本線(ほんせん)は、東京都港区の泉岳寺駅と神奈川県横須賀市の浦賀駅を結ぶ京浜急行電鉄(京急)の鉄道路線である。英語表記は、Keikyu Main Line。駅ナンバリングで使われる路線記号はKK。(品川駅 - 浦賀駅間)なお起点は品川駅であり、後年延伸された泉岳寺駅 - 品川駅間1.183kmもキロポストは品川駅からの距離に基づき設置されている。路線は品川から東京湾沿いに南下し、横浜市南東部・横須賀市東部へと延びる。都営浅草線および同線を介して京成電鉄・北総鉄道と相互直通運転を行っており、芝山鉄道とも、都営浅草線・京成線を介して直通運転を行っている。空港線とともに羽田空港への空港連絡鉄道としても機能しており、京成電鉄が成田空港に乗り入れているため、羽田・成田の2空港を連絡している。原則的に20分サイクルのパターンダイヤが組まれている。本線からは大師線をのぞく京急各線へ直通列車が運転され、快特はすべて堀ノ内駅から久里浜線に直通する。ただし、朝ラッシュ時には浦賀発着の特急列車(一部は金沢文庫駅以北快特)も運転される。空港線へは品川・横浜両方面から直通列車が設定されている。都営地下鉄浅草線や京成電鉄各線などと相互乗り入れを行っており、以下に挙げる路線の各駅へ直通列車が存在する。空港線へ乗り入れる列車が多く、一部は久里浜線や逗子線と直通する。現在、京急蒲田以南への直通はほぼ自社の車両に限られ、ラッシュ時に東京都交通局の車両が数本乗り入れる程度だが、かつては京成電鉄や北総開発鉄道・住宅都市整備公団(現 北総鉄道)の車両も乗り入れていた。現行ダイヤにおける拠点駅の1時間当たり運行本数は、横浜駅では日中18本、平日朝のピーク時で26本である。また品川駅では、京急蒲田方面が日中21本、平日朝24本、泉岳寺方面は朝 - 日中がおおむね12本、夜間9本となっている。京浜間では開業時より伝統的に高速運転が行われてきた。これは、東海道本線や東急東横線、三浦半島方面へは横須賀線、羽田空港アクセスでは東京モノレールと競合するためである。第二次世界大戦後では認可速度80km/hから始まり、1953年に90km/h、1958年秋には100km/h、1967年からは特急で105km/h 運転となった。1995年以降は品川 - 横浜間で120km/h(増圧ブレーキ非装備の車両と、成田スカイアクセス線乗り入れ対応の京成車をのぞく他社車両は110km/h)、横浜以南で110km/h となり、関東の私鉄路線としては京成成田スカイアクセス・つくばエクスプレスに次いで高速の部類に入る。軌間が標準軌という点は高速運転に有利だが、軌道や信号設備の改良など120km/h運転を行う準備に数年を要した。首都圏の鉄道事業者は、直接他社線と競合する路線が少ないこと、限られた線路容量や線形の中でほぼ終日にわたり高密度ダイヤで運転されること、また高速化よりもまず安全性や定時性重視という傾向もあることなどから、首都圏の鉄道事業者で一般列車の120km/h以上の運転を実施しているのは2014年の時点で京急、前記つくばエクスプレス・京成成田スカイアクセスおよびJR東日本と少数である。なお、品川 - 横浜間の120km/h区間では、信号機にYG現示を明滅させる抑速信号(C-ATSの照査速度105km/h)を採用している。これは最高速度を105km/hから120km/hとするにあたり、信号機の移設・増設、閉塞数の変更を行わずにブレーキ距離を確保するためである(京急本線の閉塞区間の平均間隔は290mである)。抑速現示による速度制限を受けている状態では従前の進行現示と同等の距離で停止でき、最高速度の向上が可能となった。抑速現示は京急が日本で初めて採用した方式であり、その後2009年に北総鉄道北総線で、2010年に京成成田スカイアクセスでも採用された。なお120km/hで運転できるのは快特だけで、特急の最高速度は110km/hとなっている。ただし使用車両の最高速度が低い場合はそれに従うことになる(よって、100km/h以上の速度が性能上出せない800形使用の快特および特急では最高速度は100km/hとなる)。2015年現在は以下の7種別で構成されている。停車駅についての詳細は「停車駅表」を参照。また、速達列車は種別ごとに種別色(停車駅表参照)を定めており、英語での案内にはその色を用いる場合もある。平日朝方の上り方面に2本運転される、着席通勤を目的とした列車であり、他社の「ホームライナー」に相当する。1本目は品川行き、2本目は泉岳寺行きとして運転される。乗車する場合には「Wing Ticket」(300円)または「Wing Pass」(5500円)が必要である。なお品川駅・泉岳寺駅以外での下車することはできない。車両は2ドアオールクロスシート8両編成が専用で使用されており、2015年現在は2100形で運転されている。平日夜間の下り方面にのみ運転される、着席通勤を目的とした列車であり、他社の「ホームライナー」に相当する。始発駅である品川駅から乗車する場合には「Wing Ticket」(300円)が必要だが、上大岡駅 - 三崎口駅間については一般の「快特」として運行されるため、乗車券のみで乗車できる。停車駅や着席整理料金など一般の快特とは趣を異にするが、正式な種別は「快特」となっている。全列車が久里浜線に直通し、本線の泉岳寺駅 - 品川駅間と堀ノ内駅 - 浦賀駅間や都営浅草線には乗り入れない。車両は、2ドアクロスシート8両編成が専用で用いられており、運行開始当初は2000形、2015年現在は2100形となっている。京急蒲田駅・京急川崎駅・横浜駅を通過駅としているのが特徴である。品川から上大岡までの所要時間は32分である。都心方面と東京国際空港(羽田空港)を結ぶ特急料金不要の最速達列車で、品川駅 - 羽田空港国際線ターミナル駅間をノンストップで走行し、羽田空港国内線ターミナル駅に着発する列車である。全列車・全区間8両編成で運転される。2012年(平成24年)10月ダイヤ改正以降は、日中の列車は都営浅草線に直通し、押上駅から「アクセス特急」に変更の上京成成田スカイアクセスに直通して、成田空港駅に到着するダイヤが40分間隔で組まれている。また成田空港駅からは、逆のパターンが組まれている。現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。「エアポート快特」は、1998年(平成10年)に設定された「エアポート快速特急」を前身とする。当時は羽田空港へのアクセスのみならず、羽田空港駅(当時。現在の羽田空港国内線ターミナル駅)と京成線の成田空港駅を乗り換えなしで結ぶ最上位の種別として登場し、京急線・都営浅草線内では「エアポート快速特急」、京成線内では「エアポート特急」として全区間で通過運転がされていた。なお、これらの列車は京成高砂駅で、京成本線の京成上野駅 - 京成高砂駅間を運転する「エアポート特急」に接続していた。特に都営浅草線内で通過運転を行ったことが画期的であったが、京急線内での扱いは快速特急と同じであり、名前だけを差別化した形であった。1999年(平成11年)にエアポート快特に改称する。2000年代の一時期(2002年頃)は京成線内の扱いが快速への格下げと運転区間の短縮により成田空港駅まで到達しない列車が大半となり、当初の目的を果たしているとはいいがたい状況になっていたが、2010年(平成22年)7月17日に京成成田空港線(成田スカイアクセス)が開業し、京成線内を京成本線経由から、こちらに切り替えることで再び両空港を乗り換えなしで結ぶ列車として運転されるようになった。これに先立ち、2010年(平成22年)5月のダイヤ改正において京急蒲田駅を通過するようになり、京急線内でも快特との実質的な差別化が図られるようになった。2012年(平成24年)10月のダイヤ改正からは種別の色をオレンジに変更し、快特との差別化および京成線アクセス特急との共通化が図られるようになった。現行ダイヤでは堀ノ内駅から久里浜線に直通し京急久里浜駅や三崎口駅を発着する系統と、京急蒲田駅から空港線に直通する羽田空港発着の系統があり、早朝・深夜をのぞくほぼ終日の設定がある。1968年(昭和43年)に設定された「快速特急」を前身とする。快速特急は特急よりもさらに上位の種別で、それまで運転されていた三浦半島の観光地に向けた列車、ハイキング特急を格上げする形で登場した。このため当初は土休日に特急の合間に何本か設定されているにすぎなかったが、通勤需要の拡大とともに徐々に設定時間と運転本数が拡大されていき、また本線末端部よりも久里浜線へ直通するダイヤへとなって行った。1999年夏のダイヤ改正からは通称・略称として用いられていた「快特」が正式名称となり、同時に「特急」を置き換える形で大増発を行い、日中はほぼ10分に1本は確保されるようになった。この時都営浅草線・京成線・北総線(以下:都心方面)へ直通する快特も登場している。さらに2012年10月21日改正では、日中の北総線 - 都営浅草線 - 羽田空港の系統のエアポート急行が快特へ格上げされ、品川駅では約5分間隔で京急久里浜・三崎口方面の列車と羽田空港方面の列車が交互に運転する形となっている。平日朝ラッシュ時上りの快特は三崎口駅・京急久里浜駅・浦賀駅 → 金沢文庫駅間は特急として運転される(1999年以前の通勤快特)。車両は8両編成を基本とするが、金沢文庫駅 - 品川駅間では4両編成を連結して、大手私鉄最長である12両編成で運転される快特も設定されている。その場合、金沢文庫駅・品川駅において連結・切り離し作業を行う。連結列車の運用パターンについては後記に記す。この12両編成の運用には京急の車両だけが充当される。都営・京成・北総の8両編成も用いられることも多いが、京成・北総の車両については、原則として、全列車が都心方面から空港線の羽田空港方面間の運用であるために、京急蒲田駅以南の横浜方面では見ることができない。都営の車両は、本線をそのまま走り三崎口駅を発着する運用も設定されている。運行当初は久里浜線の津久井浜駅まで通過運転を行っていたが、近年は停車駅が増加しており、1998年に空港線が羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)まで延伸開業すると同時に京急蒲田駅が停車駅となり、1999年夏のダイヤ改正からは久里浜線内各駅停車となった。さらに、2010年5月16日からのダイヤ改正からは、金沢八景駅も停車駅に追加された。なお、自社路線内では最速の列車であるが、都営浅草線内では大半の列車が各駅停車となる。詳細は「都営地下鉄浅草線」や「エアポート快特」を参照されたい。列車番号の末尾のアルファベットはA、B、SHの3つが使用されている(他社局の車両が使用される場合をのぞく)。基本的に、Aは京急線内のみの運用、Bは平日朝の上りの金沢文庫以南が特急・以北が快特の列車とその送り込み(1999年まで存在した通勤快特と同様)、SHは地下鉄に直通する快特の運用に用いられるが、SH快特については平日午前の1往復に泉岳寺発着の線内運転の列車が設定されている。現行ダイヤでの運行形態は以下の通り特急は、1968年(昭和43年)に「快速特急」(1999年のダイヤ改正より「快特」に名称変更)が設定されるまで本線最上位の種別であり、「快特」設定後も本数の多いダイヤの中心的な種別であったが、1999年夏のダイヤ改正から空港線に乗り入れる列車をのぞいた日中のすべての特急が快特に置き換わった。2016年現在は、早朝深夜・朝夕ラッシュ時のみの運転である。しかし、その運転範囲は広く大師線をのぞく全線で見ることができる。基本的には8両編成での運転だが、品川駅 - 金沢文庫駅(下りは京急川崎駅)間では12両編成で運転されている。連結パターンについては後記する。現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。平日ラッシュ時間帯においては、自社路線で完結する運用が多い「快特」に対し、当種別は都心方面直通列車となるものが多い。上り列車は金沢文庫駅 → 品川駅間の本線内は「快特」同様の最大12両編成となるが、都営浅草線は最大8両編成での運転であるため、品川駅で切り離し作業を行う。ただし、下り列車は神奈川新町駅の下りホーム有効長が8両分のため、品川駅 → 京急川崎駅の区間のみで12両運転を行う。余った4両は京急川崎駅から客扱いをせずに車両基地のある神奈川新町駅までそのまま連結するか、京急川崎駅で切り離して普通列車として運転される。平日朝ラッシュ時の一部特急は金沢文庫駅以北は快特として運転される(1999年以前の通勤快特)。列車番号の末尾に付けられるアルファベットはC、H、Bが使用されている(京急以外の車両が使用される場合をのぞく)。Cは線内運転の列車、Bは平日朝の上りの金沢文庫以南が特急・以北が快特の列車とその送り込み(1999年まで存在した通勤快特と同様)、Hは地下鉄直通の運用に用いられている。ただし三崎口・京急久里浜・浦賀 - 品川・泉岳寺間を通して運転される自社線内完結の列車及び折り返しの送り込みとしてHをつける列車が早朝・深夜に存在する。1999年の改正以後、日中の特急は羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅) - 京急蒲田駅 - 京急川崎駅間のみで見られた。この列車は京急川崎駅 - 金沢文庫駅間で快特と併結、自身の列車種別を快特に変更して羽田空港駅と横浜方面とを結んでいた。この列車の下り方面行きは併結相手の快特に先行して京急蒲田駅を発車し、京急川崎駅構内の引き上げ線に一時停車して、品川方面からやってきた快特を先にホームに進入させた後、その後部に連結するという珍しい方法で運転されていた。定期列車としての「特急」が設定されたのは1954年3月22日で、設定当初は平日の朝ラッシュ時のみの運転であった。1957年3月17日には20分間隔で終日運転されるようになった。1965年2月20日までは神奈川新町駅ではなく子安駅に停車していた。2010年5月のダイヤ改正で登場した種別である。都心方面 - 羽田空港間を本線・空港線経由で結ぶ列車(一部は都営浅草線・京成線・北総線からの直通列車)と、新逗子駅 - 羽田空港間を逗子線・本線・空港線を経由して結ぶ列車の2系統があり、ラッシュ時間帯は前者が、日中は後者が中心にほぼ10分間隔で運転されている。「エアポート」と名がつく通り、基本的に羽田空港発着となるが、ごく一部に羽田空港発着ではない列車も運行される。なお、品川方面から新逗子駅まで運行する列車は設定されていない。2010年(平成22年)5月15日まで運行されていた「急行」から列車種別名を変更したものである。列車種別名を改称した理由は、京急蒲田駅 - 新逗子駅間においても新たにエアポート急行を設定するにあたり、かつて同区間を運行していた「急行」とは停車駅が異なることから、「急行」と「エアポート急行」は別の種別であることを位置付ける目的があり、既存の羽田空港駅(現名称:羽田空港国内線ターミナル駅) - 京急蒲田駅 - 泉岳寺方面間の急行と合わせて種別名の統一を図ったものである。2012年10月21日のダイヤ改正から、日中と土休日夜間のエアポート急行については、快特へ格上げされたため、これらの時間は運行されない。朝ラッシュ時間帯においては、品川方面からの電車が増発されたが、2010年5月15日まで空港線内のみの運用である急行が毎時3本運行されていたが廃止され、同時間帯はすべての列車が本線直通列車となった。大多数の列車は、泉岳寺駅から先の都営浅草線と京成押上線を介して京成本線成田空港駅、芝山鉄道芝山千代田駅および北総線印旛日本医大駅まで相互直通運転を行っている。このため、北側のエアポート急行は乗り入れ先の車両で運用されていることが多い。運行パターンとしては例として以下のタイプが存在する。羽田空港行きの列車は、都営浅草線内においては従来通り「急行」と案内されている。原則として後続の横浜方面行きの快特(または特急)には追い抜かれない。泉岳寺方面行きは京急蒲田駅で横浜方面からの快特からの接続をうける。鮫洲駅で普通列車を追い抜くのは朝夕の一部のみ設定されている。横浜方面から羽田空港へのアクセス向上と、新逗子駅 - 京急蒲田駅間の他社線との乗り換え駅において、相互間利用で利便性向上を図るために2010年(平成22年)5月16日に新設された種別である。この区間にはかつて「急行」が存在したことは前記したが、1999年(平成11年)7月31日に実施されたダイヤ改正により廃止されたため、今回の「エアポート急行」は約10年ぶりとなる事実上の急行の復活である。ただし、当時の急行とは停車駅が異なっており、かつて急行停車駅であった鶴見市場駅・花月園前駅・生麦駅・子安駅・黄金町駅・京急富岡駅は通過となり、逆に急行が通過していた仲木戸駅・井土ヶ谷駅・弘明寺駅・杉田駅・能見台駅がエアポート急行の停車駅となった。種別名がエアポート「急行」という割には停車駅が多く、京急鶴見駅 - 神奈川新町駅間の4駅を通過する区間をのぞくと、1 - 2駅おきに停車あるいは2駅以上連続して停車しており、逆に3駅以上連続して駅を通過する区間がない。2駅以上連続して停車する区間は、羽田空港国内線ターミナル駅 - 京急蒲田駅間(7駅連続)・神奈川新町駅 - 仲木戸駅間(2駅連続)・井土ヶ谷駅 - 上大岡駅間(3駅連続)、能見台駅 - 新逗子駅間(6駅連続)である。これは東急東横線の急行や京王線の快速などと類似している。日中を中心に10分間隔(1時間あたり6本)8両編成または6両編成での運行であり、ほとんどの列車が新逗子駅 - 羽田空港方面間を運行するが、途中駅である京急川崎駅・神奈川新町駅・横浜駅(始発のみ)・金沢文庫駅を始発・終着とする列車も存在する。運行時間帯は平日ダイヤでは主に日中と夕ラッシュ時、土休日ダイヤではほぼ終日である。2015年12月5日以降は下りのみ深夜に羽田空港発金沢文庫行きが新たに1本設定される。エアポート急行が運行されていない時間帯には、羽田空港方面発着の快特・特急・普通が運行される。南側のエアポート急行は、とりわけJR線からの乗り換え客を意識している。エアポート急行の新設により、新たに速達列車が停車する駅のうちJR線との乗り換えが可能な駅は次の通りである。なお、京急新子安駅も京浜東北線新子安駅に隣接しているが、こちらはエアポート急行停車駅ではない。普通は全線を運行し各駅に停車する。ただし、現行ダイヤでは主に運行されるのは品川駅以南の区間となる。品川駅 - 泉岳寺駅間には途中駅はないが、この区間を走る列車の多くは京急線内品川駅以南(横浜・羽田空港方面)の区間で急行以上の速達列車として運転されてきたものが直通する形となっている。このため、品川駅を境に以北・以南ともに普通列車として運転するものはほとんどなく、土曜休日ダイヤの終電に泉岳寺発京急川崎行き1本が設定されているのみとなっている。2013年現在日中は、品川駅 - 京急蒲田駅間で5 - 10分間隔(1時間あたり9本)、京急蒲田駅 - 浦賀駅間で9 - 11分間隔(1時間あたり6本)で運転される。速達列車は多くが8両または12両編成であるのに対し、ほとんどの列車が4・6両編成である。ただし、朝ラッシュ時には速達列車の折り返し運用などで例外的に8両編成の列車も存在する。現在のダイヤでは品川 - 浦賀の運転がほとんどだが、品川、羽田空港、京急川崎、神奈川新町、金沢文庫、堀ノ内発着で京急蒲田、羽田空港(発のみ)、京急川崎、神奈川新町、横浜(発のみ)、上大岡、金沢文庫、新逗子、堀ノ内(発のみ)、浦賀、京急久里浜発着の列車が設定されている。2010年5月16日のダイヤ改正では「エアポート急行」が新設されたことにより減便され、2011年4月の節電対策ダイヤでさらに減便されたが、2012年10月21日のダイヤ改正では日中に運転されていた品川駅 - 羽田空港方面間のエアポート急行を快特へ格上げしたことに伴い、エアポート急行停車駅である青物横丁駅・立会川駅・平和島駅の利便性確保のため、品川駅 - 京急蒲田駅間の区間運転列車が新規に設定されている。前述のように他社との競争の観点から、伝統的に速達列車の本数が多く、早朝深夜をのぞくと、ほとんどの待避駅で通過待ち・接続待ちを行う。接続待ちによって、速達列車通過駅から主要駅までの利便性が確保されている反面、「普通」だけで主要駅間を乗りとおすとかなり時間がかかる。例えば日中ダイヤの場合、品川 - 堀ノ内間52.3kmを快特は上下とも47分で運転するところを、普通は下りが1時間52-53分、上りが1時間42分かけて走っており、所要時間差はは実に1時間ほどとなっている。また途中で上りが快特6本・エアポート急行2本、下りが快特7本・エアポート急行3本に追い抜かれる。ほとんどの普通が、京急線内のみの運行であり、そのうち泉岳寺駅始発・終着の普通は土休日に1往復存在するのみである。しかし、ごく少数ながら品川駅を始発・終着とする都営浅草線や京成線方面直通の普通も存在する。毎年大晦日から翌年の元日にかけては、横浜 - 品川・泉岳寺・都心方面間で終夜運転を行っているが、その際は普通列車のみの運転となる。昼間時1時間あたりの運行本数は次のようになっている(2012年10月改正)。このほか、都営浅草線・京成線直通列車は泉岳寺駅ではなく、品川駅で列車種別の表示・案内を京成線の種別に変更するので、これらの表示・案内を見ることもでき、品川駅 - 泉岳寺駅間に限りこれらの種別を名乗って運行する列車が存在する。これまでは品川駅における案内上の措置に過ぎなかったが、現在では駅や車内に掲載されている京急の路線図においても、泉岳寺駅 - 品川駅間において、「アクセス特急」・「通勤特急」・「快速」・「急行」の表記がなされるようになった。反対に、京成線方面からの京急線直通列車は押上駅で京急線の種別に変更する。「エアポート快特」は京急線の種別であるが、都営浅草線の種別でもあり、同線のみで「エアポート快特」となる列車(主に京急線内「エアポート急行」)もある。「快速特急」は正式種別としては「快特」だが、京成線での案内に合わせて「快速特急」と案内される。「急行」は京急線内の「エアポート急行」と同一だが、都営浅草線内は単に「急行」とされる。「エアポート快特」をのぞき、いずれの種別も都営浅草線内は各駅に停車する。都営浅草線内の駅が終点の場合は「エアポート快特」をのぞき、「普通」と表示・案内される。泉岳寺行きの場合は、種別は変更せずに運行される。1981年6月22日のダイヤ改正より、品川駅・京浜川崎駅(現:京急川崎駅)のホーム12両延伸、京浜鶴見駅(現:京急鶴見駅)上りホーム待避設備完成により、それまで平日朝に運転されていた線内特急(C特急・8両編成)を金沢文庫駅以北を快速特急停車駅・12両編成で運転する種別として登場した。平日朝の上り及びそれの送り込み用の下りが運転され、横浜駅以南では特急停車駅、以北では登場当時の快速特急停車駅に停車する。車両の種別幕は快速特急同様緑色で、縦に「通勤」横に「快特」と表示されていた。また、列車種別表示灯は「通勤快特」を表す表示はなく、上大岡駅以南は「特急」、横浜駅以北は「快速特急」として扱われていた。「快特」と異なり、本線の全線に乗り入れる。支線へは久里浜線以外及び都営浅草線へは乗り入れない。1995年7月24日より京急蒲田にも停車するようになった。このときから、停車駅路線図での種別色に紫色が使用され、「快速特急」と「特急」から独立するようになった。尚前記したが、この種別色は公式ホームページの時刻表にてB快特(B特急)の種別色として使用されている。1998年11月18日ダイヤ改正から上り1本が泉岳寺駅まで延長された。この列車には2100形が充当され、同形初の泉岳寺駅乗り入れとなっている。1999年7月に名称廃止となり、現在は同じ形態の列車が金沢文庫駅以南を特急として扱う快特という形で運転されている。設定時より通勤快特が正式種別名であり、通勤快速特急とは称さない。なお、運行開始は1981年だが、車両の前面に掲げる種別板(サボ)は、それよりも以前から用意されていた。京成本線の京成高砂駅・青砥駅と羽田空港を結ぶ列車。京成高砂駅で、京成上野駅 - 成田空港駅間の「エアポート特急」と接続していた。京急線内では特急、都営浅草線内ではエアポート快特、京成線内では特急(現在の快特)と同じ駅に停車しており、途中の平和島駅にて快速特急の通過待避を行っていた。詳細は「エアポート快特」の項目を参照。1950年4月1日に登場した京急初の特急列車。ハイキング回数乗車券を持つ乗客だけが乗れる定員制列車だった。当初は品川駅 - 浦賀駅間を94分で結び、途中9駅に停車した。この時の表定速度は35.5km/hだった。当初の愛称には「三笠」、「剣崎」、「房総」、「三崎」、「灯台」、「鷹取」が存在した。運行パターンは大きく3種類に分けられる。これらは原則として、途中停車駅は京浜川崎駅と横浜駅のみである。1952年春のダイヤ改正で学校裏(現・平和島)、子安、上大岡の3駅での待避線の使用が開始されると「三崎」と新設された「城ヶ島」が品川駅 - 浦賀駅間をノンストップ運転で65分で結んだ。この時の表定速度は51km/hだった。また、品川駅 - 浦賀駅間では「灯台」と新設された「大島」、「鋸山」、「第一房総」、「第二房総」が京浜川崎と横浜に停車して69分で結んだ。そのほか、逗子線方面では逗子海岸行きの「油壺」と神武寺行きの「鷹取」があった。1953年秋からはノンストップ運転の列車は「第二房総」と「城ヶ島」の2本に増え、3分短縮の62分運転となった。1954年春から「第二房総」は房総半島への日帰りハイキングが楽しめることから人気が集中したため6両編成に増強し、秋には4分短縮の58分運転となった。「第二房総」は1956年秋には表定速度68km/hで走行し、品川駅 - 浦賀駅間48分運転となった。ハイキング特急はこの頃が最盛期となり、浦賀行きの「第三房総」、京浜久里浜行きの「白秋」も設定され、最大で9本が運行されるときもあった。しかしマイカーによる道路混雑が始まると連絡バスが上りハイキング特急の発車時刻までに到着しない事態が発生し、1965年秋をもってハイキング特急は廃止された。廃止後はその代替として休日の定期特急の一部に「房総」「三浦」などの愛称名をつけて運転し、のちに快速特急「マリンパーク号」となった。1956年3月より、大島・金谷航路接続を目的として品川駅 - 浦賀駅間に設定された特急列車。途中停車駅は京浜川崎駅、横浜駅、金沢文庫駅、横須賀中央駅の4駅だった。品川駅12時40分発の列車には「ラ・メール号(フランス語で海の意)」、13時40分発の列車には「パルラータ(イタリア語で甘き語らいの意)」の名称が与えられた。ハイキング特急とは異なり定員制ではなかった。しかし、沿線人口の増加と通勤需要の増大に加え、伊豆大島へのメインルートが東海道新幹線の開業後、熱海経由に移行したことなどにより、1968年6月8日に快速特急(現・快特)へと発展的に解消した。1958年に金沢八景駅のホーム延伸により、それまでの逗子海岸発着の週末特急を改称したもの。略称は「海特(うみとく)」。停車駅は品川駅・京浜川崎駅・子安駅・横浜駅・上大岡駅・金沢文庫駅・金沢八景駅・湘南逗子駅・逗子海岸駅であった。1959年には子安駅・上大岡駅が通過になった。1962年には京浜久里浜発着も運行された。1968年に快速特急が運転されたが、休日ダイヤのみ三浦海岸発着の海水浴特急が残ると当時に停車駅が見直され、当時の快速特急が通過する京浜蒲田駅・金沢八景駅・堀ノ内駅に停車するという若干異なるものの現在の快特停車駅に近い停車駅となった。これらの列車も1973年に名称が消え、不定期の快速特急として運行されるようになった。前述したように、略称の読み方は「うみとく」である。これは、そのままの読み方で略してしまうと「かいとく」となり、「快速特急」の略称(現在は正式名称)である「快特」と同一の読み方となってしまうためである。ただし、「かいとく」の読み方であるとする資料もある。1925年頃、平日の通勤時間帯に運行していた。現在では品川駅で、京成線に直通する「通勤特急」を見ることができる。急行は、2010年5月15日まで運行されていた種別である。空港線の羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)から京急本線を経由して都営浅草線・京成押上線を介して京成本線京成成田駅および北総線印旛日本医大駅までを結んでいた。1999年7月30日までは京急蒲田駅 - 逗子線新逗子駅間においても運行されていたが、翌31日に実施されたダイヤ改正により廃止された。この区間における急行は、主に新逗子駅 - 京急川崎駅間のみの運転であったが、平日朝ラッシュ時間帯に限り設定されていた新逗子駅発の都営浅草線方面へ直通する急行は、金沢八景駅で通勤快特の連絡後、平和島駅まで先行し、同駅で後続の特急を待ち合わせていた。ただし、京急蒲田駅以南の急行が廃止された後も、毎年正月に開催される箱根駅伝に協力するため、選手が京急蒲田駅付近にある第一京浜の踏切を通過する予定時間帯に限り、空港線の運転規制により京急川崎駅発着の急行が設定されていた。2010年5月16日に実施されたダイヤ改正に伴い、種別名を「エアポート急行」に改称する形で廃止した。現在のエアポート急行の運行形態は、急行をそのまま踏襲している。新逗子駅発着の急行は、基本的に上り列車は子安駅で、下り列車は神奈川新町駅で後続の特急や快特に通過で追い抜かれるが、平日・土休日共に日中の列車は神奈川新町駅 - 新逗子駅間の運転のため優等列車通過待ちは存在しなかった。普通列車とは上下線共に金沢文庫駅、上大岡駅、神奈川新町駅で接続、平日朝上り列車に限り京急富岡駅と神奈川新町駅で普通列車と接続していた。都営浅草線方面へ直通する列車と京急川崎駅発着の急行は、平和島駅で後続の快特の通過待ちを行っていたが、1998年11月18日の羽田空港駅開業後、本線と空港線との直通列車の増発に伴い、日中時間帯における平和島駅での待避は廃止され、平日朝ラッシュ時間帯や夜間に限り京急ウィング号・快特・特急のいずれかに追い抜かれる列車が設定されていた。また、浦賀・久里浜方面に設定されていた時期もある。当初は金沢文庫以南で現在の特急とほぼ同じく金沢八景、追浜、横須賀中央、堀ノ内、馬堀海岸、浦賀に停車したが、1957年3月からは金沢文庫以南各駅停車となった。1970年6月にすべての急行が逗子線直通となり消滅した。このほか、1957年から1972年までは大師線にも直通しており、大師線内の停車駅は川崎大師のみであった。しかし1966年のみ、京浜川崎駅の高架化工事のため休止された。1957年3月17日に登場し、平日朝に運転された。金沢文庫以南各駅停車となった急行の一部を従来のまま残し名称変更したもので、1958年9月7日には特急増発に代えて消滅した。1950年4月1日のダイヤ改正より急行運転再開と共に登場した種別。1954年7月7日のダイヤ改正で消滅。ハイキング特急や週末特急以外の一般の特急・快特や急行にも愛称がついている列車が存在し、中には定員制の列車も存在した。都営線・京成線への乗り入れ開始の翌年である1969年より三浦海岸から成田間に2往復の夜行直通特急「招運号」が運転を開始した。以降毎年運転されていたが1973年 - 1974年の運転が都からの終夜運転中止の通告に伴い中止、そのまま運転されることなく廃止となった。1970年より1月、4月末 - 5月、9月 - 10月に成田 - 三浦海岸間で運転された臨時直通電車(京急線内快速特急・京成線内特急)。列車名は成田行きは「成田山」、三浦海岸行きは「城ケ島・マリンパーク」に統一されていた。午前2往復午後2往復の計4往復が運転運転された。車両は午前の「成田山」と午後の「城ケ島・マリンパーク」は京急が、午前の「城ケ島・マリンパーク」と午後「成田山」には京成の電車がそれぞれ用いられた。のちに運転期間が1月のみとなり1978年に廃止。1970年の夏季ダイヤより夏季のみ成田 - 逗子海岸間(ただし成田行きのうち午前中の2本がそれぞれ久里浜発と浦賀発、逗子行きの一本は津田沼始発で運転)で運転された直通特急。「城ケ島・マリンパーク」・「成田山」と同じく列車の方向で列車名が統一されており、パシフィックが成田行き、逗子が逗子海岸行きであった。午前午後3往復ずつ計6往復が運転され、車両の受け持ちも上記と似ており午前の「パシフィック」と午後の「逗子」は京急が、午前の「逗子」と午後「パシフィック」には京成の電車がそれぞれ用いられた。1970年7月11日から8月15日までの間に実施された夏季休日ダイヤで「みうらビーチ」が3往復、7月18日から8月8日までの平日に1往復納涼特急「ハワイアン」が運転された。これらの列車は定員制で「みうらビーチ」は往復で100円であった。これらの列車に使用された600形(2代)のうちの1編成のみは蛍光灯はすべて濃いブルーに交換されていてまたそのまま通勤列車にも充当されていた。「ハワイアン」の運転は1970年夏季限りであったが「みうらビーチ」は1972年に1往復のみになるものの運転が継続された。ただし、愛称が変わった時期もあり、「みうらビーチ・ビバハッピー」(1974年)や「ハッピー1240」(1975年)の愛称で運転された後、1976年は再び「みうらビーチ」に戻ったものの、翌年から再度改称され「ミュージックトレイン」(1977年-1980年)、「アメリカンエクスプレス」(1981年)など、様々な愛称での運転となっていたが、1982年からは1990年まで再び「ミュージックトレイン」として運転されていた。その後1991年より最後の1994年までは三たび「みうらビーチ」に戻った。なお、夏季休日ダイヤ最後の年となった1995年には列車の設定がなくなった(同年夏季休日ダイヤでは「みうらビーチ」の運転をせず、一般の快速特急の増発と延長運転、京急蒲田駅への臨時停車のみとなった)。また、翌1996年以降は夏季休日ダイヤそのものが消滅した。使用車両は最初の1970年のみは全列車600形(2代)、1971年に2往復が1000形(初代)、1往復が600形(2代)の冷房改造車、1972年より1000形のみで運転され、1983年より下りのみ、翌1984年からは上下とも2000形での運転となっている。ロングシートの1000形で運転されている期間・列車も定員制であり、一時期の横須賀中央以南での乗車を除いて座席券が必要であった。1968年9月より休日にも快速特急が運行されるようになり、快速特急3往復に「マリンパーク」という愛称をつけて運転を開始した。その後1972年より愛称を1往復ずつ変更し「南房総」・「城ケ島」・「油壷マリンパーク」の3つの列車名で運転されるようになった。また、この時土曜日に運転されていた後ろ2両のみ座席指定とした快速特急にも同時に「南房総」という愛称がつけられた。その後の記録は十分では無くこれらの愛称がいつ無くなったのかは不明であるが1977年には「南房総」と名乗る列車が品川から平日・休日ともに1本(平日は特急・休日は快速特急)運転されていた。1973年4月末から10月末までのおよそ半年、平日休日ともに1往復「海洋博」という愛称がつけられた快速特急が運転された。1983年7月24日に快速特急「マリンパーク」が復活した。「マリンパーク」として運転されるときは愛称板取り付けが困難な2000形を除き前面に丸いイルカの愛称板を取り付け運転された。また、同年10月1日より都営線からの特急にも1往復快速特急と同じ愛称板を付け「マリンパーク」として運転した。これらの列車は羽田空港駅(現羽田空港国内線ターミナル駅)開業に伴うダイヤ改正で愛称が廃止された。1949年には休日運転で、愛称付きの急行も運転されていた。愛称には「銀鱗」「大島」「房総」「剣崎」「三崎」「灯台」「鷹取」などが使用され、上記のハイキング特急の前身ともいえる列車であった。横浜駅に7時29分から8時30分までに到着する金沢文庫駅から快特品川行きとなる上り特急6本については品川寄りの先頭車を「女性専用車」としている。東京都南部・川崎市付近に開業した軌道線を順次延伸し、明治時代末には東京と横浜を結ぶ都市間路線を形成した。昭和に入ると湘南電気鉄道が横浜と横須賀を結ぶ郊外路線を開業させ、これを取り込むことで路線の概形が完成した。戦後は設備の改良によって輸送力増強や所要時間短縮を図り、直通先の多様化などを経て現在に至っている。平均駅間距離は1.2km弱で、並行するJR各線よりこまめに駅を設けている。また緩急接続を頻繁に行なうため、おおむね3 - 7駅ごとという頻度で待避可能駅を配置している。すべて有人駅であり、自動改札機・自動券売機を備える。また2006年には全駅にAEDが設置された。各駅のホーム有効長は停車種別により異なり、品川 - 金沢文庫の特急停車駅は12両(品川3番線及び、神奈川新町下りホームのみ8両)、その他の特急・エアポート急行停車駅(以前の運転区間を含む)は8両、普通列車のみ停車する駅は6両編成に対応する。ホーム番線は下り線側から1番線、2番線とされている。頭に社名・金沢が付く駅や神奈川新町などは、冒頭部分を省略して川崎・新町・文庫・八景などと略記されることもある。以前は列車の方向幕でも省略形が多く見られた。当線は軌道から高速鉄道化への過程や戦時休止などにより多くの廃駅が存在する。この区間はおおむね国道15号(第一京浜)と並行し、北北東から南南西へと線路が延びる。沿線は市街地や住宅地になっているが、並行する東海道線より東京湾側を通り、臨海部の工業地にも近い。海岸線近くの平地を進むが、京急川崎以南では高架区間と地上区間が入り混じるため、その行き来のため急勾配となる箇所も複数存在する。路面電車を源流とする区間であるが、立会川駅以南では大きな速度制限を受ける曲線はない。京急線としては高架区間の比率が高いが、一部では地上を走行している。都営浅草線に接続する泉岳寺駅と高架駅である品川駅の間には下り線33‰、上り線38‰の急勾配が存在し、品川の南では最小半径160mの急曲線で左に折れて JR各線を乗り越える。直後に八ツ山通り・旧東海道の踏切を過ぎると北品川駅である。同駅先の踏切を過ぎると高架を駆け上がり、この先は六郷土手付近まで続く高架区間となる。以降は100km/h以上での運転が可能な区間で鮫洲駅付近のS字カーブを減速して通過後、快特は120km/hまで速度を上げる。京急蒲田駅では空港線が分岐する。六郷土手を過ぎると多摩川を渡って川崎市へ入り、京急川崎駅では高架上の本線から大師線への連絡線が分かれる。横浜市に入ると鶴見線や東海道貨物支線などと交差し、高架区間と地上区間を行き来しながら東海道本線と並行して進む。子安駅手前で東海道本線と離れると間もなく子安駅に着く。子安駅 - 神奈川新町駅は上り線が2線ある3線区間となっており、神奈川新町には新町検車区が隣接する。盛り土となっている仲木戸駅を超えると東海道本線と並行し、神奈川駅を通過して首都高速三ツ沢線金港JCTをくぐると横浜駅に到着する。横浜以南では線路を南に向け、おおむね国道16号と並行する。横浜駅以北とは一転して丘陵地帯を縫うように進み、山岳トンネルも現れるようになる。沿線は拠点駅周辺をのぞくと住宅地となっている区間が多い。日ノ出町以南はかつて湘南電気鉄道により地方鉄道線として敷設された区間だが、断続的に曲線区間が現れる。横浜駅の南側では急曲線で根岸線をくぐり、野毛山をトンネルで抜けると日ノ出町へ。ここから井土ヶ谷駅付近までは鉄道省が建設を計画していた京浜線(後の京浜東北線)延長区間の用地が転用されており(詳細は「湘南電気鉄道#路線に関して」を参照)、西南西へと進む。その区間を抜けると南へ進路を変え、杉田付近で再び根岸線をくぐる。運行上の拠点である金沢文庫駅と金沢八景駅の間は複々線化されており、東に金沢検車区、西側には総合車両製作所横浜事業所が立地する。三浦半島へと入り、沿線は海岸近くまで山が迫る地形となる。そのためトンネルが連続し、谷となる箇所に駅が設けられている。曲線区間や勾配のある区間が多い。山がちな地形のため沿線の平地は密集した住宅地・商業地となっており、傾斜が急な箇所にも住宅地が造成されている。金沢八景では追浜方で逗子線が平面交差し右手へ分岐する。横須賀市に入ると横須賀線が接近し、京急田浦駅 - 安針塚駅、逸見駅 - 汐入駅の両区間で京急本線が乗り越す。短いトンネルを抜けると横須賀市の中心市街地に位置する横須賀中央駅を通過する。、埋め立てが進んだ現在では海岸まで数百m程離れている。堀ノ内駅からは久里浜線が分岐し、快特や特急のほとんどは久里浜方面へ直通する。馬堀海岸から観音崎の付け根をトンネルで抜けると開国の町としても知られる終点の浦賀となる。戦前はさらにトンネルを掘削して久里浜方面へ延伸する構想もあったが、軍事的な理由で早急な鉄道敷設が求められ、工期を短縮するため堀ノ内から支線(久里浜線)が建設された。品川駅 - 北品川駅付近において連続立体交差事業の事業化を進める計画がある。今後都市計画および環境アセスメントの手続きを実施し、事業認可の取得を進める予定。これによって駅周辺にある3か所の踏切が除却されることになる。
出典:wikipedia
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