巨乳(きょにゅう)とは、女性の乳房が大きいこと。また、その女性。膨らんでいない(成長していない)バストが初経の前後約4年間で膨らんで(成長して)大人のバストになり、妊娠中から出産直後にかけても膨らんだり、刺激を受けたりすると多少の変化があるが、どの程度大きく膨らんで(成長して)巨乳と感じるかは、主観的なものが大きく、使用者によってまちまちな部分が多い。しかし、集合的にはバストがどの程度大きく膨らんで(成長して)巨乳と感じるかどうかを捉えることは可能である。マイナビウーマンの調べでは男女ともDカップ以上から巨乳だと思う人が多い。同じく、マイナビウーマンの調べで巨乳だと感じるブラジャーのカップはEカップ以上と答えた人が多かった。巨乳フェチ作家の鏡裕之は、ブラジャーで言うとE70以上が巨乳、G75以上が爆乳、M70以上が超乳と定義している。 下着メーカーの行った調査では乳房の大きな女性が増えてきているという。例えばトリンプの調査では、1980年ではAカップが60%程、Dカップ以上は4.5%であった。しかし、2004年では30%近くがDカップ以上、2011年では41.5%がDカップ以上(Eカップ以上は約20%)だという。4.5%から41%への変化は、日本のブラジャー表示の基準変更や女性の胸に対する意識の変化(胸の大きさを強調することを羞恥とせず、むしろ積極的に誇示する者が増えた)などでは説明できない。巨乳女性の増加(海外のブラで言うDカップ以上の比率の増加)は世界的に進行しており、フランスでも中国でも、巨乳女性の増加はデータで見て取れる。類語として、一般女性と比べ極端に膨らんだ(成長した)バストを爆乳(ばくにゅう)や超乳(ちょうにゅう)や魔乳(まにゅう)、形の美しいバストを美乳(びにゅう)、あまり膨らんでいない(あまり成長していない)バストを貧乳(ひんにゅう)や微乳(びにゅう)や無乳(むにゅう、ないちち)と呼ぶ場合がある。極乳という表現もAVなどで使われたが、あまり定着していない。鏡裕之の小説では弾乳や砲乳という表現が使われている。また主に女性タレントやグラビアアイドルの巨乳を形容するのに、スイカップ(古瀬絵里)などといった語が用いられることもある。ちなみに、スイカにあたる英語watermelonは、俗語で爆乳のことである。巨乳でよかったことや得したこととしてモテる・水着に自信が持てる・彼氏に喜ばれるなどがあげられ、一方で巨乳で嫌だったことや損したこととして男性の視線・太って見える・オシャレが楽しめない・重いなどがあげられている。巨乳になったらやってみたいこととして「胸の谷間を見下ろす」「机に乗せる」「谷間にボールペン」などがある。※トリンプの日本法人が行ったトリンプ「ボディサイズの理想と現実アンケート(2005)」によると、胸のボリュームを出したいと答えた女性が34%だったのに対して、ボリュームを抑えたいと答えた人は5%となっている。※日本人の女性の平均カップサイズはトリンプ調査によると以下のように推移している。ただし、カップサイズは不変の客観基準とは言えない部分がある。2000年代頃からのもの程、かつてより大きめに表記されている傾向があったり、同時代で同じカップサイズでもメーカーによってカップ容量が違ったりする場合がある。したがって、たとえば30%という数値が本当に30%なのかという点については、絶対に30%であるとは言えない部分がある。それでも全体の傾向を把握する参考にはなる。なお、海外でもカップサイズの調査が行われているが、日本のDカップと海外のDカップはカップ容量が違う場合が多いので、注意が必要である。特にイギリスとアメリカのブラジャーサイズについては計算方式も異なっている。イギリスやアメリカのブラジャーのDカップは、日本ではEカップに相当する。女性の豊かな乳房の魅力を発見したのは、古代ギリシア以前と、ネーデルラントの全盛期、そして20世紀の米国である。古代においては豊満な乳房は豊穣のシンボルとして希求された。クレタ文明でも、乳房の豊穣さを強調した女神像が発見されている。古代エジプトでは、ホルスはイシスから授乳を受けている。だが、古代ギリシアでは乳房の豊穣さは必ずしも評価されず、古代ローマでも、巨乳女性が乳房を小さくしようとしていたことが記録されている。その後、ヨーロッパはキリスト教的世界観の下に入り、Cカップくらいが美しい乳房としてもてはやされた。大きな乳房は上流階級の間では評価されなかったとされる。ルネサンスで、上流階級の間でも乳房のエロス的側面が評価されるようになったが、まだ巨乳は評価されていなかった。巨乳の再評価が起きるのはネーデルラントがヨーロッパの覇権を握った時である。「巨乳」という言葉が登場するまでは、同様な乳房の大きさを示す言葉として「ボイン」、「デカパイ」という言葉が使われていた。1960年代前半頃より成人向け雑誌にてその表現が散見されていたが、一般に広く知られるようになったのは、1967年に大橋巨泉がテレビ番組「11PM」にて、朝丘雪路の乳房の大きさをボインと表現し、転じて朝丘をボインちゃんというあだ名で呼び始めたのがきっかけである。「ボイン」は「ヒッピー」などと共にその年の流行語となった。また、1969年に月亭可朝が「嘆きのボイン」を発表しヒットしたこともあり、ボインという呼称が定着した。ボインは 1970年代には小島功の『ヒゲとボイン』のように漫画のタイトルにもなり、1980年代に入っても人気アニメ『まいっちんぐマチコ先生』で「ボインタッチ」の語が使われた。しかし、「巨乳」という言葉の登場と普及に伴って急速に廃れ、2010年現在ではほぼ死語となっている。近年では、巨乳を形容するのに上記の概要で記述されているように様々な表現方法が用いられている。アイドル界においては長らく「豊満な胸」をタブー視していたが、1970年代後期に榊原郁恵が「健康的なお色気」という形で「アイドル性」との両立を果たし、その後のいわゆる「巨乳アイドル(巨乳タレント)」の先駆けとなった。「巨乳」という言葉は、1985年6月に日本で劇場公開されたアメリカの成人映画"Raw Talent"(1984年製作、監督ラリー・レヴィーン)の邦題『マシュマロ・ウェーブ/巨乳』に使われたのが一般に向けての最初の使用例であると見られる。1985年12月には、ラス・メイヤー監督作の"Beneath The Valley of The Ultra-Vixens"(1979年製作)が『ウルトラ・ビクセン/大巨乳たち』の邦題で公開された(後に『ウルトラ・ヴィクセン』に改題)。日本においては1980年代後半から「巨乳」との言葉が用いられだした。当時、豊満なバストを持つ女優やAV女優に対して「Dカップ」「Eカップ」「Fカップ」といったバストサイズによる表現が好んで用いられた。日本製作の映像作品のタイトルにおける初期の使用例としては、1986年4月に発売されたアダルトビデオ『SM巨乳奴隷』(STUDIO 418、主演:吉沢まどか)や、1986年8月に成人映画・アダルトビデオとして同時公開された『巨乳』(新東宝映画、監督細山智明、主演菊池えり)などがある。1987年7月10日付の読売新聞朝刊は、女性解放団体「行動する女たちの会」が、「巨乳」などの性的用語が氾濫する夕刊紙をシンポジウムにおいて糾弾したと報じている。「巨乳」という言葉がより一般レベルで定着したのは、AV女優界では松坂季実子(1989年2月デビュー)の登場によるところが大きい。。一般の芸能界では1990年代初頭にかとうれいこ、細川ふみえらが人気を博し、AVから縁遠い少年や女性の間にも「巨乳」という言葉が浸透した。1993年には「爆乳」と言う言葉が派生、さらに1990年代後半、杉作J太郎が「貧乳」と言う言葉を用いだした。スラングとしては「ホルスタイン」などがある。また風俗史研究者である井上章一は、従来は「-乳」と言えば牛乳、母乳など液体の乳状のものを差していたところ、「-乳」と言った語によって乳房の形状、状態を表す熟語となったことは、日本人にとっての言語感覚の転機となったとも言い得る、としている。
出典:wikipedia
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