荒川区(あらかわく)は、東京都の特別区のひとつで、23区東部に区分される。東京23区の中央からやや北東に位置する。町名の数は東京特別区内で最も少ない。2005年に夜間人口(居住者)は191,163人であるが、昼間人口(区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計)は184,021人で、昼間人口は夜間人口の0.963倍の人口になる。通勤者で見ると区内から区外への通勤者は152,183人、区外から区内への通勤者は47,835人となっている。他の区に比べると昼夜間人口の変動は少なめである。東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行136,137ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)東京都の北東部に位置する。東西に細長く、北側の区境は隅田川に一致する。区内はほぼ低地で平坦であるが、日暮里地区の一部は山手台地となっている。※荒川と隅田川の関係は歴史の項を参照。江戸時代は農村だったが、明治時代から荒川の水を使うために多くの工場が建設され、工業化が進んだ。また現在の南千住駅の西に江戸の三大刑場の一つ、小塚原刑場があった。1932年10月1日、東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が合併し、東京市荒川区が発足。区の発足から1945年ごろまで、東京市内で最も人口の多い区であった(当時の人口はおよそ28〜32万人)。1947年5月3日、地方自治法が施行され、荒川区は特別区となった。現在は下町としての特色を強く残す一方で、工場跡地を活用した大規模な再開発や公園整備が行われている。特に南千住地区の再開発は都内最大級の規模となっている。これに伴い、大規模なマンションの建設ラッシュが続いているため、若いファミリー層を中心とした人口流入が見られる。1990年代まで減少していた区全体の人口も増加に転じた。河川名の「荒川」を由来とする。「荒川放水路」が荒川本流となる前は、現在の隅田川が荒川と呼ばれていた。なお、当初東京市では区役所設置予定地を区名として採用することを原則としていたことで、旧三河島町が区役所設置予定地であったことから「三河島区」(みかわしまく)が最初の区名原案だった。区内の町丁数は52で、これは東京23区の中でもっとも少ない。足立ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられており、『23区東部』の地域と一致する。第6回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストに参加。江戸時代に特産であった、三河島菜、汐入大根の生産を試みている。財政需要に対する交付金の割合が60%台後半と高くなっている(交付額では23区中11位)。毎年、日経BP社等で行われる全国自治体ランキングでは、行政サービス部門においてトップクラスにランクされることが多い。2008年(平成20年)度は情報化分野および教育分野において、東京23区どころか全国すべての市区町村で1位、子育て環境分野では全国2位となっている。2015年(平成27年)度も共働き子育てしやすい街ランキングで全国1位となった。※は災害時相互応援協定 東日本旅客鉄道(JR東日本)※その他、 宇都宮線(東北線)・高崎線が上野駅 - 尾久駅間で、 東北・上越新幹線が上野駅 - 大宮駅間で当区を通過しているが駅はない。なお「尾久」は荒川区内の地名であるが、宇都宮線・高崎線の尾久駅の所在地は北区昭和町となる。現在、当区内にある東京都指定二次救急医療機関は以下の通り。
出典:wikipedia
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