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網走市

網走市(あばしりし)は、北海道にある市。オホーツク総合振興局所在地。「網走」という地名は「ア・パ・シリ」(我らが見つけた土地)や「アパ・シリ」(入り口の地)、「チバ・シリ」(幣場のある島)などの諸説があって定まっていないが、いずれにせよ「アパシリ」というアイヌ語を漢字にあてたものとされている。オホーツク総合振興局東部に位置し、オホーツク海に面している。丘陵地が多く、市街地は網走川河口付近とその南側に続く海岸段丘上の平地にある。北西部に能取湖、中部に網走湖、東部に濤沸湖があり、内陸部は森や農村地帯が広がり、市域は「網走国定公園」の一部となっている。美岬にあるヤチダモの木は「森の巨人たち百選」に選定され、濤沸湖は2005年(平成17年)に「ラムサール条約湿地」に登録された。能取湖や濤沸湖のサンゴ草(アッケシソウ)群落は秋になる湖岸を真っ赤に染め、卯原内のサンゴ草群生地は「日本紅葉の名所100選」に選定されている。地勢は、網走川右岸の一部にある沖積土地帯を除きほとんど泥炭地で構成される平野で、網走湖は南から網走川が流れ込み、女満別川などを集めて北東部から再び網走川としてオホーツク海に流れている。網走湖は網走川で、濤沸湖は北浜地区で海と繋がっているため汽水湖となっている。濤沸湖の西にある藻琴湖周辺は三角州性低地を形成している。また、市北西部にはオホーツク海に通じる海跡湖の能取湖があり、砂礫台地と岩石台地に囲まれている。市街地南部は岩石台地で形成されている。 1年を通じて晴天が多く、年間降水量・降雪量は少ない。海に面するため寒暖差も少なく、北海道としては比較的温暖な気候になっている。1981年から2010年までの平年値は、年平均6.5℃、年平均降水量は787.6㎜となっている。 オホーツク海型気候の特色があり、夏の季節風は弱く台風による被害はあまり見られないが、オホーツク海高気圧の北東風が作物の生育に影響を及ぼすことがある。冬には例年1月中旬から3月下旬まで流氷が到来する。一番暑い8月でも最高平均気温は25℃以下となっているが、日中は30℃を越える真夏日となることもある。それでも夜は20℃以下まで気温が下がる。冬の夜はまれに気温が-15℃以下になることもあるが、オホーツク海沿岸は内陸部と比べて冷え込みは穏やかな地域になっている。網走は、気象庁により都市化の影響が少ない観測地点として北海道の観測地点では根室、寿都とともに日本の平均気温算出地点に選ばれているが、温暖化が著しく特に冬季の平均気温が急激に上昇している。これには諸説があり、流氷の減少との関連性や観測露場における「日だまり効果」を指摘している説もある。網走地方における人類の生活がはじまったのは約2万年前からであるとされている。北海道で続縄文時代となっていた5世紀ころ、オホーツク海沿岸ではオホーツク文化が起こり擦文時代が終わる13世紀ころまで約800年続き、樺太や千島列島にもあったとされている。少数民族のニヴフによって樺太南部ではじまったとされ、北方民族の生活スタイルを継承して北東アジアの影響を受けている。オホーツク文化後期(9世紀から13世紀ころ)になると擦文文化の影響を受け、両方の文化が融合したトビニタイ文化が生まれ、それまでの海岸居住に留まらず、内陸部への居住も見られるようになった。なお、道北では9世紀ころにオホーツク文化が擦文文化に吸収されたとしている。最寄貝塚(モヨロ貝塚)はオホーツク文化最大の遺跡として国の「史跡」に指定されている。ウィルタは樺太の先住民族で「オロッコ」と呼ばれ、ニヴフは「ギリヤーク」とも呼ばれていたが、それぞれ独自の言語を持っており、アイヌとも近い関係にあった。終戦後、日本領土であったサハリン(樺太)にいて日本国籍を持ち旧日本軍に徴用された両民族の一部の人達は日本へ強制送還された。その先の1つが網走市であった。ミス網走といえる網走市の「流氷パタラ」のパタラとは、ウィルタ語に由来しており、「お嬢さん」の意味がある。「あばしりの年譜」「網走市統計書 平成26年版 年表」参照「姉妹都市・友好都市」参照「網走市議会」参照網走市の夏は晴れの日が多く、日照時間が長いのが特徴となっている。1988年(昭和63年)に気候やトレーニング環境が評価され、4種目(ボート競技、バドミントン、体操競技(女子)、陸上競技(長距離))でソウルオリンピックの事前合宿地となったことをきっかけにスポーツ合宿への取り組みがスタートした。ラグビーはじめ陸上競技、車いすマラソン、バスケットボール、野球、ボート競技、バイアスロン、スキーなどの合宿が行われているほか、北見市と連携して周辺自治体でスポーツ合宿誘致に向けた取り組みを行っている。網走スポーツ・トレーニングフィールドは天然芝フィールド7面、全天候型テニスコート16面、野球場、ソフトボール場、アーチェリーー場、投てき競技専用の練習場を備えており、毎年夏には観戦可能なラグビー練習試合『網走ラグビーフェスティバル』を開催している。網走市営陸上競技場では陸上競技の大会『ホクレンディスタンスチャレンジ』を開催しており、2013年(平成25年)には長距離競歩における日本オリンピック委員会(JOC)認定競技別強化センターとなった。産業別人口は第三次産業の割合が最も高く、次いで第二次産業、第一次産業となっている。農業では北海道内有数の畑作地帯となっており、大型機械を導入した営農集団組織により麦類、馬鈴薯(ジャガイモ)、テンサイを中心とした大規模営農を展開しているほか、ダイコン、ナガイモ、ゴボウなどの野菜類や酪農、畜産も行っている。漁業は網走沿岸において沖合底曳網、きちじ延縄、定置網、ホタテ桁、かに固定式刺網、毛がに篭などにより漁業を営んでいる。網走市は日本最北の捕鯨基地でもあり、市内の捕鯨業者が沿岸小型捕鯨業(捕鯨)を行っている。また、市内には湖が複数あることから内水面漁業も行われており、ホタテ、ワカサギ、シジミ、シラウオ、エビなどの漁が営まれている。観光入込客数は年間120万人から180万人で推移しており、宿泊客の割合は26%から30%となっている。流氷が滞在する冬期間の入込客数が多いのが特徴となっている。市内を通る一部道路は、シーニックバイウェイの「東オホーツクシーニックバイウェイ」になっている。「史跡・文化財」参照1960年(昭和35年)に網走市の道立水産試験場で「無塩冷凍すり身」の技術が開発されたため、網走はすり身発祥の地になっている。スケトウダラ、オホーツクサーモン(カラフトマス)、キンキ、ワカサギ、シラウオ、シジミ、クジラは網走の代表的な魚介類「網走の活き粋き7珍」になっている。ほかには地ビールの「網走ビール」、ブランド和牛の「オホーツクあばしり和牛」などがある。ご当地グルメとしては、オホーツクサーモンと塩だけで熟成、ろ過した天然の調味料「白魚醤油」に漬け込んだザンギ(から揚げ)を使用した「オホーツク網走ザンギ丼」、オホーツクの魚介類と網走発祥のすり身をオホーツク土器に見立てた特製の鍋で食べる「モヨロ鍋」、オホーツク産のホタテ干貝柱を使用した「オホーツク干貝柱塩ラーメン」、「オホーツク流氷カリー」がある。民芸品では、アイヌ語で「木の小さな子または人形」という意味で「幸運のお守り」として作られてきた「ニポポ」、北方系少数民族ウィルタの伝統紋様「イルガ」をモチーフにした「サハリンイルガ」がある。2012年(平成24年)、一般公募によって誕生したゆるキャラ。網走を代表するニポポとクリオネがモチーフとなっている。胸には「網走市の花」であるエゾムラサキツツジのバッジを付けており、頭には北方系の民族をイメージしたハチマキを巻いている。「網走ロケーションガイド」参照50音順50音順「都市宣言」参照

出典:wikipedia

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