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クロフネ

クロフネ(1998年3月31日 - )は日本の競走馬、種牡馬。アメリカ合衆国で生産され、日本で調教された外国産馬。2001年春にNHKマイルカップに優勝、ダート路線に転じた秋にはジャパンカップダートを含む2戦をいずれも大差でレコード勝ちしたが、同年末に屈腱炎発症のため引退した。同年のJRA賞最優秀ダートホース。通算10戦6勝、うちレコード勝利4回。芝とダートの双方で活躍したが、特にダートでは日本競馬史上の最強馬と評される1頭である。2002年より種牡馬。短距離GI競走で2勝を挙げたカレンチャンなど7頭のGI優勝馬を輩出している。アメリカ合衆国ケンタッキー州のニコラス・M・ロッツによる生産。父フレンチデピュティは競走馬時代に米G2・ジェロームハンデキャップなど4勝を挙げ、2年前にアメリカで種牡馬入りしたばかりだった。母ブルーアヴェニューは北米で5勝を挙げ、その姉にはヴァニティー招待ハンデキャップ、ミレイディハンデキャップ(いずれもG1)など11勝を挙げたブロートツウマインドがいた。他方、母の父であるクラシックゴーゴーはテキサス州において無料に近い種付け料で種牡馬生活をしていた無名の存在であった。1歳時にピンフッカー(育成調教後に転売する業者)に7万ドルで購買された後、ナイルブレイン・ステーブルズで調教を積まれ、2000年2月にファシグ・ティプトン社主催のトレーニングセールに上場された。当時ナイルブレイン・ステーブルズで研修していた吉田俊介(後のノーザンファーム代表)によれば、同所で育成されていた後のホープフルステークス(アメリカ)優勝馬・ヨナグスカに勝るとも劣らないという評判であったといい、吉田自身も「大物感というか、落ち着き払った感じで風格があった」と評している。ここで最初の購買時から6倍強の価格となる43万ドルで落札され、4月にはノーザンファームへ送られた。同場の育成担当者も「良い動きをするし、古馬のような雰囲気を感じる」と高く評価し、調教の進捗に連れてその評判はさらに高まっていった。翌年の2001年には東京優駿(日本ダービー)がはじめて外国産馬にも開放される予定となっており、馬主の金子真人は「開放初年度のダービーを勝って欲しい」という願いを込め、本馬を「クロフネ」と命名した。1853年に浦賀へ来港し日本に開国を迫ったマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊の通称「黒船」に由来するものである。8月、管理調教師・松田国英(栗東トレーニングセンター)のもとへ入厩。松田はトレーニングセールでの姿をビデオで観た際、その雄大な馬格から「歴戦の古馬のようだ」という印象を抱いていたが、当時は日本到着後の長い検疫明けだったこともあり、痩せた牝馬のようであったという。しかし松田はクロフネがこうした厳しい経験をしたことでさらなる成長が見込めると期待していた。10月14日、京都開催の新馬戦でデビュー。直前の調教でのタイムは水準級といったものであり、当日は3番人気であった。レースでは最後の直線で進路を失う場面もあり、エイシンスペンサーの2着と敗れる。しかし2戦目では、わずかに鞭を入れられたのみでレコードタイムでの初勝利を挙げた。続くエリカ賞でも2000メートルで2戦連続のレコードを記録する。2000メートルという中距離を連続して使われた背景には、2400メートルで行われる日本ダービーに向け、騎手の手綱に反して先へ行きたがる気性を矯正しておきたいという思惑もあった。重賞初出走となったラジオたんぱ賞3歳ステークスでは、松田はクロフネが最も強いとみて余裕を残した仕上げで送り出し、当日の単勝オッズでも1.4倍の1番人気に支持された。しかし当年の日本ダービー優勝馬アグネスフライトの全弟・アグネスタキオン、札幌3歳ステークスの優勝馬・ジャングルポケットに後れての3着と敗れた。松田は「エリカ賞と同じタイム(2分1秒2)で勝てる」とみていたが、アグネスタキオンのタイムはそれを0秒4上回るレコードであった。松田は「初めて味わう挫折」であったと述べている。当年はこれをもって終え、休養に入った。3月24日、毎日杯から復帰したクロフネは、はじめてブリンカーを着用して出走。単勝1.3倍の1番人気に支持されると、2着コイントスに5馬身、3着ダイタクバートラムにさらに5馬身という差をつけて重賞初勝利を挙げた。走破タイム1分58秒6は古馬のコースレコードに0秒3差という優秀なものだった。日本ダービーを目指すに当たっては、GI・NHKマイルカップで2着までに入るか、京都新聞杯または青葉賞に勝利するという条件を満たす必要があった。それまでの出走歴から、2000メートルの京都新聞杯か、ダービーと同じ2400メートルの青葉賞に向かうともみられていたが、松田は馬主の金子と相談のうえで、距離が1600メートルと短いNHKマイルカップを選択。東京競馬場のゆったりとしたコース形態と、GIの格を重視してのものだった。また、クラシック三冠初戦の皐月賞を無敗のまま制したアグネスタキオンを意識し、「GIのタイトルを持ってアグネスタキオンと対決すれば、よりダービーが盛り上がるだろうと決めた」と公言してもいたが、アグネスタキオンは皐月賞後に屈腱炎を発症し、戦線を離脱。以後復帰することなく、9月に引退している。5月6日に迎えたNHKマイルカップでは、単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持される。スタートが切られると行き脚がつかず、それまで好位からのレースを続けていたところから一転し、後方14番手から進むことになった。平均ペースで流れるなか、そのまま後方待機策をとると、最後の直線では馬群を縫うようにして抜け出していった。その時点では逃げるグラスエイコウオーと未だ大きな差があったが、鞍上の武豊が鞭を入れると一気に加速し、ゴール前で同馬を半馬身差し切っての優勝を果たした。クロフネに加え、松田にとってもこれが開業6年目でのGI初制覇となった。出走権獲得なったダービーへ向け、松田は「道中の位置取りに少しハラハラしました。後方から直線だけで差し切っての競馬でしたが、次のダービーにつながる内容だったと思います」と感想を述べ、また武は「ストライドが大きく、乗っていてあまりスピード感がない馬なので一瞬心配しましたが、きちんと差し切ってくれましたね。素晴らしい馬だと思います。間違いなくダービーの有力馬の1頭でしょう」と称えた。日本ダービー(5月27日)ではアグネスタキオンこそ不在だったが、皐月賞2着のダンツフレーム、同3着のジャングルポケットが顔を揃え、クロフネに対する皐月賞上位馬の決戦という図式となった。1番人気には皐月賞で大きな出遅れから3着まで追い上げたジャングルポケットが推されて2.3倍、クロフネが3倍でこれに続き、ダンツフレームが6倍という順となった。スタートが切られるとテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ダンツフレームが2番手集団の前方、ジャングルポケットが12番手、その直後にクロフネという隊列となった。重馬場にもかかわらず、1000メートル通過は58秒4とダービー史上最速のペースとなり、ダンツフレームが位置取りを下げて一時は上位人気3頭が並ぶように進む。第3コーナー過ぎからクロフネとダンツフレームが上位に進出していき最後の直線に入ったが、仕掛けを遅らせたジャングルポケットが抜け出しを図る両馬を一気にかわし、ダンツフレームに1馬身半差を付けて優勝。クロフネは伸びあぐねて5着と敗れた。松田によれば、ダービーに向けての「手加減した調整」が裏目に出たといい、「5着という着順は、成功したという感じはもちろんないし、かといって、大きく失敗したという感じもない。馬主さんも褒めもしないし、非難もしない。何となく中途半端なレースになってしまった」と振り返っている。夏の休養を経ての秋シーズンは、これも当年より外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に、9月の神戸新聞杯から復帰。鞍上は蛯名正義が務めた。ここではダービー2着のダンツフレームと再戦することになったが、当日の1番人気は札幌記念でジャングルポケットを破っていた外国産馬エアエミネムに譲った。レースではスタートで躓いて後手を踏み、道中もスローペースを堪えきれず蛯名との折り合いを欠いた。最後の直線では鋭く追い込んだものの、勝ったエアエミネム、さらにサンライズペガサスも捉えきれず3着と敗れた。松田は「馬が気負いすぎて出遅れてしまった。本当なら馬群の外目を先行するはずだったので、差す競馬は予定外だった。それでも終いの脚は良かったし、天皇賞に向けて収穫はあったと思う」と語った。その後は天皇賞出走を予定していたが、2頭の外国産馬枠に対して獲得賞金額でクロフネを上回る年長馬のメイショウドトウとアグネスデジタルが優先権をもったことから、出走することができなくなった。2頭のうちアグネスデジタルは直前になって急遽出走を決めたもので、クロフネへの期待を摘まれた一部ファンからはアグネスデジタル陣営への非難の声が上げられた。松田も「『まさか』が正直な気持ちだった」と振り返っているが、この時点で翌年の予定にダートGI競走・フェブラリーステークスが入っていたことから、これを機会に一度ダートを走らせようと、天皇賞前日に行われるGIII・武蔵野ステークスに出走することになった。当日は1番人気ながらオッズでは連勝中のエンゲルグレーゼと2倍台を分け合った。しかしレースでは第4コーナーで先頭に立つと、最後の直線では後続を引き離し、前年のNHKマイルカップ優勝馬・イーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝した。走破タイム1分33秒3は、1992年にナリタハヤブサが記録した1分34秒5を1秒2更新するJRAレコードであり、芝コースのタイムに匹敵するものだった。騎乗した武は「3コーナーから一気に上がっていく競馬を、あえてしてみた。普通、直線が長くて最後に坂がある東京であんなレースをしたら、惨敗するのが当たり前だが、この馬は最後に突き放して勝ってくれた。他の馬とは次元が違うというか、レベルが違いすぎた」と振り返っている。なお、翌日に行われた天皇賞ではアグネスデジタルが優勝し、同馬の馬主である渡辺孝男は「周りから心ないことを色々言われたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないか」と語った。11月24日、ダートの国際招待競走・ジャパンカップダートへ出走。当年はアメリカから一線級の実績馬であるリドパレスが出走したが、クロフネは同馬を抑えオッズ1.7倍の1番人気に支持された。スタートが切られるとクロフネはやや出遅れたものの、向正面から徐々に進出を開始、前走と同じく最終コーナーで先頭に立ち、直線で独走態勢となって前年度優勝馬ウイングアローに7馬身差をつけての優勝を果たした。走破タイム2分5秒9は同馬が前年度に記録した2分7秒2を1秒3更新する、2戦連続のJRAレコードであった。武は「今日のレースに限っていえば、こんなに強い馬は今までにいなかったと思う」と称え、8着と敗れたリドパレス騎乗のジェリー・ベイリーは「言い訳はしない。勝った馬が強すぎた」と述べた。ジャパンカップダートの後は休養に入り、翌年にはダートで行われる世界最高賞金競走・ドバイワールドカップを目標とすることが決定していた。しかし12月24日、右前脚に屈腱炎を発症し全治9カ月以上という速報が流れ、26日には競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された。松田は後に、調教師としての立場からこの故障について次のように語っている。翌年1月、年度表彰・JRA賞が発表され、クロフネは最優秀ダートホースに選出された。またJPNクラシフィケーションでは、ダート2戦の内容が北米のハンディキャッパーからも高く評価され、アメリカのケンタッキーダービー優勝馬モナーコスと並び、国内ダートでは史上最高評価となる125ポンドを獲得、3歳のMコラム(1400メートル以上、1900メートル未満)では芝を含めても世界第1位となった。2002年より社台スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度から201頭の交配相手を集めた。初年度産駒は2005年にデビュー、フサイチリシャールが朝日杯フューチュリティステークスを制し順調なスタートを切る。2007年以降はランキング10位以内に定着し、2010年には3位、2011年には2位を記録している。2015年には史上16頭目となる産駒のJRA通算1000勝を達成した。芝、ダートの双方で重賞勝利馬を輩出しているが、特に牝馬の活躍が多い。なお、2001年に輸入された父・フレンチデピュティも数々の重賞勝利馬を輩出し、北米の主流血統であったデピュティミニスター系の日本への定着に父子で貢献した。4戦で騎乗した武豊は、2003年に行われたインタビューの中で「今まで乗った馬で『凄さ』を感じたのは、オグリキャップ、サイレンススズカ、そしてクロフネぐらい」、「全く別の次元の競馬をして、能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べている。また、乗り味の良さは抜群のものであったといい、「これほど大きいストライドで走る馬は、なかなかいない」とも評している。評論家の吉沢譲治もストライドの大きさに言及し、「まるで1頭だけ、むかしの長距離戦を走っているようだった。そのふわりふわりと走るさまが、遊んでいるようにも、はなからやる気がないようにも見えた」と評している。ダートでは日本競馬史上の最強馬とも評される。日本中央競馬会の広報誌『優駿』が2012年に読者へ行った「カテゴリー別最強馬」のアンケートでは、ダート部門で2位ホクトベガに3倍以上の差を付ける532票を集め、第1位に据えられた。生産者、騎手、調教師にもあわせてアンケートがとられ、回答者17人のうち松田国英、池江泰郎、池江泰寿、岡田繁幸、国枝栄、小島茂之、四位洋文、中舘英二、松永幹夫の9人がクロフネをダートの最強馬として挙げた。岡田は「アメリカのダートでも勝負できたかもしれないと思わせるほど、能力が高かった」と添えている。松田は「普通、ダート馬は勝ち気で人の言うことをあまり聞かないようなタイプが多いが、クロフネは精神的に余裕があって、おっとりしていた。精神面だけでなく、肉体面も立派な馬だった。フレンチデピュティ産駒らしい顎の張った馬で、だから飼い葉食いも良く、筋肉の盛り上がった雄大な馬体をしていた。だからといって、決してパワータイプという感じではなかった。素晴らしいスピードがあって、芝でも通用するダート馬だったと思う」と評した。『優駿』が2010年と2015年にそれぞれアンケートをとった「未来に語り継ぎたい名馬ベスト100」では、いずれも19位となっている。"※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。太字はGI、JpnIおよびJ・GI競走。"※GII、JpnIIおよびJ・GII以下の重賞優勝馬。"※地方競馬限定格付けの重賞勝利馬。"父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューはいずれも、2001年に日本に輸入された。兄弟の主な活躍馬として、全妹のBella Bellucciがアメリカで重賞を2勝している。

出典:wikipedia

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