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トキワ荘

トキワ荘(トキワそう)は、東京都豊島区南長崎三丁目(住居表示16番6号、完成当時の住所表記は豊島区椎名町五丁目2253番地)に1952年から1982年にかけて存在した木造アパートである。手塚治虫ら著名な漫画家が居住していたことで有名。上棟式は1952年12月6日。老朽化により1982年11月29日に解体。賃貸された部屋のうち二階部分は十室で全て四畳半(押入れと入り口部分のスペースを除く)。その他、共同の調理場、トイレなどが存在した。手塚治虫は1952年に上京して最初は東京都新宿区四谷の八百屋の2階に下宿していたが、やがて昼夜を問わぬ編集者の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われるようになった。このとき手塚は、学童社の加藤謙一の次男・加藤宏泰から、宏泰の住む新築アパート「トキワ荘」へ入居するように誘われて、1953年の初頭に住人となった。これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌に連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた(最も多い時期には7、8名の漫画家が居住し、またその仲間の漫画家も出入りするようになったため『マンガ荘』というニックネームまで付けられた)。才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあったほか、「漫画家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている。それら若手漫画家達の多くは後に著名になり、その漫画家達により同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。なお、トキワ荘への入居と仲間入りに際しては、メンバーたちにより、といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画エリート達であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと指摘されている。また、昭和30年(1955年)5月に結成された新漫画党のメンバー、すなわち寺田ヒロオ(総裁)、藤子不二雄(藤子不二雄A、藤子・F・不二雄)、鈴木伸一、森安なおや(1957年、除名処分を受ける)、つのだじろう、石森章太郎、赤塚不二夫、園山俊二は、トキワ荘に当時かかっていたカーテンに各自、結成を祝って漫画を描いた。現在そのカーテンは、おもちゃコレクター・鑑定士の北原照久の所有となっており、漫画界の「釈迦の衣」と呼ばれている。雑誌『COM』では1969年から翌1970年にかけ、各漫画家たちがトキワ荘に住んでいた頃の状況を自伝として描き(後にまとめられ、『トキワ荘物語』として翠楊社より1978年に出版。以後も再刊、再編集)、さらに1970年代からは週刊少年キング等に連載された藤子不二雄(藤子不二雄Ⓐ)の『まんが道』やつのだじろうの『その他くん』などによってトキワ荘のエピソードが語られ、後進の漫画家、或いは漫画ファンに知られるようになった。その結果、トキワ荘自体も著名な存在となり、既に各漫画家が全員退出してしまった時期においても見学者がはとバスで訪れるといった聖地的な扱いをされるに至った。解体前の1978年には翠楊社より『トキワ荘物語』が刊行され、解体が決まった1981年、手塚治虫を中心としたかつての居住者らが集まって同窓会が開かれ、その模様はNHK特集『わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~』(NHK)として5月25日に放送、ビデオも発売された。このとき、建物に残っていた襖で寄せ書きが作成された。これは『驚き桃の木20世紀』(テレビ朝日)で公開された。また、10月3日にはフジテレビでアニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』(脚本・辻真先、監修・小池一夫、監督・鈴木伸一、キャラクターデザイン・石森章太郎)が放映された。さらに1996年には市川準監督、本木雅弘主演で映画『トキワ荘の青春』が公開されている。トキワ荘自体は解体された1982年12月に新築され、バス・トイレ付きのアパートになった。そして赤塚不二夫作画の看板が掲げられていた。しかしバブル景気の最中に地上げに巻き込まれて更地化した。現在は日本加除出版の新館社屋となっている。近年、松葉ラーメン店が実行委員長となり記念碑の建立が計画され、2009年3月にトキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園において着工し、同年4月4日に完成した記念碑の除幕式が行われた。2012年4月6日には、トキワ荘の跡地に当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが設けられ、除幕式が開かれた。なお現在のトキワ荘跡地に通じる道路とモニュメントがあるのは、マンガなどでよく描かれるトキワ荘の正面玄関側ではなく、裏口と非常階段があった側である。トキワ荘に隣接して現存し、赤塚不二夫がかつて借りていた「紫雲荘」は、豊島区が若手漫画家のために入居費用補助などの支援をする「紫雲荘・活用プロジェクト」として運用されている。2020年の東京オリンピックに間に合わせる形で、近くの区立公園に外観を復元した建物を建設することが決まっている。内部は関係資料やマンガ・アニメの展示施設となる予定であり、新たな観光施設となることが期待されている。漫画家を目指す若者に格安の賃料でシェアハウスを貸し出し、本業に専念することでプロデビューを目指す事業。入居者は、漫画関係の勉強会の受講や、仕事の斡旋・仲介を受けることができる。中には漫画家の甲斐谷忍や樹崎聖が指導を行うメンター荘もある。主な出身者は中川学、西村ツチカら。NPO法人NEWVERYが運営。南長崎地域の町会や商店会が中心となって進めるトキワ荘の地域活性プロジェクト。トキワ荘のあった街である南長崎地域では豊島区との協働の元、トキワ荘の「記憶」を地域文化として後世に繋げるため、様々な取り組みを行っている。

出典:wikipedia

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