ SPORTSをはじめとするCS放送局の映像を使う事が多く、そのため実況時のテロップやアナウンスが載ったまま、という問題がある。2009年以降からは実況等が入ったものは減ってきてはいるが、テロップについては相変わらず載ったままになっている場合がある。2010年より試合映像が一部セ・リーグ試合を除きすべてHD化された。解説には主にフジテレビ解説者が登場するが、土橋正幸や笘篠賢治などフジテレビ及び系列局専属ではない、またはかつて専属だった経験がある解説者も度々登場する。逆に、フジテレビ専属解説者でありながら、江本孟紀は初期に出演していたものの、それ以降は2015年まで出演せず、『すぽると!』で解説を務めるのみとなっていた。地上波時代までは出演していたにもかかわらず、CS放送に移って以降出演しなくなったのは「ギャラが安いから」(本人の弁)というのがその理由である。しかし、2016年4月1日で『すぽると!』が終了となり、2016年シーズン(2016年3月24日放送・開幕直前SP)から本格的に解説に復帰した。また、2014年よりフジテレビ専属解説者となった石井一久も当番組には出演せず、『すぽると!』のみ出演していた。2016年4月以降も後継番組の『スポーツLIFE HERO'S』のコメンテーター(日曜日版)と『ユアタイム』のコメンテーターを務める傍ら、NHKBSの『ワールドスポーツMLB』の土曜日版コメンテーターに出演するので当番組の出演の可能性は無いに等しい。ちなみに、2016年3月時点で当番組及び『すぽると!』の両方に出演していたのは高木豊のみであった。その一方で、地上波時代まで出演していた豊田泰光は、プロ野球ニュース地上波撤退に抗議し、後継番組「すぽると!」出演には応じず、結局フジテレビ解説者を降板する引き金となった(ただし、2002年度までは本数契約という形でまれに出演する場合があった)。2006年5月12日から2007年シーズンまで、フジテレビ On Demandにおいて有料配信があった(1回分105円、または月1,050円)。2006年シーズンのみは巨人(日本テレビ)・横浜(TBS)主催試合の映像に関する部分は両球団からの著作権許諾が開始当初得られなかったので配信されなかった。2009年4月からのフジテレビCSチャンネルの再編に伴い、放送チャンネルがフジテレビ721の後継である「フジテレビTWO」に移行した。これにより、プロ野球パックのみ契約している場合は「フジテレビONE」での再放送(翌日昼)以外視聴できない状態となった。 なおこの状態は、翌2010年度に初回放送がフジテレビONEに変更となったことにより解消された。(フジテレビTWOでは翌朝再放送の1回となったが、2011年は再放送していない)公式戦最中の放送スタイルとしては原則、MCの他に解説者2名、アナウンサー4名が出演する(アナウンサー4名体制のため、最大2名は2試合担当する)。なお重要な試合(原則としてセ・パ1試合ずつ)は特集コーナー「Zoom Upゲーム」と称して解説付きで伝えられる(特に、勝敗を分けた場面については「解説者の熱視線!!」として、そのシーンをノーカットで紹介し、解説者が多角的に分析を行う。オールスター・日本シリーズのみならず、レギュラーシーズンやポストシーズンにおいても1試合しか行われない場合はその試合の解説者を2名にすることもまれにある)。オールスターでは解説者3名に増員し、1 - 3回、4 - 6回、7 - 9回で、それぞれ分担。また、日本シリーズでは解説者2名で前半部と後半部の分担。CS番組の特長を活かして、解説者のコメントの比重を高めて地上波の「すぽると」とは差別化を図っている。試合VTRを終えると、その試合についての感想や注目点について出演者全員で質疑応答が行われる。なお番組の終わりに、翌日(試合がない場合は次の開催日)の試合カードと、CSでの放送スケジュールが発表される。試合数が極端に少ない日(1-2試合以下)である場合は、ある特定のチームや選手を題材にした特集や、交流戦の全日程終了後には「投手のヒット集」などの企画をすることがあるほか、8月か9月には「モルツ球団」(プロ野球OBによるチーム)のエキシビションゲーム「モルツドリームマッチ」を通常の試合速報フォーマットに沿って特集することもある。2012・2013年度は、初回生放送が23:00-24:00、再放送は当日深夜(翌日未明)1:00-2:00、翌日6:00-7:00、翌日12:10-13:10となっている。また、NOTTVでの同時生放送を開始した(再放送は翌日7:00-8:00)。なお、公式戦開催がない日(予め最初から組まれていない場合。主に月曜日と交流戦の第2試合の翌日)は前日(前々日)の放送分をリピートする。なお予備日の復活開催が発生した場合は放送されないか、交流戦の場合前日再放送を休止して当日の生放送か撮って出しとなる場合もある。また、SWALLOWS BASEBALL L!VE(ヤクルト主管試合中継)やEnjoy! Baseball(巨人ビジター試合のうち中日・阪神・広島戦の中継)が極端に延長された場合は初回放送と翌日昼休みの時間帯の放送を一部カットして対応するか、放送休止となる場合がある。なお、番組内で野球シーズンに流れる「今日のホームラン」のタイトル映像は、地上波時代からものが使用されている。そのため、2009年4月のチャンネルHD化後もこの部分のみ両サイドに黒枠が出ていたが、2011年シーズンからは、「16:9」に編集されている。また日本シリーズ終了後のシーズンオフからキャンプ・オープン戦にかかる年度下半期は2008年度(この年はオフシーズンの放送なし)を除き、週1回更新(2007年まで土曜日23時、2009年以後は月曜23時の初回放送のみ生放送、以後随時再放送)という体裁をとっている。2007年までのオフシーズンは佐々木信也の司会であったが、2009年以後は司会者はシーズン中の曜日に関係なく毎週ランダムで交代出演する。シーズンオフは現役選手をゲストに迎えるほか、年末の最終放送は3時間にわたるシーズン総集編(解説者総出場による「年末大反省会」)が行われている。そしてシーズンオフバージョン最後となる、新年度シーズン開幕前日にも解説者総出場による3時間のペナントレース展望が行われ、新年度シーズンの帯番組につなげる。いずれもフジテレビアナウンサー※●印は2016年9月現在の解説者。※出典広報ページ:プロ野球ニュース(フジテレビワンツーネクスト)※●印は2016年シーズン現在の試合結果報告アナウンサー。第1期はプロ野球シーズン中のみ放送。●は第1期をネット。★は『11PM』のネット打ち切りに伴う放送開始。☆は『EXテレビ』のネット打ち切りに伴う深夜帯放送開始。など「プロ野球ニュース」の制作の流れを大まかに示せば、編集会議→試合の取材・撮影→編集→放送順決め→放送本番と、ルーティン化されている。ただ、前述のようにリニューアルによる内容の変化や放送枠の変更もある為、多少制作の流れにも変化が伴ってくる。この節では、番組制作の詳しい流れを記す。打ち合わせ(編集会議)→キャスターが自ら伝える情報の選択試合開始→編集作業取り上げる順番を決定→放送本番なお、週末のキャスターを8年間担当したみのもんたはスタッフとの打ち合わせは行わず、本番に入れば解説者に話を振っていく役割を果たしていた。CS時代になると番組制作の流れが地上波時代と大きく変わる。準備・試合確認内容の打ち合わせ本番なお、それ以前にも早朝の放送開始前後(5-6時台)に前日分の再放送(日〜木分のみ)が実施されていたが、1986年4月-1988年頃?には、同番組の30分ダイジェストバージョンとして、「朝のプロ野球ニュース」(あさのプロやきゅうニュース)(午前6:00-6:29、5:45-6:30等、フジ、東海テレビ、関西テレビ以外に、北海道文化放送等一部の地方局でも一時期放送されていた。実質上はFNS系でも放送されなかった局が多い)が放送されていた。一時期は最後だけ佐々木が「いってらっしゃ〜い!」というシーンに差し替えられていた。前夜のVTRをそのまま放送するので、スポンサー名を隠すように「スポーツニュースのテレビ版 プロ野球ニュースをお楽しみに!!」という差し替え画面もあった。1993年7月1日-9月30日の3ヶ月間にわたって、『FNN おはよう!サンライズ』の前の、平日の朝5:55-6:30に放送された。朝の時間帯で苦戦していたフジテレビが、1993年3月の『モーニングLIVE』終了後に中断していた早朝の情報番組を復活するにあたっての実験的な番組と見られる。『オルトレ・イ・チンクワンタ』の放送開始に伴って終了した。『プロ野球ニュース』解説者のうち1人と、女性アナウンサー(担当者不明、月曜は八木亜希子が担当)のコンビがキャスターを務め、前夜に録画されたものを放送していた。2014年9月より2015年3月までの15回にわたり、フジテレビONEで放送を開始するアーカイブス番組「スポーツ番組黄金伝説」シリーズの一つ。地上波で放送された26年の歴史を中心軸に紐解き、番組のアーカイブとして残されている様々な選手、名勝負、また「プロ野球ニュース」のオフシーズン特集企画などについて、ナビゲーターの福井謙二の解説を交えて振り返る。またエンディングの「今日のホームラン」のコーナーもあり、こちらは過去のプロ野球記録として残るホームランを毎回テーマを決めて特集している(ただし、主として番組が開始された1970年代後半以後のライブラリーに保存されている物をピックアップしているため、全員をフォローできないものが多い)。また、BGMは著作権の都合からオリジナルの「Vibrations」ではなく、別のものに差し替えられている。同番組はベースボール・マガジン社との共同企画により、同12月より、月刊(毎月2日頃)で発売している「DVDマガジン プロ野球ニュースで綴る プロ野球黄金時代」と連動したもので、同番組で取り上げたテーマのDVDと、そのテーマに関連した「週刊ベースボール特別版」をセットにして出版するメディアミックス企画となっている。なおDVDについては、放送で紹介されなかった貴重な映像を「特典映像」として収録している。かつては、テレビゲームソフト「パワーリーグ」シリーズ(発売元:ハドソン)とタイアップしていた事もある。単行本・文庫雑誌

出典:wikipedia

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