伊勢線(いせせん)は、三重県四日市市の河原田駅から三重県津市の津駅に至る伊勢鉄道の鉄道路線である。従来、名古屋・四日市方面と南紀(尾鷲・新宮)・伊勢志摩(伊勢市・鳥羽)方面間を行き来するには、四日市市から津市の間で伊勢湾沿岸から外れて、関西本線・紀勢本線の結節点である亀山駅を経由しなければならない上に、同駅で列車の方向転換が必要とされており、所要時間の面で障害となっていた。このため、関西本線の南四日市駅と紀勢本線の津駅の間を方向転換せずに短距離で結ぶ短絡線として日本鉄道建設公団(鉄建公団)により主要幹線(C線)として1965年11月から建設され、1973年9月1日に日本国有鉄道(国鉄)伊勢線として開業した。また、1962年(昭和37年)には中南勢地区に伊勢線から分岐する臨港鉄道としての南伊勢線が予定線に指定された。しかし、伊勢線沿線の工業開発計画は四日市ぜんそくに端を発して猛反対に遭い、第1次オイルショックもあってやがて頓挫してしまい、南伊勢線の建設も凍結されてしまった。このことから、伊勢線の開業時には1日に特急「くろしお」1往復、急行「紀州」(いずれも特急「南紀」の前身)3往復、普通7往復しか運転されず(その上に伊勢線を経由する貨物列車は運転されず、関西線名古屋・四日市方面と紀勢線津以南方面間を往復する貨物列車は亀山経由で運転され続けた)、並行している近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線では伊勢線開業当時は1日あたり特急44往復、急行34往復、準急9往復、普通62往復運転され、同社には鈴鹿線もあるため、伊勢線は全くと言ってよいほど利用されなかった。そのため、この路線単独での利用者数は伸び悩み、開業10年後の1983年(昭和58年)には営業係数が646という超赤字路線となった上に、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)にてバス転換が妥当とされた輸送密度4,000人/日未満を下回った(1981年〈昭和56年〉度当時1,495人/日)ため、第2次特定地方交通線に選定され、1986年に第三セクター鉄道への転換が決定し、1987年3月27日に伊勢鉄道の路線となった。伊勢鉄道への移管時に起点を河原田駅に変更し、現在も特急「南紀」や快速「みえ」が当路線を通り名古屋と鳥羽・新宮方面の間に運転されている。なお、種村直樹は「このような性格の路線が機械的に特定地方交通線に指定されたのは利用者を馬鹿にしている」と指摘している。また、鉄道評論家(鉄道アナリスト)の川島令三は「伊勢線の営業成績が悪かったのは、伊勢鉄道に継承された時点で普通の運転本数は1日7往復のまま、優等列車も『南紀』1日4往復のままという国鉄の消極的経営の結果であり、名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として積極経営すれば国鉄の重要路線となったはずである」と、当時の国鉄の経営姿勢とこの路線の第三セクター転換に疑問を投げかけた上で「機械的に地方交通線に指定するのは疑問だという声は大きかった」と述べている。2012年(平成24年)度の輸送密度は約3,691人である(1986年度からの毎年度の輸送密度は「利用状況」の節を参照)。建設当初から全線に亘って複線分の用地が確保され、将来の電化に備えて架線柱用の用地または架線柱の基礎があり、ほとんどが高架になっているなど幹線級の設備を持っている。津駅北方には紀勢本線亀山方面への線路を乗り越える将来の四日市方面への線路用となる立体交差用の橋梁も架設済み。踏切は鈴鹿市内(鈴鹿 - 玉垣間)に1か所存在するのみである。東海旅客鉄道(JR東海)の名古屋駅 - 新宮駅・紀伊勝浦駅間の特急「南紀」や、名古屋駅 - 伊勢市駅・鳥羽駅間の快速「みえ」が直通運転され、その間に自社車両(イセIII形)による四日市駅・河原田駅 - 津駅間の普通列車が1時間あたり1本程度運行されている。ただし、河原田駅を始発・終着にする列車は平日朝の1往復のみである。夜間滞泊を行うための玉垣駅発着の列車も朝晩に運行されている。また、沿線にある鈴鹿サーキットでのレース開催時には名古屋方面から臨時列車が運転される。中瀬古駅には快速「みえ」が数本停車していたが、2015年6月20日現在は上り3本のみの停車である。伊勢鉄道線内において、特急「南紀」や快速「みえ」の乗務員交代は行われず、JR東海の運転士・車掌によりそのまま伊勢鉄道線内を運行する。逆に、自社車両がJR線である四日市駅 - 河原田駅間に乗り入れる場合も乗務員交代が行われず、伊勢鉄道の運転士によりJR線を運行する。普通列車はすべて1両編成でありワンマン運転を実施している。自社車両の保有数が4両と少ないこともあり、2両編成以上になることはまずない。かつては日本貨物鉄道(JR貨物)の第二種鉄道事業線であり、ダイヘン多気工場から変圧器を輸送するため、紀勢本線多気駅からの特大貨物列車が臨時で運転されていた。紀勢本線亀山駅 - 下庄駅間のトンネルの断面が小さく大物車が通れないため、特大貨物列車は以前から伊勢線経由である(ダイヘンが伊勢鉄道に出資しているのもこの理由による)。2013年3月15日までは稲沢駅と紀勢本線鵜殿駅を結ぶ高速貨物列車が1日1往復設定されていた。この列車は、以前亀山駅経由で運転されていたが2008年3月15日のダイヤ改正で伊勢線経由に変更された。亀山駅経由時代は亀山駅以南をJR東海の運転士が運転を担当していた。伊勢鉄道線を経由する特急「南紀」や快速「みえ」などでは、JR東海へ車両使用料を支払っている。現在廃止された貨物列車では、第二種鉄道事業者であるJR貨物から線路使用料を受け取っていた。伊勢鉄道が第一種鉄道事業者であるため、特急「南紀」や快速「みえ」への線路使用料は発生しない。鈴鹿サーキット稲生駅を最寄とする鈴鹿サーキットでは、1987年から2006年までの毎年と2009年から再びF1日本グランプリが開催されており、2013年以降も鈴鹿サーキットでの開催が予定されている。なお2007年と2008年は富士スピードウェイで開催された。開催当日は多くの観客が伊勢鉄道を利用するため、特別ダイヤが組まれる。開催日には特急「南紀」や快速「みえ」の大半が鈴鹿サーキット稲生駅に臨時停車するほか、JR東海から車両(名古屋車両区のキハ85系やキハ75形のほか、美濃太田車両区・伊勢車両区のキハ25系など)を借用するなどして輸送力確保に努めているが、通常時との輸送量との差が大きいことや、鈴鹿サーキット稲生駅には渡り線などの折り返し設備が存在しないために、最混雑時には鈴鹿サーキット稲生駅に長蛇の列ができる。これにより乗降にも時間がかかり、開催日などは朝から10分程度の遅延が毎年恒例のように起きている。快速「みえ」は全車自由席になる。キハ75形の車内表示は快速「みえ」の臨時停車に対応しており走行中は「次は鈴鹿サーキット稲生」、停車時は「鈴鹿サーキット稲生」と、どちらもスクロールで表示される。なお、臨時列車が出るのはF1日本グランプリ開催時のみであり、スーパーフォーミュラなど他カテゴリのレースに関しては快速「みえ」の臨時停車(もしくは増結)がある程度でその他は通常運行となる。伊勢線の輸送実績を下表に記す。輸送量は、国鉄からの移管後に飛躍的に増加し、最近では、快速みえの運行開始・増結・割引回数券発売開始の影響による利用増もあって過去最高を記録している。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、1987年度(昭和62年度)以降の最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。鉄道統計年報及び『数字でみる鉄道』(国土交通省鉄道局監修)より抜粋伊勢線の収入実績を下表に記す。収入総合計額は、国鉄移管後に飛躍的に増加した。最近では、多少の増減はあるものの大きくは変化していない。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、1987年度(昭和62年度)以降の最高値最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)・伊勢鉄道HPより抜粋伊勢線の近年の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最低値を青色で、表記している。鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)・伊勢鉄道HPより抜粋
出典:wikipedia
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