数え年(かぞえどし)とは、年齢や年数の数え方の一つで、生まれてから関わった暦年の個数で年齢を表す方法である。即ち、生まれた年を「1歳」「1年」とする数え方である。以降、暦年が変わる(元日(1月1日)を迎える)ごとにそれぞれ1歳、1年ずつ“年をとる”(例:12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日には2歳となる。また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる)。数え歳や数えともいい、年齢以外の項目では足掛け(あしかけ)ともいう。年齢の序数表示(たとえば、満年齢の0歳をあらわす英語の “first year of life” など)とは異なる。これに対し、誕生日当日午前0時に加齢加年する数え方を「満年齢」「満」といい、生まれた年を「0歳」「0年」として暦年が変わるごとに加齢加年する数え方を「周年」という。本項においては、主に年齢に関する事柄について記述する。加齢は元日を基準とするので暦法に依存する。グレゴリオ暦の導入以前は暦法により元日が新暦に対し異なる。下記の数え年の計算方法の項を参照。満年齢及び「0」の項を参照すると当項目についての理解を得やすい。下記の例は没日が1日違うだけだが西暦では年が明ける。日本・中国・朝鮮半島・ベトナムの東アジア諸国では古くから満年齢は使われず、数え年が使われてきた。しかしその後、多くの国で満年齢に切り替わっていった。日本や中国では公的に廃止されてもしばらくは民間で数え年が使われていたが、日本では第二次世界大戦後、北朝鮮では独立後にほとんど使われなくなった。ベトナムでは植民地時代の間に使われなくなった。中国では文化大革命後、公的な場所や企業等での使用が見られなくなったものの、都市を離れた農村部では自分の年齢を数え年で数える人は現在でも存在する。現在(2010年代時点)、民間で数え年を広く使用している国としては韓国の例がある(後述)。現在、1歳加える日は日本や韓国ではグレゴリオ暦の1月1日、中国では春節(旧正月。時憲暦の1月1日で、日本の旧正月とはずれることがある)である。ただし日本では地方や流派によって、旧正月や立春とすることがある。立春とするのは、本来旧正月としたいところを簡便にするための新しい方法である。中国語では虚歳という(満年齢は週歳・実歳・足歳)。朝鮮語では韓国ナイ(ハングンナイ、ナイ=年齢)という(満年齢は満ナイ(マンナイ))。英語ではEast Asian age reckoningといい、数えで×歳であることはin one's ×th yearともいう。満年齢を特に指す言葉はない。日本でも古くから数え年が使われていたが明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受け、満年齢を使用することとなった。ただし明治6年太政官布告第36号では年齢計算に関しては満年齢を使用することとしながらも、旧暦における年齢計算に関しては数え年を使用するとしていた。1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなった。しかし一般には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。と国民には満年齢によって年齢を表すことを改めて推奨し国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。と国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務付け、数え年を用いる場合は明示することを義務付けた。同法制定の理由は以下の4点である。これらの内、当時切実だった理由は4の配給の問題であった。実際、例えば12月に子供が生まれ翌年2月に「2歳だ」という理由でキャラメルが配給されることなどはよくあった。当然のことながら、生後2か月の乳児にキャラメルを支給しても無意味である。また、満年齢では50代であるのに数え年では60代という理由で配給量を減らされるなどの問題も起きていた。配給量の基礎となるカロリー計算は満年齢を基に算定されていたにも関わらず実際の配給の現場では数え年を基に支給されていたため、これらのような支障が生じていた(詳しくは年齢のとなえ方に関する法律参照)。現在でも習慣的に数え年を使用している高齢者(特に昭和一桁生まれ以前の世代)は多いが、それ以外の年齢層が数え年を用いるのは占いや伝統行事、享年などの限られた場面のみとなっている。本来、数え年で行われてきた伝統行事である七五三や年祝い(古稀・喜寿など)も数え年・満年齢のいずれで祝ってもよいとされていることが多い。この場合、原則として数え年・満年齢のいずれを用いても同じ数字の年齢で行われるが、外的に還暦の場合のみ数え年で行う場合は61歳、満年齢で行う場合は60歳と行われる年齢の数字が異なる。ただし厄年には数え年を使い、「満年齢」を使うことはほとんどない。なお葬祭の際に記す「享年(行年)」は仏式や神道では数え年が使われるが、現在では満年齢が使用されつつある。「一周忌」を除く、「年回忌」の数え方は現在も数え年に準じている。第二次世界大戦経験者やその子供の世代、で1月1日近くに生まれた子供を1月1日生まれにすることが数多くある(例えば12月31日に生まれた場合、次の日に新年を迎えると2歳になる)。混乱や煩わしさを避けるためや、数え年を用いなくても元日生まれで縁起が良いとされるためである。 ちなみに別例で4月1日生まれの子供を2日にする者が現代にもおり、学年の上になるか、下になるかを決める日が4月1日なため、幼少期に同い年の子よりも最高で1年近く年齢が離れてしまうため、授業についていけなかったり、子供過ぎて周囲に溶け込めないことを避ける目的である。また、日本の競走馬の年齢(馬齢)も1990年代頃までは数え年によっていた。しかし2001年からは馬齢の国際表記に従って、「生まれた年を0歳、(新たに1月1日を迎える毎に)1歳加齢する(=数え年から1を引いたもの)」とすることになった。つまり加齢日は現在も一律に1月1日であり、馬齢=「満年齢」ではない。他の分野の後年の例では、ジャイアント馬場の全日本プロレス(1972年創業)で1981年に10周年記念イベントを実施したほか、1989年に馬場(1960年デビュー)の30周年記念試合を実施した例がある。なお、馬場の30周年記念試合は1990年にも実施された。韓国では1962年から公的では満年齢を使用することとなった。しかし、政府が満年齢の普及に力を入れなかったため、民間ではその後も数え年が広く使われている。数え年で頭を悩ませる韓国人は少なくない。一例として、年齢が微妙に異なる新入生たちが顔を揃える2月の大学オリエンテーションにおいて、同学年であっても年齢が上の相手には敬語を使うのが礼儀の韓国では、相手が現役か浪人生か、そして早生まれかどうかまで確認しなければ、気軽に声も掛けられない。こうした大小の混乱が韓国社会のあちこちで繰り返される。専門家らは韓国で満年齢が定着しない理由として、年齢による序列を重視する韓国ならではの風潮があると指摘する。生まれた時に1歳になり、その後新年を迎えるたびに1つずつ年を重ねる数え年は、常に満年齢より1〜2歳上の年齢を表現することになり、「少しでも年齢を上げて相手よりも上位に立とうとする心理」には便利な年齢とされる。 外国人が韓国に抱く「変わった文化」として、この数え年使用が挙げられることもある。また、韓国人の中には外国に旅行すると「若返る」ため、「気分が良くなる」と語る者もいる。先述の通り、韓国内でも数え年使用に違和感を持つ者が少なくなく、またこれを廃止し公的同様満年齢に統一すべきとの意見も出ている(合わせて「硬直した年齢文化が現代では生産性の低下や人間関係の障害になり得る」「外国人と生まれた日が同じなのに韓国の年齢では1歳多い」「国際水準の満年齢に統一すべき」などの意見もある)。満年齢使用を訴える請願運動も繰り広げられている。韓国において、2014年からポータルサイトで満年齢計算機のサービスが始まり、人気を博している。
出典:wikipedia
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